第5話

「――はい、お待ち」


 庭園に持ち込まれた卓子テーブルの上に、ごとんと巨大な白磁の皿が着地する。皿には切り分けられた丸く白い餅が、湯気を上げて温かさを主張している。

 その周りには、きな粉、小豆餡、枝豆餡、海苔、醤油が入った皿が餅を待ち構えるように置かれていた。


「ふん、随分時間がかかったな深凪悠雅みなぎゆうが。女と楽しげに喋っているからだ、軟派者め」

「はいはい、そりゃあどうもすみませんね。そら、ガタガタ吐かしてないで、とっとと挨拶の言葉をしてください」


 苛立った様子の麗一に、白けたように目を眇める悠雅。


「腹立たしい男め。父上が貴様い甘いからと良い気になっていないか?」

「喧しいですよ、若。みんな、あんたの挨拶を待ってます」

「その調子の良い口をいつか縫い付けてやる。覚悟しておけ深凪悠雅」

「なんでそう一々物騒なんですか……」

「お前に瑞乃は相応しくない。どうして瑞乃は私にではなく、お前などにああも懐くのだ」

「単純に付き合いの長さかと」

「…………どうして八咫烏ヤタガラスは私も攫わなかったんだろうか」

「それ、お嬢の前では絶対に言わないでくださいよ? 後、俺が殴らなかったことを感謝してくださいね」

「誰がするか、馬鹿め」

「はいはい、俺は馬鹿ですよ」

「馬鹿が返事をするな。馬鹿が移るだろ」

「話しかけてきたの若でしょう? 面倒臭いなあ。さっさと挨拶してくださいよ」

「言われなくてもわかっている」


 呆れた悠雅に促されるまま、麗一は前に出て行く。


「さあ、今日は年に一度のハレの日だ。存分に楽しまれよ!!」


 麗一の挨拶が終わるや否や、大量の餅を前に真っ先に群がったのは小さな子供たちだった。辰宮家の親族や、近所に住む子供たちだ。我先に餅へと手を伸ばし、競うように食べる様子はどこか微笑ましい。

 その中に紛れて蜂蜜色の輝きが揺れている。


「小豆良いわね小豆。後、きな粉も! あ、ちょっとそこの坊や、きな粉取りすぎよ」

「うっさいなあ、この外国人の姉ちゃん」

「うっさいとか言うな」

「アーシャ、お前割と大人気ないな」

「食べれる時に食べる。生きていく上でこれは必須よ」


 悠雅は思わず面食らった。

 彼女は元とはいえ皇女だ。それも世界最大級の国土を誇った国の。それなりに裕福な生活をしていてもおかしくはない。しかし、当の彼女が零したのはまるで、戦場を渡り歩いてきたような、皇族らしからぬ内容の発言だった。

 実際、彼女は戦場を歩いてきたのだろう。幽閉されていた額喀持林堡エカテリンブルクから、この国まで渡り歩いてきた。命を危機に晒しながら。


 故国で生きることも許されない。それどころか故国に死を望まれている。


 そんな背景が齢十七の少女の肩にのしかかっているなど、余りにも無情に過ぎるだろう。


「悠雅? 何変な顔してるの?」

「変なとは失礼な。それよりも、もっと食え」


 ひょいひょいとアナスタシアの取り皿に餅を置いていく。


「ちょ、ちょっと!? 悠雅アンタ、急にどうしたの!? っていうか、そんなに乗せられても困るんだけど!?」

「気にするな。俺の分も食べておけ」

「そうじゃなくて、これ以上食べられないって言いたいの!!」

「消化しよう」

「無茶言うなバカァッ!! これ以上食べたら太っちゃうでしょうが!?」

「? ……大丈夫だ。お前は十分に細い。触れたら壊れてしまいそうだ」

「これでも体型に気を使ってるの!! 私、ただでさえお肉が付きやすいんだからやめてくれない!?」

「お嬢もそうだが、お前はもう少し太った方がいいと思うぞ」

「……アンタ、太ってる女の子が好みなの?」

「別にそうではないが、食べないと筋肉が付かないぞ」

「えぇ〜、あぁ〜……つまり、私を筋肉ムキムキにしたいと?」

「そういうわけでもない。だが、筋肉は良い。筋肉はいざと言う時、あると便利だ。筋肉があれば大体のものが解決出来る」

「なんなの、その筋肉万能説は……」


 口には出さぬものの、頭悪そう、という感想が隠しきれないアナスタシアは一人頭を抱える。すると、「仲良さそうですね」なんて、瑞乃が口を尖らせる。


「悠雅から筋肉万能説の聞いてただけよ」

「なんですかそれ? 新手の宗教ですか?」

「……ある意味そうなのかしら?」


 ちろり。瑠璃と翠緑が突き刺さる。


「なんで、そうなる……。宗教ってのは心の拠り所でしょう? 信じれば神は助けてくれる――みたいな。筋肉は違います。鍛えれば鍛えるほど応えてくれる。努力を決して裏切らない。それが筋肉です」

「やっぱり宗教じゃない!」

「実用的な考えで、私は嫌いじゃありませんよ? 私自身、筋力が無くて困る時がありますし」

「じゃあ入信すれば? 筋肉教に」

「入るのはやぶさかではないのですが、その名前はどうにかなりませんかね? ……男臭そうでちょっと」

「お嬢ならわかってくれると思っていました。それじゃあ、いっぱい食べて沢山鍛えましょう!」


 今度は瑞乃の取り皿に大量の餅を乗せ始める。

 気が付けば、取り皿の上には瞬く間に白い山がうずたかく積み上がっていた。それが積み上がっていく度、瑞乃の顔色は比例するように青くなっていく。


「こ、こんなに食べられないです!!」

「何言ってるんですか? ただでさえお嬢は体が小さいんですから沢山食べないとダメです」

「だからといって、いきなり加減無しって言うのはどうかと……」

「大丈夫です。限界超えましょう!」

「気軽に頭おかしいこと言うわよね、こいつ」

「……昔からです」


 拳を握り締めて、少年のように屈託なく悠雅が笑い、アナスタシアと瑞乃は別の意味合いの笑みを浮かべた。とても乾燥した笑みを。


「これでは足りませんよね。アーシャもまだ食べるよな? まだ餅米を用意があるでしょうし、また餅を突いてきましょう」

「い、いや、いやいや、いいですいいですから!!」

「ねえ、まだ取り皿の上にお餅があるの見えない!?」

「遠慮は無用。たくさん食べるといい」


 にんまりと二人の静止の手を振り切り、悠雅は邸内に向かってスタスタと歩き出す。アナスタシアと瑞乃の声は届かない。その程度には、悠雅も舞い上がっていた。


 瑞乃は悠雅と同じく、永倉新八ながくらしんぱちを師と仰いでいる。悠雅と剣の稽古に打ち込んでいた時期もあった。しかし、瑞乃は剣の道から外れた。決して才能が無かったわけではない。いっときは剣術小町なんて呼ばれていた頃もあったくらいには、技量があった。だが、他ならぬ新八に止められた。

 小さな体にか細い腕。剣を握るには、彼女は余りにもか弱かった過ぎた。


 そんな彼女が体を強くしようと思ってくれた。それ自体が単純に嬉しかったのだ。


(今夜から精のつくものものを作らなくては)


 ほくそ笑む悠雅。本人の修羅のような顔立ちによるその笑みは、傍から見れば今にも誰かを殺しそうな形相だ。が、哀れ彼は気づかない。すれ違う人間達は一人残らず怯えているにも関わらず。


「――そのだらしない顔を引き締めた方がいいぞ」


 不意打ちのように背後から声が聞こえ、振り向けばいけ好かない眼鏡がきらりと瞬いた。


「克成よ、お前は背後を取らなければ他人に話かけられない病気なのか?」

「ほう、奇病だな」

「それ、自分で言ってて悲しくならないか」

「そして奇遇なことに、お前も奇病だ」

「はっ、度し難い冗談だな」

「冗談。良いな、冗談! 笑いは人生に彩りを与える」


 飄々とした様子で含み笑う克成は白い歯を見せる。


「手前勝手に他人の人生を彩るな。……それで、一体何の用だ?」

「ハッハッハ、用があるとよくわかったな」

「わざわざ俺が一人になったところを見計らったように声をかけてきたんだ、そのくらい察しは付く」

「そういう勘はいいんだなあ」

「そういう、とはなんだ? 他にあるのか?」

「ああ、そういうとこは鈍いなあ」


 克成は改めて確信したように頷く。悠雅はそれがまたわからず、小馬鹿にされている気がして面白くなかった。

 俄に機嫌を悪くする悠雅の様子を目ざとく察した克成は、悪びれる様子なく鼻で笑う。


「そろそろ本題と行こう。これから勧請かんじょうする相手を怒らせるのは俺の本意ではないしな」

「勧請? それは嫌味か?」

「嫌味などではない。相手は現人神あらひとがみなのだから、何ら間違っていないと思うがね?」


 至って真顔で言ってのける克成。その表情から読み取れる情報は皆無だ。


「――で、だ。悠雅、お前に一つ仕事を頼まれたい」

「仕事? それならこそこそとせず、社に依頼すれば良いだろうに」

「ふむ、最初はそのつもりだったんだが、瑞乃お嬢さんがいる前では少々都合が悪くてなあ」

「どういうことだ?」

「今回の仕事は御当主殿からの依頼で、瑞乃お嬢さんを巻き込まないように、と厳命されていている。本来なら誰かに助力を得ることも禁じられていたくらいなんだが、単独での解決は少々厳しそうでな。お前なら、と特別に許可を貰った」

「また勝手な……」

「許せ友よ。しかし、事後承諾でもお前なら受けてくれると踏んでの上だ。たとえ、万全の状態でなかったとしても」


 ぐうの音も出ない言葉だった。


「……見透かしたような物言いをしてくれる」

「一週間前に腕をぶった斬っているという前提を抜きにしても、今のお前はどう見ても本調子じゃない。体幹も歪んでいるしな。未完成の機械義腕メタルアームを着けているせいだ、というのは素人目で見ても明らかだ。そんなお前を、あの天才が戦場に送る許可をするはずがない。あの人はちゃらんぽらんだが、完璧主義者だからな」

「だとしても手が欲しいんだろう?」

「でなければ声をかけない」

「そりゃあそうだ。それで、仕事内容は?」

「詳しい話は今晩、うちの事務所で」

「わかった」


 首肯する悠雅は内心青ざめる。

 タダでさえシワの少ない自分の脳みそ、あの二人の少女を説き伏せる気の利いた言い訳を考えられるか、自信がまるで湧かなかった。

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