帝都斬魔夜行 ―夜叉姫編―
蜂蜜 最中
第二章『夜叉姫編』
序幕『その後の彼』
第1話
一九一九年。一月一日、元旦。
武装警備会社・新撰組。その社屋に併設された道場に、二人の男の姿がある。
一人は木刀を正眼に構える青年――
もう一人は野暮ったい瓶底眼鏡の奥から青年目掛け、真剣な眼差しを送る壮年の男――
「じゃあもう一度、一通り素振りしてみろ」
「了解」
小さく呼吸をひとつ置いて、悠雅が虚空に木刀を振るう。ざんばら髪を振り乱し、紅蓮の独眼で目に見えぬ何かを捉える彼は、一気呵成に木刀を振り下ろす。
薄い藍色の着流しの上からでもわかるほど鍛え上げられた彼の肉体は、実に健康的だ。日本人にして六尺(約180cm)という長身は、この大正の世には珍しく、また恵まれている。肉体美という言葉があるが、その言葉はまさに彼の為にあるようなものだった。
だがしかし、左肩から伸びる銀色がその肉体美を歪めている。
自他ともに認める日本国最大の頭脳、
「その腕にも少しは慣れたようだな」
「ええ、昨日訓練がてら蔵の大掃除をしましたからね。でも、この重さと常に微量の霊力を吸われ続ける感覚に慣れるのに時間がかかるかもしれません」
「そこはもう、慣れしかねえよ。とはいえ、流石は
「教授だって付けてるじゃないですか」
「馬鹿言え。俺はこの腕を完全に己のものにするまで一年掛かった」
「教授が? 言動はともかく大抵の物事そつなくこなしそうな気がしていましたが?」
「
「そうなったら便利ですね」
雑談を交えつつ、呼吸一つ。踏み込みと同時に切り下ろす。すると、真琴が何やら不満げに唸った。
「うぅん、まだ体幹が歪んでんな。ちょっと待ってろ」
真琴が悠雅の左肩から伸びる
「……教授、頼むから腕抜く時は言ってください」
「あん? テメエ、この俺が作った
「神経の脱着時に激痛が走るって、あんたが言ったんだろうが!! 終いにゃぶった斬るぞおっさん!!」
「おいおい、おっさんにおっさんとか本当のこと言うなよな? 流石に傷付く」
炸裂する悠雅、怒りの叫び。それをヘラヘラとかわす真琴は、力尽きた魚のように横たわる
どれをとっても
「そんなにバラしてもいいんです?」
「問題ねえよ」
「早いです。分野を問わず職人芸というものは間近で見ると息を呑んでしまいますね」
「凄いと思えるのは自分に理解できないからだよ。俺だってお前の
「……
「自分よりも美味いもん作れるヤツがいるんだから俺が作る必要ないだろ?」
「せめて俺やお嬢がいない時、作れるようにしておいてください」
「心無い正論を
がっこん。そんな鈍い音と同時に悠雅の神経に機械義腕が食らいつき、再び激痛が走った。
うずくまる彼の額には玉のような汗が無数に吹き出ていて、その数が痛みの度合いを生々しく物語っている。
「痛いのは最初だけだ。そのうち慣れる。頑張れ」
「……教授、今欲しい言葉はそれじゃあない」
蹲りながら鈍痛に呻く悠雅だが、真琴は気にする様子なく悪魔のように笑う。
「よし、じゃあもう一度動いてみろ」
「……本当に容赦ないですね」
文句を言いつつ悠雅は立ち上がって、
「お前、意外と平気そうだな」
「そうですね、違和感は無くなりました」
「あー、いや、その話じゃなくて。
「―――――――――、」
恩師の名前が飛び出した途端、悠雅は押し黙った。
社長であり、育ての親であり、恩師であり、目標である男が書き残した辞表。
悠雅は大いに驚き、狼狽えたものだった。寂しいというのも無いわけではなかったが、何より彼を動揺させたのは、新八が彼を連れて行かなかったことだった。
何を思って彼が軍に戻ったのか、悠雅は知らない。だが、一つだけわかることがある。今、この国に対処出来ない敵性勢力がいるということ。それならば、彼が悠雅に何も言わずに社を後にした理由も自ずとわかってくる。
足でまといを連れていくわけにはいかない――ただ、その一点に尽きる。
合理的な判断だ。だが、それでも悠雅は無性に悔しくて、泣きそうになった。しかし、それで駄々を捏ねたところで恩師の背中が近づくわけではない。
「爺さんの元に行っても、今の俺じゃ力になれない。だったら、もっと強くならなきゃならない。そう考えたら、くよくよ考えたってしょうがないって思えたんです」
未熟な自分を埋めるには、やはり時間が必要なのだと彼は考える。
「それでいい。一言で英雄語れるほど、
真琴は満足気に頷きながら目を細めた。
「腕の調子も良さそうだし、調整は今日で終いにすっか!」
「ありがとうございます」
応えればさらに満足気に頷いて、よっしゃよっしゃと手を叩く。
「しっかし、本当に丈夫だよなあ。腕ちょん切って一週間。翌日には換装手術。なんでお前ピンピンしてんの?」
「剣士は体が資本ですので」
「俺の昔馴染みが製薬会社に務めてるんだけどよ――」
「臨床試験は受けませんからね。日がな一日寝台の上なんて耐えられません」
「最後まで聞けよぉ!! ちょっとした小遣い稼ぎなんだよぉ!! ちょっとお薬飲んで寝るだけなんだよぉ!!」
「勘弁してください……」
追いすがる真琴を引き剥がし、改めて木刀を振るい始める。立ち止まっていい時間はない。少しでも前へ、彼はがむしゃらに木刀を振るう。
軋む人口筋肉。欠損した左腕の代替品。最新の科学が生み出した冷たい肉は淀みなく動く。
「一応注意しておくが、その
「具体的に何をしてはいけない、とかありますか?」
「お前が今から始めようとしている修練はするな。俺が素振りさせたのはあくまでお前の体を見るためだ」
「修練がダメってことは……」
「当然荒事など以ての外だな」
当たり前だろう? そう言わんばかりに真琴は眉を潜める。
「第一そもそも、戦闘することを想定していないからちょっとど突かれるだけで壊れる可能性がある」
「それなら仕事は――」
「仕事はやってくれて構わない。むしろやれ、
「何もお嬢たちに言わんでも……」
「お嬢たちに言っとかないと平気で荒事に突貫するだろ、お前。行動読めてんだよ、IQ二百オーバー舐めんな」
「あい、きゅう……?
「なぜそこで鮎並と胡瓜……」
悠雅のなんとも知能指数の低そうな発言に呆れた真琴は眉間を揉みながら、自分よりも頭一個分大きな青年のざんばら髪目掛けて手刀を叩き込む。
「馬鹿なこと言ってないで支度して来い。初詣行くんだろ?
「あれ、教授は行かないんですか?」
「今日は倉場商会の会長に呼び出されていてな。璃菜ちゃんと一緒に帝国ホテルで会食に――」
「教授!!」
突然、引き戸が開け放たれる。そこには赤い癖毛を寝癖で、さらに爆発させた
「教授、起きてたんならなんで起こしてくれなかったの!? 今日はお父様に呼ばれてるって言ったじゃん!!」
「おいおいおい、璃菜ちゃんさあ? 新年なんだからまずは挨拶だろ?」
「あー、あー、あけましておめでとうございますゥッ!! って、そんな場合じゃないんだって!! もう迎え来ちゃってるんだよ!?」
「ハイハイ、言いたいことわかったから文句言う前にせめて着替えて来いって。普通、
「うっさい!! 教授もとっととそのだらしない白衣脱げ!!」
「
新年早々開口一番、ぎゃあぎゃあとくだらない言い合いをする二人の男女に悠雅はそっと呆れる。
「とりあえず二人とも用意したらどうです? 迎え来てるんでしょう?」
「「そうだった」」
ぴたりといがみ合うことを止めた真琴と璃菜の二人は焦った様子で悠雅に背を向けた。
「あー、二人とも今日の夜はこちらで食べるんですか?」
「私は食べる!! 意地でも夜にはここに帰る!! でないとお父様に拉致られる!!」
「璃菜。親父さん、わざわざ長崎から会いに来てくれているんだから拉致とか言ってやるなよ」
「シャラップ、黙りなさい!! 悠雅も瑞乃の家で少しの間働いてたならわかるでしょう!? 家督を継げない金持ちの次女次男は嫁がされるのが運命なんだって!! 私は嫌なの!! 私はまだ見ぬ王子様との大恋愛の末に結ばれたいの!! いきなり見ず知らずの人間と会って結婚を前提でお付き合いするとか嫌なの!!」
「……左様で」
熱く自身の恋愛観を語る璃菜に、虎の尾を踏んだ気分になった悠雅はそっとを言葉を飲み込んだ。
「教授はどうするんで? そのまま飲み明かしますか?」
「いや、会食が終わり次第そのまま大学に行く。お前の腕を作らねえといけないしな」
「……苦労かけます」
「ホントだよ。二週間は研究室に引きこもらないといけないんだからな」
面倒くさそうに体の筋を伸ばす真琴はくたびれた白衣を翻す。
「まあ、あれだ。良いもん作ってやるから、首を長くして待ってろ。果報は寝て待てってやつだ」
「寝て待て、ですか……」
「不服か?」
「不服とは少し違います。ただ、立ち止まってしまう自分が許せない気がして」
彼は英雄を目指さなくてはならない。そうしなければ、かつて斬り捨てた友に示しがつかぬから。
そんな彼にとって立ち止まることは罪と同義でしかない。故に彼は苛立つ。致し方ないことであったとしても。どうしようもなく、己を自罰したくなる。
「本当に重症だな」
「? ……怪我のことですか?」
「怪我なら良かったんだけどな」
「なら一体なんの話です?」
「なんでもねえよ。そんなに寝て待つのが嫌なら嬢ちゃんたちと逢い引きでもしてみたらどうだ?」
「うっわ、サラッと最低なこと言ったよこの天才」
心底見損なったような目をしながら真琴を詰った璃菜は真琴から一歩距離を置いて、あからさまに引いてみせた。
「うるさいぞ璃菜ちゃん。この馬鹿はそのくらい豪気な女遊びでもしないと矯正出来ないんだっての」
「その相手によりにもよって辰宮のお嬢様と亡国のお姫様選ぶ? せめてそこは馴染みの遊郭紹介しときなよ」
「それ俺が死ぬやつじゃんか。
「ええ、どうかなあ?
「え、なのに遊郭紹介させようとしたの? おじさんを殺したいの? ねえ?」
本人たちがこの場にいたら青筋を浮かべてしまうであろう危険な会話をしながら、真琴と璃菜の両名は道場を立ち去って行った。
「――女遊びなんてやっている余裕ないんだがなあ……」
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