第3話

 ぽってりとした黄色い月が闇夜に閉ざされた帝都を見下ろしている。冷たい風に木々がざわざわとざわめき、異物の侵入に騒いでいるようであった。


「――着きましたよ」


 花鈴が車を停めると、悠雅、克成、麗一の三人はぞろぞろと車を降り立った。

 彼らが降り立ったのは暗く、人気のない道。舗装もされておらず、生え放題になっている雑草が寒さに負けず背を伸ばしていて、見た目は殆ど獣道といった様子。


 そんな獣道の真横には、背の高い混凝土コンクリート塀が立っている。品川機関区を取り囲む混凝土コンクリート塀だ。


「鷺沢。今宵はもう帰って休め」

「宜しいのですか?」

「進展しようがしまいが、ここを片付けたら帰るつもりだ。帰るだけなら車は要らんからな」

「左様ですか。それでは若様、今日はご苦労様でした」


 麗一が帰宅を命じると、花鈴は軽く頭を下げて走り去って行った。それも馬鹿に大きく機関エンジンを吹かして。


「自分の腹の虫の居所が悪いからと雇い主に当たるとは、品のない奴め」

「若って結構腹の立つ物言いしますからね。仕方ないかと」

「それだけは貴様に言われたくない!!」

「……俺、割と腰が低いはずですよ?」

「いいや、貴様は腹の立つ人間だ。何故ならば!! 我が妹を私から奪ったのだから!!」

「その話、ここでしないとダメですかね?」


 悠雅はどっちらけたように吐き捨てると、自分の背よりも遥かに高い混凝土コンクリート塀を蹴り登る。


「なあ、克成。本当にこの操車場に例の列車があるのか?」


 悠雅が自身の懸念を克成に問う。神器を強奪した者たちが何者であれ、軍が証拠となり得る物品を手放すとは思えなかったからだ。


「その疑問は尤もだが安心しろ、信頼出来る筋からの情報だ」

「……いい加減、情報通とかでは済まされない気がする。それ、絶対軍事機密だろ」

「軍事機密すらもやすやすとすっぱ抜く!! 俺ほどの情報屋は帝都には存在しないだろうな!! ハッハッハ!!」


 高笑いを浮かべる克成を横目に、悠雅はこの国の行く先に一抹の不安を覚える。と同時に、鳴滝克成という男に不気味さを感じざるを得なかった。出会った時からそうだった、と悠雅は記憶している。

 悠雅が八咫烏ヤタガラスの実験施設から救い出されて七年。それからずっと付き合いのある男であり、度々共に仕事をするような仲であるにも関わらず、克成の得体の知れなさは払拭できなかった。それどころか、年を経るにつれて、不気味さが濃くなっているように悠雅は思えた。


「参考までに、一体どこの筋なの教えてくれないか?」

「それは言えん。守秘義務というものがある」


 得意げに笑いながら、克成は塀の上の悠雅目掛けて縄を放る。悠雅は適当にはぐらかされたようで、小さく憤慨しつつもその縄を受け取った。彼は縄の端を手早く右腕に巻き付け、もう片方の端を降ろす。


「良いぞ、来い」

「ああ」


 短いやり取りを交わし、克成が縄を辿るように登り始める。程なく克成も壁の上へと到達し、最後に麗一が縄を掴んだ。

 麗一は縄をぎゅっと握り締める。が、何やらもたもたと中々登って来ない。


「どうしたんです若?」

「麗一、我々はもういつ見つかってもおかしくない。早く登ってこい」

「うるさい、今登るから黙っていろ」


 と、言いつつも、麗一は登って来る様子はない。登ろうとはしているものの、上がってくる気配がなかった。


「ひょっとして登れないんですか?」

「易々と登れる貴様らがおかしいのだ!!」

「俺はともかく、克成は縄辿ってるんですがね」


 見かねた悠雅は一言「捕まってて下さい」とだけ麗一に伝え、縄ごと彼を引っ張りあげる。

 ひとりでにぐんぐんと体が持ち上がっていく感覚に、麗一の体は強ばる。そんな彼の元に銀色の腕が伸びる。


「ほら若、手を伸ばして下さい」

「お、おい、その腕で私を引き上げる気か? ……引っこ抜けないだろうな?」

「ガタガタ喧しい御方だなあ」


 ぐいっと麗一の体が勢い良く持ち上がり、彼の体は塀の上に染みを作った。


「くそ、とんだ恥晒しじゃないか」

「若、もう少し体を鍛えた方が宜しいかと。このくらいの高さならお嬢だって登れますよ?」

「………………本当か?」

「嘘言ってどうするんです?」

「私の腕はやはり細いのか」


 麗一が袖口を捲れば、白く細い腕が月明かりに晒される。悠雅程ではないにしろ、それなりに高身長な麗一だが、その腕は悠雅のものと比べると圧倒的に細い。


「ご公務と禁厭まじないの研究で忙しいのはわかりますが、もう少し陽の光を浴びられた方が良いですよ?」

「私には貴様のように日がな一日、剣を振っていられる時間はないのだ」

「あんた、助けられといてなんでそんなデカい態度で居られるんです?」

「貴様が私から瑞乃を奪っていったからだ」

「前から思っていたんですが、素直に直接お嬢に帰ってきて欲しいと仰れば良いのでは?」

「それで瑞乃が帰ってきてくれるとでも?」

「それ、自分で結論出して悲しくなりませんか?」

「良し、やはり貴様は処刑しよう」

「勘弁してくださいよぉ……」

「戯れはそこまでにしておけ」


 どっちらける悠雅と殺気立つ麗一の頭を押さえつけて、克成はその場に伏せる。彼の視線の先にはチラチラと瞬く、眩い橙色。個人携帯出来る小型の放電アーク灯の光だ。


「憲兵はおらずとも警備の者はいるか。年始だというのに仕事熱心だな」

「天に唾を吐いてどうする?」

「嫌な想像をさせるんじゃない。唾でびしょ濡れになるなんて私は嫌だぞ。おぞましい」


 悠雅の発言に、麗一は舌を出して吐き出す真似をしてみせる。


「無力化は容易いだろうが……二人とも、奴は現人神あらひとがみ禁厭師まじないしかわかるか?」

「間違いなく現人神あらひとがみではないな」

「あれは禁厭師まじないしだ」


 悠雅が即座に断定し、麗一が結論を述べる。


 現人神あらひとがみ禁厭師まじないしは共に霊力――精神力や生命力ともいえる力を用いて超常の現象を引き起こす存在だが、彼らには明確な違いが存在する。それは霊力の量と流れだ。

 先ず現人神あらひとがみの霊力は桁外れだ。歩く龍脈と言われる程で、これも個人差はあるが現人神あらひとがみの有する霊力は一般的な禁厭師まじないしの百倍近い数値を叩き出す。それ故なのか、現人神あらひとがみは平時、常に霊力を内から外へと放出している。禁厭師まじないしはその逆で、外から内へと流れている。

 禁厭師まじないしは呼吸によって、星が龍脈から放出している霊力を自らに取り込んでいる。そうすることで自身の霊力を節約しているのだ。


禁厭師まじないしか。どちらにせよ厄介だが、現人神あらひとがみの方が良かったな。禁厭師まじないしは手数が多すぎて何をしてくるか読みにくい」

「我が妹のように現人神あらひとがみでありながら禁厭師まじないしをやっている――なんて例もあるから余り鵜呑みにするなよ?」

「どうであれ相手は一人な訳ですし、敵の目は少しでも減らしておくが吉かと」


 一言、悠雅は吐き捨て、塀から飛び降りる。同時に足に霊力を集め、一気に踏み込む。霊力を推進力に変え、距離を詰めた彼は警備員の胸部に掌底を叩き込む。

 掌より流し込まれた霊力は警備員の思考を掻き乱し、強引に意識を刈り取る。


「流石は現人神あらひとがみ。霊力の扱いはお手の物だな」

「対人戦だからできる芸当だ」


 追いかけてきた克成の賞賛を払い除ける悠雅の顔は渋い。


「それより、件の列車はどこにある?」

「こちらだ、着いてこい」


 車庫の方へと走り出す克成。彼を追いかけ、悠雅と麗一が続く。

 数百とある車輌の影に身を潜めながら、警備の目を掻い潜っていった。


 克成の進路取りは的確だった。針に糸を通すが如く、警備の薄い場所、瞬間を狙って進んでいく。まるで予め警備員たちの警備経路を知っているかのような動きに、悠雅が疑念を抱く。そうしている間に、三人は車庫内部へ侵入を果たしていた。


「やけにあっさり侵入できたな。外に警備を配置している割に、中はもぬけの殻か? 些か奇妙だ。年始だから人が集まらなかったのか?」

「それじゃあいくらなんでも、やってることが中途半端でしょう。人数が足りないならむしろ、中に人員を配置する筈ですよ」

「貴様にしては珍しく的を射る発言だな。その辺は私も気になるところだ。警戒を怠るなよ深凪悠雅みなぎゆうが現人神あらひとがみ禁厭師まじないしならば霊力の流れで気配をある程度辿れるが、その他はどうにもならん。貴様の野生の勘が頼りだ」

「怠るつもりはありませんが、他人を畜生呼ばわりするのはやめて貰えませんかね?」


 軽口を叩き合いつつも、悠雅と麗一は静かに闇を見据えている。

 車庫は広大だ。それも広いだけでなく、高さもあり、おまけに無数の列車が整備を待っている状態。いつどこから襲撃をもらってもおかしくない状況だ。


 警戒する悠雅と麗一を他所に、克成は携帯用の放電アーク灯を点灯させて一人探索を始める。


「待て克成、勝手に進むな」

「まごついてもしょうがないだろう」


 悠雅の言葉を跳ね除けた克成は車輌に光を当てた。整列する車輌を一つ一つ、しげしげと観察していく。


「だから、待てと言ってる。一人で進んで何かあったらどうするつもりなんだ?」

「荒事になった時のためのお前だ。違うか?」

「そうは言っても俺だって万能じゃない。不意打ちをくらって若とお前を守り通せると断言はできないぞ」

「少なくとも荒事においてはお前に全幅の信頼を置いている。信頼に応えてくれ」

「お前、本当に勝手過ぎやしないか?」


 克成は悠雅に視線を合わせることなく先に行ってしまう。


「初めてじゃああるまいし、今更ガタガタ騒ぐなよ深凪悠雅みなぎゆうが。みっともないぞ」


 呆れ果てた悠雅を麗一が諌める。悠雅のことを蛇蝎のように嫌っている麗一も、克成に対する認識だけは悠雅と同様だ。とは言っても、悠雅と同調する気にもならず、悠雅を見捨てるように克成の後を追った。


「竹馬の友も楽じゃあないな」


 悠雅が肩を落としていると、不意に克成が立ち止まる。


「あった。これだ――」

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