七話 真実は全て、闇の中に
※
「うーむ……それにしても、今頃勇者が来るなんて。考えてもいなかったなぁ。ついでに、このミカンは美味い。いくらでも食べられるぞ」
「陛下、百歩譲ってお休み前にミカンを食べるなとは言いません。ですが、さっき三個までって言ったでしょうが!」
たっぷりとした銀髪を櫛で丁寧に梳きながら、ユウギリがきいっと声を荒げた。そんなことを言われても、考え事をしていると腹が減るし。ミカンは一番の好物なのだから、いつまでも食べていたい。見た目も丸っこくて愛らしいし。
唯一の欠点は、この柔い皮がとんでもなく剥き難いところだろう。クルミのように硬いならまだしも、刃物すら使わずに剥ける皮を一体何のつもりで纏っているのか。
「あー、また皮をボロボロにして散らかしてるし! お願いですから、さっき剥いてあげた分で満足してくださいよ!」
「むう。力が弱すぎると剥けない。しかし込め過ぎると実が駄目になる。なんと難しい……
「それっぽいことを言って誤魔化さないでください!! もう、あと一個だけですからね」
ブツブツ言いながら、ユウギリが櫛を置いて余の手からミカンを取り上げて綺麗に剥いてくれた。ユウギリが彼は幼い頃からずっと一緒に居る、腐れ縁の幼馴染だ。
彼が余の世話をするようになったのは、一体いつの頃からだったか。お互い魔王と大臣という役職になった今でも、何故だかそれだけは変わらない。
ユウギリ程、気を許せる者は居ないのでこのままでも良いのだが。本人にそれを言えば、「つべこべ言わずに、早くこの役割を代わってくれる奥方様を持ってください」と説教されるに違いない。
「うむ、大義である。ありがとう」
「はいはい、どういたしまして。それで、なんでしたっけ。あー、そう勇者ですよ。焦りはしましたが、恐れていた程強くもなかったですね」
「それは……ふふっ、どうだろうな」
綺麗に剥かれたミカンを受け取り、大事に口へ運びながら背後に戻るユウギリに言った。甘酸っぱくて美味しい。
「あれは全く本気を出していなかったぞ。或いは、もっと力を秘めていることにオリガ自身も気が付いていないだけかもしれぬが」
鏡越しに、手を拭くユウギリを見ながら。確かに、あの瞬間は余の圧勝であったが。勇者オリガにはまだ、未知なる『可能性』とも呼べる力があるような気がする。
それが余にとって脅威になるかどうかは不明だが。いや、そもそも存在自体がある意味脅威か。
「はあ、そうですか。でも、今更なんですけど……勇者が魔王に一目惚れだなんて、そんなことが本当にあり得るんですね」
慣れた手付きで髪を緩く結いながら、ユウギリ。そもそも史実における魔王と勇者の関係は血生臭いものばかりであることを踏まえると、今回が異例なのだ。
余が玉座に着いてから、約十年。荒れた魔界を統制するべく尽力するばかりで、人間界のことなど気に掛けてもいなかった。
勇者と名乗る者は一人も来なかったし、これからも来ないものだと思っていたが。
「確か……魔王が即位するのと同時に、新たな勇者も現れるんでしたっけ。僕は勇者なんておとぎ話か何かとさえ思ってましたよ。確か、先代の時代にも勇者なんて来ませんでしたよね?」
「うん? そなたは知らなかったのか。先代の頃も勇者は来ていたぞ。ただ、この城に辿り着く前に息絶えていた。今から五十年前、東ギーナ山脈で勇者一行の死体が発見された」
「東ギーナ山脈で……ま、まさか。勇者達があの悲劇に巻き込まれていた、と?」
「そうだ。極秘の情報であったが、そなたが知らなかったとは余も驚いたぞ」
茶化すように言ってみるも、ユウギリの顔面は青褪めてしまっている。うーん、これ以上良くない知らせを聞かせたら卒倒しそうだ。
リンドウからの報告を知らせてやるのは明日にした方が良さそうだ。
「ユウギリ。例の一件諸共、このことは他言無用であるぞ。心配するな。余は先代とは違う。任せよ、天変地異が起ころうが神が戦争を仕掛けてこようが、余が王で居る限り民は必ず護り抜いて見せよう」
「し、しかし」
「ん、出来たな。もう十分だ、下がって良いぞ」
ユウギリが手の中の髪を黒のリボンで纏めたところで、余が言った。話は終わりだ。暗に示した意思を汲み取ったのだろう、それ以上ユウギリが食い下がってくることはなかった。
「それにしても、この髪は本当に邪魔だ。切っても切っても一瞬で伸びてくる。寝ている間に何度首へ巻き付いて死にかけたことか」
「髪を伸ばすしか、有り余った魔力がすることもないですからね。いい加減、諦めてください」
「むう、不条理だ……今夜はこれで寝ることにする。そなたも早めに休むように。余のことをとやかく言えんくらいには隈が酷いぞ」
「誰かさんが早いこと手先が器用なお嫁さんを見つけてくだされば、僕の仕事も少しは減るんですけどね! 今夜は結構冷えるので、温かくして寝てくださいね」
おやすみなさい! 勢い良く一喝して部屋を出て行くユウギリに、やれやれと溜め息を吐く。相手が居ないのはお互い様だと思うのだが、そこを突っついたら氷の塊を投げ付けられるくらいでは収まらなさそうなので止めておこう。
鏡台の前から立ち上がり、すっかり静まり返ってしまった寝室を歩き窓際へと寄る。満点の星空の中心で、青白い満月が魔界全域を静かに照らしている。
余の国。余に、魔王シュリに託された世界。
「そうだ、護るとも。この命を懸けてでも、必ず」
それに。無意識に、珍客が泊まる客室がある方へと目を向ける。彼女はもう寝ただろうか。それとも、相棒と話でもしているのだろうか。
不思議と、気になってしまう。と言うより、考えてしまって仕方がない。
「一目惚れ、か。そういう現象というか、概念があることは知っていたが……うーむ」
窓を開ければ、冷たい夜風が頬を撫でる。今夜は冷えるとユウギリは言っていたが、妙に心地良く感じるのは何故だろうか。
……いや、考えないでおこう。思わず、顔を覆う。自分の容姿はそれなりに気に入っているし自信もあるが、今は絶対に見たくない!
なぜなら、その……だってさぁ。余の悲痛な叫びが、誰にも拾われることもなく夜の闇へと転がった。
「あんなに直球で好きだと言われたら、意識しないでいられるわけがないだろうが!!」
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