七話 頭に氷水を浴びたような思いだった


「ふむ、お主が噂の勇者か。想像していたよりもずっと幼いのう」

「う、噂? っていうか、あんた何者!?」

「ふははは! これは失礼した、怪しい者ではない。だが……今は自己紹介をする余裕が無い。勇者よ、陛下のことを頼んだぞ」


 そう言って男は背を向けると、剣を持っていない手をひらりと振った。その手には、見覚えのあり過ぎるハンカチが巻かれている。

 はい、察した。察しました。


「さあて、我らの魔王陛下に牙を剥いた愚か者どもよ」


 あたし達に背を向けて、男は槍を構えた。びりびりと肌を撫でる緊張感。息すら吸うのを躊躇してしまう程の、威圧感。

 凄まじい闘気に圧倒されてしまう。自分に向けられているわけでもないのに。


「今度はワシが相手をしよう。今、逃げるならば見逃してやろう。だが、向かってくるならば……容赦はせぬ」


 覚悟しろ。叫んでいるわけではないのに、怯えるドラゴン達。勝負は既に決していた。

 狂ったように吠えるもの、背を向けてどこかへと飛び去って行く者。群れとしての形はもう保てていない。統率する長も居ない。

 もはや、勝負と呼べるような代物ですらなかった。



「オリガ、大丈夫ー?」

「あ、メノウ」


 しばらくして、魔王城を囲むドラゴン達は一頭残さず姿を消していた。屍と化したか、元の住処へと還ったか。とにもかくにも、静けさと平穏を取り戻した魔王城。少し肌寒いが、心地良い風が吹き抜ける。

 あたしも無事に剣を回収して、シュリの元へと戻る。その途中で、メノウと合流することが出来た。

 何でだろう、この女……戦いが終わったばかりなのに肌がツヤツヤしてやがる。


「ねえ、ねえ見た? 魔界式のライフル、すっごくステキだったわぁ」

「あー、うん。最初だけ。凄かったけど、ちょっと欲望が露骨で生々しかったわ」

「装填に時間がかかるのが難点だったわぁ。そこが改善点ねぇ……あら? ねえ、オリガ。あそこに居るおじさまは誰?」


 メノウが不思議そうに見つめる先。件の男は視線と声に気が付いたのか、ふっと表情を綻ばせながら手招きをした。その手にはやはり、あたしのハンカチが巻かれたまま。

 駆け寄る二人に、男は胸に手を当て一礼した。


「世話になったな、勇者とその相棒。ワシはアルバート・バラッグ。この魔王城にて騎兵・弓兵部隊の指揮を任されている者だ」

「あらぁ、ということはウワサの頼れる将軍様ねぇ? 初めまして。この子はオリガ、ワタシはメノウよ。おじさまが居ない数日間、このお城と皆に随分お世話になっていてね。一応は勇者とその相棒だけれど、魔王さまにはコテンパンにやられた後なの。だから、敵だとは思って欲しくないのだけれど」

「その件は、先日陛下から聞いたぞ。それに……人間であろうが魔族であろうが。見ず知らずの獣を手当てをしてくれる心優しき者達に向ける槍は持っておらぬ」

「手当て……?」


 若干気まずそうな表情をしながらも、ハンカチを巻いた手を軽く上げるアルバート。あ、とメノウが声を上げる。彼女も気が付いたようだ。


「ワシは人狼でな。お主達と同じ人の姿と、狼の姿を併せ持つのだ。普段は人と狼、どちらの姿も自在に変化できるのだが……今日は新月。人狼は、月の光によって魔力が大きく影響を受けてしまうのだ。今は陛下から頂いた『月の石』という魔石で魔力を補充出来た為に、この姿で居られるのだが」

「つまり、新月の日は基本的に狼の姿でしか居ることは出来なくて、しかも狼の姿だと喋ることも出来なくなると」

「いやー、まさか閉じ込められるとは思わなんだ。ちなみにこの火傷は、城に向かう途中でドラゴンに襲われてしまってな」


 がはは! と豪快に笑って。笑って誤魔化そうとしているが、あたしはちゃんと覚えている。


「そういえばさ、あんた……手当てしてた時、メノウにモフられて鼻息荒くしてなかった?」

「……ふっ、若いおなごに抱き締められて興奮せぬ男がどこに居る」

「うわっ、開き直りやがったわこのエロおやじ」

「次に狼になった時には、目一杯可愛がらせて貰うことにしましょう?」

「やっと帰ってきたのか、クソジジイ」

「うあー、アルバート殿。ご無事で何よりです……」


 舌打ちするリンドウと、彼におんぶされているユウギリが集合してきた。可愛そうなユウギリ、見た感じ十歳くらい老けたわね。

 シキは居ない。隠れているのか、さっさと城内に戻ってしまったのか。


「はあ、リンドウよ。お主のその反抗期はいつまで続くんじゃ」

「徘徊ジジイに言われたくない」

「ま、まあまあ。無事に竜災害をやり過ごせたんですから、喧嘩しないでくださいよ」


 気力が回復したのか、ユウギリがリンドウの背中から降りて二人を宥める。確かに、ユウギリの言う通りだ。


「何だかんだあったけど……誰も死んでないし、怪我人も想定よりずっと少なくて済んだみたいだし。良かったね、シュリ――」


 一人で佇むシュリに駆け寄る。誰もが戦いを終えた安堵と達成感に、ほっとした表情を浮かべていた。最小限の被害で、ドラゴンの脅威を撃退することが出来たのだ。

 そう、誰もが安心していた。油断していたのだ。そうでなければ魔力を持たないあたしはまだしも、ユウギリやリンドウも気が付かなかった筈がない。


 銀の髪が大きく揺れ、長身がその場に力なく倒れ込んだ。


「……シュリ?」


 まるで、今だけ時間が緩慢になったような感覚に陥った。誰もが一瞬呆けて、動けなかった。それほどまでに衝撃的だった。

 時間の呪縛から真っ先に解き放たれたあたしは、反射的に彼の元に膝をついて上半身を抱き起こした。


「シュリ……? シュリ!」


 呼び掛けても、返事がない。宝石のような瞳は固く閉ざされ、きめ細かい肌は驚く程に青白い。呼吸は浅く、体温はぎょっとする程に熱い。

 意識は……無い。


「シュリ!? どうしたの、目を開けてよ!!」

「陛下!? おかしいです、陛下の魔力が平時とは比べ物にならないくらいに減っています! 確かに、戦いの前から魔力は減っておりましたが……ここまで消耗するのはいくら何でも異常です!」

「ええい、とにかく陛下を休ませるのが先じゃ! ワシが陛下を部屋まで運ぶ。誰か! シェーラを呼んで参れ!」

「わ、ワタシが行くわ」

「俺も行く!」


 時間が、再び元通りに動き始める。でも、そこに今までの平穏は無かった。魔王が倒れた。その事実に、城内は完全に混乱してしまっていた。

 あたしも、すぐにはその場から動けないくらいに動揺してしまっていた。否、大丈夫。きっと、風邪が悪化してしまっただけだ。この魔界には優れた薬があるし、魔法もある。だから、大丈夫だと自分に言い聞かせ続けた。


 ――だが、シュリは翌日になっても目を覚ますことはなかった。

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