第2話

 神田明神の社殿へと続く参道は、参拝客たちがひしめき合っている。さながら大海原といった様相だ。参拝客が海原なら、一際目立つ悠雅の長身は波止場の灯台のようなものか。濃紺の晴れ着を纏った、ひょいと突き出た背高のっぽ。

 のっぽな灯台の後ろには二人の少女の艷姿。


 一人は肩の辺りで切り揃えた黒髪の少女。辰宮家の令嬢、辰宮瑞乃たつみやみずの

 薄紫色の生地に桜の花弁と白い菊の花の刺繍をあしらった艶やかな着物に身を包んだ彼女は、翠緑の瞳で境内を眺めている。


 一人は蜂蜜色の御髪が目を引く、瑠璃色の瞳の少女。

 向日葵ひまわり加密列カミツレの花が咲き乱れる、薄紅色の振り袖を纏う彼女の名はアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

 かつて露西亜ロシア帝国を統べた皇帝の娘は只人として極東の地を闊歩していた。


「凄い人の波ね。悠雅の先導が無きゃ押し流されてしまいそう」

「元旦ですから。それより、はぐれないようにしてくださいよアナスタシアさん。迷子になっても探してあげませんからね?」

「……私、迷子になるような歳じゃないんだけど?」

「そうでしたね。そんな下品な体の子供はいませんね」

「逆にアンタは子供みたいよね? 童女性癖ぺドフィリアに受けそう」

「私、これでも十七なんですけどね」

「やだ、私と同い歳なのにそんなに貧相なの?」

「……マトリョーシカ」

「……こけし」

「――乳牛」

「――俎板まないた

贅肉ぜいにく!!」

「骨と皮!!」


 瑠璃と翠緑が交差して、迸る怒りを背中で感じた悠雅は呆れ混じりに笑みを零す。


「仲がいいのは結構ですけど、手は出さないでくださいよ? 二人とも」

「仲がいい? 犬と猿もかくやという程に言い争っている人間に向かって言う言葉ではありませんね」

「そ、私が犬で瑞乃が猿」

「は?」

「あ?」

「ふふっ、面白い冗談を言いますね。私が犬でアナスタシアさんが猿でしょう?」

「喧嘩売ってるの?」

「事実をあるがままに言っているだけですよ? だって私、お猿さんほど気性荒くありませんし」

「へえ、それはつまり、私が気性が悪くて猿みたいだと?」


 今に取っ組み合いを始めようかという二人の鬼女は、額を付き合わせてメンチを切る。その様子を見ていた悠雅がまたくつくつと笑うと、面白くなさそうに眇られた瑠璃と翠緑が突き刺さった。


「そう怖い顔で睨まないでください。ほら、賽銭して拝みましょう」


 小銭が綺麗な放物線を描いて賽銭箱へと吸い込まれ、かつん――小気味良い音。高く二拍手打ち鳴らす。


 心の中で新年を祝いながら、悠雅は深く祈る。

 今年こそは死んで行った友たちに胸を張れる人間になれるように。

 恩師である永倉新八ながくらしんぱちの跡を継ぐことが出来るように。

 英雄になれるように。


「悠雅さん、そろそろ」


 瑞乃に袖を摘まれるまで、一心不乱に手を合わせていた彼は慌てて最後に礼をすると、御参りの列から抜け出した。


「悠雅は何をお願いしてたの――って聞くのは愚問かしら?」

「でしょうね」


 アナスタシアと瑞乃は頭を抱えつつ、それでいて仕方無しと大きく溜め息を吐いた。

 対する悠雅はやや口を尖らせてに鼻を鳴らす。

 悠雅にとって、英雄になることは悲願である。溜め息を吐かれるような願いではない筈だと。


「そういうアナスタシアはどうなんだ? まさか、まだ家族を蘇らせようって?」


 意趣返しだとばかりに悠雅は、アナスタシアに神前で願った内容を聞く。


「そんなこと、もう考えてないわよ。未練が無いわけじゃないけどね」


 可憐に笑って、彼女は瑠璃色の瞳で真っ直ぐ悠雅を見据え、彼はその視線に耐え兼ねて瞑目した。


「……これでは本当に子供だな」

「え?」

「ああ、いや、なんでもない。意地悪なことを聞いて悪かったな」


 悠雅はバツが悪そうにアナスタシアから顔を背ける。

 余裕を持った彼女に、彼は思わず自分が惨めったらしくなった。


 十二月二十四日の騒動を経て、アナスタシアは精神的に大きく成長した。

 本人の言う通り、吹っ切れたわけではない。だが、家族のこと以外に目を向けられるようになったのは成長と言っても差し支えないだろう。

 それに引き換え、悠雅は自身が成長していないように思えてしょうがなかった。アナスタシアが途端、遠くに感じて、疼くような寂寥感に悠雅はひっそりと胸を抑える。


「――それならさっき、何をお願いしたんです?」

「さっきお願いしたのは、ってとこかしら? もう何かを失うのは御免だからね」

「意外と欲が無いですね」

「意外と、は余計。そういう瑞乃は何をお願いしたの?」

「こういうものは口に出すと叶わなくなってしまうので」

「はあ!? 私には言わせたくせに!!」

「口に出すかどうかは自己判断でしょう?」

「くぅっ、アンタ最低!! 絶対言わせてやるんだから!!」

「ぜーったいに言いません!!」

「……頼むから実力行使は程々にお願いしますよ? 新年早々怪我とかやめて下さいね?」

「怪我のことについてだけは悠雅に言われたくないわね」

「全くですね」

「……なんで俺を虐めるときばかり息がぴったりなんだ」


 喧嘩は良いが怪我をされるのは流石に見過ごせぬと、アナスタシアと瑞乃の両名に注意を促すも逆に声を揃えて非難され、悠雅は一人肩を落とす。


「――姦しくて結構なことではないか」


 不意打ちのように響く、薄ら笑いを含む不遜な声。気配もなく唐突に存在を主張するその声に、悠雅はギョッとして振り返る。そこには学帽を深く被った学生服姿の青年が立っていた。


「……気配を殺して背後を取るな克成」

「驚いたか? 久しいな戦友よ。あけましておめでとう」

「あけましておめでとう。お前は相変わらずいけ好かない態度だな」

「そういうお前は少し変わったな。女性を二人も引き連れて、なんともまあ不純になったものだ」

「人聞きの悪いことを言うな」


 半眼で睨む悠雅に、気安い様子で軽口を叩く青年は左手の中指で縁なし眼鏡を掛け直すと、続けてアナスタシアと組み合っている瑞乃へと視線を送る。


「お久しぶりです瑞乃お嬢さん。あけましておめでとうございます」

「おめでとうございます鳴滝さん。鳴滝さんも初詣に?」

「ええ、参拝してから社の方にご挨拶をと。所でそちらの方が噂の第四皇女様で?」


 ゆらりと差し向けられた視線に、アナスタシアは思わず身を凍らせた。

 なぜ自分の素性を知っているのか? にわかに警戒しだした彼女は瑠璃色の瞳を尖らせる。


「ああ、警戒しないで頂きたい――というのは流石に難しいか。我が名は鳴滝克成なるたきかつなり。探偵紛いなことをやっていてな、ちょっとした情報通だ」

「情報通? 私、悠雅たちにしか名前を明かしてないんだけど?」

「それで俺の友人たちを疑わないのは好感が持てる。なので、一つ助言をしてやろう。御身の素性について、既に国は感づいている。国だけじゃない。財閥、企業、非合法組織。いくつかの団体もだ」

「民間にまで……目立ち過ぎってこと?」

「有り体に言えばそうなる」


 淡々と語る克成の言葉に、アナスタシアはさらに固くなる。今更ながら自分が薄氷の上を歩いていたことを認識させられて、背筋が凍ったのだ。


「御身もさることながら、御身が侍ている俺の友人二人も中々目立つ。悠雅は見ての通りの風貌だし、瑞乃お嬢さんはあの辰宮の令嬢。目立つなという方が無理だ」

「二人と一緒にいるのはやめろって?」

「そこまで言うつもりはない。二人とも友人が少ない方だから、俺としても仲良くしてもらいたいと思っているくらいだ。ただ、気を付けることを勧める。武力でどうにかできるものは多いが、それだけではどうにもならないものもまた多い」


 武力。克成が暗に現人神あらひとがみ祈祷いのりを指して言っていることはアナスタシアもすぐに理解出来た。

 悠雅も瑞乃も、そしてアナスタシアも。現人神あらひとがみという超人である。現人神あらひとがみ祈祷いのりという異能の力を以て超常現象を引き起こす。


 まともに相対すれば普通の人間は現人神あらひとがみに勝つことなど不可能に近い。だが、それは祈祷いのりという武力が通じる相手に限られる。武力は届かねば無いのと同じだ。


「人は怖い生き物だ。現人神あらひとがみになると人間の悪意に鈍感になりがちになる。超人故の傲慢さがどうしても出てきてしまうからな。まあ、御身に人間の悪意どうこう説くというのは釈迦に説法かもしれないが、用心して欲しい」

「……忠言、痛み入るわ」

「そう捉えて貰えるのなら嬉しい限りだ」


 眼鏡の奥で目を細める克成は、何か思い出したように手を叩いた。


「ああ、そうだ。丁度会えたことだしこの場で伝えるとしよう。瑞乃お嬢さん、「顔を見せに来なさい」とのことですので、本邸に行きましょう」

「またお兄様ですか?」

「フッ、だったらわざわざ伝えに来ませんよ」


 鼻で笑う克成。そんな彼とは対照的に瑞乃は眉間にシワを寄せて、仇でも見るような目付きで視線を落とす。


「御当主からか」

「ああ、そうだとも」


 瑞乃の代わりに話を繋いだ悠雅に克成が頷くと、悠雅は渋面を見せる。

 決して良いとは言えない反応を見せる悠雅と瑞乃に、一人困惑するアナスタシアは小首を傾げる。


「瑞乃、アンタ家族とうまくいってないの?」

「……ええ」

「ふぅん、まあ、そういうこともあるわよね」

「意外な反応ですね。てっきり、貴女は仲良くしなさいって言ってくると思いましたが」

「思わなくもないけど、家族間の不和っていうものは確実に存在するもの。生まれても祝福されない赤ん坊だっているくらいだし」


 アナスタシアは何か嫌なものを思い出したように眉をひそめる。

 家族は尊いものだ。大切なものだ。無条件に愛し、愛される関係だ。さりとて、それが牙を剥くこともある。


「――それで瑞乃お嬢さん、ご返答は?」

「どうせ、行かないと言っても、それが許されるわけではないのでしょう?」

「いいえ、そんなことはありませんよ? ただ、新撰組への依頼者がいなくなるだけです」

「ただの脅迫じゃないですか」

「ハッハッハ、取引と言って頂きたいですなあ。――で、ご返答は?」

「行きます。行きますよ。行けばいいんでしょう」


 苦虫を噛み潰したような顔付きで、彼女は吐き捨てる。忌々しき伏魔殿わがやを想起しながら。

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