第3話

 新撰組社屋のある神田より、路面電車を乗り継ぐこと計二十分。こじんまりとした洋館が見えてくる。禁厭きんえん庁庁舎である。


 禁厭きんえん庁は、大日本帝国国内で活動する禁厭師まじないしたちを束ねる機関だ。その主な役割は禁厭師まじないしたちの管理と禁厭師まじないしの教育。そして、禁厭まじないの研究である。

 特に研究に関しては庁舎で行っている為か、夜の十時を過ぎているにも関わらず、明かりが点っていた。


 浅葱色のだんだらを羽織る悠雅は何食わぬ顔で庁舎に入ると、樫の木で出来た受け付けと重々しい鉄扉が悠雅を出迎える。

 こつこつ、木目の床を革長靴ブーツで蹴りながら、悠雅は受け付けに吊るされた小さな鈴の鐘を鳴らす。

 鈴の透き通るような音が誰もいない受け付けに響き渡ると、奥から雀が飛んできた。

 禁厭きんえん庁名物、雀の受付だ。


「こんばんは。本日は閉館しております。御用の方は一月六日の午前九時にお越しください」

「研究課第二分室の目方室長に面会に来たのですが」

「……失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

深凪悠雅みなぎゆうがと申します」

深凪悠雅みなぎゆうが様ですね。只今確認を取っています。しばらくお待ちください」


 六尺(約一八〇センチ)を超える大柄な男が、愛らしい小さな小鳥と会話しているというなんとも言えない奇妙な絵面。悠雅は周囲に人間がいないことを確認すると、目の前で滞空する雀を長い指で撫でた。


「おやめ下さい。私の体はとても脆いのです」

「こ、これは申し訳ないです。小動物と触れ合ったことが余りなかったもので、つい」


 悠雅は興味本位に触れたことを恥じ、頬を紅潮させて小さく頭を垂れた。

 それからややあって、雀が俄に囀り始めた。


「確認が取れました。では、御案内致します。――と、その前にそこの扉を開けて頂いてもよろしいでしょうか」

「お安い御用で」


 悠雅が鉄扉を開け放つと、雀は「ありがとうございます」と会釈して、隙間からひゅるりと抜けていく。

 鉄扉の奥には円筒状の広大な空間が広がっていた。庁舎の外観とは明らかに釣り合わないほどの広大な空間だ。

 下から全部で七回層あり、層ごとに少なくとも十以上の扉が等間隔で並んでいる。天井には巨大な集飾電燈シャンデリアが吊るされており、この空間全体を照らしていた。

 中心に大黒柱とも言える太い柱が一柱。柱には硝子ガラスや水晶のような、透明な素材を用いて作られた螺旋階段が蛇のように巻きついていた。


「研究棟は初めて入りましたが、随分広いのですね」

「研究棟は実験に必要な広大な面積の確保と、後は純粋な防衛の為に禁厭まじないで異界化させているのですよ」

「へえ」


 どこか自慢げに話す雀は、螺旋階段をなぞるようにゆっくりと飛んでいく。心底感心したように唸る悠雅も、そのあとを追って透明な螺旋階段を登った。

 三階に達すると雀は階段から逸れて回廊の方へとくちばしを向けた。


「深凪様は新撰組に所属されているのですか?」

「そうですけど、それが何か?」

「ああ、いきなり不躾に申し訳ありません。その浅葱色のだんだらを見て、少しだけ懐かしくなったのです」

「懐かしい?」

「亡くなった祖父が元新撰組の隊士だったのですよ。祖父は私が幼い頃、よく嬉しそうに語ってくれたのです。自分は昔、あの永倉新八ながくらしんぱちと肩を並べて戦ったことがある、と」

「なるほどそれでですか。羨ましい限りです。俺は未熟過ぎて、未だ認められていないので」


 悠雅は悔しさを滲ませながら小さく肩を落とす。


 新八は悠雅によく稽古をつけてくれた。

 剣士の何たるかを叩き込んでくれた。

 武人としてのあり方を叩き込んでくれた。

 男の生き様を焼き付けてくれた。


 さりとて、新八は悠雅を同じ戦場に連れていってくれたことは一度も無かった。そして、終ぞそれは果たされぬまま、新八は新撰組を離れ、大日本帝国陸軍の招聘に応じてしまった。


 恩師の背中がまた遠くなった。どれだけ走っても一向に追いつけない背中。大きく、高い山を見上げているような気分になる。自身の弱さに嫌気が刺す。


「――どうやら、余り触れては行けないところに触れてしまったようですね。申し訳ございません」

「いえ、貴女の責任ではありません。貴女は何も悪くない。それより、こちらこそ申し訳ないです。俺はどうも、考えていることが顔に出てしまうらしい」


 思わず感傷に浸り過ぎたことを猛省していると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。やれ「あのボンクラはどこで道草を食っている!!」だの、「あの不義理な男に頼らざるを得ない己が憎い!!」だの、「あのウドの大木さえいなければ瑞乃は帰ってきてくれるのに!!」だの。酷い陰口が聞こえてきて、悠雅はひっそりと青筋を浮かべる。


「この声は、辰宮室長でしょうか? 第六分室の室長が何で第二分室の室長室に? しかもやけに機嫌が悪いような……」

「どうせ、あのどうしようもない華族のボンボンが八つ当たりしているだけでしょう」

「辰宮室長とお知り合いで?」

「一応、元雇い主の息子兼竹馬の友というやつです。本人は頑なに認めませんが」

「そうなのですか? 意外な交友関係に驚きを隠せません」

「若――辰宮室長はここではちゃんとやれていますか?」

「ええ、もちろん。紳士的で女性職員からの評判も良いのですよ」

「はは、ご冗談を」

「本当ですよ? 紳士的で、大貴族で、十九にして分室長を任される才にあの美貌です。とても人気ですよ」

「そりゃあ随分と猫の皮を被ってきたようで。普段の彼は、だいたいこんなですよ」


 悠雅は面白くなさそうに吐き捨てると、雀に別れを告げて第二分室の扉を開く。部屋の中は執務机と椅子が一脚。その手前には来客用の長椅子ソファが二脚、背の低い小机を挟むように並んでいる。

 長椅子ソファには新聞を読み耽る克成と、瓶の葡萄酒ワイン喇叭ラッパ飲みする麗一の姿。その対面にはぐったりと長椅子ソファの背もたれに寄りかかる、紅白の巫女装束の女性が一人。


「あ、深凪くん、やっと来たのね」


 女性のその言葉を皮切りに、克成と麗一の視線が悠雅に集中する。


「みいいいいいいぃーなああああああぁーぎいいいいいいぃーゆううううううぅーがああああああぁーあああああああぁー!!」


 行儀悪く小机の上に飛び乗った麗一は、悠雅の名を叫びながら飛びかかる。勢い良く飛来する麗一の体を前に、悠雅はさして驚く様子もなく、麗一の襟首を掴むと流れるように床に放り投げた。


「酒臭いですね。あんたやる気あるんですか?」

「瑞乃に殺すと言われたんだぞ!? 飲まずにいられるか!?」

「多少俺にも原因があると痛感していますが、九割型あんたの普段の言動が原因ですからね?」


 呆れ果てる悠雅は次いで女性の方へと目を向ける。


「お久しぶりです目方様。お見苦しいところを見せてしまって申し訳ないです」

「いいえ、深凪くんのお陰で胸が空く思いだし。御礼を言いたいくらい」


 可憐な笑みを浮かべる女性――目方雪乃めかたゆきのは悠雅を長椅子ソファに招く。


「おい、深凪悠雅みなぎゆうが。貴様、まさか雪乃にまで毒牙にかけようとしているのか?」

「そんな訳ないでしょう」

「私は深凪くんのこと、嫌いじゃないよ?」

「目方様、冗談でもやめてください」

「冗談じゃないって。少なくとも、亡くなった自分の妹の面影を許嫁に押し付けるような男よりか遥かに評価が高いわ。体もおっきくて丈夫そうだしいつでも研究の手伝い――じゃなかった、悪漢から守ってくれそうだし」

「本音、隠せてませんよ目方様」

「……深凪悠雅みなぎゆうがを殺す方法を考えよう。そうだそうしよう」

「勘弁してくださいよぉ……」


 いよいよ頭が痛くなってきた悠雅は麗一を雪乃の隣に放ると、先ほどまで麗一が腰掛けていた克成の隣へと腰を下ろした。


「未来の夫婦なんですから、もう少し仲良くしてください」

「……深凪くん、それを私に求めるの?」


 げっそりとした顔つきで雪乃は悠雅を睨む。


「確かに私は辰宮雪乃たつみやゆきのという少女と同じ名前で容姿が似ているかもしれないけど、別の人間なの。話を聞けば趣味や趣向、食べ物の好みはまるで違うし、写真も見せて貰ったけれど、私から言わせれば赤の他人って言うくらい似てない。にも関わらず、ただ妹に似ているからという理由で嫁に取られ、実家から追い出されそうになってる私から言わせれば、悪夢以外の何物でもないんだけど?」

「私の何が悪い!? 最愛の妹と!?」

「それが気に入らないって言ってるの。いい加減わからないかな麗一くん?」

「家族を愛する気持ちがわからないのか雪乃? 兄は悲しいぞ」

「私は貴方の妹じゃないって何度言えばわかるのかな? いい加減にしないと行きずりの男と寝るよ?」

「そんなのまるで痴女のそれではないか! 私はそんな尻軽に育てた覚えはないぞ!!」

「……そもそも、育てられてないから」


 頭を抱える雪乃の手は固く握り締められていた。今にも激情に駆られて麗一を殴りつけてしまいそうだ。


「いつも酷いけど、今夜は輪をかけて酷いですね、若の言動」

「泥酔しているのもあるだろうが、瑞乃お嬢さんに怒られたのが余程堪えているのだろう。馬鹿なやつだ」


 新聞を読み終えたのか、克成が会話に参加してきた。


「――それで、何かわかったのか?」

「ああ、あの水晶針についてはまだわかっていないが、猟犬についてわかったことがひとつ」

「飼い主でもわかったのか?」

「断定はできていない。が、近しい者がいる」

「誰だ?」

「片倉だ。片倉秀二かたくらしゅうじ。こいつはふた月前、帝国陸軍鬼道科の研究施設で妙な実験を行っている。猟犬はその実験の過程で得た副産物だ」

「鬼道科っていうと、軍が集めた現人神あらひとがみ禁厭師まじないしで構成された集団だったか? あんな怪物を生み出した、その妙な実験とは一体どんなものだ?」

「時間跳躍実験。いわゆるタイムスリップというやつだな」


 真顔で言ってのける克成に、悠雅は急にアホらしくなって天を仰いだ。


「時間跳躍? 馬鹿らしい。祈祷いのりやら禁厭まじないやら、荒唐無稽なわざあれど、蘇生と時間制御を行えるものは存在しない」

「馬鹿らしいと言うが、お前は人体蘇生をその目で見たろう? 妙法蟲聲経ネクロノミコンの力で蘇った人間を」

「だが、それはあの魔導書ありきの出来事だろう?」

「だから、そういうことだ」


 魔導書・妙法蟲聲経ネクロノミコン。この世のありとあらゆる理を捻じ曲げる、万能の願望器。

 十二月下旬、その魔導書を巡る戦いに身を投じた悠雅の脳裏に、一人の男の姿が過ぎる。


「――東條英機とうじょうひでき……」


 魔導書の主にして魔人。秘密結社・八咫烏ヤタガラスに所属する人の形をした悪魔。

 浅黒い肌に緋色の瞳。全てを嘲笑う三日月ように裂けた口。悪魔の如き顔。それは悠雅にとっても忘がたいものとなっていた。

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