第5話
「――やめなさい。深凪くんも、鳴滝くんも。暴れるって言うのなら、外でやって」
雪乃は二人を静かに一喝した。
「鳴滝くん、深凪くんを煽らないで。深凪くんを頼って仕事してるっていうのに、他ならぬ貴方が和を乱してどうするの? 深凪くんが貴方の中の何に触れたかは問わないけれど、その哲学を押し付けてはダメ。それと深凪くんも、怒るのはわかるけど簡単に力を発現させないで。普通の人間の精神強度じゃあ、
「こんな奴らとこの私が友だと? ああっ‼︎ 兄さん卒倒してしまいそうだ。寝言は寝てから言うものだよ雪乃?」
「……あーもう、この男ども本当にめんどくさい」
雪乃は堪えきれぬ苛立ちを吐き出すように大きく息を吐く。
「貴方たちの確執になんで私が巻き込まれなくちゃならないの……」
「ハッハッハ、すまんな目方の媛よ。ついつい口が滑ってしまった」
どうやって悠雅の手から離れたのか? 克成はいつの間にか雪乃に頭をたれていた。
「“口が滑った”などと抜かすのか。謝る気は無さそうだな?」
「俺にも通すべきものがある。死んで逝った友たちの為に英雄にならなければならない――そんな枷を己に嵌めているお前のように」
克成には珍しく、一切遊びのない視線のように思えた。その中に譲れぬものがあることを確信した悠雅は矛を納める。
人の考え方、主張というものは十人十色、千差万別。似たものはあれど、全く同じという人間は絶対にいない。決定的に間違っていると感じられない以上、違いを理解すべきだ。
とはいえ、克成が発した言葉が許せなかったのもまた事実。どこかしらで落とし所を見つけなければいけない。
「おい、額を出せ」
「どうした急に?」
「良いから」
「ふむ、仕方ないな――」
するりと深い闇色の髪をかきあげさせると、悠雅は渾身のデコ弾きを放つ。それも、鋼に包まれた左腕で。
「っ゛ぉぉぉ…………!!」
「アッハッハッハッハッ!! ざまあないな
痛みのあまり蹲る克成に麗一が腹を抱えて大笑いする。普段、飄々としていてあらゆるものをのらりくらりと躱す、掴みどころのない男が蹲って唸っていることに小気味の良さを感じているのだろう。
「今回はこれで勘弁してやる。次は容赦しない」
「……あんなことを言われて縁を切らないのか?」
「克成が余程道の外れたことをしない限り、俺はお前の友人だ」
「俺は考えを改めるつもりはないぞ」
「それならまた喧嘩すれば良い。勿論、手を緩めるつもりは毛頭無いが」
「超人が肉体言語に訴えるのは卑怯な気がするが?」
「俺がお前に口で勝てると思ってるのか? 何年俺の友人やっている?」
「ほほう、珍しく弁が立つな。ぐうの音も出ない」
「おっと、口で勝ってしまった。明日は槍が降るかもしれないな」
「ならば鉄の傘を用意しなければなるまい」
薄く笑む克成に悠雅は手を差し伸べ、克成を引き起こす。その様子に雪乃は心底安堵して、その上で二人にこれだけは言っておかねばと目を釣り上げる。
「全く、今後諍いは他所でやってね」
「以後気をつけます」
頭を下げた悠雅は、ちろりと部屋を見渡して青ざめる。部屋のありとあらゆる場所から野火のように広がった
取り急ぎ、
「ずいぶん雑に扱うね? それ、要らないなら私がもらっていい?」
「構いませんが、目方様こんなガラクタいるんですか?」
「深凪くん……君、それ本気で言ってるなら世の
どこか呆れたようにねめつける雪乃。その隣の麗一も同様に。
「貴様、それの価値がわかってないらしいな。それが一体何なのかわかっていないのか?
「……これ、そんな大層なものだったんで?」
「尋常じゃない霊力伝達能力と強度を誇る謎の金属。最高級の
「そうだったんです?」
『気づいていなかったのか?』
流石に堪え切れなくなったのか、天之尾羽張本人も呆れ気味だ。
「仕方ないだろう。アマ公を握ってる時にそんなことを悠長に考えてる時間はない」
『だからといって、理解もせずに力を振るうな馬鹿者』
正論を叩きつけられ、悠雅は言葉を詰まらせる。こういう時、脳筋は弱い。
バツが悪そうに悠雅は視線を落とすと、その先には部屋を照らす
「
悠雅の
考えを巡らせる悠雅。そんな彼を見かねた雪乃が、指を立てて仮説を披露し始める。
「考えられるのは、副産物かな」
「副産物?」
「例えば炎を発する
「つまり、俺が何かを斬る度に
「そんなところかな」
「それなら、先程なぜアマ公を握ってもいなかったのに
「それは多分、君が無意識のうちに垂れ流している、切断の
「そんな馬鹿な……」
悠雅は信じられないといった様子だ。
だが、その力は微弱。何か現象を起こせるようなものではない。
「――でも、そのくらいしか思い当たらないのよね。まあ、それ以前に決定的にわからない問題が一つ。君の霊力が一体何を斬っているのか?」
「そう言われても……」
「大気。或いは空間。目に見えない何かだろう」
身に覚えのない悠雅が首をかしげると、麗一が解答を示す。
「貴様の
「……そんなもんですかね?」
いまいち納得いかない悠雅は、再び視線を落とす。と、伝説の金属が悠雅の間抜け面を映した。
「しかし、お二人ともよくこれが、そんな金属だってわかりましたね?」
「現物を以前見たことがあるだけだ。一応、昔から研究が行われているからな。国庫に収められた僅かな分を少しずつ削ってな」
「ところが突然、それを生み出せる人間が現れた。界隈じゃ話題になってる。恐らく――というか、間違いなく軍の監視もついてると思う。下手すれば、君を攫いに来るかも。
というか私も君のこと攫って研究したい」
「……嫌ですよ」
悠雅はあからさまに不快そうな顔を作る。大抵の物事は二つ返事で引き受けてしまう彼だが、どうにも実験の類となると忌避感が生まれてしまうのだった。
彼の過去を鑑みれば、その反応はごく当たり前なものだ。
「ごめんごめん、冗談だよ」
地雷を踏み抜いたことがわかった雪乃は、苦く笑う。これが西村真琴なら対して悪びれもしないで駄々をこねるところだが、そういった対応を取るには、雪乃は些か人が良過ぎた。
「でも、本当に気をつけてね? いずれ軍は間違いなく君を狙い出す」
「目方の媛よ、それはない」
雪乃の発言を克成がバッサリと切り捨てる。
「監視は付いているが、連中が強行手段に及ぶことはまず無いだろう。永倉新八と西村真琴がいるからな。現在、あの二人は陸海軍にとって重要過ぎる立場にある。戊辰、日清、日露で高位の
「あー、それもそうだね。ちょっとした治外法権だよね、あそこの会社。
「有り難い話ですよ。本当に」
悠雅は少し苦く笑う。偉大に過ぎる男たちの庇護下でなければ、やっていけない脆弱な己が許し難いのだ。このような調子で、本当に英雄になれるのか甚だ疑問だった。
「しかし、目方様も知っていたのですね? ……皇女のことを」
「
「……物騒なことをサラッと言いますね」
「隠すことでもないし、むしろこのくらい言っておいた方が危機感増していいでしょう?」
雪乃は子供っぽく笑ってみせる。雪乃は今年で二十歳なるが、まだまだ愛らしいという表現が似合う女性だった。
「――そういえば」
悠雅は不意に思い出したように切り出す。
「どうして猟犬は実験中に現れたんです? 実験の副産物とかって言ってましたけどどういうことなんでしょう?」
「ティンダロスの猟犬は、時に干渉する存在に反応して現れるの。そして、その存在を執拗に追い、喰い殺す。特に人間に対しては憎悪すら感じていて、取り分け
「時に干渉というと、時間跳躍実験のようなものでしょうか?」
「そう。他にも精度が高すぎる未来視や過去視なども該当するかな。そういった力を持つ
「
「言っておくけど、深凪くんのようなのの方が珍しいんだよ?
「仕留めたのは我が妹だがな!」
薄く笑みを湛えて雪乃が悠雅を褒めると、麗一が見るからに機嫌が損ねた。
「お嬢だけではありませんよ」
「あの方の肩を持つのか貴様。やはり、殿下を好いているのだな貴様? 瑞乃に言ってやろう!! そして、瑞乃に嫌われてしまえ!!」
「その五歳児みたいな論理を叫んで恥ずかしくないんですか?」
「そのような羞恥心があればそもそも、こんなになっていないだろう」
克成が身も蓋もないことを口走ると、麗一はなぜか胸を張ってふんぞり返る。
「最愛の妹を取り戻す為ならば、羞恥心などいくらでも捨てられる!!」
「いや、そもそも捨てる羞恥心がないって言ってるんですが?」
「まさか、妹を愛する心を恥じろというのか貴様ら?」
「麗一くんのそれは度が過ぎてるから言ってるんだけどね?」
「妹への愛に限界などなあああああい!!」
絶叫する麗一に雪乃は頭を抱える。こんな男と
「勘弁してよ……」
「きっと、お嬢なら相談に乗ってくれます。元気出して下さい」
「あの子の場合、率先して麗一くんを亡きものにする提案をしてきそうだよね」
「そんなことある訳ないだろう、雪乃。瑞乃は恥ずかしがっているだけさ。本当は私に抱き着いて頭を撫でて欲しいに違いないんだ」
「流石は麗一だ。なんという
「若も大概イカレですよね」
「貴様にだけは言われたくないわ戯け!!」
怒鳴り散らす克成は真っ赤な怒りを飲み干すように、真っ赤な
「飲み過ぎは体に毒ですよ」
「貴様と喋っていることの方が私にとっては
「なるほど、
「…………………………、」
「…………………………、」
「…………………………、」
「…………………………、」
天使が通り過ぎたような静寂が訪れ、白けた視線が一斉に克成の元へと注がれる。
「――この後の予定は?」
「無視か? 最高に
「喧しいぞ、他人の名前で遊びやがって。挙句、死ぬ程詰まらない冗句なんかに使うとか……叩っ斬られても文句言えないからな? ――それで、どうする? 単なる報連相の為にわざわざ俺を
「うむ。下手人の尻尾は掴んだわけだからな。これから少し叩きに行こうと思っている。何、黒い噂の絶えない男だ。少し叩くだけでも死ぬほど埃が出るだろう」
「まさか、片倉の場所に……? やつは陸軍中将だって言ってなかったか? 簡単に会えるような立場の人間じゃないだろうに」
「会わなくてもいい。会う必要もない。必要なのは、奴の埃を落とすことだ」
克成は「ああ、」と思い出したように、付け加える。
「――かの神器が見つかれば、なお良しだがなあ」
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