第4話

 二人の少女が騒ぐのを横目に、悠雅は辰宮邸の庭園に出る。花壇にはシクラメンやスイセンなどの季節の花々が咲き、庭園を彩っていた。

 鮮やかな花壇の前に何やら使用人たちと近所の住民らしき者たちが集まっており、その中央には温められた二組の杵と臼が湯気をあげて鎮座している。


 その横で蒸し器がもうもうと色濃い湯気をあげており、花鈴が蒸し器の蓋を開け放ち、箸を差し込んでやわらかさを確かめていた。

 どうやらもうすぐ餅つきが始まるらしい。悠雅は小走りで花鈴の元に駆け寄る。


「花鈴、手伝うぞ」

「あら悠雅、良いんですか? 鳴滝様から怪我をされたと聞いていましたが?」


 花鈴の視線は、悠雅の袖口から覗く銀色の左腕に注がれている。


「このくらいなんでもない」

「なんでもあります!」


 ぴしゃり。背後の瑞乃から一喝が飛んできた。


「餅つきなんて重労働させられる訳ないでしょう? 西村教授から無茶させないよう言われてるんですからね」

「だがお嬢、餅米は熱いし重い。婦女子に持たせるのはどうかと」

「だったらほかの者にやらせれば良いでしょう?」

「餅つきもできないって言われたら何もできませんよ」


 瑞乃の制止の声を流し、悠雅は蒸し器を持ち上げて餅米を臼に突っ込む。


「心配し過ぎですよ。昨日、蔵の大掃除した時も大丈夫でしたし」

「アンタ、昨日姿が見えないと思ったら一人でそんなことやってたの?」


 続けてアナスタシアの咎めるような瞳が突き刺さり、悠雅は内心墓穴を掘ったとたじろぐ。


「と、とにかく大丈夫ですよ、この程度」


 彼女たちから逃れるように悠雅は背を向ける。そんな彼と入れ替わるように一人の男が彼女たちの元へと歩み寄ってくる。


 長く黒い長髪に、蓮十郎を思わせる鋭い眼光。赤い長着に金の刺繍の入った黒い羽織を靡かせている。

 一言で言えば派手。派手過ぎる男。しかし、その派手過ぎる服装が何故か決まって見えた。それは男の視点で見ても麗しさを感じさせるほどの二枚目だからか。とかくその男は、やたらキラキラとまばゆかった。


「げ」


 瑞乃が乙女に似つかわしくない呻き声を上げ、不快そうに眉を寄せて目蓋を閉じる。その様子を目ざとく見つけた二枚目は、薔薇が咲き誇ったような満面の笑みを見せる。


「ああ、あけましておめでとう瑞乃。また美しくなったね」

「貴方は相変わらず眩しいくらい鬱陶しいですね」


 臆面も無く吐き捨てる瑞乃に二枚目は満面の笑みを浮かべる。薔薇香る香水のせいか、花束でも背負っているようにさえ感じられるほどだ。


「ねえ、このキンキラキン一体誰?」

「…………………………私の兄です。認めたくありませんが」


 アナスタシアの問いに、瑞乃は隠しきれない苛立ちを押し込むように眉間を抑える。


「そうっ、私こそが辰宮家次期当主であり、瑞乃の兄である辰宮麗一たつみやれいいち。以後お見知り置きを、麗しきお嬢様クラスィーヴァヤ ディェーヴシィカ

「へえ、露西亜ロシア語使えるのね」


 無論皮肉だ。


「御身が来ると聞いて急いで覚えたんだよ。ああ、でも勘違いしないで頂きたい。私の心は既に愛すべき妹たちに奪われてしまっているんだ。いわゆるシスターコンプレックス――略して妹魂シスコンというやつでね」

「やめていただけませんかお兄様。これ以上恥部を晒されると私の品格まで損なわれてしまいます」


 瑞乃は一歩前に出て、アナスタシアと麗一の間を遮る。


「ああっ、怒った顔もまた愛らしいよ。益々雪乃ゆきのに似てきたね!!」

「それは亡くなった雪乃お姉様のことを仰られているのですか? それとも、婚約者である雪乃お義姉様のことを仰られているのですか?」

「ああ、何を言ってるんだい? ?」


 何を言っているのか、アナスタシアはさっぱりわからなかった。目の前の男は何を言っているのか? 文脈が全く繋がっていない。そも、瑞乃の発言からしてこの会話の内容が異質なもののように思えた。


 アナスタシアが兄妹による奇妙な会話に困惑していると、悠雅がヅカヅカと幅広の歩幅コンパスで近づいてくる。


「お嬢たちに絡むのはそこまでだ、若」


 鋭く低い声が落ちてきて、麗一はあからさまに気分を害した様子で表情を歪める。


「き、さま、深凪悠雅みなぎゆうが!! 私の妹を惑わす不埒者め!!」

「はいはい、喧しい喧しい。アンタは俺と餅つきするんだよ」


 怒鳴りつける麗一に取り合う様子もなく、悠雅はひょいと麗一の襟を摘まみ上げる。


「相変わらずの馬鹿力だな悠雅。辰宮家次期当主も形無しだな」

「ざまあみろですね」


 そこにぬるりと克成を連れ立って、花鈴が合流する。


「はぁぁぁぁなぁぁぁぁせぇぇぇぇっっ!! 深凪悠雅ぁっ!! 私を猫か何かのように摘むな下郎!!」

「克成、お前まだ帰ってなかったのか?」

「これでも辰宮家主催の餅つき会は毎年欠かさず参加しているからな。帰る訳にはいかん」

「鳴滝様は悠雅がお嬢様に付き合ってこの家に寄り付かなかった間も、来て下さっていたのですよ。大変有難かったです。主に若の処理が」

「当てつけのように言ってくれるなよ……」

「無視するな戯けえええええええええ!!」


 麗一の絶叫など何処吹く風、といった調子の悠雅と克成、花鈴の三人は物言わず麗一に杵を持たせる。


「そら、仕事だ若」

「お願いしますね若様」

「貴様ら雇われの分際でえええええ!!」

「片方はもう辞めてるがな。ほれ、麗一よ、俺が合いの手を入れてやるからとっとと餅をつくがいい」

「覚えていろよ鳴滝ぃっ!!」


 ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん。

 悪態吐きつつ、軽やかな律動リズムで餅をつき始める麗一を遠目に、アナスタシアは言葉を失っていた。

 キラキラと眩く、騒々しい嵐が目の前を通り過ぎて行った気分になったのだ。


「なんだったの……ほんと」

「重ね重ね見苦しいものを見せて申し訳ありません」

「瑞乃がどうして謝るのよ? っていうか、あのお兄さん、一体何なの? 瑞乃を溺愛しているのはわかるんだけど……ゆきの? がどうとかって」

「あの人のことは気にしない方が良いですよ。壊れた人間と絡むだけこちらが気が狂うだけですので」


 冷たく言い放つ彼女は、ぽっくり下駄を鳴らして悠雅の元に行く。


(あの父親のように瑞乃をぞんざいに扱っているならともかく、家族間の問題に口を出すのも野暮かな……)


 家族間の問題は家族でしか解決できない。少なくとも、家族同士ですら解決できないこともある問題を赤の他人が解決できるとは思えなかったアナスタシアは、頭振って瑞乃の背中を追った。


「――もう、どうして悠雅さんは言うこと聞いてくれないんですか?」

「だから、大丈夫ですよ」


 グイグイと悠雅が羽織っている濃紺の羽織の裾を引っ張る瑞乃。長身の大男と小柄な少女という対象的な体格差のせいか、その様子は大人と子供のように見える。

 追いついたアナスタシアはそれが少しおかしくて、思わず吹き出してしまった。


「アーシャさん、なんで笑ってるんですか?」

「いや、なんでも。それより悠雅、ちょっとそのハンマー貸してよ。私もジャパニーズ・MOCHITUKIやってみたいわ」

「“はんまあ”とは杵のことだよな? それなりに重いぞ?」

「骨と皮だけの瑞乃と一緒にしないでよ。これでも私、姉妹の中で一番腕っ節が強かったんだから」


 力こぶを作るアナスタシアに悠雅が杵を渡すと、瑞乃がどこか恨めしげに睨んだ。


「……どうしてアーシャさんの言うことはすぐ聞くんですか?」

「え? 断る理由は特にないかと」

「アーシャさんだって婦女子ですよ? 重労働させるんですか?」

「本人がやってみたいと言ってる訳ですし、断ったら逆に可哀想でしょう。無理そうなら、また代われば良いですし」

「うぐ……」


 瑞乃は隙のない正論に言葉を窮する。


「頼み方よね、頼み方。頭使わないと」

「つくづく腹の立つ言い方をしてくれますね、貴女は……!!」

「悲しかったら兄の胸に飛び込んでも良いんだよ、瑞乃!!」

「お兄様は黙ってください」

「そんなあ……!!」


 麗一に視線を合わせること無く一蹴した瑞乃は、歯噛みする。その目の前でアナスタシアはいよいよ餅をつかんと杵を振り上げる。


「重くないか? 無理するなよ、アーシャ」

「このくらい平気平気。じゃあ早速お餅をつきましょうか。良いかしら、花鈴?」

「どうぞ」


 合いの手役の花鈴に声を掛けたアナスタシアは、えいっ、との掛け声と共に杵を振り下ろす。


「腰の入った良いつきっぷりです」

「無表情だと、本当に褒められてるのか社交辞令なのかわからないわね」

「強いていえば、社交辞令でしょうか」

「はっきり言うわね。でも、その方が好きよ」


 機嫌良さげに杵を再び振り上げると後ろから待ったが掛かる。


「力任せに振り下ろしたらダメだ」


 悠雅は二人羽織のようにアナスタシアの背後から手を取ると、杵の柄を力いっぱい握りしめる彼女の手を解く。


「力いっぱい振ると木っ端が餅に入ったり、杵と臼が割れたりしてしまう。もっと優しく、杵の自重に任せるように餅をつくんだ。それと、餅をついたら軽く捏ねるのを忘れないようにな」

「むう、難しいのね」

「そうでもない。慣れたらできるようになる。餅つきっていうのは、餅つきと言いつつ、つき五割、捏ね五割くらいなんだ」

「やっぱり難しそうじゃない」


 唇を尖らせるアナスタシアは悠雅に身を預けて再度杵を振り下ろす。


「こんな感じだ」

「いまいちよくわかんないわ。もう一回やって――」

「御二方、うら若き男女がそんなにくっついて良いと思っているのですか?」


 険の入った顔付きで二人羽織状態の悠雅とアナスタシアを睨むのはもちろん瑞乃だった。

 本日、実家に帰省したおかげで精神に多大な負荷がかかっていた彼女は、美しい翠緑の瞳を濁らせ、皿のまなこを差し向ける。


「とりあえず、離れてもらってよろしいですか?」

「わ、わかりました」


 瑞乃の圧に負けた悠雅はアナスタシアから離れると、入れ替わるように瑞乃がアナスタシアの背後に回る。


「全く、気を抜くとすぐこれですよ。私が教えてあげますから、いやらしい体を悠雅さんに近づけないでください」

「はあ? 私も悠雅もそんなこと考えてないわよ。アンタ、頭の中ピンク色なんじゃないの? このむっつり助平」

「ななっ!? わ、私がむっつり!? 訂正を求めます!!」

「むっつりをむっつりと言って何が悪いのよ?」

「あったま来ました!! ここで決着つけてあげます」

「上等よ、近衛兵長直伝のシステマで叩き潰してあげる!!」

「いい加減にしてください」


 一喝した悠雅は、二人の手の内にある杵をかすめ取る。


「これ以上待ってたら餅が冷えて固くなっちまいます。俺がやりますけど構いませんね?」


 悠雅は睨む。アナスタシアと瑞乃を半眼になってじっとりと。当の少女二人は、珍しく御立腹な彼の非難の眼差しに揃って項垂れた。

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