第二幕『下手人を追って』
第1話
午後二十二時。武装警備会社・新撰組の制服である浅葱色のだんだらを羽織った悠雅は、夜の帝都を走る。
『帰ったら大変だな、悠雅』
悠雅が背に負った
物言う神剣は若き剣士を揶揄するよう、語気を弾ませていた。
「うるさいぞアマ公」
『その呼び名を改めろと何度言えば気が済む?』
「アマ公がわかり切ったことを一々声に出すからだろ」
より鬱蒼とした気分になった悠雅はそっと瞑目する。
結局、悠雅はアナスタシアと瑞乃に断りを入れること無く外に出てきてしまった。
万が一無断で仕事を請け負ってしまったことが彼女たちに知られれば、想像を絶する怒りを買うことになるだろう。物理的にも、精神的にもタダでは済まない。
「出来れば、今晩中にカタがついてくれればいいんだがなあ……」
ボヤくように零す悠雅は、ぴたりと足を止める。薄暗い帝都の裏通り。築三十年程経つ、赤煉瓦の摩天楼を見上げる彼の視線の先には、鳴滝総合事務所の文字。
悠雅は足早に摩天楼の中へと乗り込む。廊下を抜け、階段を上った先に扉が一つ。黒い鉄の扉だ。
悠雅は扉の
「おい、鍵閉まってるぞ」
苛立ちを交えつつ、悠雅は扉を叩く。すると、扉の向こうから短く声が響く。
「“月”」
「俺だ」
「合言葉を言え」
「はああああ……?」
「合言葉を言え。言わねばこの扉が開くことは無い」
「……帰るぞ?」
「このまま帰れば、馴染みの遊女をお前の部屋にけしかける」
「悪質な悪戯をするな馬鹿。――“星”だ“星”。これで満足か?」
「良し、入れ」
すとん。橙色の柔らかな光が暗い廊下に落ちる。その光の中で克成が不遜に笑むのが見えた。
「待ちかねたぞ、友よ」
「そう言うならくだらない遊びを吹っ掛けるな」
「合言葉は浪漫だろう?」
訳のわからない自論を展開する克成は革張りの長椅子に悠雅を案内し、手慣れた手付きで茶の準備を始める。
「手伝うか?」
「客に茶菓子の準備を手伝わせる訳にはいかんよ。流石にその辺の常識は備えているぞ、俺も」
「――おい貴様ら、これはどういうことだ?」
「じっとしているのは性にあわないんだ」
「友よ、俺に無礼を働けと?」
「無礼? 無礼なら会う度に働いてるだろ」
「馬鹿な……!! てっきりいつも口では嫌がっているものの、内心喜んでくれているのだとばかり!!」
「脳みそに直接阿片をぶっかけたような発言だな。腕の良い医者を紹介してやろうか? 医師免許持っていないが」
「――おい、馬鹿共。聞こえないのか!?」
「それは遠回しに、俺の頭がおかしいと?」
「遠回しなどではなく、率直に言ったつもりだ」
「ああっ!! 脳筋に頭がおかしいと言われてしまった!! この鳴滝克成、落涙を禁じ得ない!!」
「喧嘩売ってるのか、どぐされ眼鏡?」
「――この私を無視するな戯け共ぉぉぉぉぉぉ!!」
怒りの咆哮が放たれる。仕方なさそうな面持ちの悠雅は大袈裟に溜め息を吐きながら、咆哮が飛んできた先を見据えた。
「若居たんですか。小さくてよく見えませんでした」
「私よりも身長が二
「器は小さいですよね」
「叩き潰すぞ貴様」
「そんなことより、なぜ若がここにおられるんで?」
「それはこちらの台詞だ!! なぜここに深凪悠雅がいる!!」
怒り狂う麗一は再度机を殴り付けて悠雅を睨んだ。
「協力者だ。我々では咄嗟の荒事に対応できんからな」
「若がここにいる理由は?」
「麗一は本案件の関係者だからだ。御当主からも、遠慮なくコキ使え、と許可をもらっている」
三人分の緑茶を淹れた克成はさらりと答える。
「若……一体何やらかしたんですか?」
「五月蝿い!! 話すか馬鹿め!! 貴様はさっさと出ていけ!!」
「そう言うな麗一よ。今我らがなんのリスクも無く頼れるのは悠雅くらいしかいないのだ。わかっているだろう?」
麗一は瑞乃のことを愛している。目に入れても痛くないとさえ思っているほどに。だからこそ、目の前にいる隻眼の青年が許せなかった。
深凪悠雅は辰宮瑞乃から慕われている。だが、対する悠雅の方は瑞乃に曖昧な態度を取り続けている。自分が欲して止まない瑞乃の愛情を一身に受けているにも関わらず。
「お前が悠雅を嫌っているのは知っているが、今回はダメだ。今案件、この男は必要な人材だ。それに、こいつにとっても他人事ではない」
「どういうことだ?」
首を傾げる悠雅に克成は「順を追って説明しよう」と、薄く笑って。
「実は、
「おい、何を勝手に話しているんだ鳴滝克成!? 許可した覚えはないぞ!!」
「喧しいですよ、若」
烈火の如く怒る麗一を、克成は受け流し、悠雅は呆れたように咎めながら緑茶をすする。
辰宮の次期当主という、それなりに尊ばれる立場にあるにも関わらず、気心知れた友人たち(麗一本人からすれば発狂ものの関係性だが)からの扱いは雑そのものだ。
「その禁呪の触媒に、大阪の
神器とは非科学の結晶だ。非科学であれば非科学の専門家――即ち禁厭師の手に委ねるというのは常識。禁厭師の大家であり、資金も潤沢な辰宮家に白羽の矢が立つのは不思議な話ではなかった。
「だが二日前の十二月三十日。東京駅から上野駅へ移送する僅かな時間に、何者かからの襲撃を受け、移送中の神器が奪われた」
「都内で起きたのか!? 軍は何をしていたんだ? 神器の移送に軍が絡んでいない筈がないだろうに」
「無論警備には軍人が就いていた。そして、十人ほど殉職した」
「軍を敵に回すとは、敵も剛毅な真似をする」
「さて、それはどうだろう?」
克成の奇妙な言い回しに、悠雅は訝しんだように目を眇める。
「今回の件、軍は動かない可能性がある」
「どうしてだ? 面子を潰された軍が黙っているとは思えないが?」
「片倉秀二陸軍中将が軍の調査に待ったをかけている」
「片倉? どこかで聞いた名だ」
「有名人だ。時折、過激発言をしては新聞や
ああ、と悠雅は膝を打つ。だが同時に、新たな疑問が生まれる。軍拡や戦争の激化を煽る人間が、果たして軍の面子を潰されたままにしておくだろうか?
片倉という男の行動がいまいち読めなかった悠雅は、口を真一文字に結ぶ。そんな彼の疑問を察した克成は回答を宣う。
「片倉には軍人としての顔とは別に、もう一つの顔がある。
克成の一言に、悠雅は俄に殺気立つ。
大日本帝国を裏から牛耳る闇の組織。
深凪悠雅という男に宿る忌まわしき罪の根源にして、恥の記憶。
「奴は
「……だから、御当主はお嬢を巻き込むな、と厳命したわけか」
「御当主としても万が一のことは避けたいのだろう。傷を掘り起こさせるのも忍びないだろうしな」
「相変わらず不器用な方だ」
昼間、顔を合わせた仏頂面を思い返して口元を緩める。彼の愛情は、ひねくれている上にわかりにくかった。
昼間の挨拶の際、蓮十郎はアナスタシアの顔を拝むのと同時に、瑞乃が作った友人として秤にかけていたのではないか?――と、悠雅は考えていた。
「片倉め。次会ったら、あの偉そうに生やした
麗一は奥歯を噛み砕き兼ねないほど歯噛みして、吐き捨てる。
「若、片倉に会ったことがあるんですか?」
「馬鹿か貴様は。そもそも、なんで片倉が今回の件に口出し出来る立場にあるのか、理由を考えてみろ。中将と言えど、管轄外の案件に口出しできるほど軍も単純な造りはしていない。奴は今回の神器勧請において、軍側の指揮を取っているんだよ」
「成程――って、なんで若がそんなことを知っているんです?」
「………………、」
唐突に、ふいと麗一は顔を背けた。普段悠雅に対して高圧的な態度を見せる彼にしては、やけに消極的な態度だ。
「若?」
「…………らだ」
「え?」
「…………からだ」
「若、聞こえません。もっと腹から声出して下さい」
「だから!! 私が神器勧請の筆頭責任者だったからだよ!!」
怒鳴り声のような叫び。肩で息をする麗一の血走った目は、聞こえなかったとは言わせんぞ!! という意思が滲んでいた。
「は、把握しました。だから、怒らないで下さい。どうどう」
「私は馬か!?」
興奮した馬のように鼻息荒く怒鳴る麗一に、悠雅は仰け反る。
「つくづく腹立たしい男よな。くそ、このような男に頼らねばならぬとは……」
溜め息混じりに麗一は零す。
悠雅に対して葛藤はある。しかし、実働戦力が要ることは彼自身理解しているのだ。最低でも辰宮家の精鋭を出し抜くほどの力を持つ人間が、敵対勢力にいることになる。生半可な戦力では相手にならない。
「本来なら、永倉翁に依頼したかったが、あの方は軍に戻ってしまった。ならば、次点の貴様に依頼するのは必然か。力を貸せよ第二階梯。貴様は嫌いだが、貴様の武力は必要だ」
「かつてないほど酷い頼み方ですね。仕事を頼みたい人間の言葉とは思えませんが、若?」
「この私が貴様に頭を垂れると思うか? 相応の金はくれてやるから馬車馬の如く働くがいい」
「まあ、こちらも断るつもりはありません。
緑茶を一気に煽った悠雅は虚空を睨む。見えぬ何かを射殺すように、紅蓮の独眼を鋭く研ぎ澄ませて。
「それで、これからの予定は?」
「一先ず捜査の基本を抑えておくとしようか」
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