第八話:氷炎3
スリエスは巨大な体躯で、僕の身長よりもさらに大きな大剣を再度軽々と持ち上げた。
僕の二倍近くある体格からして、彼は『
「ロビン君。彼のような亜人というのは貴族間でも珍しいのかい」
「まあグランブルトの街が人間の街、というのもありますし、貴族平民問わず亜人は少ない傾向にあります」
この会場にいる純正の亜人はスリエスを含んでも片手で数えるほどだろうし、第一貴族に至ってはハーフが一人か二人、という程度だろう。
大剣に一度遮られたためか、医者と魔術師の舌戦は明らかにトーンダウンしていた。
「さっさと俺とクルビエの犯行が不可能だったことを証明しちまおう」
冷えた空気の中、そんなことを気にせずにスリエスは探偵に話しかけてきた。
「不可能? それはいかような理由で?」
「簡単だ。俺とクルビエはその女が倒れるちょいと前まで話をしていたのさ」
「その話の中身は?」
「くだらねぇこと気にするもんだな。ちょっとした冒険者の昔話だが、詳しく聞くのか?」
スリエスの顔が不満げなものに変わった。どうも、ここで聞かれるには不便のある個人的な会話だったらしい。
「言いたくないのであれば構いません。しかし、スリエスさんは私とロビン君がクルビエさんと話しているとき姿が見えませんでしたが」
「ああ。第一貴族どものところにちょいと挨拶に行っていたのさ。入れ違いにでもなったんじゃないか」
「ふむ。……エルジェさんはスリエスさんを向こうの部屋で目撃しましたか?」
エルジェは仕事を任せたメイドを見張っていたが、話を振られて目線をこちらに向けてきた。
「その恵まれすぎた体格ですから、よく見えましたよ」
恵まれすぎた、というのはあまりただしくない。もともと巨人種は大きな体を持つのだから、スリエスでも並より大きい程度だ。
「それはいつごろ?」
「さあ、あなたたちと私がお話して少し後くらいに第一貴族側に来ていらしたけど」
その時間はちょうど僕らが外来貴族側に行ったころだ。
「本当にちょうどいいタイミングで入れ違いになっていたんですね。それで、事件当時お二人はどちらの席に?」
「向こうだ、向こうのちょいと高い奴だ」
指し示した先には確かに他のテーブルよりかなり高めのものがある。僕の身長より少し低いくらいか。
「距離は10メートルくらいですか。そして下にいくつか台を置いて調整してるんですね。私がこちらの部屋に来たときにはなかったと思いましたが」
探偵の言うとおり、いくつかの直方体のブロックがテーブルの下に敷かれていた。きっちりと揃えられた形状からして、魔術で生み出されたものに見える。
「俺はこの身体でよぉ、他のテーブルじゃあ食べにくいんでクルビエのやつに調整してもらったのよ」
「しかし、そうなると今度はクルビエさんが食べにくいでしょう」
魔術師クルビエは布に包まれて全貌を把握しにくいものの、僕よりも少し大きい程度。あのテーブルでは背伸びするくらいでないと物すら置けないだろう。
「その点は問題ないよ」
大きな体躯の影に隠れていた魔術師クルビエが顔を出していた。
「問題ない、というのは?」
「こういうことさ」
魔術師クルビエが指を鳴らすと、その身体が宙へと浮き上がっていく。
「なるほど、クルビエさんのほうの高さが自由自在なら問題はありませんか」
「納得してくれたかい?」
「ええ、これ以上なく」
「それはよかった」
クルビエは緩やかな速度で再度地上に降り立った。
「ちなみに、今のは何の魔術でしょうか」
「【重力】の魔術さ。一度使ってしまえば浮かせっぱなし、というのもたやすい良い魔術さ」
パチンともう一度指を鳴らすとクルビエは再度浮き上がった。
「いや、魔術を知り尽くしていると驚くばかりです。実にすばらしい」
「まだまだだけどね」
「そう謙遜なされずとも。これだけ魔術が達者なら――『詠唱』などせずとも魔術を使えるのではありませんか?」
「……疑うねぇ。少々しつこいんじゃないか」
クルビエは【重力】の魔術を解きながら、探偵の疑惑に対して抗議するような声を出した。
しかし、探偵には聞こえもしないらしく、スリエスにも語りかけた。
「スリエスさんも歴戦の剣士らしいですが、どうです? 光よりも早く動き『接触』するとか、声を出さずに『詠唱』するとか、そういった芸当はできませんか?」
「はっはっは、無茶を言う」
スリエスは探偵の発言を豪気に笑い飛ばした。
「ま、似たような事はできなくもねぇ」
「ほう」
「ただ、あくまで装備の力込みだ。今はただのスーツでね」
スリエスはその大きな肉体でパツンパツンのスーツを見せ付けた。特注であるとは思うが、特に何の魔術的な仕掛けは見られない。
「なあロビン君。実はキミも光速で動けるとか無いか?」
「無茶言わんでください」
なぜ僕に聞くのか。
「じゃあ、スリエスさん、その大きな剣に魔術の力がこめられてる、とかは?」
「無い。ただのでけぇ石ころだ」
石ころ、というにはずいぶんな大きさで、刃も整っているが、それ以上のものではない。
一切魔術的な仕掛けが施されていない大剣というのも不思議なものだが、儀礼剣の一種だろう。強力な武器を持たないのは彼なりに貴族の『会合』へ出ることに対しての礼儀ということかもしれない。
「……ふうむ」
なんとも不満げで、探偵は納得していないように見える。
どうも、探偵は魔術を高く評価しすぎているような気はする。
「僕からも証言しますが、この衆人環視の中で怪しまれずにスリエスさんが魔術を使うことはありませんよ」
「どうしてだい、ロビン君」
「大きいでしょう、スリエスさん。下手なことしたらどうしても目立ちますよ」
「まあ、3メートルくらいある。だが、歴戦の剣士でもあるなら戦闘で使うために、手先だけでも魔術が使えるとかあるんじゃあないか」
探偵は食い下がるが、僕からしても現実味が無い。
「……そんなに疑うなら別に隠すことでもねぇか。一応『魔法陣』を利用する魔術は俺も覚えがある」
「それはどんな?」
「まあ、見てな。クルビエ、何か陣をだしてくれ」
言われるまでもなく、といった調子でクルビエは手元の紙を床に投げつけた。
そこには手のひらよりも大きな円の中に複雑な模様が記されていた。
模様からして、土属性の『魔法陣』だろうか。
「中々息が合うようで」
「スリエスのやつもS級冒険者でね、たまに手を組むこともあるのさ。お互いの手の内も知り尽くしている」
クルビエの言葉も特に意外性はない。竜殺し、なんて異名を持つ男が低級の冒険者とも思えなかったし、同級の冒険者が手を組む、なんて話はいくらでもある。
スリエスが手を払うと、周囲の人だかりが少し下がった。
何をするというのだろうか。
「まあ、簡単に言えば空中に『魔法陣』を描く技法かな」
クルビエが解説すると同時に、スリエスの剣が円を描いた。
そして、床に置かれていた魔法陣から土の柱が盛り上がった。
「とまあ、ここまでやればようやく遠距離で、かつ『詠唱』もなしで魔術が使える」
「……なるほど。ちなみにロビン君はいまの真似できそう?」
なぜいちいち僕に聞くのか。一般人代表とでも思っているのだろうか。
「僕どころか、多少優れた程度の魔術師じゃあ剣の軌跡を『魔法陣』として扱うことはできないでしょう」
「ふぅん、なら優れた魔術師ならできそう、と」
探偵は明らかに疑いの目を持ってクルビエを見つめた。
「衆人環視で剣なんか触れるわけないだろうに」
「別に剣でなくても構わないでしょう。ちょっと大きな円を描けばいい」
はあ、とクルビエがため息をついた。
「ボクらなんかよりそっちの目つきの悪い医者を疑った方がいいんじゃない? 多分探せばポロポロ動機は出ると思うよ」
「ふん、貴様も呪術師とは長い付き合いではないのか。呪術師と魔術師といえばいくらでも因縁はあるだろう」
微妙に殺伐としてきたところでスリエスの剣が床に叩きつけられ、その諍いはまたも中断した。
「それで、探偵。あとは聞きたい事はあるのか」
「誰であっても通常の『詠唱』を行った人間がいないのは誰もが知っています。となれば、『接触』『魔法陣』、もしくはクルビエさんのように魔術を知り尽くした方なら、何か他の手段をとりえるんじゃないか、と思っただけです」
クルビエはその追求に対してそっぽを向いた。
「……そう疑われるとあまりいい気分はしないな」
「疑っているつもりはありません。ただの確認ですよ」
「どうかな。まあ正直に答えよう。ボクの位置からでも、『詠唱』か『魔法陣』があればそこそこ正確に内臓を打ち抜けると思うよ」
「それなら、つまり――」
「もう一つ。この位置からボクらがやるにしても『詠唱』なら距離を鑑みて5小節、氷と火の魔術を同時に詠唱するために3小節、内臓のみを狙い打つために2小節。合わせて10小節以上の長い呪文で狙いをつける必要がある」
「では『魔法陣』は?」
「『魔法陣』なら距離を鑑みてキリカの肉体よりも大きいくらいの『魔法陣』が、こちらの手元だけでなく、キリカの足元に必要だ」
「足元に必要、ですか」
「ああ。何か不服かい?」
探偵は遺体を見ながら、わずかに逡巡した。
「……例えば、服に『魔法陣』というのは可能ですか?」
「服に?」
ふむ、とクルビエがあごをもって考え始めた。
「不可能でしょうか?」
「……鎧なんかのように固いなら別なんだが、布地の服では有効な魔法陣を描くのは難しいだろう」
「なぜでしょう」
「しわができてしまうだろう? 中の紋様はともかく、外側の円が歪では魔法陣とはなりえない。まあ、そもそも服にどれだけ大きな魔法陣を描いても大きさが足りないけどね」
「なるほど」
スリエスが剣を担ぎなおし、一歩前に出てきた。
「そして、クルビエが魔術の『詠唱』をやっていなかった事はオレが保証しよう。指ならしすらも不審に鳴らしたのは一度もない」
「スリエスも不審な行動はしていないよ」
クルビエとスリエスが互いに補足しあうその姿は、戦場でも背中合わせで助けあって来たのだろう、と思わせる。
「不審ではないのは何度かあったわけですね?」
「オレが見たのはテーブルを浮かすのに一度。ブロックを置くのに一度。自分を浮かすのに一度。水を出すのに数度。これで十分か」
「数度、というのは二度以上ということでかまいませんか?」
そこまで言葉尻を掴むように追求しなくてもいいのに、と思うのだが、探偵はグイグイとスリエスに質問を投げかける。
「まあ、それはそうだが……少し質問の意図がつかめないな」
「ボクが魔術をこっそり使えたか知りたいんだろう。詠唱というのは途切れてはならない。それに、指鳴らしでは同じ音しか出せない。何度やっても多小節化は不可能だ」
言葉の冴えないスリエスの代わりに、クルビエが正確に返答した。
「別の指で鳴らすことで音階を稼ぐというのは不可能でしょうか?」
クルビエはそれを聞いて数度、かすれるような音を指で出した。
「……まあ練習すれば薬指でも鳴らせないことはないかもしれないが、それにしたって左右あわせて4小節が限界だ」
「かすれた音でも構わないのでは?」
「『響く』というのも重要な要素でね。『聞こえない』程度の音なら『詠唱』できていないと思っていい」
「その辺のグラスなどを鳴らせば代用できたりしませんか?」
「そんな子供みたいな真似するものか。叩く強弱で音色が変わってしまうようなもので『詠唱』の代用効果は出せないよ。そもそも事件当時にそんな不審な音は誰も聞いていないんじゃないか」
クルビエが辺りを見回しても誰も否定しない。おそらくは言葉通りなのだろう。
「なるほど、解説ありがとうございます」
不審な音だけでなく、『魔法陣』なんてものも見つかっていない。つまり、この二人も同様、犯行はできないということだ。
「お話、参考になりました。最後に、クルビエさん、スリエスさんお二人がキリカさんとどういったご関係だったか、教えてください」
「オレのほうは頼んでもない仕事を押し付けてくる仕事相手の一人だな。挙句に報酬を天引きしやがるふざけた女だったと思ってたぜ」
「ボクのほうは……まあ色々あったけど、主義も主張もかみ合わない人間の一人、という認識かな」
剣士スリエスはさっぱりした言い分だが、魔術師クルビエのほうは妙に濁した言い方だ。
「その色々、というのは詳しくいえませんか?」
「……人間の死体を取引材料にする、なんてそういう道理に反した依頼とかさ。魔物に襲われた人間の回収とか。素材を分けてくれるんで特に何も言いはしなかったが、まあ許しがたいと思った事は何度もある。これで十分だろう?」
「ええ。わざわざお辛い記憶を思い出させて申し訳ありません」
「全くだ」
クルビエはやや機嫌が悪そうな声で受け答えしている。
「お二人とも、ありがとうございました。では最後にアンガスタさん。お話をお聞かせ願います」
「……と言っても。他の四方ほど私に話すことなどないが」
陰鬱とした雰囲気の壮年の男性が探偵に答えた。
「アンガスタさんは音楽家、ということですがいままでどのような曲を演奏されましたか?」
「……他の方とは違い、私には経歴まで聞くのか」
「いやいや、純粋な興味あってのことです。それに、他の方とは会話の機会がありましたから、いくらかは情報があったのです」
「別に、気分を害したわけではない。私は作曲が専門でね。演奏など今回含めても両手で数えるほどだ」
「おや、では今回は特別に演奏を行っていた、と」
「こちらから頼み込んでね。悪いかね?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。演奏家としても卓越した腕をお持ちであると思っただけです」
音楽家アンガスタは陰鬱な雰囲気を持ちながらも質問には正確に、はきはきと答えていく。
「被害者との関係は?」
「大したものではない。少し呪術について話を聞いただけだ」
「具体的には?」
「死人還りの法についてだ。結局、呪術という分野でも不可能であることが分かっただけだったが」
「ちなみに、どなたを?」
「死んだ妻だよ。一年ほど前に死んだな」
「……なるほど」
アンガスタの右手には小さく光る指輪がはめられていた。結婚指輪を外すことなくはめ続けているのだから、それ相応の愛はあったのだろうか。
「ええと、事件時の場所はピアノの場所で間違いありませんか」
「ああ。ピアノに座って演奏していたとも。君も見ていただろう」
探偵がその言葉にピクリ、と反応した。
「……おや、もしや演奏中に周囲へ気を配る余裕がおありでしたか」
「演奏が間奏に入るたびに拍手しそうになる人間など否が応でも顔を覚える」
確かに、この探偵がいちいち反応していたのはよく覚えている。
「何だって構いません。演奏中に周囲のことがよく見える、というのならキリカさんのこともよく見えたのではありませんか?」
「……見えたかもしれん。しかし、演奏中にぶつくさ喋ってもないから『詠唱』など不可能だ。それにピアノからこの位置は遠すぎる」
「ざっと25、いや30メートルくらいあってもおかしくないですか」
探偵は距離を目分で計った後、クルビエの方に振り向いた。
「クルビエさん、距離が二倍になると詠唱というのはどれくらい必要になるか、見当はつきますか」
「距離が二倍なら詠唱は四倍。三倍なら九倍の詠唱が必要だと思えばいい。つまり90小節は必要だ。少々現実的ではないかな」
「ありがとうございます」
探偵は礼を言うとまた音楽家アンガスタの方に向き直った。
「それで、私への質問は十分かな?」
「ああ、最後に簡単な質問を」
「なんだ」
「あなたが演奏していたピアノはいつからあそこにありましたか?」
「さあ、十年前からあったことは知っている」
「それほど以前からあったのであれば調律が必要だったのでは?」
「一応、演奏するつもりだったのだから自分でやっておいた。【保存】の魔術でほとんどズレはなかったが」
「何か細工などする時間があった、ということですね?」
「……疑うのであればピアノを調べるといい。断じてそのような細工は見つからないがね」
「念のため、調べさせていただきますよ。ご回答、感謝します」
「そうか」
アンガスタが短い返答をして五人への質問も終わった。
「ロビン君、最後にピアノを調べるとしよう」
探偵はピアノの前に座り、鍵盤を端から端まで弾いている。
ただ音を確かめるだけでなく、何か曲を弾いているらしい。
知らない曲だが、事件が起こる前に聞いていたような明るい曲調だった。
「……本当に、何から何までそっくりだ。もしかしてこっちの世界からピアノって流れてきたんじゃないか」
探偵がぼそぼそつぶやいているが、どうにも意味はつかめない。
「何か分かりましたか?」
僕の質問を聞いて、演奏はピタリと止まった。
「まあ、以前別のピアノを触っていたから見た目でわかってはいたが、このピアノ自体に何か仕掛けがあったとは考えられない。普通のピアノと誰もが言うだろう。ただ、アンガスタさんの言っていた印象よりは見晴らしはいいがね」
たしかに、ここからなら死体のあった辺りもよく把握はできる。しかし、『詠唱』も『魔法陣』もここからではやや大規模なものが必要なのも間違いない。
探偵は鍵盤のフタをすると、すっと立ち上がった。
「探偵さん、今までの検討で結局犯人は分かったんですか?」
聞けば聞くほど、迷路になっていくような気さえした質問。僕にはその糸口もつかめてはいなかった。
「ああ、もちろん」
けれど。探偵は確信を持った瞳で僕の質問に肯定を示した。
「真相を解き明かすとしよう」
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