第5話

 年季の入ったしわがれた声が研究室に響くと同時に、研究室の瓦斯ガス灯に明かりが灯される。

 報告書から目線をあげると、二人の軍人が立っていた。


 一人はくるりと巻かれた皇帝カイゼル髭を生やし、楕円形のフレームの眼鏡を掛けた老人。手にはシミ一つない真っ白な手袋と、金細工を冠のように被ったステッキ。腰には儀礼剣を佩いており、柄尻の水晶がちろちろと光を反射して眩い。おろしたてのようにパリッとした軍服の上から、白い外套を羽織ったその姿は、老紳士という印象を周囲に与えている。


 もう一人は軍帽を目深に被った大男。体長は悠雅の頭一つ上ほどあり、高身長の悠雅でさえ見上げるほどだ。


「侵入者が出たと聞いて興味本位で覗いてみたが、これはまた妙ちきりんな顔触れだネ。永倉新八ながくらしんぱちの弟子に、辰宮家の次期当主。そして、出来損ないの裏切り者か」

「片倉、秀二……!!」


 薄ら笑いを浮かべる老人に対し、普段飄々としている克成が激情を隠すことなく唸るように吼える。


「呼び捨て、カ。所属が別とはいえ上官には敬語を使うべきではないかネ? 鳴滝特務少尉」

「この男が片倉か?」


 克成に負けじと激情をさらけ出す悠雅が一歩、前に出る。


「そうだ。片倉秀二陸軍中将。此度の騒動の中心点にして、俺たちの敵だ」

「敵か、悲しいネ。あれほど目をかけてきたというのに。明石殿の影響かナ?」

「――御託はいい。お前はここで叩き潰す。五体満足でいられると思うな」


 赫怒に燃える悠雅は、神剣の切っ先を片倉に向ける。


「老体に鞭打つのは感心しないナア」

「抜かせ、狸」


 直後、その場から悠雅の姿が失せる。後に残ったのは、霊力の爆発的増大に伴って吹き荒れる霊波の突風と、彼が踏み込んだ際に付けられた足跡。

 霊力によって高められた脚力で、常人には目で追うことすらできない速度域に達した彼は、背に負った神剣を引き抜く。


 振り上げられた赫刃しゃくじんが鈍く煌めき、片倉の目掛け殺到する。が、その斬撃は片倉の脇に控えていた軍人によって遮られた。十貫(約三十八キロ)以上ある天之尾羽張アメノオハバリを、霊力で増強された膂力で振るったにも関わらず。


「おー早い早イ。霊力で強化した脚力を用いた歩法――神行法しんぎょうほうというのだったカ? 一號がいなければ反応することもできずに死んでいたヨ」


 どこか喜色を帯びた口ぶりの片倉は、悠雅を粘りつくような視線で絡め取る。悠雅はそれを鬱陶しく思い、今すぐにでも片倉を切って捨てたい衝動に駆られるが、悠雅の前に立ちはだかる一號という軍人がそれを許さない。

 一號は呻き声一つあげず、天之尾羽張の刃を右の前腕部で受け止め続けている。


「……お前、ただの人間じゃあないな? 禁厭師まじないしか、現人神あらひとがみか?」

「どちらとも違ァう!! 俺はァ!! 金剛兵団ンン!! 第一席ィ!! 病狗一號でありまァす!! 義によって参戦いたァす!!」


 吼えるように名乗る一號に悠雅は目の色を変える。


「……お前が病狗ヤマイヌか」

「片倉中将に刃を向けるものは俺の敵だァ!! 覚悟しろォ!!」


 刹那、一號の上半身を包んでいた軍服が弾け飛び、鋭く尖った水晶の槍が悠雅を貫くべく疾る。

 寸でのところ、身体を捩らせて凶刃を回避しながら、悠雅は息を呑んだ。それは危機を回避したからではなかった。


「お前、その身体は……」


 彼の紅蓮の独眼が捉えたのは、あのホルマリン漬けにされた被験者たちと同じように、全身に渡って青くくすんだ水晶に覆われた身体。丸みが一切省かれた、刺々しい身体。およそ、人間らしさが感じられぬ、無機の肉体。


「驚いたか!! この肉体こそが陸軍の最終兵器!! 皇国を救う救世主の肉体である!!」

「皇国を救うだと? そんな身体にされて何を喜んでいる!! 最早人ではなくなっているじゃないか!!」

「国を救うのに人でなければならぬ道理はない!! 貴様は排除する!! 中将の邪魔をする者は国の敵だ!!」

「ふざけるな。ふざけるなよ糞ったれ――」


 悠雅は紅蓮の独眼で睨みながら、神言しんごんを唄う。


 いのる。

 いのる。

 いのる。

 いのる。

 いのる。

 いのる。

 いのる。

 いのる。


「――輝きは北にあり、切っ先は南を見ゆ。戦塵に走る剣閃一つ。我が刃で焔を切ろう。燃え盛るその肢体から焔を断ち切ろう。だからどうか目を閉じないで、私から目をそらさないで欲しい――」


 励起れいきする霊力が吹き荒び、祈祷いのりという色を帯びる。その霊力を天之尾羽張が吸い上げ、増幅していく。

 現人神あらひとがみを人ではなく、神たらしめる存在へと昇華させる。


「――私は置いて行かれたくない。焔神と交わるは最先いやさきより来たる原初の斬刃――神話再現‟八十火産神・十拳の祝やそほむすひ・とつかのはふり”」


 神言しんごんの結びを迎え、切断の祈祷いのり天之尾羽張アメノオハバリをに宿る。


 悠雅は霊力を脚力に変え、突撃する。一號は水晶の槍無数に生み出し、迎撃するが、悠雅は飛来する凶刃をものともしない。小細工などない。真っ向から切り捨てながら悠雅は突貫する。

 やがて、悠雅の間合いが一號を完全に捉える。一號は焦燥に駆られ、咄嗟に右腕を楯にしてしまう。

 剣士の間合いとは死の宣告が突きつけられる必滅の空間だ。焦るのも無理はない。だが、防ぐという行動は深凪悠雅みなぎゆうがを相手にした時、最もやってはいけない悪手の一つである。


 深凪悠雅の切断の祈祷いのりは、こと物理において無類の強さを誇る。分厚い鉄の城門だろうが、鋼の如き鱗で覆われた龍の首であろうが、彼の祈祷いのりの手にかかれば豆腐のように斬り裂かれる。


 一號の水晶で覆われた右腕が宙を舞った。袖ごと吹き飛んだ一號の腕は床を転がり、砕ける。


「馬鹿な――」


 驚嘆する一號。そこから畳み掛けるように、悠雅は一號の腹に蹴りを叩き込む。

 一號の体は蹴鞠のように床を跳ねて横滑りする。


 隙間無く埋められていた殺気に生じた空隙くうげき。悠雅はそれを逃さない。床を蹴り、今度こそ片倉を叩きのめすべく拳を握る。


 度し難い。許し難い。このような巨悪が潜んでいるから悲劇が無くならない。


「かぁぁぁぁたぁぁぁぁくぅぅぅぅらぁぁぁぁっっ!!!!」


 咆哮しながら拳を更に深く握り込む。

 固く握りしめられた拳。力が込められ、白くなった拳。その拳が老人の顔面に突き刺さろうかという瞬間――真横から尋常ではない殺気を感じて、ギョッとした悠雅は視線をずらす。


 そこには恐るべき速度で迫り来る、巨大な水晶の塊があった。その水晶塊の先には、先ほど悠雅が蹴り飛ばした一號の姿。彼の右肩から生える水晶は獲物を前にした蛇のように、悠雅の身体を飲み込んだ。


 悠雅を呑んだ水晶は勢いを止めることなく、矢の如く研究室を走る。

 このままではやがて壁に叩きつけられ、赤い染みになるだろう。悠雅はこのようなところで負けていられぬ、と抵抗してみるが余りの圧力に天之尾羽張アメノオハバリを振りかぶることができなかった。せめてもの抵抗にと、床に天之尾羽張を突き刺し、減速させる。が、それだけでは止まらない。続けて床や壁、天井から緋火色金ヒヒイロカネを生み出し、水晶塊に突き刺して更なる減速を試みる。


 水晶が砕ける音や、擦れる音が断続的に響く。水晶塊の速度は見るからに落ちていた。だが、それでも自動車ほどの速度を保っており、このまま壁に叩きつけられれば絶命必至。


 悠雅は最後の賭けとばかりに後方へと視線を向ける。


 想像するのは螺旋。

 創造するのは弾性。


 彼は最後に身を丸めて、心の中で唱える。


(南無三……!!)


 胸の内で拝む。直後、凄まじい破壊音と衝撃が悠雅を襲った。


 麗一は堪らず目を伏せる。誰から見ても悠雅の絶命は明らかだった。

 片倉もすらも勝利を確信した顔つきを見せており、口の端を悪魔のように尖らせている。


国津神くにつかみ位階すら下すカ!! やはり私は間違っていなかったようだネ。金剛兵団はいずれ世界を平らにするゾ!!」

「それはどうだろうな?」


 歓喜に吼える片倉。そんな彼に水を差したのは克成だ。克成は確信して唱える。


「九頭龍殺しは、決して易しくない」


 直後、壁に突き刺さった水晶塊が縦に割れ、砕け散った。と同時に強大な霊波が研究室内を舐める。

 床に散らばる水晶の残骸。その奥には血塗れの悠雅の姿。


 彼の背後には巨大な金板と、くるくると渦を巻いて突き出る赫銅しゃくどう。悠雅は緋火色金ヒヒイロカネを用い、咄嗟に板と発条を作ることで水晶塊を止めてみせたのだ。


「――くそ、流石に無傷とはいかなかったか」


 滴る流血を拭いつつ、悠雅は改めて片倉と一號を見据える。


「ハハハ、まだ息があるのカ。思わずぬか喜びしてしまったヨ。恥ずかしいナア。しかしながら、国津神くにつかみ位階がこの程度で沈んではその神聖性も薄れるというもノ」

「ガタガタやかましいんだよ」


 片倉の笑い声が癇に障った悠雅は、片倉を睨み付けて天之尾羽張アメノオハバリを握り直す。と、同時に違和感を一つ覚える。

 左腕――即ち、機械義腕メタルアームが思うように動かなかったのだ。全く動かない訳ではないが、僅かに動作反応が遅れて反映される。


 どうやら、先程の水晶塊の一撃で破損してしまったのだろう。悠雅はこれまで以上に万全には戦えなくなってしまった。


(――だからなんだ?)


 悠雅は怒る。

 片倉秀二かたくらしゅうじという男の所業を許して良いのか? そう、精神が、心が、魂が、訴えるのだ。


 悠雅は今度こそ天之尾羽張アメノオハバリを握りしめる。


 悪は斬る。斬らねばならぬ。新たなる悪を為す前に。


 だが、その前に、斬らねばならない相手がいる。


 一號。金剛兵団計画の被験体。彼が悠雅と片倉の間に立ちはだかっている。


「退け、悪は正さなければならない」

「退かん!! 悪は貴様だァ!!」

「あれだけの犠牲者を出した男が許されて良いはずがない!!」

「犠牲者だと決めつけるな!! 彼らは礎になったのだ!!」


 最早言葉は通じない。相入れることもない。ならば、もう紡ぐ言葉不要。ただ、死合うのみ。

 立ち会う悠雅と一號。殺気と殺気がぶつかり合う中、それを引き裂くようにけたたましい音が鳴り響く。

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