第六話:氷炎1
誰もかれもが言葉をなくしている中、探偵の口が小さく開かれた。
「……確認をしても構いませんか」
「ああ」
マークスは女性の体を静かに床に預けると、探偵に道を譲るように一歩後ろに下がった。
探偵は女性を抱きかかえると、腕を手に取り、目を見て、そして口元に手を当てた。
「脈も、瞳孔も、息も、していない。何よりも、こんなにも冷たい」
つぶやくような声を聞き取れたのは、僕がようやく野次馬を抜けたからだろう。それほど、小さな声だった。
探偵は一度、大きく息をつくと、倒れた女性の目に触れ、まぶたをそっと閉じた。
「理解したか」
「ええ。これ以上なく」
探偵も、僕も含めて。その場にいるすべての人間が倒れた女性の死を受け入れて、その空気が重く、静かに停滞するようだった。
「……死んだものは仕方がない。早いところ警察にでも連絡するべきだと進言しよう。ここにも『伝話』の一つはあるだろう?」
空気を読まず、女性を見つめていた魔術師が切り出した。
クルビエの言うとおりだ。死体の前で議論しても仕方ない。
「この大きさの会場ですから、事務室のようなところにはあるはずです」
僕の返答もどことなく上の空だったかもしれない。
給仕の姿を探そうとして、ひどく威容のある豪奢な服の男が目に入った。
アルドレッド公爵だ。
「何事だ」
威厳を感じる大きな声が周囲によく伝わる。しかし、この状態をどう伝えたものか。
「……死体です。突然死か殺しかはまだ分かりませんが」
死体の一番そばに居た探偵が簡潔に答えた。
「死体、だと? もう警察には連絡してしまったのか」
「先ほど、給仕さんの一人があわてて走っていきましたから、連絡しているんじゃないですか」
そうだったか。そんなことにも気づいては居なかった。
どうも、死体を前にしてから落ち着きが足りない。
状況を把握するために周囲を振り返ろうとして、公爵のひどく感情の抜け落ちた顔が目に入った。
「―――」
公爵が小さな声で、辺りに残っていた給仕に向かってつぶやいた。
「今、何と?」
とても小さい声だったので給仕も聞き取れなかったらしく、給仕が聞きなおした。
「警察に連絡するのを止めろ、といったのだ」
今度は僕にも侯爵が何を言っているのかは聞こえた。
だが、公爵が何を言っているのか理解はできない。
「わ、わかりました!」
しかし、給仕はその命令に従ってどこかへと行ってしまった。
「どうして止めろ、などとおっしゃるのでしょうか」
探偵の疑問は最もだ。死体がある以上、どんな死に方であれ、素人のでしゃばる領域ではない。専門家である警察を呼ぶのが最優先だろう。
だが、侯爵はその意見を受け入れない、と言わんばかりに立っている。
「この問題は『会合』で起きた問題だ。『会合』の中で解決する」
公爵の無理な提案に周囲がざわつき始めた。
「そりゃちょっと、無茶が過ぎる」
ざわめきの中から、マークス医師の声が聞こえてきた。しかし、先ほど楽し気に会話していた時よりも数段調子の低い声だった。
「それはどういう意味だ。言ってみろ、マークス=プルガスト」
公爵に指名されたマークスは死体に体を向けつつ、顔のみで公爵の方を向いた。
「『会合』の中で解決なんてのはむちゃくちゃだといったんだよ、アルドレッド公爵殿」
挑発するような言い方にも、侯爵は一切動じもしなかった。
「理由を言ってみろ」
「ふん、相変わらず上から目線だこと。わかりやすく言ってやるよ。死体の状況が余りにも不可解だ。警察を呼んで徹底的に捜査するべきだ」
「不可解?」
「ああ。被害者は誰も近くにいない状況で急に倒れ、オレたちが駆け寄る頃には内臓が燃え尽き、かつ氷漬けだった」
公爵は黙って続きを促しているようだった。
「明らかに魔術による犯行だってのに、誰も『接触』していなかった。誰も『詠唱』を聞いていなかった。そして、誰も『魔法陣』なんて引いちゃいなかった」
マークスの発言は相反している。
魔術でしかできないことを、魔術に必要な要素が一つもない状態で起きたといっているのだ。
しかし、それは起きてしまった現実でもあった。
「しかし、そんな絵空事貴様一人の見解ではないのか」
公爵が嘲りの言葉を向けたが、マークスは意にも介さず、自分が言うべきことは終わったといわんばかりに押し黙った。
「マークス医師に、いくつか言葉を足させてもらおう」
死体の検分を行っていた魔術師、クルビエが公爵に語りかけた。
「なんだクルビエ=シアキ」
「一つ。被害者が倒れたときに『接触』、『詠唱』を行った人間はいない。これは会場の人間が証言している」
確かに、被害者が倒れるような音がしたとき、『詠唱』どころか、会話も途切れていた。そして、『接触』していた人間は誰も居なかったらしい。
「二つ。内臓のみを魔法陣で穿つなら、被害者を中心にするような魔法陣は必須だ。けれど、そんなものはどこにも見つかっていない」
被害者が立っていた絨毯は、彼女が吐いた血以外の汚れは見られなかった。
「つまり、魔術を使う事は不可能だった。けれど、魔術が使われた事は間違いない」
「そういうことだ。魔術を使わずに魔術で殺された、なんておかしな話だろう。オレたちで犯人捜し、なんてマネするよりか警察に連絡した方がマシってもんだ」
公爵はマークスの話を聞いて、にやりと笑った。
「死体を前にして何がおかしいんだ、公爵殿」
「マークス、その死体はありえない死体、なんだな?」
「ああ。今そういった」
「つまり、その死体の『真実』さえ分かれば犯人もおのずと分かる、というわけだ」
その公爵の言葉で、ぴんと来た。
公爵との会話に『真実』というフレーズを使っていた男を一人知っている。
しかし、正気だろうか。
「まさか、探偵さんに『真実』をつきとめろ、と?」
僕の口から言葉が漏れてしまったのは仕方ないだろう。
それを聞いた公爵は口角を少し上げた。
「そうだ。察しがいい人間は嫌いではないぞ、アーキライトの小倅」
まさか一度会話しただけの人間にこの状況をあずける、というのか。
「私が、この死体の真実を突き止める、ですか」
探偵の目は公爵にも、僕にも、そしてこの会場の生きてる人間全てを無視して、ただ一点、物言わぬ死体だけを見つめていた。
「できない、とは言わないだろう?」
ただ一度話しただけの人間に、公爵は大きな信頼を寄せていた。
それほど、ロー=ベックマンの名前は公爵にとって重いのだろうか。
それとも、剣を突きつけて微動だにしないその度胸を評価したのか。
「おもしろい、などというのは不謹慎でしょう。しかしその挑発、乗らせていただこう」
無理難題を提示した公爵が正気でないのなら、逡巡もなく快諾した探偵は常軌を逸している。この場の雰囲気にでも当てられてしまったのだろうか。
「いい返答だ。ならば、これよりこの死体の捜査の権限はこの探偵に全権をゆだねよう。全ての入り口は封鎖しておけ」
公爵の命を聞いた給仕たちが即座に散っていった。
「探偵、タイムリミットはいつまでがいい」
「さて。こんな閉鎖空間ではある程度の時間を越えると、出たがるために嘘の証言をするものが出てきかねない。早い話が人間の証言能力に疑問が出てきます。あまり長い時間はまともな捜査はできないでしょうね」
公爵の口角がわずかに上がった。
「そこまで分かっていて、引き受けたのか?」
「もちろん」
死体の周囲を見渡す探偵の双眸に狂気は見られない。
「面白い、だが言うだけは言ってみろ。その間は時間稼ぎに協力してやろう」
「二時間。早ければ人間そのくらいで我慢の限界が来る人もいるでしょうし、それまでに決着をつけます」
抑えきれない笑みが、公爵から零れ落ちていた。
「いいだろう。アーキライトの小倅を助手にでもしてやれ。良い報告を楽しみにしておく」
公爵は靴音を大きく鳴らしながら反対側の部屋へ帰っていった。
第一貴族のほとんどはこちらにきてもいないし、事態を知らずに仕切りの向こうでのんびりしているだろうから、彼らへの説明もかねて、だろう。
しかし、探偵と公爵の約束は無茶が過ぎる。
「良かったな、ロビン君。公爵殿よりじきじきに助手扱いだそうだ」
探偵は軽口を叩いてくるがそんなことはどうでもいい。あくまで公爵が勝手に言ったことだ。
「それよりも、探偵さん、正気なんですか。まさかたった二時間で犯人を見つけるつもりなんですか」
こっそり耳打ちしたつもりだったが、遺体の検分をしている魔術師クルビエも、医師マークスもこちらの方を振り向いた。
「ああ、捜査の魔法とかないのかい? 犯人を捜してくれと言ったら一瞬で見つけてくれる奴」
聞いているのかいないのか、とぼけたような返答を返してきた。
「以前はあったらしいですけど、ストーカー行為に使う一般人が多すぎて封印されましたよ」
「そういうのはいつの世も変わらないね」
「まさか、そんなのを当てにしていたわけじゃないでしょうね」
「冗談だよ、冗談。そんなのがあるなら真っ先にそこの魔術師さんが使っているだろうし」
ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
「それは悪かったね」
返事をするクルビエの言葉は荒っぽい。
魔術での協力ができない、というところに彼も思うところがあるのだろうか。
「ま、公爵の行為も犯人が警察にまぎれて脱出する可能性もないわけじゃあないし、これはこれで悪くない。それに、ある程度アタリがついているからこそのさっきの言葉だ。手袋をはめてこれを見るといい」
探偵は一部が赤く染まった手帳と新品同然の手袋を差し出してきた。
「なんですか、これ」
「手袋の方は私の私物だ。こちらの世界では指紋をみる技術はほとんど進んでいないようだが、無闇に証拠を減らすものでもない」
「手袋の方はいいんです、この手帳は?」
手袋を両手にはめながら質問を返した。
「被害者の服から抜き取った」
探偵がさらりと言ったことに医師マークスが露骨に嫌そうな顔をした。
「あんた、いつの間に」
「遺体に触れさせてもらったときにこっそりとね。警察が来る前に事情を把握しておこうと努力した結果だが、公爵のおかげで無駄になった」
「ずいぶんと手癖のいいことで」
「そう褒めなくてもいい」
マークスの嫌味を探偵は適当に受け流していた。
ともあれ、由来はわかったのでぱらぱらとめくる。
「ロビン君、中でも被害者の女性がここ一週間の出会った人間を読み上げてほしい。もちろん、関係ありそうな人物だけでいい」
「ええ、構いませんけど。……まさか、これは」
口にするのは憚られる。なんせ、ここに乗っている名前は、よく知っているものばかりだ。
「いいんだ、言ってしまえ」
「エルジェ、マークス、クルビエ……」
それも、この会場にいる人間の名がいくつも。
血の気が引いていくのを感じる。名前を一つ言うたびに、周囲の温度も一つ下がっていくようだ。この場にいる人間の名前が何人も書き連ねられていた。
「どうだ、ここの関係者の名前が何人か。他にも君の知る範囲で、怪しい人物の名前はないかね」
「怪しい、ですか」
「というか、この『会合』に来ている人間だね。君はよく貴族のことを知っているようだから名前だけでもわかるんじゃないか」
分かるものか、とも一瞬思ったが有名どころの名前を二つ見つけた。
「後は音楽家として著名なアンガスタ、竜殺しの異名を持つ巨人スリエス。この両名はお見かけしました」
一人はピアノに座っていた。一人は先ほどの大男だ。
「あのピアニストに大男か。いいね、一瞬とは実に仕事が速い」
探偵のほうもすぐに気づいたらしい。
「書類仕事も普段の仕事のうちですから、名前を見つけるのは慣れてるんです」
「領主様となれば領民の管理も大変な量になるか」
探偵が納得したようにつぶやくと、そのまま辺りを見回し始めた。
「ちょうどいいところに。おい、給仕君、ちょっと来てくれ」
彼は近くを通りかかった、食器を運んでいる給仕を呼びつけた。
給仕は空の食器が積まれたワゴンを手放して、こちらへと向かってきた。
「何か御用でしょうか」
「給仕君、エルジェ氏、アンガスタ氏、スリエス氏の三名を連れてきてくれ。公爵様の命を受けた奴の御使命だ、といえば集まるだろう」
「それは構いませんが、こちらの食器を片付けてからでもよろしいでしょうか。何分、今手が足りないのです」
警備員も居るとはいえ、出入り口封鎖と第一、外来貴族問わず説得したりも大変だろう。同情しなくもない。長丁場も想定されるし、食事なんかも作っているのだろうか。
「それで構わない。20分以内につれてこられそうかな?」
「そこまではかかりませんよ。10分ほどで済みます」
「よし、任せよう。ああ、それと、死体の周りの食器なんかは片付けないようにしておいてくれ。一応現場を保存しておきたい」
「死体回りどころか、この部屋の食器などには触れないようアルドレッド公爵より厳命されております」
「そりゃありがたい。じゃあ三名を呼びつけるのは任せた」
給仕は了解、と言うとこの場を後にした。
呼びつける以上、容疑者として扱うということなのだろう。
「しかし、探偵さんはその五名の中に本当に犯人がいると?」
できるだけ小声で言ったおかげか、今度はクルビエとマークスの二人は反応しなかった。もしかしたら、自分たちが容疑者であるのは分かりきっているし反応するまでもない、ということか。
「どうかな。しかし、理由もなく殺しをする人間なんていない。今回の殺人が衝動的な殺人とは言いがたいね。誰にもばれないように内臓だけ破壊する、なんて無計画とは思えない」
「それはまあ、そうでしょうけど」
「そうなれば、殺意が生まれる可能性の会った関係者を当たる方が常道だ。ほかにも快楽を求めてや常人には理解できない法則に従う輩の可能性もあるだろうが、今回は違うだろう」
「どうしてそうだと言い切れるんですか?」
「言い切ってはいない。ただ、自己顕示のための意味深な模様もないし、似たような手法での連続殺人が近年あったわけでもない。殺人そのものに意味を持たせるタイプではないだろう、というだけさ」
「でも、その手帳に載っていない人間でも彼女と親交が深い人間はいたかもしれませんよ」
「それに関しては呼びつけた人間たちに聞いてしまおう。友人の友人くらいなら知り合っていてもおかしくはないだろうし」
不確実な捜査方法でもあるとは思うが、時間がない以上そんな手を取るしかない、ということでもあるのかもしれない。
「そんなことより、他の三名が来る前にやるべきことはやっておこうか」
探偵は手袋を再度はめなおすと遺体を触り始めた。
「おいおい、あんまり不用意に触るなよ?」
マークス医師の注意を聞き入れるでもなく、探偵は好き勝手触っていく。
医師は諦めたように首を振ると探偵に譲るように死体から一歩はなれた。
「ドクター、少々質問よろしいですか」
「ああ。死体のことだろう?」
「そうです。瞳孔の白濁や死斑の状態、遺体の温度で死亡推定時刻を測るのはこちらでも一般的かどうかを知りたい」
「心臓と呼吸から死亡状態は確かめたりもするが、死亡推定時刻の推定にあんまりそういう手法は使わないな」
「それはなぜ?」
探偵が尋ねた質問に対して、医者ではない人物が返答してきた。
「もっと単純で正確に測る手段があるからだよ、探偵君」
魔術師クルビエだ。
「もっと単純で正確、というのは?」
「体内の魔力を計測する方法だ」
「魔力を?」
「ああ。大体見れば何割くらいの魔力が残っているか分かるだろう?」
探偵は遺体をチラリと眺めるが、首を横に振った。
「全く分かりません」
「ああ、探偵君は魔術ダメなんだっけ。まあその魔力ってやつは、死人の体からは減る一方なんでね。一割減ったら死亡後一時間、といった具合さ。詳しくはこの表を見たまえ」
パチン、とクルビエが指を鳴らすと、クルビエが取り出した表がしゃがみこんだ探偵の頭上に【転移】した。
ヒラヒラと落ちる紙を探偵が取ると、それをまじまじと見つめ始めた。
「……なるほど、よく調べられています。今回はどのくらい魔力が残っていますか?」
「ほとんど減ってない。その表で言うと一番上に当たる。死んだばかりと言って間違いない」
それは僕も見て分かるくらい魔力がある。クルビエの発言どおり、この死体はたった今死んだものと考えて間違いない。
「なるほど」
探偵は相槌を打つとふむふむ、と数度うなずいた。
「魔力ついでに、クルビエさんにお聞きしたいことが」
くるり、と探偵はクルビエのほうを向いた。
「魔術が使えなかった、と公爵に説明していた点について少し詳しくお聞きしたい」
「どうぞ」
「腕利きの暗殺者が屋外からキリカさんを狙い打った、という可能性はありますか?」
「目をつぶって他人が持った針の穴に糸を通せるなら可能だろうね」
「思いつきですが、魔術で自身を透明化して被害者に『接触』というのは不可能ですか?」
「不可能だ」
問いに対し、その質問は答えたことがあるかのようにクルビエは即答した。
「断言しておられますが、その根拠は?」
「ボクが見ていないからだ」
「あなたでも見えない透明化の魔術というのはありませんか?」
「まさか。天が許し、神が見逃そうとも。そんな輩はボクだけは許しも見逃しもしない」
クルビエの表情は見えないものの、わずかに見える瞳と声質のみで怒りの感情が伝わってくる。
自分が犯人として疑われていることより、自分の能力が疑われていることに怒りを覚えているのだろうか。
「分かりました。信頼しましょう」
「ああ。そうしてくれ」
クルビエからは先ほどの感情はすでに消えたようで、落ち着いた声で返答していた。
「次は被害者の素性か。ロビン君、故人はキリカ=レイズールというらしいんだが、心当たりは?」
どこで名前を確認したのか、とも思ったが手に持った手帳を眺めて理解した。その一番後ろに小さく走り書きのように『氏名:キリカ=レイズール』と書かれていた。
その名前から連想されるのは呪術師キリカだろうか。
「キリカ=レイズールといえば有名な呪術師でしょう。一般的な魔術とも、医療に特化した錬金術とも違う手法で医療に励んでいる、とも聞いたことがあります」
「ほう、じゃあドクター、クルビエさんと並び立つ人材だったのかな?」
「まあ、一般的にはそういう認識の人も少なくなかったかもしれません」
濁した言い方だが、クルビエの反応はなく、マークスに至っては少々不快そうだ。
それを見る限り、彼らはキリカを認めている、というわけではなかったらしい。
呪術は不浄なるものを利用して行われる魔術の一種。清浄であることの重要性をマークスは語っていたし、あまり相容れる存在ではなかったのかもしれない。
「後は遺体の状況を確認だ。死んだときには一人。……何してたんだろうか」
「さあ、めぼしい人間と話し終わって、後は残った料理でも食べようとしてたんじゃないですか」
「そういうものかね。それで、オレンジジュースを飲みながら倒れたのか。……オレンジジュース? そんなものあったのか」
「一応、端のほうにおいてありましたよ。呪術師はあまり酒を好みませんから、代わりにそちらを飲んでいたのでしょう」
酒を利用して不浄を清める魔術的作法は多い。不浄を利用する呪術とは噛みあわせが悪く、酒を嫌う呪術師も多いらしい。
探偵がゆさゆさと瓶を振っている。なみなみと瓶の中に満たされた中身を見る限り、彼女が飲んでいた分しか減っていないように見える。
「こんな料理を味わうなら水のほうがいいと思うんだけど、その辺は好みかねぇ」
もしかしたら、【操水】の魔術が使えず、いちいち給仕に頼むのも面倒で酒代わりに置いてあったオレンジジュースを飲み続けていたのかもしれない。
瓶はいくつか空のものがテーブルにあり、何本も飲んでいたようだ。
「空が二本で、開けたばかりのが一本、未開封が一本。あわせて一升瓶ぐらいのを四本。もしかしてこのオレンジジュース彼女の独占状態だったんじゃないか。それなら飲み物を探したとき私が見つけられなかった理由にもなる」
「みなさんお酒が好きですから、そんなことをしていても咎める人はいなかったかもしれません。わざわざこんなところで粗製乱造のジュースにこだわる人も少ないですよ」
貴族御用達のお高いワインなんてのもあったはずだ。僕にはその価値は分からないが、子供向けの一本150メントくらいのジュースよりはおいしいと感じる人間は多いのだろう。
「それもそうか。まあこんだけオレンジジュースに固執してるんなら酒をロクに飲んでいないだろう。それなら酔っ払って暴発した、という線はなさそうかな」
「万が一酔っていても、魔術の暴発で死ぬ事はまずありません。蛇が自分の毒で死ぬことはないのと似たような理由です」
「上手いこというじゃないか。ちなみにその毒、つまりは内臓を凍らせるのとやけどさせる魔術、っていうのは誰でも使えるものかな?」
上手いことなど言ったつもりはないが、その程度なら基礎的な魔術と言っていい。
「得手不得手はあっても初級レベルの魔術ですから、探偵さんのようによほど魔術適性がない人間でない限り、使おうとして使えない方は少ないかと」
「私のことには言及しなくてよろしい」
ちょうどいい例外なので触れてしまったが、探偵も少しは気にしているらしい。
「まあ、そんなことはいいんだ。ロビン君、最後の確認だ」
「なんでしょう?」
「公爵のあの言動、君なら予測できたか?」
「あの言動、って今の探偵さんとの約束ですか?」
もしかしたら探偵との会話を聞いていた人間なら予測はできていただろうか。
「そこまでじゃなくてもいい。貴族たちを閉じ込めて犯人をあぶりだそうとするとか、してしまいそうな人かい?」
思い返せば、似たような事件が一度あった。
「以前、窃盗があったときもこんなことをしていました。もちろん、探偵さんの役の人はいませんでしたけど」
「そのときはどう解決したんだい?」
「全員の荷物、身体検査をくまなく調べつくして犯人を特定していたかと」
「実に合理的だ」
探偵の言い分が皮肉混じりに聞こえるのは僕だけではないだろう。それに、今回は犯行の証拠が犯人の手の内に残っているとは思えないから、今は意味をなさないけれど。
「探偵さんはご存知ありませんでしたか? 結構有名な話だったと思うんですけど」
「君たち貴族と我々平民のコミュニティは好む情報に格差があるんだ。貴族は他人の弱みを握るのを好むだろうけど、我々は金と享楽になることを好む」
「それは偏見でしょう。僕たちも金銭と楽しみを欲する事はありますし、探偵さんも人の悪口を喜ぶ人は見るでしょう?」
「傾向の話さ。どうあれ、犯人はやはり、多かれ少なかれこの状況を想定していた、ということになるか」
探偵のつぶやきはどうも、最初から分かっていたことを改めて聞くような、そんな口ぶりだった。
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