六話 宿敵がこんなので良かった!


 魔界に戻った後は大変だった。急いでシュリに薬を投与しつつ、メノウ達にも予防の為に薬を飲ませて。それから、城内で少しでも体調不良を疑わせる者は自室で安静するように伝えた。

 運が良かったのは、気温が上がってくれたことだろうか。ぽかぽかとした小春日和で、これならインフルエンザの流行も広がらずに済むだろう。


 そして、一夜が明けようとした頃だった。


「……ガ、オリガ」

「う、うーん……これは、まさかシュリの……ふへへ、良い匂い。くんかくんか。ふひひひ、一生洗濯しないで家宝にしよう」

「どういう夢を見ておるのだ、怖い! 起きよ、オリガ。この針は何なのだ、なぜ余の腕に刺さっておるのだ」

「針? 針って……針!?」


 何だか妙に幸せな夢から、引っ張られるように起床を促されてしまい。ふにふにと頬を軽く摘ままれる感触に、あたしはがばっと身を起こした。

 ずっと焦がれていた紅玉の瞳が、不満だと言いたげにあたしを見下ろしていた。


「しゅ、シュリ――ぶほっ!」

「しっ。静かにせよ、皆が起きる」


 大きな手で、掴むようにして口を塞がれる。見ると、室内は正に死屍累々と言った状態であった。

 事切れたかのように床に、しかも仰向けに倒れているユウギリとメノウ。器用に壁に寄りかかったまま目を閉じているのはリンドウで、シェーラは椅子で眠りこけている。床で薄汚れた雑巾のように寝転がっている毛むくじゃらはアルバートだろう。

 全く起きる気配はないが、僅かに呼吸はしているようなので多分全員生きていると思われる。


「……で、この針は一体何なのだ」


 ぷらぷらと、あたしの目の前で点滴針を揺らす。あ、こいつ自分で針を抜きやがったな! まあ、薬液の中身は空になってるし。こうして意識を取り戻したから良かったものの。


「起きたらびっくりしたではないか。うう、まさか腕に針が刺さっているだなんてぇ……どんな悪夢より恐ろしい。しかも、結構太いし」

「あんた、いい歳してる癖に注射する時はピーピー言うタイプね」

「まあ良い。ええっと……余は、一体どうしたのだろうか。ドラゴンの群れを撃退した辺りから、記憶が定かではないのだが」


 考え込むシュリに、あたしは全部話した。どうせ、隠したっていずれはバレるだろうし。それなら、早めに説明した方が彼の精神的にも良いだろう。

 彼が倒れたこと。インフルエンザという感染症で、体力と魔力が落ちていたことで重症化してしまったこと。

 薬を手に入れる為に、あたしが禁域を渡って別の世界に行ったこと。


「な、なぜそのような危険なことを!? そもそも、あそこは封鎖していた筈」

「静かに、皆が起きるでしょ。それに、良いじゃない別に。こうして無事に戻って来られたんだし、あんたも助けられたんだし」

「そういうことでは……はあ、まあ良い。過ぎてしまったことは、どうしようもない」


 すっかり頭を抱えてしまったシュリ。しばらくそのまま動かなくなった彼を眺めていたが、やがて再び口を開いた。


「余は、魔王失格だな」

「え?」


 今にも消え入りそうな声で、彼が続ける。


「朧気であったが、なんとなく覚えている。皆が、余を助けようと力を尽くしてくれていたことを。余は本当に不器用だ。あんなに頑張ってくれていたのに、礼も謝罪も出来なかったなんて」

「いや、でもそれは」

「自分に腹が立った。余は、皆を護りたかった。それなのに、護られているのはいつも余の方だ。慕ってくれる皆に恩返しをしたかったのに、皆は余が返した何倍も与えてくれる」

「シュリ……」


 シュリが拳を強く握り締める。そうか、彼が自ら身体を張って戦っているのは、そういう理由だったのか。

 王だから、ではなく。皆から与えられている分、自分に出来ることで恩を返そうとした。

 誰もが考えるであろう、何てことない理由だが。だからこそ、皆がシュリを慕うのだ。

 シュリの拳を、両手でそっと包む。


「じゃあ、魔王として合格になる為に早く元気にならないとね。まずは、シェーラに特製の栄養ドリンクでも作って貰おうか。味と喉越し、それから臭いと色味を犠牲にしたスペシャルなのをさ!」

「……余はミカンが食べたい。ミカンだけを所望する」


 子供のように嫌がるシュリに、思わず吹き出してしまう。ユウギリ達があれだけ悶絶した代物だ。相当嫌なのだろうが、それくらいは我慢して貰わないと。

 ふと、窓を見る。空が明るくなり始めている。


「う、うーん……ふあっ、陛下!? 陛下が目を覚ましている!!」

「ゆ、ユウギリ!? 静かにせよ、大袈裟だ」

「大袈裟なものですか! こら、全員起きろ! 床で寝るな!」

「自分も床で転がってたくせに……」


 急に慌ただしくなる魔王城。シュリが目を覚ましたことが瞬く間に伝えられ、まるで祭りのような騒ぎになった。あたしも、滲む視界を目で擦る。

 穏やかでありながら、賑やかな日々。あっという間に、一週間が過ぎて行った。


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