二章

まずはお互い自己紹介から始めましょう!

一話 白衣の天使ってほんとに居るんだー


 魔界。それは、人間界と対を成す裏の世界。人間界とは異なり、『魔力』と呼ばれる目には見えない不思議な力が満ちる魔界では血で血を洗う争いが絶えないと聞く。


 特に懸念すべきは『魔王』の存在だ。魔界の全てを統べる王であり、三度の飯よりも戦いを好む魔族達の頂点に君臨する絶対の覇者。魔王の気紛れ一つで、人間界は過去に幾度となく滅亡の危機に晒されてきた。


 魔王が即位する度に、神さま――と思われているが、実際のところはわからない――は星の数程の人間の中から必ず一人を選び出し、魔王を打ち倒す為の剣を与えた。それが、『勇者』と呼ばれる存在である。


「いやー、しかし今回は流石に人選ミスかもしれんのう」


 魔界へ旅立つ前に、ぼそりと呟いた国王のそんな本音。いいえ、王様。ミスなんて一つもありませんでしたよ。


 だって、運命の推しを見つけたんですもの! 出会いはちょっと、否、かなりバイオレンスだったけど――


 ※


 それほど遠くない場所から、話し声が聞こえる。


 ――ねえ、このクッキー凄く美味しい。もしかして、手作り?――


 ――うん、そうなの。良かったー、人間さんのお口に合って。まだまだ沢山あるから食べて食べて! お茶のお代わりもあるよー?――


 ――うーん、でもこれ以上太ったら流石にマズイわよねぇ――


 ――えー、メノウちゃんって胸が太るタイプだから大丈夫よー。大きくてマシュマロみたいに柔らかそう……ねーねー、ちょこっとだけ触らせて? おねがーい!――


 ――しょーがないわね……ちょっとだけよ?――



 ……何だろう、この見せつけるかのような女子トーク。ついでに甘く香ばしく、とても美味しそうな香りが鼻を擽る。あたしは鉛のように重い目蓋を無理矢理押し上げて、首だけを動かしてみる。

 少し硬いが、清潔感のある寝台。天井には、明るさを抑えられたランプが吊ってある。寝台の周りは水色のカーテンが閉まっている為に、それ以外の景色は見ることが出来ない。

 だが、それほど遠くないところからメノウと、同年代くらいの女の子の声が聞こえる。近くに居るのだろうか。ていうか、何をきゃっきゃウフフしてやがるんだ。様子を窺うべく身体を起こそうと、身を捩る。


 その瞬間、全身に激痛が走った。


「いっ、いったああぁ!? 何これ死ぬ、死ぬうぅー!!」


 心臓から指先まで走る、電流のような痺れ。呼吸をする度に、全身がズキズキと痛む。思わずベッドの上でのたうち回るくらいに。えー、何これ? ていうか、何で気を失っていたんだっけ?

 思い出そうと、記憶をほじくり返してみる。しかし、痛みのせいで集中出来ない。そもそも、ここはどこ? あたしは誰? あ、今をときめく無敵な美少女勇者のオリガちゃんだった。良かった、ちゃんと覚えている。

 それで……あたしは、何をしていたんだっけ?


「――ガ、オリガ!?」


 あたしの悲鳴が聴こえたのだろう。カーテンが勢い良く開かれ、メノウが焦り顔で駆け寄ってきた。良かった、とりあえず唯一の仲間である彼女は無事らしい。

 右手にあるお花の形をしたクッキーが凄く気になるけど。


「良かった……オリガが目を覚ましてくれて。ワタシ、流石に今回ばかりは終わったかと思った」

「えっと、ごめん……ところで、そのクッキーは何?」

「説明する。これ、超美味しいよ、甘過ぎないからいくらでも食べられる」

「いいね! でも、聞きたいことは食リポじゃなくて――」

「あ、勇者ちゃん目が覚めたんだー? 良かったわー」


 のんびりとした声が、メノウの背後から聴こえてきた。中途半端に開かれたカーテンが、更に半分程開かれて。


 白衣の天使が現れた。


「初めまして、わたしはシェーラ。この魔王城で、医者をしていまーす」


 よろしくねー? と、シェーラと名乗った天使がぺこりとお辞儀をすると、緩くウェーブがかったピンクの髪がふわりと揺れた。医者というだけあって、白衣がとてもよく似合っている。

 そして、何よりも目を引くのが。可愛らしい彼女の容姿、ではなく。背中に生えている鳥のような純白の翼だ。パタパタと動いていて、シェーラ自身が床からちょっとだけ浮いている辺りを見るに飾りなどでは無いのだろう。

 そう。彼女は文字通り、白衣の天使そのものだった。


「天使だ……地上にエンジェルが降りてきた……」

「えへへ、違うわよー? わたしは、ペリっていう種族なの。天使様と比べ物になんかしちゃだめよー」


 あらかじめ予想していたのか。というよりも、メノウが先に彼女を天使扱いしていたらしく。シェーラがくすくすと擽ったそうに笑う。メノウが二十一歳だから、同い年くらいだろう。

 それにしても、この女医。天使扱いされることに慣れていやがるぜ!


「じゃあ、ちょっと診させて貰うわねー? 勇者ちゃん、お名前を教えてください」


 メノウが手にしていたクッキーを齧りながら一歩下がると、シェーラがオリガの傍へと歩み寄る。苦い消毒液の匂いに混じって、石鹸の柔らかい香りがふんわりと漂ってきた。

 こういう時、男だったら匂いを楽しむだけでも平手打ちされそうだが。女の子同士だから、絵面的にはくんかくんかしていても通報案件ではない筈。

 えへへ、良い匂い幸せ。


「名前? えっと、あたしはオリガ。オリガ・ヒラソル」

「じゃあ、オリガちゃん。この人のお名前を教えてください」


 そう言って、今度はメノウの方を手で指し示すシェーラ。ああ、なる程。以前、剣の鍛錬中に頭をぶつけて診療所に連れて行かれた時も似たような問答をしたような気がする。


「メノウ・ロージェン。あたしの幼馴染で、凄腕のガンナー。銃と爆発と可愛いものが大好き」

「いやん、凄腕だなんてお姉さん照れちゃう」

「あはは、仲良いね? それじゃあ、次は……」


 今日の日付、曜日、場所、此処に来た理由などなど。答えられることは全部答えた。あれ? これって答えて良いのかな? っていう質問がいくつかあったけど、気にしない。

 問い掛けに答え終わると、シェーラが満足そうに頷いた。


「うん、大丈夫。記憶に障害は残っていないみたい。された前後のことは流石に記憶が無いみたいだけど、それは……思い出さない方が幸せだと思うし」


 ん? 今、なんか凄く古臭い且つ危険なワードが聞こえたような。


「うん、そうね。あれはちょっと、ね」

「ねえ、ちょんぱって何? この世界におけるちょんぱは現代のちょんぱと同じ意味? それとも、可愛いとか美しいとかそういう意味?」

「大丈夫! このまましばらく様子は見るけど、お薬はたくさんあるし。ちょんぱされた記憶が無くても何にも問題ないわー!」

「ねえ、何ちょんぱって? あたし、何をどこでどういう風にちょんぱされたの?」

「そうね……あれは、ワタシの記憶の奥底に封印するわ。夢に出そうだけど……幼馴染の為だもの、耐えて見せる」

「だから、ちょんぱって何!?」


 怖いし、超気になる! しかし、何度聞いても二人揃って真相を話そうとしない。それ程までに壮絶だったのだろうか。


「とりあえず、ちょんぱの話は置いておいて」

「勝手に持ち上げられて、勝手に置かれてしまった」

「オリガちゃん。身体は起こせそう? 少しでも無理だと思ったら、そのままで良いんだけど。指とか、足首とか。上手く動かせなかったり、変に痺れていたりするところは無いかなー?」


 自分の手を握ったり、開いたりして見せるシェーラ。真似をしてみろ、ということなのだろうか。あたしは言われた通りに両手を握って、開いて。次に両方の足首を動かしてみる。ぎこちなくではあるが、それは恐らく長い時間を同じ姿勢だったからだろう。

 先程感じた痛みと痺れも、今はすっかり薄れている。凄まじく怠くはあるが、動けないことはなさそうだ。

 試しに、もう一度寝台に手をつき、ゆっくりと起き上がってみる。今度は、成功した。


「よっ、と……うん、大丈夫。ちょっと指先がピリピリするけど、それくらいかも」

「わっ、凄い! まさか、もうこんなに動けるなんて」

「オリガは頑丈なことだけが取り柄だものねぇ」


 あれ、今なんかさりげなく馬鹿にされたような? しかし、あたしが反論するよりも先に聞き覚えのある声が割り込んできた。


「おい、シェーラ。あのヘンタイ勇者は目を覚ましたのか?」

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