第4話

「それなら早く動こう。もう一時を過ぎている。余り時間がない」


 五時までに戻らなければ明日はない。愛用の懐中時計に視線を落とす悠雅は、烈火の如く怒り狂いそうな二人の少女の顔を思い浮かべつつ、克成と麗一に伝える。すると、麗一があからさまに不機嫌な顔を作った。


「ふん、そのまま、瑞乃に嫌われてしまえば良いのにな」

「嫌われる嫌われない以前に、今回の件にお嬢を近づけたくないんでしょう?」

「ぐっ……!! それもこれも鳴滝がこの男に助力を頼むから……!!」

「猟犬のことを若に丸投げしてやれば良かった」


 悠雅は盛大に溜め息を吐く。彼は麗一が自分を嫌う理由は理解しているし、共感もしている。殴られてもおかしくないと自覚もしているし、殴ってくれて構わないとさえ思っている。しかしながら、仕事の場でこうもグチグチと粘着質に当たられれば、溜め息の一つも吐きたくなるもので。


 麗一の独り相撲に呆れ果てる悠雅、という見慣れた構図を外から眺めていた克成は薄く鼻で笑い、地下道の奥へと歩き出した。


「行くぞ。ここでぼさっとしていても、話は進まない」


 再び一同は地下道を進んだ。土塊つちくれを踏み締め、泥臭い穴倉を往く一同の様子はさながらモグラのよう。


「今更ながら、迷路みたいだ」

「安心しろ、空間把握力にはちょっと自信がある」


 足元を横切るネズミの家族を跨ぎながら悠雅が呻くと、克成が胸を張った。


「見た感じ、かなり無茶苦茶に工事したように見えるが、これ崩れたりしないだろうな?」

「そこについては流石にわからん。ただ、連中も馬鹿じゃない。それなりに頑丈に作っている筈だ」

「ほんとにそうか……?」


 悠雅は土が剥き出しになったままの廊下を、訝しむように眺める。すると、先導していた克成と麗一が立ち止まった。二人の視線の先には第二研究室と銘打たれた、鋼鉄製の扉だ。


 三人の視線が一瞬交錯する。調べないという選択肢はなかった。

 間を図り、克成は静かに、慎重に扉を開けていく。

 扉の奥に人気は無かった。広大な空間に濃い闇が広がっていることだけは伺える。


「明かりは点けて良さそうだ」


 そう言って、克成が携帯用の放電アーク灯に明かりを灯した瞬間、克成は――いや、悠雅も、麗一も、揃って言葉を失った。


 放電アーク灯の淡い橙色の光が照らす先には、大小の無数の瓶。

 酒瓶ほどの小さな瓶には、青みがかった液体。そして、棺桶ほどの大きさ瓶には黄土色の液体が入っており、一緒に人間のような物の遺体が詰められていた。


 〜〜のような、と付くからには確信を妨げる要因がある。黄色い液体の中に浮かぶ遺体には刺々しく禍々しい水晶のような何かが、体の大部分に渡って生えており、人というカタチを徹底的に歪めていた。


 それが数にして百二十一人分。


 かろうじて原型を残しているもの。水晶のような何かとの一体化が進み過ぎたのか、元の人相すら判別できないもの。程度は様々だが、ひとつだけ変わらないものがある。


 あるものは表情に、あるものは海老反りになった体に、あるものは自身の体に残した夥しい爪痕に。


 それら全てが、一つの感情を宿している。



 苦悶。


 苦悶。


 苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶。苦悶――――――。



 言葉ではない。ただ、残された想いのような、言い知れぬ何かが訴えかけていた。苦しい、と。


「ふざけやがって……!!」


 悠雅は激憤する。その怒りを現すかのように、虚空から出現する緋火色金ヒヒイロカネが不気味に、捻れ狂った何かを象っていく。


 望んだ生を生きることができなかった人たちがいた。まともに弔うことさえ許されない人たちがいた。

 こんなことが許されて良いのか? 否、あってはならない。あってはならないのだ。


 炎の中に薪を放るように、憤激に憎悪をべる。燃え上がる感情は片倉への怒りを募らせる。


「悠雅、今は耐えろ。その怒りは片倉に直接ぶつける為にとっておけ」

「………………、」


 悠雅は上手く答えることができなかった。唇を噛みちぎって、頷くことくらいしかできなかった。

 怒りの余り暴れ出してしまいそうな己を、無理矢理理性で押さえつける。そうしなければ、かつて甘粕と対峙した時のように、狂って狂って、狂い抜いてしまいそうだったから。


「悠雅、これを飲め」


 悠雅は一人怒りに打ち震えていると、克成が水筒を押し付ける。


「一気に飲め」

「いらない」

「いいから、飲め」


 克成の妙に強い押しに負け、悠雅は水筒を煽った。すると、甘酸さが口の中に押し寄せ、わずかな渋みが残った。柑橘類特有の鼻を抜けていく香りが心地いい。

 どうやら、水筒の中身は蜂蜜と檸檬レモン果汁が入った紅茶だったようだ。


「少しは落ち着いたか?」

「………………ああ」

「甘味は心を落ち着かせる作用があると聞いていたが、効果抜群だったようだな」

「そういえばそんな話を昔、料理長も言っていたような気がする。……まあ、ちとぬる過ぎて不味かったが」

「そんな減らず口が叩けるなら問題無い」


 理性を取り戻した友人の横顔に克成は口元を緩めると、彼は瓶の中に浮かぶ、苦しみ悶えたまま絶命した男の顔を見つめる。


「ホルマリンはこのために使っていたのか……」

「連中にとって、こいつらは人間ではなかったのだろう」


 気分を害したように顔をしかめる麗一が吐き捨てる。


「こっちの青みがかった液体はなんでしょう? こちらには何も入っていないみたいですけど」


 不思議そうに瓶の中を見つめる悠雅。


「色味からして、あの猟犬が垂れ流していた体液のように思えるが」

「体液? なんでそんなものをわざわざ保存する必要があるんです?」

「知るか!! 何でもかんでも私に聞くな。私もそれなりに動揺しているのだぞ!!」


 声を荒げる麗一。やや血の気が引いた表情を見せる彼も、まだ二十歳を超えたばかりの青年。まだまだ心は繊細なのだ。


「意外だな。お前はもう少し図太い人間かと思っていたが」

「だったら良かったんだがな。はっきり言って気分が悪い」

「克成の紅茶飲みますか?」

「……貴様、自分がついさっき不味いと言ったものを、この私に差し出す気か?」


 呆れて嘆息吐く麗一だが、その表情は余裕のないもので、玉の冷や汗を額に浮かべていた。そんな彼を気の毒そうに見遣る悠雅は、視界の端にキラリと光る何かを捉える。

 部屋の隅に転がるそれを拾い上げて見れば、既視感のある、水晶針のような物体。


「これは……」

「封印車輌にあったものと似ているな」


 水晶針をまじまじと観察していると、克成が顔を覗かせて感想を述べる。彼は悠雅が摘んでいる水晶をホルマリン漬けの瓶に近づけ、

 眉を潜めた。


「……これにも、似ている」


 黄土色の海を漂う肉片。それから生える、刺々しい結晶。尖った形や、さほど透明ではなく、ややくすんだ青色を湛えているところなど。確か類似点は多かった。


「青い瓶と遺体が入った瓶を一つずつ持ち帰ろう」

「全部じゃないのか!?」

「無茶を言うな。俺たちだけでは、彼ら全員を運び出している間に片倉一派に勘付かれる。そうなれば、ありとあらゆる証拠が焼き尽くされるだろう」

「じゃあ、こいつらを置いていくのか? 弔われることなく、狭い瓶の中に閉じ込めてままにするつもりか?」

「……軍に伝手がある。協力を要請する」

「片倉相手に立ち回れるのか? ――いや、そもそも、信用できるのか?」

「俺の後見人のような人だ。信頼できる」


 克成は断言すると、悠雅が見つけた水晶を試験管の中に保管した。


「俺にも、死者を悼む心はある。もう少し信用してくれ」

「別に、信用してない訳じゃあない。ただ、俺は……」


 彼らを殺し、弔うこともせずにいる人間たちを許せなかった。

 彼らをここに置き去りにすることが躊躇われた。

 このような暴虐を知らずに、のうのうと生きていた己が憎かった。


 ただ、それだけ。


「お前の義憤は好むべきものなんだろうな。俺には、こいつらが可哀想だと思えない。きっと、俺は狂っているのだろう」


 克成は自嘲気味に零し、目を細めた。


「――おい、二人ともこっちに来い」


 不意に麗一の呼ぶ声が研究室に響いた。何事かと振り返れば、麗一の手には分厚い紙の束が握られていた。紙束の表紙には大きく“金剛兵団計画研究報告書”と洋墨インクで銘打たれている。

 報告書を手渡された悠雅は頁を一枚、また一枚とめくり、言葉を拾っていく。


現人神あらひとがみ禁厭師まじないしの力による催眠、及び精神的圧迫。科学薬品や仙薬の投薬といった、元来の手法とは異なる方法で超人を目指す”


現人神あらひとがみとは別種の、新たなる超人の創造”


“志願兵を募る”


“ティンダロスの猟犬の体液を摂取させて超人化させた軍人、通称――病狗ヤマイヌの実用化”


“猟犬の体液の採取の為、効率的に時空の門を開く必要性アリ。”


“開門術式の触媒として大阪より美具久留御魂みぐくるみたま神社に祀られている神器を勧請かんじょう。儀式の監督役として――”



「――鳴村綺更なきむらきさらを招聘、か」


 横から顔を覗かせていた克成がポツリと零すと、麗一は鼻を鳴らす。


「話は繋がった。喜べよ英雄見習い。お前が斬るべき相手がわかったぞ」

「ずいぶんな言いようですね。実母でしょうに」

「実母だろうがなんだろうが、下手人ならば処さねばならん。貴様はこれほどの悪を為した人間に加担しようとしている女を放置しても良いのか?」

「放置するつもりはありません。この金剛兵団計画なる忌まわしい企みに加担するつもりなら、綺更様といえど俺の敵だ」


 彼は躊躇することなく口にする。たとえ、瑞乃や麗一の母親であっても。悠雅は悪の線引きに関しては冷徹無情。


「悪は斬る。斬らねばならぬ。新たなる悪を為す前に」

「――ずいぶんと物騒なことをのたまう御仁だネ」

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