六話 乙女ゲームの主人公しゅごいよぉ……

「ところで、勇者。見たところ元気に走り回っているようだが、身体の方はもう良いのか?」

「う、うん。全然、大丈夫」

「そうか。それは安心したぞ」


 そう言って、芸術品レベルの美貌に微笑が浮かぶ。あー、なる程。これは、誰でも恋に落ちますね。落ちない方がおかしいです。

 いや、待て待て。自分にはまず、確かめなければいけないことがあった筈だ。落ち着け、あたし。勇者なんだから、魔王に気圧される理由は無い。

 何度も頭の中でシミュレーションした通りに聞けば良いのだ。


「あの、魔王……あんたに聞きたいことがあるんだけど」

「余に?」

「あんた……もしかして、ついさっきお風呂に入ったばっかりじゃない!?」


 これは自信がある。なぜなら、さっきからとても良い香りがするから。この柔らかい匂いは、石鹸やら入浴剤やらそういう類の匂いだ。匂いフェチならばわかって当然。

 ついでに、メノウが言ってた柑橘系の香りもするし!


「さっき会った時より顔色も良いし、髪もツヤツヤしてるし。どう当たってる?」

「ほう、正解だ。よくわかったな勇者、褒めて遣わす」

「やっほーい! って、違う!! 間違えた!」


 何てことだ。魔王があまりにも良い匂いを振りまいているものだから、ついフェチが!

 てか、魔王も褒めてどうする!?


「あたしが聞きたいのは、あんたの、名前!」

「名前だと?」

「そう、名前! フルネーム! 教えなさい、今すぐ!! ワッツユアネーム!」

「…………」


 ビシッと強気な態度で言い放つ。しかし、魔王は何故か黙り込んだまま、あたしの方を見つめるだけ。

 え、どうして何も言わない? いつもの癖でメノウに聞いてみようとするも、辺りにはあたしと魔王以外に誰も居ない。リンドウの代わり身が再び姿を現す気配もなかった。


「あ、えっと……」


 しかし、よく考えてみればこれは相当礼儀知らずと言うか、無礼な行動だったのではないだろうか。他社のお偉いさんに名刺寄越せって言ってるようなものだもの。

 兵士達に羽交い締めにされて、外に放り出されてもおかしくない。と、言うより自分が王様だったらそんな無礼者など確実に牢屋にぶち込んで三日間ご飯抜きにするわ。


「その……待って! やっぱり今のな――」

「シュリだ」

「へ?」

「余はシュリ。シュリ・シキ・ティアレイン。ティアレインは初代魔王から繋がる血筋の名。シキは五百年程前に実在した魔王の名である」


 待ち焦がれた名前は、案外すんなりと知ることが出来てしまった。彼が言うには、魔王は名前の他にも血筋と、歴史に名を残した魔王の名前を受け継ぐしきたりとなっているらしい。

 これは魔王特有のものなので、人間であるあたしにどう説明しようか悩んでいた。先程の沈黙はそういう意味だったのだそう。


「シュリ・シキ・ティアレイン……つまり、魔王シュリ?」

「うむ、そうだぞ」

「ふーん……」


 冷静を装ってはみるものの。あたしの心は、まるで満開の花畑で踊り狂っているかのように浮かれていた。

 流石、あたし。計画通り……!


「魔王、シュリ……それなら、今からあんたのことをシュリって呼ぶから。様とか付けずに呼び捨てにするから!」

「呼び捨て?」

「ふふん、あたしは人間界から来た勇者だもの。たとえあんたが魔界で一番偉い王様だろうと、あたしには関係ないもんっ」


 あたしの勝手な言い分に魔王、改め、シュリが不思議そうに首を傾げる。どうやら意味がわかっていないらしい。


「だから、勇者のあたしには魔王なあんたを敬う義務は無いってことよ。それに、いずれあんたはあたしのお婿さんになるんだし? あたし、どちらかと言うと旦那さまをさんとか様付けで呼ぶ、みたいな優雅でオホホホな感じより、ずっと名前呼び捨ての恋人気分でベッタベタしていたいのよ!」

「……ふむ、そなたの言いたいことはわかった。最初の四分の一、くらいは」


 なる程、とシュリが頷く。意外にも、呼び捨てにされることを不快には思っていないようだ。


「勇者はなぜ、そこまで余に執着するのだ? 余は魔王、そなたは勇者。本来、我々は敵同士であると思うが」

「ふふん。シュリ、あんたって若いくせに考えが古臭いわね? 良い? あたしは確かに勇者だけど、国王からの命令は『人間界の平穏を脅かす魔王を倒せ』だったの。でも、あんたは人間界に侵略するどころか、玉座に座って居眠りしているだけじゃない」

「これでも結構な激務をこなしているのだが!」

「とにかく! あんたが平和主義者なら、あたしが剣を抜く必要は無いの!」


 ビシィッ! と、シュリの鼻先に指を突き付けて――とは言いつつ、彼とはかなり身長差があるので鼻先には届いていない――宣言する。

 魔王が人間の脅威になり得ないのならば、あたしもまた勇者の目的を果たす必要は無いのだ。


「むしろ、あんたが変なことを考えないように見張る必要があるわ! だからシュリ、あたしをお嫁さんにしなさい!」

「余の行動を見張るだけなら、わざわざ婚姻を結ぶ必要は無いと思うが」

「うぎー! じれったいな! とにかく、あたしは、あんたに惚れたの。一目惚れ! あんたが魔王だろうがなんだろうが、関係ないの!!」


 シュリのことは、まだ名前しか知らない。だが、ユウギリやシェーラ、リンドウ。そして、城内に居る魔族達の表情を見ていればわかる。

 彼は、人間が思っているような邪悪な存在ではない。

 

「関係、無いだと? 余が、魔王であろうがそうでなかろうが……勇者には関係無い、と?」

「そ。社畜から勇者に転生してうげって思ってたけど、ここまで来たら魔界に嫁入りも悪くないんじゃないかなーって……あれ、シュリ?」


 不意に、気付く。紅い瞳があたしをじっと見つめている。熱くも甘くもない視線は、なんていうか新種の動物でも発見したかのような。

 うーん、動物園の動物になった気分だ。パンダとか可愛いやつね。


「そ、その目は何? 言いたいことがあるなら言いなさいよ、聞いてあげるから」

「いや。何でもない」

「ふうん? まあ、良いや。とにかく、そういうわけだから。今日はこれで勘弁してあげるけど、明日からは覚悟してなさいよ!」


 考えてみれば、魔界には最低限の荷物しか持ってきていない為に勝負服も勝負下着も無い。流石に鎧姿で夜這いに行くわけにもいかないし、シュリの名前を聞けたので今夜はこれで満足しておこう。

 あたしはほくほく顔で、先程教えて貰った部屋を探すべく踵を返す。そろそろメノウも戻ってくるだろうから、自慢してやろう。そう企んでいた、


 正にその時だった。


「オリガ」

「ん? 何……えっ」


  それは、あまりにも自然な呼ばれ方だったから。脊髄反射で振り向いて、驚愕。あたしの名前を呼んだのはメノウでも、シェーラでも無かった。

 蒼を帯びた銀髪を揺らして、優雅でありながら堂々とした歩み。『魔王』としての威厳を纏いつつも、そこに息苦しい威圧感は無い。


「え、あ……あんた今、あたしの名前……」

「そなたの相棒から聞いた。オリガ、か。魔界では、『聖なる』という意味の名前になる。神に選ばれた勇者……そなたには少々荘厳な名前にも思えるなぁ」


 くすくすと、魔王が微笑する。紅い瞳は暖かで、美貌が一瞬で華やぐ。表情だけで、雰囲気ががらりと変わるなんて。


「え、えっと」

「そなたの言い分では、余もそなたに敬意を払う必要など無いのだろう?」

「あ……確かに」

「ならば、これからは余もそなたのことを名前で呼ばせて貰う。もちろん、呼び捨てで。文句は無いだろう、オリガ?」


 猫のように目を細めて、悪戯な笑みを浮かべるシュリ。こ、こいつ! 自分の容姿の扱いを熟知してやがる!


「しばらくはこの城でゆっくりしていくと良い。しかしオリガ、そなたが余の臣下に剣を向けるようなことがあれば、今度は蘇生してやるつもりはない。良いか?」

「よ、良いです」

「何か困ったことがあれば、シェーラやユウギリに言うと良い。では、おやすみ」


 そう言い残して、シュリは踵を返してその場から去って行った。気儘に揺れる銀髪が見えなくなるまで、あたしは何も考えられないまま、ただそこに立ち尽くすしかなくて。


「あらオリガ、こんなところでどうしたの?」


 いつの間にか、戻ってきたメノウに呆れ顔で名前を呼ばれるまで。あたしは夢見心地だった。

 だって、名前を呼ばれたのだから。他でもない、魔王シュリに。


「ねえ、見て見て。シェーラが作った石鹸、凄く可愛いの。花びら入りとか、なんかよくわからない木の実のエキス入りとか。他にも……オリガ、どうしたの?」

「ねえ、メノウ……あたし、さっきシュリに名前呼ばれた」

「シュリ……ああ、魔王さまね。こんな場所に居たの? 良かったわね、名前が聞けて」

「あの声で、イケボで名前を呼ばれた……ふぐぅ、妊娠した」

「何でそうなる。ほら、良いからさっさと部屋に戻るわよ」


 脳みそが沸騰してしまったあたしの首根っこを掴み、引きずるメノウ。シュリの嫁になると豪語したが、よく考えたら最推しシュリが自分の横に居たら萌え過ぎて爆発するかもしれない。乙女ゲームの主人公を尊敬する。

 結局、その夜は歩くことすらままならず。魔界で過ごす初めての夜は、メノウに介護されるだけで終わったのだった。


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