第8話 絆の胎動
今の黒時にとっては何よりも優先すべき事があった。【己の命】よりも優先すべき事があった。
「なあ、星井」
「彩香、でいいですよ。黒時先輩」
「……星井」
「彩香」
「星――」
「あ・や・か」
「…………」
「黒時、悪い事は言わない。ここはお前が折れとけ」
と、栄作がすかさず黒時に耳打ちをする。黒時は得心がいかなかったが、このままでは話も進まないので仕方なくその意見に従う事にした。
「なあ、彩香」
「はい、なんでしょう? 黒時先輩」
「……ルシファーを、見なかったか?」
「ルシファー? なんですかそれ? なんだかおいしそうですね、ファー、て部分がふわふわしてそうで。洋菓子の一種ですか?」
あまりに馬鹿らしい解答だったが、これは黒時が悪い。
事情を知らぬ相手にそのまま質問をぶつけても、たいした解答が得られないのは容易に分かる事だ。
まあ、ルシファーを洋菓子だと言ってしまう彩香にも問題はありそうだが。真っ黒なケーキか何かなのだろうか。
「見栄坊、説明してやってくれ」
「なんで俺!? まあいいけど。その代わり、これから俺の事を慕えよ」
「は?」
「いやいや、栄ちゃん先輩を何言っているんですか? さすがに気持ち悪いんですけど……。ああ、やばい吐きそう」
意味が分からず当惑する黒時と、えずきだす彩香。えずき方もあざとく無駄に可愛らしい。
「だって俺だよ? 俺様だよ? 二人は知んないかもだけどさ、俺ってさ結構すごい男なんだぜ。あ、黒時は知ってるか、同じクラスだもんな。皆からさ、ゴッドって呼ばれてんだよ」
いや、知らない。と、思ったが言うつもりは黒時にはない。
それにもしも本当にゴッドと呼ばれているとしても、それは確実に馬鹿にされているだけだ。まるで神のような神経の図太さ、そんな感じの皮肉だろう。
そもそも栄作の発言がふわふわしずぎていて要領を得ない。一体、何ファーのつもりなのだろうか。
「あの、黒時先輩」
栄作の言葉を綺麗に無視して彩香が黒時に話しかける。
「彩香はですね、たまたま黒時先輩みたいな格好いい人と出会えてすごく嬉しいんですけど、残念ながら栄ちゃん先輩とも出会ってしまったことでプラマイゼロになってしまいました」
「それは……残念だったな」
「おおい! 俺の話をちゃんと聞けよ!」
叫ぶ栄作。
闇に染まった空。
焼け焦げた大地。
その中に彼の情けない声が響き渡るという光景はなんともシュールだった。
「見栄坊」
「なんだ?」
栄作は少しばかり怒ったような口調で返すが、さすがは黒時、彼は栄作の当初の望みを叶えてやる事で場を瞬時に収束させた。言わずもがな、怒っている栄作に気を使ったわけではなくただ面倒を回避する為にである。
「これからはお前のこと、栄作って呼ぶよ。だから、落ち着いてくれ」
「え? あ、ああ、いい。それでいいよ。オッケー。いやむしろ、オールオッケー!」
栄作の機嫌を適当に戻したところで本題に入る。黒時にとって何よりも優先すべき事は、お調子者の一顰一笑ではない。
栄作はこれまでの出来事を簡潔に彩香に伝え、そして、彼女が理解したところで黒時はもう一度彼女にルシファーについて尋ねた。
「うーん、そうですねぇ。あ、そういえば。彩香はすごい音と光が気になってここに来てみたんですけど、ここに来る途中でおっきな鳥みたいなのが飛んでるのを見ました」
「おっきな、ってどれくらいだ?」
「うーん、ここにあった高層ビルぐらいですかね」
彩香はそう言いながら、今ではただの空間となってしまった場所を指差す。高層ビルを造っていた壁や鉄は瓦礫となって辺り一帯に散らばっている。
「それはどこに向かって飛んでいったんだ?」
彩香の言葉を聞いて、黒時はその大きな鳥みたいなものがルシファーであることを確信した。
「えーと、たしか……あっち?」
周りには何もなくなってしまい方角がいまいち掴めないが、とにかく、彩香は黒時から見て右の方向に指を差した。黒時はその指の先を目で追う。
この先に、ルシファーがいる。魅入って心を奪われた、あの美しい悪魔がいる。
そう思うと黒時の身体はまた自然と震えていた。
「追いかける」
そう言って黒時は指差された方向へと歩き出した。その行動と発言に栄作は驚愕する。
「はあ!? おい、ちょっと待てよ。何言ってんだ、俺達殺されかけたんだぞ!? なのに、追いかけるって何考えてんだよ!?」
栄作の言葉に反応せず黒時は歩き続ける。
「そ、そうですよ黒時先輩。彩香はルシファーさんのことよく知りませんけど、多分危ない奴ですよ、そいつ。だから追いかけるなんてやめましょうよ。それに、まだ身体も本調子じゃないでしょうし」
抑制の言葉をかける二人。
それでも黒時は止まらない。止まるはずがない。行けば殺すと言われても、黒時は止まらない。己の命よりも何よりも、今はルシファーの存在を追い求めることが、黒時にとっては大切な事なのだから。
「っつ……」
だが。
彩香の言葉は的を得ていたようで。
黒時は数歩ほど進んだ先で突如激しい頭痛に襲われ、よろめいた。
既に足には黒時の身体を支える余力もなく、よろめいたまま体勢を立て直すことが出来ない。次第に地面が眼前に迫ってきて、黒時の身体は再び地に沈むことになるかとも思われた。
しかし、そうはならず黒時自身の足ではない他のものが彼の身体を支えてくれた。
「ほら見ろ。彩香の言うとおりぼろぼろじゃねぇか。どっかで休もうぜ。ルシファーを追いかけるのはそれからでも遅くねぇだろ?」
しゃがみながら黒時の身体を受け止めた栄作は、にこっと笑いながらそう言った。無邪気なその笑顔は美しさなんて微塵も感じられないものではあったけれど、意外にも黒時は素直に――
「ああ、そうだな」
と言った。
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