第6話 ルシファー
栄作はルシファーを見上げながらただ震えることしかできず、黒時もまた栄作と同様だった。しかし、黒時は栄作とは違い、何故自分の身体が震えているのか分からなかった。
栄作は十中八九恐怖ゆえに身体を震わせているのだろうけれど、自分は恐怖ゆえなのか、それとも感動ゆえなのか、分からなかった。
そう、黒時は今、奇しくも感動しているのである。
目の前に突如現れた巨大な存在。
その巨大さは身体の大きさだけではなく、美しさにもあった。まるで、何十万もの人間の本質を一度に見せられているような、そんな美しさが黒時には感じられていた。そんな存在を前にして、黒時が魅了されないわけがなかったのだ。
『しかし、まだ時期尚早。他の器を満たすことができたなら、また我を呼べ』
ルシファーの言葉に対して魅了され立ち尽くしていた黒時が、疑問を呈する。
「名前はルシファー、と言ったな。お前の言葉には分からないことが多い。説明しろ。あと、そもそもお前は何者だ?」
黒時の言葉を聞いたルシファーの顔が一瞬歪んだ。眉根を寄せるといった人間のようなその仕種が人間の世界と同様の意味を持つのかは二人には判然としなかった。
――が。
どうやら、続く言葉を聞く限りそれはやはり、人間と共通しているものであったようだ。
『跪け』
ただの一言、言葉を発しただけである。それだけなのに、大気が揺れ、地面が割れ、天が悲鳴をあげるかのように雷を放った。
直接的に言葉を投げかけられた二人は、かろうじて意識を保ってはいるものの、何が起きたのか分からないような顔をして当惑していた。
少しして栄作が事態を把握し、すぐさまルシファーの意に沿うように行動を開始する。
「は、はいぃぃ――! すみません、すみません、すみません! 今すぐ跪きますのでどうかお許しを!」
栄作は危機を察した草食動物のような素早い動きで、その場に膝をつく。しかし、もう一人の男はというと、かろうじて保っている意識すらもルシファーの存在に見蕩れ、立ち尽くしたままだった。それに気付いた栄作が、黒時の頭を掴み無理矢理その場に跪かせる。
「痛いな。何するんだ」
「死にたいのか、お前!? ちゃんと、跪けって!」
「いや、でも、俺はただ質問しただけなんだが、なんで跪かないといけないんだ?」
「俺が知るかよ! ルシファー様はそれを望んでるんだから、そうしろっての!」
「納得できないんだが」
「お前が納得できるかどうかなんてどうだっていいっての! 相手は悪魔だぞ?」
「悪魔?」
しぶしぶ膝を地に着けながら黒時は首を傾げた。
「知らないのか!? ルシファーっていや、有名な悪魔だ。アニメやゲームでもよくキャラクターの題材になってるだろ」
残念ながら黒時は二次元に興味は無い。といっても、ルシファーという存在はそもそも二次元由来ではないので別にその分野の知識が無くとも知れるわけだが、それでも黒時は知らなかった。彼が興味あるのは、人間の本質のみなのである。
それにしても、栄作の順応能力の高さは目を見張るものがあった。
普段、あまり頭を使わないタイプだからなのか、突如現れた異様な存在を既に受け入れているように見える。普通なら悪魔の存在なんて受け入れようがないわけで、いや、見えてしまっているのだから受け入れる以外の選択肢も既になくなっているのかもしれない。
目下で跪く二人を見て、ルシファーは少々口角を上げた。
『ふむ、よかろう。己の立ち位置をしかと理解したようだな。我の前では常にその姿勢を保つがよい』
「……で、質問の答えは?」
跪きながら、苛立ち抑えて黒時は言った。
『我に質問できると思っているのか?』
空気が凍りついたような感じがした。二人は未だ跪き頭を垂れ、視線を地に落としたままだが、目の前の驚異的な存在が憤慨しかけているのがはっきりと感じ取れていた。
すぐさま謝罪をしなければ、と黒時ではなく栄作が口を開こうとする。黒時が横でその様子を眺めていると、栄作の口が半分開いたところで彼の口が一旦閉じられた。
怪訝な顔で黒時は栄策を見つめる。そして、何やらぶつぶつと呟きまたも大きく身体を震わせだした栄作に黒時は尋ねた。
「どうした?」
「いや、な、なんでも、な、ない」
明らかに様子がおかしい。先程よりも恐怖に怯えているようだ。
「何か……気付いたのか?」
栄作の顔が青ざめながら黒時の方へと向けられた。唇をがたがたと震わせながら、なんとか言葉を紡ぎだす。
「さ、さっき、俺、アニメやゲームの話、しただろ?」
「ああ。それがどうした?」
「アニメやゲームでさ、よくあるんだよ、こういう設定。急に別世界に行っちゃうみたいなさ」
「…………」
黒時も栄作が何に気付いたのか、理解した。彼はその二次元の世界の設定を今の状況に当てはめ、この先に何をすべきかを導き出したのだ。
最悪の道標を、見つけ出したのだ。
「で、この設定では俺達はどうすればいいんだ?」
「……こういうのは、そう、大抵元の世界に戻るために動くことになる」
「それで、どうやれば元の世界に戻れる?」
「それは……」
正確に言えば元の世界に戻る、ではなく、新たな世界を描く、と言った方が正しい。しかし現時点でわざわざそんな訂正をする暇も意味もなく、黒時は栄作の答えを待った。
最悪で、それでいながら的を射た答えを。
「あ、あの悪魔を倒す」
絶望ゆえか、それともまた感動ゆえか。
黒時は笑っていた。
立ち上がり目の前の悪魔的に美しい存在を身体全体で視認しながら笑っていた。
所詮は栄作の導いた答えではあったが、黒時にはそれが間違ってるとは思えなかった。あの悪魔を倒せば、新たな世界を描き出すことができる。元の世界よりも更に美しく楽しい世界を創りだすことができる。気付けば黒時は両手を広げ哄笑していた。
しかしながら、栄作は間違ってはいなかったのだが、黒時はおおいに間違っていた。狂気的に笑い続けるよりも、真っ先に優先すべき事項があったのだ。その点に関しては、栄作の行動は素晴らしかったと言えよう。
つまり最も優先すべきは――
『立つ事は許可しておらぬ。もうよい、死ね』
【己の命】である。
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