第五話:外来貴族2


 件の魔術師は、実際目の前にするとフードを目深にかぶっていて、顔にまかれた包帯さえわずかにしか見えなかった。


「何だ、君たち。ボクに何か用か」


 声を出すときだけ、わずかに口元の包帯が開閉する程度。


 その声は、黒い衣装に反して、やや高い。まるで少年のようだ。


「僕の名前はロビン=アーキライト。クルビエさんの魔術に少々興味があって、お話を聞きに来ました」


「私は……まあ探偵とおよび下さい。右に同じです」


 僕たち二人の自己紹介を、クルビエはじっくりと聞いていた。


「……別に、話すのは構わないが。何か対価を持ってくるのが筋というものだ。それが『魔術師』との取引の基本でもある」


「……ふむ、対価」


 古い考えだ、とも思うが、対価を重んじるからこそ、魔術師は魔術師足りえるとも聞いた。古の時代から、生贄を、生き血を、魂を、彼らは対価として支払うことでより大きな力を得ていたのだから。


 しかし、急に要求されても困る。血を出せというのであれば出すがどう出せばいいのか。こんな席で指を切って血をたらす、というわけにも行かない。


「話の対価、というならこちらも話をする、というのもなくはないですが……一番はコイツでしょう」


 探偵は後ろ手からビンを取り出した。


「いつの間にそんなものを」


 銘柄はこの会場においてあったものとは異なる。どこからもってきたのだろう。


「酒か。それもデルクの一等級じゃないか。献上物としては上出来かな」


 顔は見えないが、クルビエはどうも少し機嫌がよくなったように見える。


「お気に召したようで何より。そんなに酒は好きでしたか?」


「そういうわけではないがね。魔術師というのは儀式を遵守する人間を好むというだけさ」


 嘘だろう。明らかに酒を見てから声色が変わった。そんなに高い物なのかは判断がつかないが。


「しかし、そんな対価をもらってもいい話ができるほど、ボクは面白い経歴なんて持ち合わせてないけどね」


「それは謙遜もいいところでしょう。なんせ数少ない魔術師を生業としている方の一人と聞きました」


「ついさっき、だろう?」


 クルビエは僕らが先ほどまで居たテーブルを見た。


 ここから見るとずいぶんと遠くにあるように見えるし、少し耳を澄ませた程度では会話は聞き取れないと思っていたのに。


「おや、聞かれていましたか。気分を害されたなら申し訳ない」


「なに、魔術師というのはどんな小さな『詠唱』でも聞き取る必要があってね。嫌でも耳が鋭くなるものさ。気にすることじゃあない」


「いやいや、お詫びと言っては何ですがお注ぎしましょう」


「ふふ、せっかくだ、話の前に一杯もらっておこう」


 とぽとぽ、と酒が注がれていく。


 クルビエは口元だけを外界に晒すと、くい、とそれを飲み干した。


「ふふ、人に注いでもらうだけでもなんだか味が違う気がするね」


「はは、実は私の私物でして」


 どこにそんなビンをしまっていた、と思ったが、探偵の持つ小さなカバンになら入っていたのかもしれない。


「おや、君もお酒は好きなのかな? こいつはずいぶんと高くついたと思うんだけど」


「いやいや、私自身は飲みませんが、こうした機会でもないと飲む方が居ませんから。お話の一歩にどうぞ」


「それじゃあ、ありがたくいただこう。しかし武勇伝もなければ貴族になったときのエピソードなんてものもない。話すものなんて特にないんだがねぇ」


 貴族になったときの話がない、というのはどういうことだろうか。


「何か武勲なり国に大きな貢献をすることでしか貴族に取り立てられることはない、と聞きましたが」


 探偵の問いに、クルビエはこちらのほうへ視線を向けてきた。


「ボクはそちらのロビン氏と似たようなものでね」


「似たようなもの、というと父君も貴族だった、ということですか?」


「そういうことさ」


 クルビエは手元の酒にさらに一口つけた。


「父の名前と研究を受け継ぐことを条件に、本来一世代限りである第二貴族としての爵位も同時に引き継ぐことをゆるされたんだ。だから、厳密にはクルビエ二世と呼ばれるべきなんだが、最近はその辺りを気にする人間は少ないね」


「名前と研究を引き継ぐ、というのはつまり……」


「ああ。ボクの父はすでに亡くなっている。そんな悲しそうな顔をするな、こっちのバツが悪くなる。もう20年ほど前の話だ」


「20年? それにしてはずいぶん声も背丈も若い方のように見えますが」


 僕より身長が少し高い程度で、声変わりなんてしてるかどうかも怪しい声。もしかして、10代前半なんじゃないか、とさえ思っていた。


「まあね。若返り、とまでは行かなかったが、老化をほぼ無くす魔術をボクの代でようやく開発してね。自分にも実験台をかねて使ったのさ」


 クルビエの若返り、という単語にほう、と探偵が反応した。


「もしや、その技術をエルジェ夫人にもお売りになったとか?」


「明言はしないよ。守秘義務という奴さ」


 そんなごまかし方では口に出しているようなものだと思うが。しかし、それであの夫人の若さの秘訣もよくわかる、というものだ。


「ちなみに、おいくらで」


「これくらいかな」


 クルビエが裾から出した紙を探偵に見せる。


「うっ」


 探偵の悲鳴のような感想を聞いて気になったので、ボクもそれを回り込むように確認する。


「……」


 言葉に詰まった。僕の持つ領地の半分を切り売りすればなんとか工面できる程度。


「ちなみに、これ一回で三年程度かな」


「20歳の若さを60年間保つとしたらその20倍かかると」


「美しさの対価としては十二分だけどね」


 十二分としても、その代金を稼ぐ方法を考えるとぞっとする。


 エルジェ夫人は本当にこんなのを支払っているのだろうか。


「まあ、自分の肉体を全盛期に保ちたい気持ちは分からんでもありませんが。私もこの頭脳が衰えなければいいのに、と考える事はままあります」


「残念ながら、思考能力をそのままに脳の老化を止める事はまだ難しいかな。まだ脳の原理の端すらわかっちゃいない。僕の次代でもできるかどうか」


「思考能力がそのままでなければ脳の保存もできる、ということですか?」


「氷漬けになるが構わないかな?」


「遠慮しておきましょう」


「なりたくなったら言ってほしい。今見せた金額の1000分の一で100年はその頭脳を保って見せるとも」


「一種の未来旅行と考えればそれもありか……?」


 探偵が本当に悩んでいるようなので、訂正を入れておくことにした。


「探偵さん、落ち着いてください。頭脳だけですから、肉体の保存をするとは言ってませんよ。それに誰が解凍をするんですか」


「ロビン君、君は鋭いな」


「似たような話が有名なんですよ」


 有名なおとぎ話の一つに、似たようなものがある。


 魔女が永遠の命を与えようと言って、その口車に乗ると肉体だけが永遠の命を得て、魔女の食料として永遠に活かされる、という趣味の悪い話だ。


「さすがは第一貴族、その辺りもよく知っておられる」


 第一貴族、という言い方に嫌味が感じられないのはクルビエのやわらかい物腰故か、さっきの探偵と夫人の暗中の毒吐き合戦にあてられたからか。


「解凍できないといっても100年もすれば発明されるかもしれないじゃないか」


「ふふ、そのときには冷凍技術が未熟で完璧には保存できていなかった、となるのさ」


「……そんな小話を故郷で読んだことがあります」


「おや、それはさぞ想像力に満ちた作家だったんだろう」


 クルビエの表情は伺えないものの、声色は楽しそうに聞こえる。


「ところで、現在は何の研究をなされているのですか」


「今言った若返りの研究は最優先かな。今のままじゃ値段もそうだし、素材も高級すぎて一年に数人しかできないし、そもそも老化をせき止めているだけで若返りには程遠い」


「それはまた、課題は多そうですね」


「ああ、特に素材の問題が厳しい。あれを大量に確保できれば研究もいくらかはかどるんだが」


 忌々しそうにつぶやくクルビエからは、あきらめの様なため息も聞こえてきた。


「例えばどんな素材が必要なんですか」


「竜の首の珠とか、火鼠の皮とか、そういった希少な素材だよ」


「……なんに使うのか、どう使うのか、すらわかりませんね」


 少なくとも、実際には目にしたこともない素材だ。一般に流通しているモノではないだろうし、その存在さえ知ることは難しいものだろうか。


「あとは蓬莱の玉の枝とか?」


「……君は実に勘がいいな」


 だというのに、探偵はその情報すら希少な素材を言い当てた。


 クルビエも、難なく言い当てた探偵の言葉に驚きを隠せていないようだった。


「それともなんだ、君の故郷じゃすでに一般的な技術なのかい?」


「まさか、不老の術すら発明には至ってません。ちょっとおとぎ話に似たようなものがあって、それなんじゃないかと思っただけです」


 おとぎ話、と一口に言っても文化によって大きく異なるもの。にもかかわらず、その話の中に出てくる宝物と不老の薬が同一だった。


「ふうん、偶然とはあるものだね」


 実に奇妙な話ではあるのだけど、クルビエは軽く聞き流すような口調だった。


 魔術師、というのはその多くが自己の殻に閉じこもっている。もっと言えば、他者にあまりに興味がない。他人とかかわるよりも、自らの魔術の研究を進めねば、という人間の方が多いのだろう。


 彼がこの会場にいるのも不思議なくらいだ。クルビエ=シアキという人物は魔術師の中でも変わり種の方なのかもしれない。


「何にせよ、あまり市場に出るものでもないからサンプル一つ手に入れるのも大変だ。時には自分で狩りに行くこともあるくらいでね」


 ……聴き間違えただろうか。


 自分で狩りに行く、といったのかこの人は。


「竜も火鼠もSランクモンスターの一種のはずです。王国にも10人と居ないSランクの冒険者が束になって勝てるかどうか、と聞きました。それを、どうやって」


「ははは、噂には尻尾がつき物でね。実際のところは準備さえ怠らなければSランクの冒険者なら一対一でも勝算はある。このSランクの冒険者様がいうんだから間違いない」


 クルビエは自分自身を指しながらそういった。


「へぇ、偉大なる魔術師にしてトップクラスの冒険者。言葉にするだけでもすごい肩書きだ」


「必要に駆られて、というところも大きい。分不相応な肩書きさ」


「そういう謙虚なところもすばらしいところです」


「……君は実に褒め上手だ。乗せられているとわかっても実に気分がよくなるよ」


「本心なんですがね」


 探偵は困ったように笑っていた。


 彼の仕事は真実を探求する、などと言っていた。そうやって相手の気分をよくさせて話を引き出すのも、彼の仕事の一角なのだろうか。


「そうだ、ついでですから何か魔術の一つでも実演してもらえませんか?」


 探偵は興味深げにクルビエに問うが、彼は困ったように小さく唸った。


「実演、と言ってもね。この会場で不用意なことをやると君とボクの首が飛ぶ」


 ついでに僕の首も飛ぶ。そんなことになっても困るので、対案を出さねばならない。


「……そう、探偵さんはあまり魔術には詳しくないんですよ。ですから、そういう方のための講義なんてありませんか?」


「すぐに思いつくものでもないなあ」


「こう、初心者向けの、あるいは子供向けのやつとか」


「子供、子供ねぇ……」


 なぜこちらを見るのか。もう成人済みなのに。


 クルビエは僕と探偵を交互に見回したあと、探偵の手元を見て目線を止めた。


「いいのを思いついた。えー……探偵君、そのコップをこちらに出してくれ」


「いいですけど。それならさっきロビン君に『詠唱』してもらったばかりですよ」


「いやいや、『詠唱』なんてしない。『接触』も『魔法陣』もなしだ。第四の法則をお見せしよう」


 クルビエは探偵の方に半歩だけ踏み込んで、手の平を上向きにして、親指と中指で塩をつまむようにその平を閉じた。


「よく見たまえよ」


 パチン、とクルビエが閉じた指を打ち鳴らした。


 同時に、探偵のコップに水が注がれていった。


「おお、『詠唱』も、そして触れても居ないのに、指パッチン一つで水が出てきた。これは一体?」


「ふふ、言っただろう? 第四の法則を操ったのさ」


「ううむ、何と言う。本職の『魔術師』ともなると違うものですね」


 感嘆する探偵と、賞賛を受けてうれしそうにうむうむ、とうなずくクルビエ。


 しかし、今の現象は子供だましに過ぎない。あるいは、探偵のような魔術に疎い人間でも今のように騙せるか。


「探偵さん、今のは第四の法則なんかじゃありませんよ」


「何だって?」


 探偵はどうも本当に困惑しているらしい。


「今のは『詠唱』ですよ」


「しかし口の一つも動いちゃいなかった」


 確かに、包帯の隙間から口元が覗いてはいなかった。


「しかし、手を打ち鳴らしたでしょう。あの音を『詠唱』代わりにしたんです」


「……そうなんですか?」


 探偵はクルビエのほうを向いたが、特に否定する様子は見えない。


「見事に騙されてしまった、と」


「そう落ち込むことはないよ、探偵君。原理としては『接触』の要領で魔術を手のひらに呼び起こし、『詠唱』と同様に魔術を手のひらで唱えるわけさ」


「……ちょっと、『詠唱』の意味が分からなくなりそうです」


「簡単な話魔術で確保すべきは『循環』だ。発声した言葉を聴取し、それを寸分たがわぬ時間で再度発声する。それによって発声と聴取が『循環』し続け、あふれた分が魔力となり、魔術の元となる。発声の代わりに自分のよく使う音でも代用できるんだ。代替効果ともいうんだけど、うまく必要な音を出せれば詠唱とみなせるわけだ。……少ししゃべりすぎたかな」


「いやいや、こちらから聞いたことですし、実に興味深いお話でした。しかし、こちらの国では知らない法則が多いこと、多いこと」


 探偵の困ったような顔を見てか、クルビエのフードの奥から笑い声が聞こえてきた。


「しっかり覚えたまえ。知識こそが人生の蓄えさ」


「身に染みて分かっておりますとも。どうにか頭で理解できるよう努力します」


「いいねぇ、先生もやってる以上そういう殊勝な心がけを見ると応援したくなる。理解には実演が一番効果的だ。もう一度見せてあげよう」


 クルビエはもう一度指先で手のひらを打ち鳴らした。すると、今度は探偵のコップに氷があふれるように現れた。


「あら、ちょっと多すぎたかな」


 その氷が出終わる頃にはコップからあふれ、床に多くの水が零れ落ちていた。


「大丈夫ですよ、私が拭いておきますから」


「いや、自分でこぼしてしまった水だ。ボクが処理しよう」


 クルビエはさっきまでのポーズと違い、床の水に対して手のひらをかざした。


「空へと還元す【蒸発(シエン)】」


 正式な詠唱と共に唱えられた呪文が魔術として効果を発揮し、水を蒸発させていった。


「皮膚についた水はこれで拭いておいてくれ」


 クルビエは全身を覆い隠すような布の中から白いハンカチを探偵に投げるように手渡した。


「おっと」


 探偵があわててそれを落ちる前に取ると、クルビエは背中を向けていた。


「それは返さなくていいから、それじゃ」


 それだけ言って、クルビエは足早に去って言った。


 その動きはせかせかとしたもので、彼に感じていた余裕というのが一瞬で消えていたように感じた。


「もしかして、今の魔術の失敗が恥ずかしかったのか」


「本職の『魔術師』が魔術で失敗したら恥ずかしくもあるでしょう。もしかしたらあの指で魔術を詠唱するのはなれていなかったのかもしれません」


「なるほどね。しかしクルビエさんのおかげで一つ謎が解けた」


 探偵は嬉しそうにしているが、僕にはピンとこない。


「謎、ですか。そんなものありましたか?」


「私が料理になじみがない、しかし君は使い慣れていてその感覚が分からないといったアレだ」


「ああ、そんなのありましたね」


「私たちは同じ言語を話しているのに不自然だな、と思ったんだが、たった今解決した」


「どういうことですか」


「君たちは料理名と魔術の詠唱を同じような調子で言っているんだ。だから私になじみがなかったんだ。シエンが蒸発の魔術なら、グスタも何かしらの魔術名だろう?」


「確かに、燃やす魔術の一つに【燃焼(グスタ)】というものがありますけど」


「ビンゴだ。そうなると、シエンは海の水を蒸発させるところから塩に結びついたんだろう。それならシエン・グスタで塩・焼きというわけだ。いや、思わぬところでスッキリした」


 探偵は晴れ晴れとした顔をしている。


 もしかして、ここで外来貴族と話をしようと言うのもその謎を解決するためだったのだろうか。


「あとはもうあの音楽家ぐらいしか心残りはない。彼の音楽が終わったら最後に彼と話して貴族巡りも終わりとしよう」


 貴族巡り、という言い方はどうかと思うが、探偵の気が済んだならこちらとしても構わない。


 探偵に連れられたとはいえ、なかなか楽しく有意義な時間も過ごせた。






 誰も彼もが話すことも尽きたのか。ピアノだけが音を奏でていた。






 水でも飲みながら待っているか、と手にコップを取ったとき。


 何かが倒れる音と、割れる音がした。


「おい、しっかりしろ、おい!」


 そして、誰か男の叫ぶ声が周囲の音を消し去った。


 その声を聞いた探偵は手に持ったコップを近くのテーブルに叩きつけると、音の元へと駆けて行った。




 何があったのか気になるのは僕も同じだ。


 よろよろと近づいてみるが、すでに野次馬のようになった外来貴族たちが邪魔で、よく見えない。


「いったい、何があったんですか」


「何があったか、だと?」


 ダメもとでつぶやいた言葉は、上空から返事が来た。


 上を見上げてみれば周囲の男性たちよりも二回りほど大きな男がこちらを見下ろしていた。


 誰かはわからないが、彼ほどの身長ならこの垣根を超えて事態を把握しているかもしれない。


「見えているのなら、教えてもらえませんか?」


 男は人々の壁の向こうを見やると、簡潔に答えた。


「女が倒れたんだ」


 信じがたい言葉だが、それを確認するための視線は人々の体で遮られている。


 野次馬根性というのか、この会場の人々がほとんど集まり、立ち尽くすように中央の出来事を見守っている。


 しかし、誰かが倒れているっていうのに、どうしてこの外来貴族どもは動かないんだ。


現状を教えてくれた大男だって、何の動きも見せそうにない。


「どうして、だれもその女性を助けようとしないんですか」


「…………どうしようもないからだよ」


 子供を諭すような、その大男の言い方が気に食わなかった。


 どうしようもないからと言って、だれも動かない道理もないはずなのに。


野次馬どもの体を押しのけて人の群れの向こう側へと乗り込むことにした。


 一人、二人、三人と通り抜けたあたりでようやく中央の風景が見えてきた。


 探偵は、地面に拳を打ち付けていた。


 魔術師は、無気力に立ち尽くしていた。


 医者は、悔恨を顔に浮かべつつ、女性を抱きかかえたまま座り込んでいた。




 抱えられた女性には生気がなかった。


 頭も、腕も、足も、そのすべてが重力に逆らう力をなくし垂れ下がり。


 何よりもいびつなことに、その女性の腹は焼けこげると同時に氷柱が飛び出していた。


 身を焼き尽くし、内臓を貫かれ、命の脈動はない。


 どうしようもないからだ、という大きな男の言葉の意味をこれ以上なく理解した。


 誰がどう見ても、その女性は死んでいた。


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