四
彼が姿を現さなくなったのは、その翌日からだった。
初めの数日は、風邪でも引いたのだろう、二、三日すれば戻るだろうなんて、安易に考えていたけど、気付けばもう二週間近くになる。
流石に気がかりだった。連絡しようにも、常世から現世へは電波が遮断されるから、連絡なんてしようもなく、ただ漠然とした不安を抱えて終電に乗り続けていた。
でも、向かいの電車に自分の顔が映り込むたび、悲しいはずなのに、今日も居なかったとどこかでほっとしている自分もいて、言いようもない、もんやりとした感情だけが私と彼の部屋に溜まっていった。
しばらくすると、もんやりが部屋に入りきらなくなったようで、職場にまで進出して来た。おかげで我ながら信じられないようなミスを連発しては上司に怒られ、周囲の目が段々と怪異を見る人間のそれに変わっていった。
用事があって話しかけても、なんだか素っ気なくて、今までにない距離を感じる。
だから挽回しようと必死に働くけど、逆にまたミスをして冷ややかな視線を浴び続けた。
それでもお昼になると、先輩と後輩がいつも通り私を誘ってくれた。
後輩から掛けられる皮肉も、先輩から進められる怪異用肉も、もんやりを少しだけ消化してくれた。
「先パァイ……。やっぱり、私は恋愛に向いてないんですよォ」
「ありゃ。これはまたやったな」
「だってしょうがないじゃないですかァ。彼がどうしてもって言うからァ……」
「そうだな。仕方ないな。まあ、肉でも食べなよ」
そういって先輩は後輩の口に例の紫色の肉を詰めこむ。
涙を流す後輩を満足そうに眺めて、先輩が私に箸を向けた。
「で、あんたもなんかあるんでしょ?」
流石に彼女たちも違和感を覚えているようで、私から色々と聞きだそうとしてきた。
どうやら恋愛沙汰と踏んでいるようで、そのたび、安易に口に出来ない悩みを吐き出しそうになる。
いっそ、このまま吐き出してしまったらどんなに楽だろうと思いながらも、どうにか持参のお茶で流し込む。
「彼氏がいたとして──毎日、顔を合わせるだけの関係だったとして、最近、急に会ってくれなくなったとしたら、その原因はなんだろう……。そう思うと、夜も眠れないんです」
でも、その日は飲み込むお茶の量が足りなかったようで、少しだけ吐き出してしまった。
途中で気付いてしまった自分の失態を誤魔化すのに必死なせいで、楽になんてならなかった。
後悔しか残らない。
「それはァ、十中八九、浮気ですねェ」
内心で苦虫をすりつぶしていると、怪異用肉攻めから脱出した後輩が答えた。
「男って言うのはァ、女性より性欲が強いそうなんですよォ。だからァ……」
「やめろ、バカ!」
後輩の言葉は、先輩による再びの肉攻めによって遮られた。
けど、後輩が何を言おうとしていたのか、なんとなく察せる。
そりゃそうだ。
彼に触れたのなんて、もう、ずっと昔のこと。何せ、今では違う電車に乗っている。手を握るも出来なければ、言葉を交わすことも叶わない。ましてや肌を重ねるなんてありえない。
並んだ線路のわずかな距離が、どこのどんな場所より遠く感じる。別方向を向いて走る外回りと内回りのように、私と彼も別の方向を向かされてしまった。
「……大丈夫か? こいつの場合、自分に引っかかるのがそういう奴ばっかりだから、こういうことを言うのであって、全員が全員、そういう訳じゃないんだ。真に受けるなよ?」
「はは、何がですか? 私の話じゃないですよ? 小説の話ですし。主人公の気持ちを考えて、眠れないだけですって」
乾いた笑いで思考の全てを吹き飛ばす。
けれど、もんやり貯蔵室はいつの間にか限界だったようで、午後の部が始まってすぐ、私は上司から溜まりに溜まった有休を消化するという名目の戦力外通告を受けてしまった。
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