第5話
年季の入ったしわがれた声が研究室に響くと同時に、研究室の
報告書から目線をあげると、二人の軍人が立っていた。
一人はくるりと巻かれた
もう一人は軍帽を目深に被った大男。体長は悠雅の頭一つ上ほどあり、高身長の悠雅でさえ見上げるほどだ。
「侵入者が出たと聞いて興味本位で覗いてみたが、これはまた妙ちきりんな顔触れだネ。
「片倉、秀二……!!」
薄ら笑いを浮かべる老人に対し、普段飄々としている克成が激情を隠すことなく唸るように吼える。
「呼び捨て、カ。所属が別とはいえ上官には敬語を使うべきではないかネ? 鳴滝特務少尉」
「この男が片倉か?」
克成に負けじと激情をさらけ出す悠雅が一歩、前に出る。
「そうだ。片倉秀二陸軍中将。此度の騒動の中心点にして、俺たちの敵だ」
「敵か、悲しいネ。あれほど目をかけてきたというのに。明石殿の影響かナ?」
「――御託はいい。お前はここで叩き潰す。五体満足でいられると思うな」
赫怒に燃える悠雅は、神剣の切っ先を片倉に向ける。
「老体に鞭打つのは感心しないナア」
「抜かせ、狸」
直後、その場から悠雅の姿が失せる。後に残ったのは、霊力の爆発的増大に伴って吹き荒れる霊波の突風と、彼が踏み込んだ際に付けられた足跡。
霊力によって高められた脚力で、常人には目で追うことすらできない速度域に達した彼は、背に負った神剣を引き抜く。
振り上げられた
「おー早い早イ。霊力で強化した脚力を用いた歩法――
どこか喜色を帯びた口ぶりの片倉は、悠雅を粘りつくような視線で絡め取る。悠雅はそれを鬱陶しく思い、今すぐにでも片倉を切って捨てたい衝動に駆られるが、悠雅の前に立ちはだかる一號という軍人がそれを許さない。
一號は呻き声一つあげず、天之尾羽張の刃を右の前腕部で受け止め続けている。
「……お前、ただの人間じゃあないな?
「どちらとも違ァう!! 俺はァ!! 金剛兵団ンン!! 第一席ィ!! 病狗一號でありまァす!! 義によって参戦いたァす!!」
吼えるように名乗る一號に悠雅は目の色を変える。
「……お前が
「片倉中将に刃を向けるものは俺の敵だァ!! 覚悟しろォ!!」
刹那、一號の上半身を包んでいた軍服が弾け飛び、鋭く尖った水晶の槍が悠雅を貫くべく疾る。
寸でのところ、身体を捩らせて凶刃を回避しながら、悠雅は息を呑んだ。それは危機を回避したからではなかった。
「お前、その身体は……」
彼の紅蓮の独眼が捉えたのは、あのホルマリン漬けにされた被験者たちと同じように、全身に渡って青くくすんだ水晶に覆われた身体。丸みが一切省かれた、刺々しい身体。およそ、人間らしさが感じられぬ、無機の肉体。
「驚いたか!! この肉体こそが陸軍の最終兵器!! 皇国を救う救世主の肉体である!!」
「皇国を救うだと? そんな身体にされて何を喜んでいる!! 最早人ではなくなっているじゃないか!!」
「国を救うのに人でなければならぬ道理はない!! 貴様は排除する!! 中将の邪魔をする者は国の敵だ!!」
「ふざけるな。ふざけるなよ糞ったれ――」
悠雅は紅蓮の独眼で睨みながら、
「――輝きは北にあり、切っ先は南を見ゆ。戦塵に走る剣閃一つ。我が刃で焔を切ろう。燃え盛るその肢体から焔を断ち切ろう。だからどうか目を閉じないで、私から目をそらさないで欲しい――」
「――私は置いて行かれたくない。焔神と交わるは
悠雅は霊力を脚力に変え、突撃する。一號は水晶の槍無数に生み出し、迎撃するが、悠雅は飛来する凶刃をものともしない。小細工などない。真っ向から切り捨てながら悠雅は突貫する。
やがて、悠雅の間合いが一號を完全に捉える。一號は焦燥に駆られ、咄嗟に右腕を楯にしてしまう。
剣士の間合いとは死の宣告が突きつけられる必滅の空間だ。焦るのも無理はない。だが、防ぐという行動は
深凪悠雅の切断の
一號の水晶で覆われた右腕が宙を舞った。袖ごと吹き飛んだ一號の腕は床を転がり、砕ける。
「馬鹿な――」
驚嘆する一號。そこから畳み掛けるように、悠雅は一號の腹に蹴りを叩き込む。
一號の体は蹴鞠のように床を跳ねて横滑りする。
隙間無く埋められていた殺気に生じた
度し難い。許し難い。このような巨悪が潜んでいるから悲劇が無くならない。
「かぁぁぁぁたぁぁぁぁくぅぅぅぅらぁぁぁぁっっ!!!!」
咆哮しながら拳を更に深く握り込む。
固く握りしめられた拳。力が込められ、白くなった拳。その拳が老人の顔面に突き刺さろうかという瞬間――真横から尋常ではない殺気を感じて、ギョッとした悠雅は視線をずらす。
そこには恐るべき速度で迫り来る、巨大な水晶の塊があった。その水晶塊の先には、先ほど悠雅が蹴り飛ばした一號の姿。彼の右肩から生える水晶は獲物を前にした蛇のように、悠雅の身体を飲み込んだ。
悠雅を呑んだ水晶は勢いを止めることなく、矢の如く研究室を走る。
このままではやがて壁に叩きつけられ、赤い染みになるだろう。悠雅はこのようなところで負けていられぬ、と抵抗してみるが余りの圧力に
水晶が砕ける音や、擦れる音が断続的に響く。水晶塊の速度は見るからに落ちていた。だが、それでも自動車ほどの速度を保っており、このまま壁に叩きつけられれば絶命必至。
悠雅は最後の賭けとばかりに後方へと視線を向ける。
想像するのは螺旋。
創造するのは弾性。
彼は最後に身を丸めて、心の中で唱える。
(南無三……!!)
胸の内で拝む。直後、凄まじい破壊音と衝撃が悠雅を襲った。
麗一は堪らず目を伏せる。誰から見ても悠雅の絶命は明らかだった。
片倉もすらも勝利を確信した顔つきを見せており、口の端を悪魔のように尖らせている。
「
「それはどうだろうな?」
歓喜に吼える片倉。そんな彼に水を差したのは克成だ。克成は確信して唱える。
「九頭龍殺しは、決して易しくない」
直後、壁に突き刺さった水晶塊が縦に割れ、砕け散った。と同時に強大な霊波が研究室内を舐める。
床に散らばる水晶の残骸。その奥には血塗れの悠雅の姿。
彼の背後には巨大な金板と、くるくると渦を巻いて突き出る
「――くそ、流石に無傷とはいかなかったか」
滴る流血を拭いつつ、悠雅は改めて片倉と一號を見据える。
「ハハハ、まだ息があるのカ。思わずぬか喜びしてしまったヨ。恥ずかしいナア。しかしながら、
「ガタガタやかましいんだよ」
片倉の笑い声が癇に障った悠雅は、片倉を睨み付けて
左腕――即ち、
どうやら、先程の水晶塊の一撃で破損してしまったのだろう。悠雅はこれまで以上に万全には戦えなくなってしまった。
(――だからなんだ?)
悠雅は怒る。
悠雅は今度こそ
悪は斬る。斬らねばならぬ。新たなる悪を為す前に。
だが、その前に、斬らねばならない相手がいる。
一號。金剛兵団計画の被験体。彼が悠雅と片倉の間に立ちはだかっている。
「退け、悪は正さなければならない」
「退かん!! 悪は貴様だァ!!」
「あれだけの犠牲者を出した男が許されて良いはずがない!!」
「犠牲者だと決めつけるな!! 彼らは礎になったのだ!!」
最早言葉は通じない。相入れることもない。ならば、もう紡ぐ言葉不要。ただ、死合うのみ。
立ち会う悠雅と一號。殺気と殺気がぶつかり合う中、それを引き裂くようにけたたましい音が鳴り響く。
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