元勇者なのに自転車通学している

 支度をして家を出る直前まで、俺は異世界で授かったレベル3のチートスキル・【亜空転移ビヨンド・ドアー】を使おうと考えていた。

 このスキルはいわば『どこ〇もドア』みたいなもので、明確に位置を記憶している場所ならどこにでも一瞬でワープできるというものだ。

 自転車で片道20分の通学時間を、コンマ1秒に短縮できるなら、このスキルを使わない手はないだろう。自宅から俺の通う桂春けいしゅん高校までの道のりには2つほどデカい坂があって、寝起きには少々キツいのだ。

 それをスキップして一発で学校までワープできるなら、このスキルを使わない手はないだろう。そう考えていた。


 しかし、結局俺はいつもと同じように家を出て、いつもと同じようにママチャリで学校を目指すことにしたのだった。


 というのも……【亜空転移】を発動しようとした瞬間、俺のレベル2のチートスキル【因果読みカンニング・フェイト】が警鐘を鳴らしたからだ。

 このスキルは、俺が何か近い未来に悪影響をもたらすような行動をしそうになった時に、それを察知して警告してくれるというもの。

 つまりは、亜空転移のスキルを使うと、あとで何やらマズイ事態になってしまうことが分かったのだ。

 正直、自分でも総数を覚えていないくらいのチートスキルを持つ今の俺には、現世でどんな『マズイ事態』になろうがどうにでも回避出来るという自信があったのだが。

 無理にそんな危険を侵すことと20分の通学時間を我慢することは、もはや天秤にかけるまでもなかった。


 そんなわけで、自転車の前カゴにカバンを突っ込み、サドルに跨って実に一般高校生的通学をキメることに。

 アスファルト、犬を散歩させるおばさん、古びた標識。

 こっちの時間軸では一日だけということになっているが、実際には俺は3年もの月日を異世界で過ごしたわけだから、1ヶ月の学校生活で見慣れた街並みも、全てが真新しく見えた。

 ガードレール、すっかり緑に染まった桜並木、集団登校する小学生たち。

 今日だけは、自転車通学も悪くないと思えた。


 ――あの『眼』を見るまでは。



 学校まであと132.8メートル(レベル1チートスキル【乖離計測オート・メジャー】を使用して計測)の地点。

 目の前で赤になった信号に多少の苛立ちを覚えつつ、ポケットからスマホを取り出して現在時刻を確認する。

 表示は、『08:32』。家を出た時間は前までとほとんど変わりないはずなのに、前までよりもかなり余裕を持って登校できていることに、少し高揚感を覚えた。やはり、スキル以外に基礎的身体能力も向上している。


「……虎の威を借る狐」


 いつの間にか隣に並んでいた、剣道の竹刀入れのような長細いケースを背負った、見慣れない女子生徒。

 彼女の長い銀髪が風に揺れるのを見た瞬間に、誰かに対して強い殺意や敵意を持つ人間が近くにいると発動する、レベル2の危機察知スキル【脳髄読みカンニング・ブレイン】が発動する。

 この女子生徒から発せられている鋭い敵意の先端が、喉仏を突き刺すかのように俺に向いているのをひしひしと感じる。

 見慣れない……というか、こんなアニメみたいな銀色髪の女、ウチの高校にいたか? 制服は同じだけど……。

 何故、顔も知らない女に敵意を抱かれているのだろう。


「自分の力でもないのに、それに頼って、威張り散らす……滑稽な事ですね」


 ……俺のスキルのことを言っているのか?

 【脳髄読み】をもう少し深く発動すれば、彼女の思考を読むこともできるのだが……【因果読み】が、それをするのはヤバイと、制止してくる。

 こいつは何者なんだ? まさか、【亜空転移】を発動できなかったのも、こいつのせいなのか?


「君は……?」

「……すぐに、またお会いします。それと、これは警告ですが」


 自転車に乗る俺を見上げてきた彼女は、その時初めて、俺にその蒼玉色サファイアの瞳を見せた。

 ボブと三つ編みを組み合わせたような奇妙な銀色の髪が、4月下旬、春の終わりを思わせる新緑の風に乗って、きらきらとなびいている。


「死にたくなければ、スキルは使わない方がいいですよ」


「…………」


 信号が、青になる。

 先に歩き出したその少女を、俺は自転車で追い越し、さっきまでよりも道を急ぐ。


 間違いない。

 ヤツは……俺が転生帰りだと知っている。



 それにしてもアイツ……桂春の制服着てたし、この学校の生徒なのは間違いないだろうけど。何年何組なんだろうな?

 もしかして、俺のクラスに転入してきたりするんだろうか。

 いやいやそんな。ベタなラノベじゃあるまいし。


「……スイスから引っ越して、この学校に転入することになりました。こんな見た目ですが、日本人です。

 鹿苑篤女ろくおん あつめと申します。よろしくお願い致します」


 マジか。草生える。


 彼女の淡々とした自己紹介を聞いてすぐ、クラス全体がソワソワしだすのを感じる。特に男子。

 まぁ外見だけならどこから粗を探しても見つからない完璧な美少女だし、実際俺もこの立場じゃなければ浮き足立っていたんだろうけど……。


 あ。目が合った。


 ちょうど俺の隣には机一個分のスペースが空いているし、もしかして、俺の隣の席を希望したりするんだろうか。

 いやいやそんな。ベタなラノベじゃあるまいし。


「先生。私の席、彼の隣のスペースにしてもいいですか?」


 マジか。草生える。



 ホームルームが終わった瞬間、クラスの中でも特に明るい感じの男女数名が、俺と鹿苑の周りに集まってくる。


「ねぇねぇ、二人って知り合いなの?」

「つーか、なんか銀閣くん雰囲気変わってね? イメチェンしたん?」

「スイスってどんなとこなの? スイス語で『離婚訴訟』ってなんて言うの?」


 口々に発せられる質問の数々を、レベル1チートスキル【聖徳太子ボイス・キャッチャー】を使ってなんとか聞き取る。

 これだから陽キャは嫌なんだ……。

 あと、スイスの公用語はドイツ語とフランス語とイタリア語とロマンシュ語だ。ていうかなんで離婚訴訟をどう言うか知りたいんだよ。家庭環境がちょっと心配だぞ。


「いっぺんに聞かれても分かんねーよ。鹿苑さんも困ってるだろ」


 苦笑いしてツッコむ俺を、みんなが丸い目で見る。

 ……しまった。こっちの時間軸では先週までド陰キャだったのに、急に言動変えすぎたかな。


「うわ。ホントに銀閣くん?」

「人格変わったみてーだな」

「ちょっと前までめっちゃボソボソ喋ってたのに」

「この週末で何があったの?」


 う……。

 いきなり変わった言動に引かれなかったのはよかったが……ガチ陰キャだった自分の事を掘り返されると、多少なりとも精神ダメージを喰らうな。

 異世界での3年間が俺に精神的成長をもたらしたってのもあるけど、チートスキルがあるおかげで自分に自信が持てるから、ハキハキした態度でいられるんだ。


「前までの俺のことは忘れてくれ……。あと別に鹿苑さんとは知り合いじゃない、朝にちょっと会っただけだ」

「ええ。こう見えてもけっこう緊張しているので……少しでも知っている人の隣の方が、安心できると思ったんです」


 涼しい顔で淡々と答える鹿苑。

 嘘つきやがれ、今この瞬間もビシビシ感じてるんだよ、お前から発せられる俺に対する敵意をな。


「転校生が来たこともだけど、銀閣の変わりようにもビックリだよな」

「あのさあのさ。こうやって髪スッキリさせたら、けっこういい顔してるよね?」

「はは……やめてくれよ、マジで」


 話が鹿苑より俺の方に向いた隙を見計らって、鹿苑は「すいません、お手洗いに」と言って野次馬をどかし、席を立った。

 ……この機会に乗じて、少しでもアイツの情報を引き出したかったんだが。今回は見送りだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る