金魚鉢 5
*
翔は宴小夜に窓を開けてもらい、その窓枠に組んだ腕を引っかけて上半身を預けた。
「ど、どうして……?」
宴の口から疑問が零れる。それを聞いて、翔は一体なにから話したものかと悩んだ。とりあえず、
「えっと、とりあえずこれはね、家から梯子を持ってきたんだ。普通に持ち運ぶと大変だからミカゴに入れてね。便利でしょ?」
「そうじゃなくて……!」
宴はどこか怯えた様子で、窓から一番遠い壁に身を寄せている。
「場所は、がんばって調べた。公園周りの家を一軒一軒、表札を見て回って。宴さんが田中さんとか鈴木さんじゃなくて良かったよ。思ったよりは早く見つかって、近くでうろうろしてたら窓に宴さんっぽい人影が見えたから」
「そうじゃなくって!」
「何が知りたい?」
宴はあいかわらず怯えているようだった。金魚鉢を胸辺りに抱き寄せたまま震えている。翔は、「何が知りたいの?」と繰り返した。
宴は目を逸らし、
「……いつから気付いてたの」
宴の問いに翔は答えた。
「公園で一緒に白い物体を探した時から、ちょっと変かなーとは思ってたよ」
「……そんな」
「芥楽が、その存在を知らない人には認識されにくいって、図書館で話したよね?」
翔の言葉に、宴がぎこちなくうなずく。
「まあ、白いふよふよを目撃したってだけなら、そういう人もいるかも知れないで済んだんだ。これは栞ちゃんに確認したんだけど、金魚鉢自体があんまり人の認識を避ける力が強くないらしい。それに、たまにいる敏感な人が気付いちゃうことは――あるからね。霊感が強い人みたいな感じで」
宴は黙って翔の話を聞いている。
「――でも、人形。学校で宴さん、白い髪の先輩に気付いたでしょ。あの人の白髪に気付くのは、何かの芥楽の使用者みたいなケラクモノに縁が深い人だけなんだ。あの人の場合は、姿はみんなに見えるけど、芥楽に縁がない人には普通の黒髪に見えるようになってる。そういう術みたいなものを使ってるらしい。あの人、かなり後期に作られた芥楽だから、高性能なんだって」
「……じゃあ、その日にはもう、気付いてたの……?」
「確信はなかったよ。そもそも白い物体がケラクモノで、この事件を引き起こしてるってこと自体がはっきりしてなかったし。あれの目撃者になったせいで、先輩に気付くようになった可能性も――低いけど、ゼロではなかったから」
宴は泣きそうな、それでいて挑むような目つきになる。
「……そう。でも、ほとんど気付いていながら、私を図書館に誘ったんだね。おかげで私は、自分が何をしているかよくわかったけど。……でも、」
「――宴さんは、その……知らなかったの?」
翔は、なるべく宴の神経を逆撫でしないよう、できるかぎり静かに問うた。
「……知らなかった。これは人に貰ったの。……でも分かってる。よく知らないものをワケの分からないまま使って、私がバカだったんだって」
「バカだなんて思わないよ。助けたい人がいたんでしょ?」
翔の言葉に、宴が膝から崩れ落ちた。
「……うん。弟が、交通事故にあって、ひどい怪我で、頭を打ってて……まだ意識が戻らないの。でも、もうだめだね。私を止めに来たんでしょ。」
宴の手が、金魚鉢に生けられた花にのびる。翔は焦った。いま芥楽の効力を止めたら、辛うじて息を繋いでいる宴の弟にどんな影響があるか分からない。
「待って宴さん。僕は止めに来たわけじゃないよ」
「嘘言わないで。じゃあ何をしに来たって言うの?」
宴の手が花の茎を掴む。
「待って宴さん! ほんとに違うんだ」
翔は窓を超えて部屋に踏み込んだ。土足だが、構っている余裕はない。
「人に止められるくらいなら、ちゃんと自分で――」
「違うって! これを渡しに来たんだ!」
ぽん、と。
翔が首に下げたミカゴで左手の腕時計をノックし、取り出したのは、
赤い、カーネーションだった。
目の前に差し出されたそれを、宴は呆気にとられた顔で見上げている。
「ごめん。こっちを先に話せばよかった。追いつめる気はなかったんだ」
「……え」
「栞ちゃんが、金魚鉢の使用者をむりやりにでも止めないとって言ったのは、意図的に白い花を使ってるような、むりやりしか止める方法がない場合の話だよ。ちゃんと、使用者が、宴さんが話を聞いてくれて、正しい手順を踏んで、白い花から赤い花へ切り替えれば、正しい使い方に戻すことができるんだ」
「…………できる? できるの……? 本当に?」
できるよ、と翔が繰り返すと、見開かれた宴の目から、涙がこぼれた。
「できる。できるから落ち着いて。大丈夫。弟さんも助かるし、宴さんが誰かを――傷つけてしまうこともないよ」
正しい手順――とは、さして難しいものではなかった。
ひとつ、花の交換は一本ずつ行うこと。金魚鉢に花を絶やしてはならない。
ひとつ、花の交換が終わったら、古い水を半分ほど捨て、新しい水を足す。これを三度繰り返すこと。
ひとつ、古い花は紙に包み、埋葬すること。
*
翔と宴は、古い花を紙に包み、公園に来ていた。時刻はもうすぐ八時を迎えようとしている。
「あの辺でいいかな?」
宴が指差したのは、大きなケヤキの下だった。
いいんじゃないかな、と翔が頷き、首から下げたミカゴで左手の腕時計をノックした。現れた二つの小さなスコップの片方を宴に手渡す。
「……準備いいね」
「でしょ」
ふたりでケヤキの下に座り込み、スコップで穴を掘る。
ふと、宴が、
「カーネーション、お店で買って来てくれたの……?」
「あ、うん。駅前の花屋さん。なんか、母の日みたいになっちゃってごめんね。他になくて」
宴は、翔がそんなことを気にしているのが少しだけおかしい。ふふ、と笑ってしまう。
「ううん。ありがとう。ありがとうね、籠倉くん」
「えっと、どういたしまして」
ある程度掘ったところで、紙に包んだ古い花を置き、土を被せ始める。
聞いていい? と翔は前置きして訊ねた。
「なんで僕に声をかけたの?」
聞かれた宴が不思議そうに首をかしげる。
「なんで……か。んんー、噂を聞いたの。籠倉くんがこういう不思議なものに詳しいって。私ね、誰か――よく思い出せないんだけど、誰かから金魚鉢をもらって、使ってみたら、こんなことになって、怖くなっちゃって。自分が何をしているのか調べようとして、不思議なものに詳しいって噂の籠倉くんを巻き込んだの」
なるほどね、と翔はうなずいた。
「噂かー。うん。古森さん、高校の北の方、だいぶ山に近い辺りだけど、塔があるの知ってる?」
塔? と宴が不思議そうに繰り返した。
「塔。そこのてっぺんに鐘があるんだけど、その鐘もケラクモノなんだ。ゴンゴン鳴って時刻を知らせるのと同時に、街中に噂を広めることができる。僕がそういう不思議なものに詳しいって噂は、芥楽に関わりを持った人になんとなく伝わるようになってるんだ。困った人が僕を訪ねて来てくれるように」
宴が手を休めて翔の顔を見ると、翔は照れたように笑った。
「……そっか。そうだったんだ」
「うん」
土を被せ終わり、固めるように優しく叩いた。
花の埋葬を終えて立ち上がると、翔も宴もすこしだけ足が痺れていた。
宴が訊ねる。
「んんー、籠倉くんはさ、何者なの?」
「高校生だよ」
「もう、そうじゃなくって」
「高校生で、ミカゴの持ち主だよ。もう死んじゃったけど、じいちゃんが昔こういうことやってて、跡を継いでる」
翔は、凝り固まった身体を解すように伸びをした。
「……そっか。すごいね」
「うーん、栞ちゃんとか、あと実は都瀬とか、あっちこっちで助けてもらってなんとかやってるだけだよ」
「やろうとするのがすごいよ」
そう? と、翔は照れて笑った。
「あ。あれ」
宴が何かを発見し、翔もその視線の方向へ目を向けた。
赤い、花のような、金魚のようなものが、ふよふよと宙を泳いでいく。
夜の暗闇のなかで、真っ赤なそれは灯火のように輝いて見えた。
宴は赤いそれを綺麗とも、怖いとも思った。これはきっと畏怖の念だろう――と思いながら、どうか弟を助けてください、と祈った。
横で翔は「おおー、ほんとに変わってる」と感心したように声を上げている。
宴は小さく、ありがとうと呟き、赤い金魚たちが夜の街へ向かうのを見送った。
籠倉翔とケラクモノの喧噪 ヒツジ @from13to15
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