金魚鉢 3

 目的の場所に到着すると、運良く誰もいないようだった。


「さて、と」


「見せたいものって?」


 ふたりして壁沿いに座り込む。


「これなんだけど」 


 言って、翔は首にかけた革紐を引っ張り、シャツの中からくすんだ金色の物体を取り出した。


 それは、辺三センチ程度の立方体で、よく見ると竹か藤か、はたまた別の何かか、金色の細い帯状のものを編んで作られているようだった。


「これ、ミカゴって言って、六つ目編みっていう編み方で作られてるんだけど、それはおいといて、ちょっと不思議なことができる道具なんだ」


「……へぇ?」


「見てもらった方が早いと思うから、実演するね。宴さんの筆箱借りていい?」


「う、うん……?」


 戸惑いながら、宴がスクールバッグから筆箱を取り出して翔に渡す。

 翔は筆箱からシャーペンを一本取り出して宴に渡した。


「持ってて」


「うん……?」


 翔は金色の立方体――ミカゴで、ノックするように三度、筆箱を叩いた。

 筆箱はふっと霞むように、


「――消えた……」


 宴が驚きと共に呟いた。


「消えたんじゃなくて、ミカゴの中に収容したんだ。そのシャーペンが鍵になってて、いわゆる引換証というか、それがないと取り出すことはできないようになってる」


「鍵……、え、待って、出してみて……」


 翔はミカゴをシャーペンにコツンと当てた。すると、


「っわ、」


 シャーペンとミカゴの間というべきか、ミカゴが離れた瞬間に、その隙間から溶け出すように筆箱が姿を現し、宴の膝の上に落ちた。


 宴は現れたそれをおそるおそる手にして、ファスナーを開け、中身を確認する。


「ミカゴの中はなんていうのかな、いわゆる亜空間みたいになってて、生き物以外の固形物ならだいたい収容できるんだ」


 本当はミカゴを鍵に当てずとも、「解」という掛け声によってミカゴの中に仕舞ったものを取り出すこともできるのだが、翔はあまりその方法は使わなかった。なぜなら掛け声が恥ずかしいからである。


 宴は中身の確認を終え、それが自分のものであることを確かめ、呟いた。


「ほんとに? 手品じゃなく?」


「手品だと思うならもう一回やるよ。でもタネも仕掛けもない」


 いや仕掛けはあるって言うべきなのかな、と翔は言う。宴はキツネにつままれたみたいな顔をしていた。


「これは昔、ある国が――国って言うか集団の方が近いかな。ある集団が作っていた芥楽って呼ばれる道具の一つで、理屈はともかく、かなり不思議なことができるんだ」


 宴は意味もなく筆箱のファスナーを開けて閉めて開けて、気付く。


「それってもしかして……」


「うん。昨日見た白い物体は、もしかしたらケラクモノの一種かも知れない」


 宴の目に、期待とも不安ともつかない色が宿る。


「とは言っても、芥楽の一種の可能性はあるけど芥楽には色々なものがあるから、正体はよくわからない。そこで」


「そ、そこで……?」


「明日、市立図書館に行こうと思うんだけど、宴さんも一緒に行く?」


 宴は目をぱちくりさせている。



     *




 土曜日の午前一〇時、翔と宴は市立図書館の前で合流した。


「その……芥楽って、図書館の本に載ってるようなものなの?」


 宴が疑問を口にする。


「違うけど、似たようなもんかな、行こう」


 入館すると、受付カウンターから声がかかった。


「あれ、翔くん? 今日は、えーと、かの……お友達連れ?」


 声の主は若い図書館スタッフで、亜麻色のゆるゆるとしたショートボブに丸眼鏡、マスタードカラーのカーディガンを羽織ったの女性だった。式岸、と書かれた名札を付けている。


「友達です」


 返事をしようとした翔の横で宴が即答する。そんな即答しなくてもいいじゃん、と翔は一瞬思ったが、翔は翔で「クラスメイトです」と答えようとしていたため何も言えなかった。考えようによってはいいのかも知れない。


「あ、もう友達でいいの? 嬉しいな」


「え、あ、いやえっと。うん、友達なんじゃないかな……?」


 宴は翔の思いがけない反応に照れてしまう。そのやりとりを呆れ半分微笑ましさ半分で見ていた式岸が、


「なんだよー仲良しじゃん。それで、今日はどうしたの?」


「うん、ちょっと栞ちゃんに聞きたいことがあって。奥の部屋を借りてもいいですか?」


「なんだ、ご自由にどうぞ。どうせ行ける人しか行けないから、気にしなくていいよ」


 ありがとう、と翔は礼を言って、宴を連れて階段へ向かった。式岸はどこか面白がるような、それでいてつまらなさそうな目で、それを見送った。


 翔は四階を目指して階段を登る。後を追う宴が尋ねた。


「今の人、知り合いなの?」


「うん。ちょっとケラクモノ絡みで。これから会いに行く栞ちゃんっていう芥楽の持ち主なんだ」


「栞ちゃん」


「読んだ文章をすべて暗記してる芥楽だよ。暗記している中から情報を……検索してくれるみたいな能力がある。栞にそういう能力があればいいのになーっていう願望からほんとに作られちゃったんだ」


「その芥楽、会いに行くって、物じゃないの……?」


「うん。一部だけど、芥楽の中には人の形を持っているものがあって、人格もある。動物なんかの姿を持ってるケラクモノもいるね。ーー芥楽についてまとめられた本はないけど、少なくとも把握できる範囲だけでも把握しようっていう目的で、昔の人が栞ちゃんにいろいろ覚えさせたらしい。で、こういう時の僕の相談役なんだ」


 説明するうちに四階奥の目的の部屋に到着し、翔は扉を開けた。

 さほど広い部屋ではない。他の場所と同じ本棚がいくつか壁に沿って並べられており、窓側には六人用の古びたテーブルとイスが置かれている。


「ここ、さっき式岸さんが行ける人にしか行けないって言ってたでしょ」


 宴は頷く。


「うん。どういう意味?」


「すべての芥楽には、知っている人にしか認識できない、されにくいっていう特性があるんだ。芥楽だけの場合もあるけど、その周りに影響が及ぶこともある。で、この部屋には栞ちゃんがいるから、芥楽を知ってる人しか存在に気づけないんだ。ーーそこ座ってて」


 翔が指差したイスに宴は腰掛けた。


「……よくわからないけど、奥が深いのね」


「まあ、いろいろ。芥楽の方が姿を見せようとすれば見せられるらしいし、そもそも認識できないって特性も、芥楽によって程度がまちまちらしいんだよね。妖怪とか幽霊みたいな」


 言いながら翔は棚から一冊の本を取り出し、宴の向かい側に腰掛けて、本の栞が挟まれているページを開いた。


「妖怪みたいは失礼じゃないですこと!?」


 開かれたページから飛び出したのは、真っ青なドレス姿の少女だった。


フランス人形のような足まで届く長さの波打つ金髪、ぱっちりとした紫の瞳、小さいながら筋の通った鼻、瑞々しく可憐な唇、どこかあどけなさを残した顔立ちの美少女である。


 青いドレスの裾の先が栞の中に吸い込まれるように伸びており、それこそ幽霊のようだった。


 美少女うんぬんの前に、宴は本から人が飛び出してきたことに驚愕して固まっていた。


「えーと、ごめんね。栞ちゃん。うまく説明できなくて」


 翔が手を合わせて謝罪ポーズをつくる。


 栞は宴を一瞥し、


「この子誰ですの? 幽霊を目撃しちゃっみたいな顔で固まってますわよ」



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