第33話 抱きしめられる力と匂い

佐藤の去った静かな個室で

健斗が空のジョッキをテーブルに置きながら長いため息をついて、

気分を落ち着かせた。


佐藤が寄り掛かった左肩を右手で無意識に触りながら、

次に飲むお酒を選ぶためにメニューをボンヤリ見ていると、

昔の記憶が不意に蘇った。


「あ…おかえり。」


教室に戻ると卓が先に健斗に声をかけた。


誰もいない静かな教室に小説を読んでた卓だけが残っていた。

教室に残っていたことは意外だったが、

卓の顔を見た瞬間、顔と手足にに血が回る感覚がわかり、

温かくなった。


これは高校時代の健斗が初めて告白されて

失敗し動揺したまま教室に戻った時の記憶だった。


「あ…あぁ…。まだ、いたんだ。」


「ちょうど帰ろうかと準備してたとこ。

佳代を待ってて。」


「そっか。」


「どうだった?告白されたんだろ?」


「え…、あぁ、まぁ。」


卓のこの質問にさっきいた体育館の渡り廊下裏のにいた記憶と感覚、

クラスメイトとのやり取りを思い出し、

再び動揺し血が引ける感覚が健斗を襲った。


健斗は頭がフワフワとした。


その瞬間、

卓が健斗の視界から一瞬消え、

気づいた時には健斗を抱きしめていた。


健斗の右腰と左肩上に腕を回し包み込むように。


健斗が感じたのは

普段気にしない卓の匂いと、

再び血が巡る感覚だった。


「あ…?お…卓?」

健斗の声を無視して、

卓は抱きしめ続けた。

服越しの左肩に伝わる卓の腕の重みと締め付ける力。


健斗は思うように声が出せなかった。


抱き合った2人の独特な空気を終わらせる声がした。


「すーちゃん、帰ろう。」

…佐藤の声だった。

鞄を肩にかけた佐藤がドアに立っていた。


「あ、うん、帰ろう。

健斗、じゃ、またな。」

卓は何事もないように健斗に回した手をはずし、

机の鞄を持って、

いつもどおり健斗に手を振ってから佐藤と去った。



「おまたせー。」

再び佐藤の声がした。


現実の佐藤の声。

トイレから戻ったようで、

その声で健斗は現実に戻ってきた。


「あ、あぁ。

飲み物頼むけど、佐藤も頼むか?」

と平然を装ったが、

内心は蘇った記憶で頭も心も混乱していた。

この時の健斗は、

佐藤が転びそうになったときの心臓のバクツキもすでになく、

トイレから戻った佐藤の顔を見ても何も感じなかった。


「うーん、じゃ、梅酒ソーダ割にしようかな。」


「OK」


佐藤との会話をしながらも健斗の頭の中は全く違う方向を向いていた。


なぜ、卓が抱きしめたのか、

健斗の血の気が引けて倒れるのを防ぐため支えたのか、

動揺を感じとって抱きしめたのか、

そもそも佐藤は同じクラスなのになんで鞄をかけて廊下側から現れたのか、

佐藤は一度学校を出てから戻ってきたのか、

卓は残って俺の帰りを待っていたのか、

卓がゲイと知った今、男性を抱きしめることに違和感はないが、

健斗を抱きしめた理由が気になった。

そして、

健斗の一番の疑問は、

抱きしめられて伝わる卓の力と匂いが不愉快や不快ではなく、

安心して受け入れていた自分自身のことだった。

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