第2話

『以前から、湾岸区の倉庫街に片倉が足繁く通っている、という情報を掴んでいてな』


 そう得意気に語る克成を信じ、悠雅たちは雪乃に別れを告げた後、太平洋を臨む帝都湾岸の倉庫街に足を運んでいた。


 静かに波打つ夜の海は、どこまでも黒く、闇を孕んでいて不気味だった。とりわけそれを助長させているものがある。

 月明かりに浮かぶ、山の如き巨大な深緑色。


 九頭龍。


 かつてそう呼ばれていたものの成れの果て。二つの首を失い、土手っ腹に風穴を開けられたいにしえの巨獣。神話級の災害を顕現させる、地球の旧き支配者。

 十二月二十四日。悠雅とアナスタシア、瑞乃が力を合わせて討ち果たしたその邪龍は、今なお湾に横たわっている。


 遺骸の処理をしているのか、九頭龍の遺骸の周りを無数の軍艦が漂っていた。


「九頭龍の処理、時間がかかりそうだな」

「何せあの図体だ、仕方あるまい」

「伸した手前、何も手伝わないでいるのはな……」

「ハッハッハ、気にすることはない」


 心苦しさを感じる悠雅。大真面目に本気で申し訳なさそうにする彼を、克成は笑い飛ばす。


「海軍は今頃大喜びだろうさ」

「あんなのの処理に駆り出されているのにか?」

「陸軍と海軍の仲が良くないのは知っているか?」

「それくらいなら一応。理由は知らないが」


 正直に答えると、克成は実に馬鹿らしそうに、呆れた顔で実情を語り始めた。


「この国にとって陸軍と海軍、どちらが重要かわかるか?」

「どちらも重要では無いのか?」

「ああ、どちらも重要ではある。だが、比重を考えると海軍に軍配が上がる。この大日本帝国は四方を海に囲まれた海洋国家だ。おまけに国内をぐるりと一周するのにすら船が必要になる。人々の交通だけでなく大量の物資の運搬、経済を回すのにも船は必須だ。もちろん国外勢力への防衛にも制海権の維持は重要になる。海を塞がれると海洋国家はたちまち干上がってしまうからだ。となれば、必然的に海軍に力を注ぐようになる。海洋国家の宿命だな。しかしそうなると、面白くない連中が出てくる」

「陸軍か?」

「その通りだ。陸軍は敵地に攻め込み、何万という兵士の命を散らしている。陸軍の本領は白兵戦だからな。日露戦争を例に見れば、旅順攻囲戦の戦死者は日露合わせて三万を超えるが、日本海海戦は五千と少し。にも関わらずこの国は海軍力をあげることに躍起になっている。国は海軍へ積極的に阿斗蘭手主アトランティス帰りの西村真琴にしむらまことが持つ、科学的超常技術オーバーテクノロジーを流している。大局を見れば当たり前なのだろうが、陸軍からすれば面白くはないだろう。まあ、陸軍は陸軍で中国と露西亜ロシア禁厭師まじないしを捕虜として連れ帰り、その技術を抜き取ったりしている。海軍もその技術を提供しろと何度も言っているようだが、まあそのような状態では陸軍が提供することはないだろうな」

「……難しい話だ」

「難しくなどないさ。そうだな、一言で言えば、帝国軍内で陸軍と海軍による利権争いが起きていると考えてくれればいい」

「簡単な話になった。しかし、いまいち解せないことが一つある」

「九頭龍のことか?」


 悠雅は首肯する。


「九頭龍。あれはこの世の理にはない怪物だ。五〇〇メートルを超える巨体を持つ化け物。普通あれほどの質量を持つ生き物は生きることもできない。息をするだけで莫大な生命力エネルギーを消費するし、維持するための供給源もまた莫大。そんな怪物の体細胞を研究すれば、軍事転用できる技術も多く生まれるだろう。海軍だけでなく陸軍も喉から手が出る程欲しいものの一つだろうさ」

「迷惑極まりない話だ」


 唸る悠雅を横目に、鼻を鳴らして吐き捨てる麗一は、苛立ち混じりに小石を岸から伸びる波止場へと放り投げる。


「本来、ああいう魔性の類は第二分室が研究することになっている。軍人に首を突っ込んで欲しくないものだ。事故が起きて困るのは我が愛妹である雪乃なのだぞ」

「怒ってるのはわかりますが、目方様を妹扱いするのいい加減やめたらどうです?」

「確かに、目方の媛君に失礼だな」

「ついさっき殺し合いに発展しかけた間柄だというに、もう結託か? つくづく自分の無い奴らだ。私を見習え馬鹿どもめ」

「見習いたい要素が今のところ、その小綺麗な御尊顔くらいなのですがね。たまには見直させてくださいよ」


 どっちらけたように悠雅は鼻で笑う。不意に克成が立ち止まった。

 彼の視線を追うと、その先には柿崎建設資材倉庫と銘打たれた看板が打ち付けられた赤煉瓦倉庫。


 どうやらここらしい。克成は物資の搬出用の大扉には目もくれず、悠雅たちを伴って倉庫の裏手に回る。裏手には裏口であろう小さな扉が一つ。そして、その扉の前を二人の見張りが警備についていた。


「警備員がいるな」

「いやあ、ただの警備員じゃあない。奴ら装備が良い。三八式歩兵銃に南部大拳、それにあれは――」

「――仮想神器・七八式呪想刀か」


 克成の言葉を繋いだ麗一は、深刻そうに眉を顰める。


「仮想神器? なんですそれは?」

現人神あらひとがみの決戦兵器たる神器を禁厭まじないで作った代物だ。昨年実用化されたばかりの新兵器。まだ一部の部隊にしか支給されていないと聞いていたが……」

「片倉は中将だ、不思議ではないだろう。それよりも問題は、あの警備員二人が現人神あらひとがみだというところにある」

「この悠雅ボンクラを突っ込ませてやればいいではないか。こいつは第二階梯の国津神くにつかみ位階。相手がそれこそ第三階梯にでも達していない限り捨て駒には使える」

「荒事に臨むのは構わないんですが、流石に面と向かって捨て駒とか言われるとカチンとくるものがあります。というわけで一発殴らせろ若」


 真っ白になるほど握りこまれた拳に息を吐きかける悠雅に見向きもせず、麗一はしかめっ面で見張りを睨んでいる。


「ここで悠雅を突っ込ませて奴らを無力化できたとしても、タダでは済むまい。それに、ここで騒ぎを起こせば連中、ここをまるごと焼き払いかねん。それは避けたい」

「となると隠密か。苦手なんだがな。この溢れ出る高貴なオーラは隠そうと思って隠せるものではない」

「一々鬱陶しい反応をするな麗一。悠雅に殴らせるぞ」

「鬱陶しい反応云々と、貴様だけには言われたくないわ戯けめ。それより、どうやって潜入するつもりだ?」

「ふむ、屋根に通気口がある。そこから潜入しよう」


 思わず倉庫の屋根を見上げる麗一は、あからさまに顔色を悪くさせた。


「……また登るのか」

「三十メートルほど登るだけだ」

「高すぎやしないか?」

「若のことは引き上げてあげますよ。克成、縄を」

「うむ」


 悠雅は克成から受け取った縄を肩に掛け、煉瓦の隙間やら雨樋あまどいやらに手を掛けて起用に登っていく。


現人神あらひとがみかどうか抜きにしても、あの身体能力には目をみはるものがある」

「まるで猿だな」

「聞こえてますよ、若」


 麗一の悪口を拾った悠雅は倉庫の屋根から睥睨しつつ、縄を降ろした。まず克成が縄を上り、麗一を引き上げる。

 屋根の上に揃った一同は通気口を覗く。通気口の奥は深い闇が見返してきて、三人はしばし固まる。どこへ繋がっているかもわからない闇の底というものは、下手な獣の口よりも恐ろしい。


「一応、すぐに脱出できるようにしておこう。麗一、転移術の刻印マーカーを」

「それなら言われずとも既にやってある」

「……ああ、さっきの小石ですか」


 珍しく麗一が乱暴なことをしたな、と不思議に思っていた悠雅だったが、その理由がわかって思わず膝を叩いた。


「では、後は潜入するだけだな」

「おい、深凪悠雅。出番だ。役に立て」

「はいはい、わかりましたよ」


 大きく溜め息を吐いた悠雅は、克成に縄の端を渡して単身通気口を降りていく。手足をつっかえ棒にして、ゆっくり、静かに。

 やがて、悠雅は倉庫内に降り立つ。縄を引っ張り合図を送りつつ、暗がりの倉庫内を見渡すと、無数の大きな木箱が悠雅を睥睨していた。


「――どうだ、悠雅よ?」


 しばらく辺りに注意を向けていると、克成が縄を伝って降りてきた。


「どうもも何も、人の気配もない普通の倉庫といった風情だ」

「見ただけで終わらせるな。箱の中身を改めろ」

「俺に犯罪者の真似事をしろというのか?」

「既にしてるだろうが。不法侵入、立派な犯罪だ」

「あ」


 間抜けな声を上げ、悠雅は頭を抱える。彼は質実剛健、誠意誠心を旨として、英雄を目指している。そんな自分が犯罪に手を出してしまったことに愕然とする。


「ごめん、爺さん……」

「お前、本当に気づいていなかったのか」

「ああ、好きなだけ馬鹿にしろ。今は言い返す気力も湧かない」

「麗一でもあるまい。お前を罵る趣味はないぞ、俺には」

「…………そういえば若は?」

「ああ、忘れていた」


 克成がぐいっと縄を引っ張ると、「ひゃああああああああーーっっ!?」との絶叫と共に麗一が落ちてくる。

 ぎょっと驚いた悠雅は慌ててそれを受け止めた。


「「殺す気か!?」」

「ハッハッハ、すまんすまん少し力み過ぎた」


 声を揃えて怒鳴る悠雅と麗一。しかし、克成は悪びれる様子なく快活に笑い飛ばすのみだ。


「くそ、いきなり縄を引っ張られて足を滑らした時は死ぬかと思ったぞ」

「すっごい情けない悲鳴あげてましたね? 「ひゃあああ〜」って」

「喧しいわ戯け!!」

「喧しいのは若でしょうに。これではなんのための隠密行動かわかりませんよ」

「そんな文句はこの鳴滝バカに言え!!」

「文句は後でいくらでも聞いてやる。それよりこれを見ろ」


 一部強引にこじ開けられた木箱の隙間から、穴が開けられた分厚い紙袋が中身を吐き出していた。


「粉? 触り心地からして小麦粉や馬鈴薯粉じゃない。サラサラしている。塩か?」

「貴様は馬鹿か? 建設会社がなんでを塩を後生大事に抱えるんだ。こいつは阿片だ」

「阿片!?」

「恐らく建設会社というのはブラフだ。連中、ヤクザや海外の犯罪組合シンジケートに流しているな? 如何にも小物らしいこすいやり口だ」

「世界中で阿片の取り締まりが厳しくなって価値が高騰している。ボロい商売なのだろう」

「……つまり、軍が阿片を日本中や世界中にばら蒔いているってことか?」

「軍全体が関わっているとは思いたくはないが、少なくとも片倉は関わっている可能性は高い」

「いけ好かないな」

「この国を守るためならば、大量の阿片中毒者を出しても良いと考えているのだろう。それに、そもそも、人の命をなんとも思っていないような男だ。今更だな」

「吐き気のする考えだ」


 その考えにおぞましさすら感じる悠雅は怒りに打ち震える。悠雅は英雄を目指す人間。国を守り、民を守る。そんな存在になりたい彼にとって、そのようなことは許し難い暴挙であった。


 むしゃくしゃした悠雅は床を踏み砕かんばかりに踏み込む。それでこの怒りが収まるはずも無いというのに。だが、それでも何かに当たらねば抑えられぬ衝動もあって。


 その瞬間、悠雅は妙な違和感を感じた。烈火の如く燃える激情の中、微かに残っていた冷たさが悠雅に気づかせた。

 彼は腰に刺した長脇差を引き抜き、柄尻で小突く。すると、こぉん、と遠くへ響くような音が響いた。


「急に這いつくばって、貴様何をやっている?」

「この下、空洞ですよ。隠し部屋があります」

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