三話 だって、勇者だから


 シキと昔のことについて話したおかげで、あたしは無意識に心の隅に押しやっていた前世の記憶を思い出した。

 生前……っていうのも変だけど。あたし、看護師として働いていたんだった。いやー、まったく大変な仕事で過労死までするしで最悪だったけど。患者さんを支える役割っていうのは、やりがいがあったし。お礼を言われたら、泣くくらい嬉しかったし。色々な意味で勉強になったよ、うん。


 とは言うものの、看護師時代の記憶は、実はそこまで鮮明に覚えているわけではない。子供の頃の思い出が薄れていくように、前世の記憶も少しずつ風化していく。ていうか、死んじゃうような記憶を好き好んで思い出すMっ気はないので!

 しかし今は、頭の中にある記憶を全てひっくり返してでもシュリの病に関する方法を探さなければ。


「うーん……症状としては風邪に似てるのにー」

「そうねぇ。人間界の風邪も、熱が出たり喉が痛くなったりするけど」

「確かに、陛下は一昨日から少しばかり咳をしていたな」

「しかし、ただの風邪ではないことは明らかじゃのう。魔力を消耗しいたとはいえ、ここまで悪化するとは。いくら何でも不自然じゃ」


 寝室に戻ってくると、メノウ達が話をしていた。目を覚ましたりしていないかな、と淡い期待をしいなかったわけではないが。シュリはやはり、目を瞑ったままだ。


「シュリ……」


 落ち着け、大丈夫。ここにはユウギリを始めとした魔族達、頼りになる相棒のメノウ、そしてあたしの前世の記憶がある。

 必ず見つけるのだ、シュリを救う方法を。


「風邪に似た症状の病気か……」


 考えられるのは感染症、結核、麻疹や風疹、髄膜炎などなど。しかし、検査が出来ない以上は診断が出来ない。そもそも、あたしは医者ではなく看護師だ。しかも元。

 とりあえず、今一度ベッドに寄って眠るシュリを注意深く観察する。肌に発疹は出来ていない。髄膜炎とも違うような。

 薬が効かないということを考えると、薬剤耐性がついたウイルスもしくは細菌由来の感染症か。そうなると、やはりインフルエンザが一番近い気がするが。


「……むぐぐぐ、だめだ。分析装置もレントゲンもエコーもない状況で病気なんて特定出来ないよ」

「ぶんせきそうち? オリガ、アナタってばまたおかしなこと言って」

「ねえ、メノウ。人間界にインフルエンザって病気無かったっけ?」

「イン……何? 新しい火薬の名前?」


 メノウがもはや宇宙人でも見つけたかのような目で、あたしを見てくる。くうう、彼女が知らないなら人間界にもインフルエンザの薬は無いと考えた方が良い。もしくは、病気自体は存在するが薬がまだ作られていないか。

 でも、病気がわかったところで薬をつくるなんて不可能だ。薬を作ること自体はシェーラにも出来るが、成分や効果がわからない。大体、前世の薬だって製薬会社の優秀な研究者が精密機器を駆使して制作するものなのだ。

 あー、前世に戻ることが出来たら。


「……うん? そういえば」

「どうしたの、オリガ」

「ねえ、魔王シキが倒れた時に彼を助けたのは勇者サルビアだったんでしょう? サルビアは、どうやってシキを助けたのかな?」


 シキは、サルビアがいつの間にか薬を持っていたと言っていたが。彼女はどこから薬を持ってきたっていうのか。

 手品? 錬金術?


「あー、それは……だな。勇者サルビアは、『禁域』へ行って戻ってきたのだ」

「き、禁域?」

「うむ。この魔王の地下には、古の遺物がある。それが、禁域へと繋がる唯一の扉じゃ。その扉の向こうへ飛び込むと、自分の望む世界へと行くことが出来る……と、言われておる」


 ユウギリの話に、アルバートが補足する。自分の望む世界、だと?


「って、もしかしてあたしの前世の世界に戻れるってこと!?」

「ぜ、前世の世界?」

「オリガ……流石に今は、そういうノリは控えた方が良いと思うわよ」

「え、えっと。前世……じゃなくて!」


 危ない危ない。あたしが異世界転生勇者だってことは、メノウにも秘密にしてたんだった。

 でも、これでやっと希望が見えてきた。


「シュリの病気を治す薬が存在する世界に行くことが出来れば、シュリも助けられるっていうこと!」

「そっか! 凄いよ、オリガちゃん!」

「ふっ、でしょう?」

「盛り上がっているところに水を差して悪いが、それは無理だ」


 パチパチと拍手をするシェーラに鼻を高くするも、ユウギリがすぐに反論した。思わずムッとしてしまうも、彼の剣幕に言葉が詰まった。


「な、何でよ? あんた、シュリを助けたくないってこと?」

「そういうことではない。ただ、異界の扉の使用は百年以上前から禁止されているのだ。たとえ陛下のお命がかかっていようが、こればかりは認められない」

「だから、何で」

「異界の扉を潜った者は、これまでに何百人も居るが。無事に戻って来られた者は、勇者サルビアを含めてほんの数人だ。大半の者は、この魔界に戻って来られずに行方不明となっている」


 一瞬、時間が止まったのかとさえ感じた。しんと静まり返る空気に、緊張感が張り詰める。


「戻って来れなかったって……大臣さん、それってどういう意味?」

「さあな、僕にはわからない。旅立った先の世界から帰れなくなった、ならばまだマシだろう。世界と世界の間に存在するという狭間に迷い込んでしまったのかもしれない。いくら陛下を助けられるかもしれないとはいえ、そんな危険な場所に行くことを臣下達に許可することなど死んでも出来ない」


 ユウギリが唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。彼は魔王を傍で支える大臣であり、シュリの幼馴染だ。シュリを助けたくないわけがない。

 でも、大臣としての立場を蔑ろにすることも出来ない。シュリは臣下のことを何よりも大切にしている。だから、ドラゴンを相手に倒れるまで戦ったのだ。

 シェーラとリンドウ、アルバートもそうだ。たとえシュリが助かったとしても、自分の傍に愛する臣下が居なかったら。自分の命を助ける為に、仲間が犠牲になってしまったら。

 シュリは、何を思うのか。


 ……でも、それなら。


「それじゃあ、あたしが行くよ」

「はあ!?」

「過去の勇者に出来たことが、あたしに出来ないわけないじゃない。ここで格好良く薬をゲットして、シュリにプロポーズして貰っちゃうんだから!」


 あたしはこれでもか、と強がって見せる。正直にいえば、ユウギリの話を聞いて何も思わなかったわけではない。むしろ、かなり動揺した。

 もしも、世界の狭間へ迷い込んでしまったら。ここに戻って来られなかったら。あたしは、そこでどうなってしまうのだろう。シュリを助けられないまま、死んでしまうのだろうか。

 怖い。ドラゴンに喰い殺されるよりも怖い。でも、それでもあたしは。


「あたしは、シュリを助ける。だって、あたしは護られるばっかりの弱い女じゃない。大好きな人達を、そして……最高の推しを護る為に戦う勇者なんだから!」


 諦められないから、あの温かくて優しい大きな手を。ちょっと……いや、結構な天然で。美しく煌めく銀髪も、大鎌を手に踊る姿も、全部。

 たとえ可能性が低くても、あたしはシュリを諦めない!


「……わかった。そこまで言うなら、許可しよう」

「え、本当!?」

「そもそも、お前達人間の行動を制限する権限を僕は持っていないからな」


 やれやれ、と呆れたようにユウギリが言った。これで、シュリを助けに行ける。


「そ、それならワタシも行くわ! オリガ一人で、そんな」

「大丈夫だよ、メノウ。あたし一人で行ってくる。ていうか、この手柄は独り占めしないと意味ないの! あたしがシュリにちょんぱされた時は即降伏したくせに、ほんと好奇心旺盛なんだから」

「オリガ……でも、今回だけは引き下がるわけには」

「聞いて、メノウ。あたし、絶対に戻ってくる自信しかないけど。万が一、あたしが帰って来られなかったら……国王陛下や故郷で自慢して。勇者オリガは、人生最推しの魔王と一夜を過ごした上にお姫様抱っこもして貰っちゃったってね!」


 うん、そうだ。メノウが居れば、故郷に戻って伝えてくれるだろう。あたしのことを。そして、あたしが命を賭けて助けようとした魔王シュリは尊すぎたと!


「……もう、アナタって子は」

「よし、じゃあさっさと行こう。ユウギリ、あたしをその禁域とやらに案内しなさい!」

「全く、こんな時まで偉そうだなお前は。だが、それでこそ勇者オリガなのだな」


 ついて来い。ユウギリが足早に部屋を出る。迷いも、躊躇もないわけではない。気を抜いたら、やっぱり嫌だと背を向けてしまいそうだ。

 でも、他ならぬシュリの命がかかっているのだ。あたしは一度だけ眠るシュリの方を向くと、その姿を目に焼き付けて、すぐにユウギリの後を追った。

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