第3話

 悠雅は床を柄尻で小突きつつ、木箱を退かしていく。

 程なくして、悠雅は隠し部屋へと繋がる入り口であろう蓋を発見する。彼は躊躇することなく蓋を開け放つと、地下へと続く階段が顔を出し、濃い土の臭いがむわりと立ち昇った。


「この奥に片倉の弱みがあるんだな」

「待て悠雅」


 鬼気迫る形相で地下へと向かおうとする悠雅を克成が引き止める。


「無警戒で飛び込むのは得策ではない。ここは虎穴と同じ。虎がどんな罠を仕掛けてあるかもわからん。俺が露払いをしよう」

「馬鹿、貴様でも役不足だ」


 悠雅に代わって先陣を切ろうとした克成を押し退け、麗一が割り込む。彼は手印しゅいんを結ぶと、克成が踏み込もうとした階段を撫でるように触れ、そのまま何かを引き剥がした。


「呪符だ。恐らく、侵入者を迎撃するもの――だっ⁉︎」


 得意げな麗一だが、そんな彼を克成が引き倒す。


「何をする!?」

禁厭まじないに気を取られ過ぎだ」


 叱るように述べる克成の視線は、麗一の足元へと注がれている。悠雅も倣って眼を凝らすと、ぴんと張り詰めた絹糸のようなものが、真横に張られているのが見て取れた。糸の先を辿れば、階段の影に隠すように取り付けられた手榴弾の安全ピン。足を引っ掛ければそのまま爆破。原始的ではあるが、効果的な手法である。


「連中の仲間には禁厭師まじないしもいるだろうが、大半は日露、西比利亜シベリア帰りの軍人。兵器による罠にも気を配らなければダメだ」

「……そのようだ」


 麗一は珍しく他人の意見を肯定する。二人は肩を並べ、注意深く先を進み始めた。禁厭まじないにも軍事にも疎い悠雅は、最後の役目として殿しんがりを務めることにする。


 かつ、こつ。不揃いの靴音が響く。簡易の瓦斯ガス灯が等間隔に吊るされた地下道は、人がすれ違えるほどの幅があるものの、高さは余りなく、悠雅は瓦斯ガス灯が発する熱に顔をしかめた。


「二重に罠を張っていた割に人気がないな」

「明かりが点いているということは、人がいる筈だが……」

「違和感はあるが、好機と見てこの間に洗えるところは洗ってしまった方がいいだろう。丁度そこに部屋があることだしな」


 麗一が指差す先に、物々しい扉が見える。ところどころ、傷付き、錆び付いた扉だ。傷み具合からは一年やそこらではなく、それなりに長い期間、この地下空間が存在していることを雄弁に語っている。


 克成が注意深く、ゆっくりと扉を開いていく。中に明かりはなく、地下道の瓦斯ガス灯の明かりが差し込む。


「罠はなさそうだ」

「呪符も設置されていない。クリアだ」


 罠の有無を確認した克成と麗一はサッと部屋に入っていく。悠雅もそれに続き、扉を閉めると同時に克成が携帯用の放電アーク灯の光をともした。


 部屋の中にはいくつかの本棚が並び、執務机は三つ。そして、机の上には無数の書類が塔を築いていた。克成はその中の一枚を手に取る。


「何が書いてある?」

「早速大きな埃が出てきた。阿片の顧客名簿リストだ。ヌドランゲタ、コース・ノストラ。こっちの資料には青幇ちんぱん紅幇ほんぱん。どこも非合法組織の大手だ。――む、これは」


 克成は続けて、新たに資料を手に取る。


「帳簿か。食材に衣料品。銃火器にダイナマイト、軍刀。和紙と墨……? これは禁厭まじないの為のものか。それに薬品が数点か……。いや待て、ホルマリンが三〇〇リットルだと? なぜこんな大量に? 書き損じか?」

「なんだそれは?」

「劇物だ。薄めれば消毒に使えるが、死体を保存する為の防腐処理にも使われる」

「死体を保存? 木乃伊ミイラでも作るためのものか?」

「木乃伊よりも遥かに生前に近い状態を保てる薬品だ。欧州ではかなり前から使われていて、五十年以上前の犯罪者の生首がホルマリン漬けにされて保管されている」

「犯罪者を? 頭で栄光の手ハンド・オブ・グローリィでも作ろうっていうのか? いや、この場合栄光の頭ヘッド・オブ・グローリィといったところか。どちらにせよ趣味が悪い」


 麗一は鼻で笑いつつ、彼もまた一枚、資料を手にする。


「奴らめ、緋火色金ヒヒイロカネまで横領しているのか。外の連中が七八式呪想刀を手にしていた理由がわかった」

「やりたい放題やっているようだ。資料をいくつか、証拠品として掻っ払って行ってやろう」

「克成、明かりを消せ」


 克成と麗一の一連のやり取りを静観していた悠雅は、口元に人差し指を立てて、扉を僅かに開く。すると、隙間から男の声が二つ、聞こえてきた。


「――うぅむ、上手くいかないなあ。いっそのこと赤蛭子ハイ・ショゴスを作るように、使えない禁厭師まじないしを素体に作った方がいいんじゃないか? 霊力を操るすべを知らないと意識を保っていられないのはわかってるわけだし」

「流石にそれは勿体無さすぎる。禁厭師まじないし一人を育成するのにいくら掛かると思っている? 金剛兵団計画はただでさえ莫大な費用が掛かるんだ、上海をまるごと阿片窟に変えても追いつかないぞ。それに霊力を操る術があっても、体の方が保たないことが多い現状。ここをどうにかしなければなあ」


 扉の向こうから聞こえてくる男たちの会話を拾いながら、悠雅は天之尾羽張アメノオハバリに手をかける。

 彼らの声と足音が徐々に近づいてきていたからだ。


「――でも、百二十六人の被検体がいて、完成品がたった二人しかいないんだぞ。それも完成したのが殆ど奇跡的だった。崩壊しそうな肉体を繋ぎとめながら、死の淵で霊力を操る術を独力で身に付けなければならない。正確性が微塵も無い、生と死を賭けた博打。そんな賭けに禁厭師まじないしを使うのがもったいないって言うなら、そもそも実験を中止すべきでは?」

「できるわけがない。金剛兵団計画は片倉中将のみならず、今や陸軍の悲願となっている。そう簡単には止められない」

「だが、完成品二人を除く全ての被験者は一人の例外も無く全員狂い死んでる。成功例と失敗例の違いがまだ完全に解明されていないのに、実験を続けなきゃいけないなんて……きっと、また大勢の人間が死ぬ。西比利亜シベリア出兵を隠れ蓑にするのにも限界があるぞ」

「その時には浮浪者や孤児でも使えばいい。幸い、日露戦争や西比利亜シベリア出兵のお陰で戦災孤児も多いことだしな」


 神剣の柄を力の限り握り締める。奥歯を砕かんばかりに噛み締める。

 八咫烏ヤタガラスの実験体だった身として、日露戦争の戦災孤児として、許せない発言だった。


 一体どこまで他人の尊厳を踏みにじれば気がすむのか。悠雅の怒りが物理的な力を持っていれば、扉の向こうの彼らは今頃、無様な死体となっていたことだろう。


「――実験実験。また実験か。奴らの頭の中にはクソでも詰まっているのか……!!」

「お前が怒るのは無理もない。だが、落ち着け。ここであいつらにバレたら、事態がややこしくなるだけだ。片倉本人を叩かねば」

「わかってる。わかってんだよ……」


 小さく吼える悠雅は飛び出して行きそうになる体を必死に抑え込んで、扉の向こうの男たちを睨んだ。


「――大体、片倉中将はなんだってティンダロスの猟犬にご執心なんだ? 黒蛭子ショゴスを使った超人作製法は確立されてるわけだし、そっち使った方が良いじゃないか?」

「うーん、俺もその辺りはよく知らないんだが……噂によれば、中将はティンダロスへの進軍を考えているとかなんとか」

「……正気かよ? どこにあるかもわからない異次元の都市を侵略するって?」

「あくまで噂だって言ってるだろ? 真に受けるなよ。――あっ、そういえばお前、新しいホルマリンの発注やったか?」

「ああ、追加で三〇〇発注しといた」

「助かる。なりそこないの体は霊装の材料になるからな。可能な限り取っておきたい」

「俺は嫌だなあ……あいつらに恨まれてそうで」

「死人如きが何するものぞ。死後も護国の糧となれるのなら、奴らも本望だろうさ」


 鼻で笑う男は気弱そうな男の肩を叩く。すると、鼻で笑った男は何かを思い出したように手を叩いた。


「ところで、例の神剣はどうなったか聞いてるか? せっかく禁厭きんえん庁と辰宮家を出し抜いて手に入れたのに、一向に続報を聞かない。あの神剣があれば本部の研究が進むんだろう?」

「まだだ、って言ってたぞ。神剣の方が協力的じゃないんだとか。担い手が現れるまで協力しないとか――って、向こうの研究員が嘆いてた」

「神剣が? 強力な神器ほど自我を持つって本当なんだな。七八式みたいなら面倒も無くて良いのに。所詮ただの武器なんだから黙って使われろってんだよ」

「相手は神代の武器なんだ、流石に勝手が過ぎるだろ。でも、早く協力はして欲しいなあ。向こうの実験の成果が出ないと、こっちの研究費も給料も一向に上がらない。ただでさえ危ない橋を渡ってるのに、タダ働きは勘弁だよ」


 苛立ち混じりに小石を蹴る音が響き、声と靴音が遠ざかっていく。

 最後に悠雅が扉を開いて、辺りの気配を探る。視覚、聴覚、嗅覚を総動員させて辺りを探った彼は、近くに人間がいないことを確認すると、克成と麗一に切り出す。


「いくつか、気になる単語がありましたね」

「ああ、だが最も瞠目すべき点は神剣がここにないことだ。片倉を叩く材料は掴めたことだし、一度退却しても良いかもしれん。それで良いか、鳴滝?」

「いや、まだ足りない。片倉が相手では叩くことはできても追い詰めることはできないだろう。もう少し、探りを入れよう」

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