それでもこの冷えた手が

moga

それでもこの冷えた手が

 カンカン、コンコン。甲高い音が辺りに響く。吐いた息は白く変わって、張り詰めた空気に溶けた。火でもないと凍えてしまいそうな海辺で、それでも貴方の頬は上気している。


「ねえ、貴方はここで何をしてるの?」


 はじめて貴方にかけた言葉は笑っちゃうくらい平凡で、そんなことしか言えなかったのはきっと――――


「彫刻だよ。僕はこれを、完成させなければならない」


 きっと、貴方に見とれてたから。


  * * *


 それから私は何度も貴方の元へ通った。最初はぶっきらぼうな態度を取っていたけれど、次第に私に笑いかけてくれることも多くなった。


「何をつくっているの?」


 それでも私は、彼が何を彫っているのかわからなかった。見上げる程に大きな岩を、丸く、丸く、削っている。


「目だよ……そして、これは墓石でもある」


 そう言って、彼は小さく息をつく。私は石の球体に触れながら、その実意識はずっと彼の吐息の白に向けられていた。それと一緒に外に出た透明は、波音に拐かされてしまったように、その実態は掴めなかった。


  * * *


 彼の元に通い続けてしばらく経った。ノミが岩を削る高い音を聞きながら、私は彼の隣に腰掛けている。彼はひとつ、私に昔話をしてくれた。ただ優しいだけの一人の男の子の物語だ。



 少年には、両親はいなかった。ただ一人、先生と呼ぶ存在がいるだけだった。好奇心が人一倍強かった少年は、先生の教えにたくさんの疑問を持った。それらの大抵はありきたりな子供の戯言で、大人である先生にとっては簡単に説明できるくだらないものだった。たったひとつを除いては。


「先生、悪いことをしたらどうなるの?」少年が尋ねた。

「神様に、罰を与えられるわ」先生はさらに続けて「神様は、私たちをいつでも見守っていらっしゃるのよ」と答えた。


 少年は、あくまで知識としてだが、この世にたくさんの人がいることを知っていた。その全てを見守って、罰を与える。そんなことが可能だなんて、どうしても思えなかった。神様というものが、超越的な存在なのは理解している。でも、不思議だったのだ。どうして飽きずにそんなことが続けられるのだろう。少年は酷い飽き性だったから、それがどうしてもわからなかった。


 先生は、その問いに長い間考え込んで、やっと一言返してくれた。


「それはきっと……私たちを、愛しているからよ」


 少年はその日から、海辺の岩を削り始めた。その頃より随分丸に近づいたその岩が完全に、彼の望む姿になったとしたら。


 次に彼は、何をしながら生きるのだろうか。その身を蝕む退屈から目を逸らす何かを、また見つけ出すことができるだろうか。


  * * *


 彼は少し疲れた様子で、私の方へ振り向いた。


「あいつらが、近づいて来てるんだ。これが出来ていくのと同じ速さで、大きな足音をたてながら、僕を殺しに来ているんだよ」


 私は僅かに目を伏せて、ぎゅっと自分の首を掴んだ。かじかんだ手に温もりが伝わる。あぁ、まだ私は生きていたのか。


「これは、神様の目なんだよね」

「そう、だよ」

「それじゃあ、墓石っていうのは?」


 彼は海の向こうに視線を向けて、静かに言葉を絞り出す。


「そのまま、だよ。最期に眠る場所。僕のでもあるし、君のでもある」

「…………それは、私への愛の告白と受け取ってもいいのかな」

「……好きにしなよ」


 私は首から手を外し、彼の頬へと押し当てた。熱い、熱い。私の首なんかより、ずっと。ちゃんとした生命の熱だ。


「ねえ……キスしてもいい?」


 彼は私にちらりと目を向け、そのまま閉じた。吸い寄せられるように近づいて、ほんの少し鼻先が触れる。彼の唇は寒さからかかさついていて、どうにも居心地が悪い。


 息を止めて、唇で触れ合った。苦しくてたまらない。意識が薄れる。感覚がなくなる。彼の熱に、溶かされていく。


 どれだけ経っただろうか。気付けば私は、石の目の上に寝転んでいた。彼は先程までと変わらぬ様子で海の向こうを眺めている。私は息を整えて、声をあげる。


「ねえ」

「……なに?」

「これが完成するまで毎日、きっと貴方に会いに来るから」

「……そう」

「……嬉しい?」

「……どうだろう、わからないよ」


 彼はとっても嬉しそうにそう言って、肩をすくめる。私は身体を起こして彼の手を握ると、大きく息を吸い込んだ。


「この中、空洞になってるんだよね」

「……どうして」

「中の詰まった岩を叩いてるにしては、やけに音が綺麗だったから。ずっとその理由を考えてたんだけど、さっきの話でやっと分かった」


 彼が空洞のある岩を選んだのは、それを神の目に見立てているのは、たぶん――――


「神様は……いや、この目の持ち主の神様は、私と貴方を愛している。目に入れても痛くない程に」

「くだらない言葉遊びだ」

「くだらないから、いいんでしょ。そうじゃないと、楽しめない。退屈を紛らわせない」


 つまり、そういうことなんだろう。だから私は貴方に惹かれた。一生懸命に生きる貴方に憧れた。でもそれは、私にはできないことだから。せめて、貴方を助けてあげたい。


「これが完成したら、私がここで死んであげる。貴方の長い退屈しのぎを、成就させてあげる」

「……」

「そしたら、今度は私の目でもつくってよ。私も貴方を愛してるから」

「なんで……」

「目だけじゃなくて、手足もつけてくれていいのよ。ていうか、こんなちっぽけな目玉だったらすぐに終わっちゃいそうだし」

「なんでそんなことが言えるんだよ……」


 握った手に力がこもる。痛いくらいのその強さは、彼の優しさを映す鏡だ。


「……貴方も、私を愛してくれているから」

「…………意味がわからない」

「貴方が私のことを聞かないのは、知りたくないからなんでしょう? 知ったら飽いてしまうから、私の名前も尋ねないんでしょう?」

「……」

「貴方の手、冷たいね。それってさ、心が暖かいからなんだって」


 退屈ほど恐ろしい感情はない。それは何もかもを飲み込んで、愛情も、死への恐怖も鈍らせる。だから私たちは、何もしないで生きていくことはできない。


 彼は何か覚悟を決めたように目を閉じて、私の手を握り直した。小指どうしが絡まった、ゆびきりのかたち。


「君が死んだら、僕は君を完成させる。そのあとで、僕も君の所へいくよ……逃げてるだけじゃダメなんだ。あいつらにやられる前に、自分で決着をつける」

「……そっか」

「なんだか、嬉しそうだな」

「……好きな人から告白されて、嬉しくない女の子がいると思う?」

「そういうものかな?」

「そういうものだよ」


 彼の手の冷たさが伝わってくる。私は片手で自分の首を軽く掴んで、リズムに合わせて手を振った。


「「ゆーびきーりげーんまーんうそついたらはーりせーんぼんのーますっ……ゆびきった!」」


 離れた手の間を、潮風が吹き抜ける。生ぬるくて気持ちの悪い感触が、笑顔を交わす二人の熱をさらっていった。

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