第20話 雪原での戦闘録・対スノウラビ戦

 躰が重いと感じるのは、きっと錯覚などではない。

 まるで高山の空気が薄いかのよう、口で呼吸を何度もするのに、その。酸素が少ないのではと思うほど呼吸がままならず、躰が前傾姿勢になってしまう。

 まず、雪花せつかは腹筋と背筋を意識して、直立する。呼吸は深く、長く、そうすれば最低限の落ち着きは取り戻せる――。

 そこは。

 一面が白の世界だった。

「うわー……」

 地平線が見えるほどの広さ、その一切が白色で埋め尽くされた平野。一歩を踏み出せば、足首まで埋まろうかという深さのある雪に覆われ、口から出る吐息も白色だ。

「寒いけど、綺麗。ちょっと眩しいけど」

「なら躰を動かせばいい。面白いものを見せてやるよ」

 右足を軽く上げて、雪面を叩けば、すぐに。

 五メートルほど先に、雪の中から飛び出てきた小さな魔物がいた。


「――うわ」

「あら」


 だいたい躰がのサイズとしては、三十センチ。真っ白な躰に、真っ赤な小さな瞳。かたちはウサギ、寒さに耐えるためか体毛がやや発達しており、特に耳が尖っておらず、丸みを帯びていて、見るだけで柔らかそうだった。

「どうだ可愛いだろう。なあ?」

「確かに、雪花の次に可愛いかもしれないね――と、聞いてないか。いや冗談でなく、可愛らしいと思うよ」

「というわけで」

 純一郎は笑う。

「一応、魔物の分類だが、最悪の場合以外は殺すなよ。死にたくなるような説教をされたくもないからな――」

「あ! 待って!」

「ああ……でも、潜る姿もいいわね」

 両手でかき分けるよう、雪の中に戻ってしまう。尻尾も丸く、それが消えれば入り口も雪で隠れてしまった。

「あれはこっち特有よね?」

「スノウラビな。俺も一年くらいそっちを、あちこち歩いてたが、スノウラビは見なかったから特有だろ。殺さないようにな」

「可愛すぎて殺せないって、あんなの」

「そりゃ良い」

 また一匹、雪の中から違う個体が姿を見せた直後。


 一気に、数百ものスノウラビが飛び出してきた。


「なにこれ! なにこれ!?」

「ちょっ、え、なにここ天国かしら!?」

「ちょっとしたホラーだよ……」

「殺すなよー」


 そして。

 スノウラビは、雪の上を掴むよう、大きめの後ろ足で空中に飛ぶと、こちらめがけて突進を始めた。


 普段の癖だ。

 特に剣などをさばく際の行動と同じく、左手で直線の動きを反らすために突き出し、スノウラビの側面に触れようとした。小さな接触でいい、それだけで軌道は反らせる――が。

 あろうことか、それを予見していたかのよう、雪花の腕を足場にするよう躰を回転させ、そのまま顔をめがけて跳躍。

「――あぶなっ!」

 それをなんとか回避した。

 雪で脚を取られるのなら、移動は最小限に抑えなくては。


 さすがに多すぎる上に、躰が重い。魔力の循環が滞っているのを感じながら、そんなものは言い訳かと苦笑したエルシアは、周囲に術式を展開する。

 それは〝道標ガイドライン〟と呼ばれるものだ。

 使い方はいろいろあるが、今回は自分の周囲にラインを引くよう配置。矢印をつけて線を引くようにして道標の術式を使うと、基本的にはその線に沿って、飛来したものは移動する。

 錬度次第の部分もあるが、速すぎたり重すぎたりすれば、効果を発揮しない場合もあるが、スノウラビくらいなら反らせる――のだが。

 前後左右。

 全てをカバーするのは難しく、さすがのエルシアも不動ではいられない。

 だって、それこそ隙間もないくらいの数がいるのだ。


 身体感覚そのものに、大きな変化はない。

 だからなぎさも、果たして今の自分はスノウラビのよう目が赤色になっているのかどうか、鏡でもなければ確認ができないくらいに、自覚がない。

 ただ、彼らが言うような重さはほとんど感じず、空気の質が違うことはわかる。

 けれど。

 スノウラビはあまり、なぎさの傍に集まっていなかった。

 戦闘が始まってすぐ、お互いの距離は取った――主に、雪花から離れるために。いずれにせよ、囲まれているので位置そのものは影響ないのだが、更に離れればよくわかる。

「――?」

 それでも飛びかかってくるスノウラビを避ける。雪中行軍の経験もあるし、雪に足を取られること自体は許容範囲なので、まだ無理もないが――純一郎の姿が見えない。

 見れば、背後だった。

 周囲にいるスノウラビは、純一郎の方へは向かっていない。

 一匹も、だ。


 


 何故か、なんて考える必要がないほど、答えは目の前に落ちている。

 避ける、動く、その隙間でなぎさは妖魔の血を意識した。

 そうだ、純一郎が言っていた。魔物たちは、妖魔の少ない外周に集まっていると。そこには純然たる力の差があってこそ――だから。

 威圧すれば。

「こわっ! ――って、なぎじゃん!」

「ああごめん」

 影響を与えてしまったらしい、これも課題だ。


 数が多すぎる――これは、双方の問題だと、エルシアは目を凝らしながらも全体を把握する、二つの視点を持つ。

 数百というのは壮観だが、その全てが個人的に動いているはずはない。必ず司令塔がいるはずで、前衛と後衛など、それぞれに役割があるはずなのだ。


 ――賢さは、もう証明されている。


 基本的な攻撃は飛びかかりで、噛もうとするが、こちらが敵意や殺意を抱いておらず、触れた場合にしても――特に雪花だが――軌道を反らすことに重点を置いているのを見て、スノウラビたちは噛むのをやめたのだ。

「おうふ! このっ、いたっ、おうふ!」

 主に雪花が頭突きを喰らっているのが良い証拠である。

 個体差を発見はできない。やや距離を取って動かないスノウラビに踏み込めば、すぐ飛びかかってくるので、役割が違うというより、様子見をしていただけ。

 意思の疎通も、よくわからない。疎通しているだろうが、人間のよう言葉や視線を使っているわけでもなさそうだ。

 明らかな情報不足。だが、エルシアはそうやって考えながら、情報を集めるのは好きだ。

 しかし。


「こら――!!」


 十五分ほど戦闘をしていたら、そんな大声が響き渡った。

 びりびりと震えるほどの威圧に対し、雪花はもちろんエルシアも、いや、なぎさすら、腰が抜けたよう尻から崩れ落ち、驚きに飛び上がったスノウラビは、迷わず頭から雪の中へ――しかし。

 エルシアの隣を抜けるよう踏み込んだ純一郎が、どういうわけか、スノウラビを捕まえ、両手で抱えるよう持ち上げた。


 それは、最初の一匹。

 群れの頂点にいるウサギである。


 いや、頂点にいるのは彼女か。


「ちょっともうなにしてんの! こら原茂はらしげ!」

 白色をベースに、赤色の筆で書きなぐったような派手な和服を着た少女が、ずかずかと歩み寄ってきた。

「ようやく来たか、ミミ」

「まったくもう! またいじめてたんでしょ!」

「決めつけるな、遊んでただけだ。そこに半分埋まってる稍々咲ややさきを見ろ、それが証拠だ」

「……あ、ほんとだ」

 大きく深呼吸が一つ。威圧を消したミミは、純一郎の手からスノウラビを受け取った。

「大丈夫? ……あ、そう。運動不足はそっちで解消して」

 受け取ったスノウラビを手放せば、跳躍して見事、雪花せっかの頭に飛び乗った。

「あはー、お似合いね。さてと、――あれ、なぎさもいるじゃない」

「ミミさん……? どうしてここに」

「うんまあ理由はいろいろだけど原茂、説明して」

「可愛いこいつらを見せたくて」

「冗談はいいから」

「可愛いぞ?」

「うるさい馬鹿」

「あ、なんか照れてる……」

 余計なことを言った雪花の背中を、迷わずミミは踏みつけた。姿そのものは大きいけれど、ミミはスノウラビの原型だからだ。

「で、ぞろぞろと連れてなんなの」

「モミジのところへの案内を頼む。さすがに順序立てないと死ぬだろ」

「プランは?」

「まずは一ヶ月だ。ちょいちょい顔は見せるが、俺は俺で挨拶回り」

「あー……なぎさはともかく、ほかの二人は身動きが難しそうね」

「お前が威圧してるからだ」

「威圧? これが? ――ああ、まあそうかも。けど、さすがのモミジでも三人は手に余るよ」

 言われて視線を向ければ、確かにエルシアも雪花も、立ち上がれてはいない。

「……じゃ、なぎさはおまえが連れて行けよ」

「私が?」

「連れまわせよ」

「……それが一番早いか。死なないようにしないと、さやかが怒りそうだけど」

「お前なら大丈夫だろ」

「そりゃまあ……うん? そもそも、なんで私がそんな面倒を?」

「可愛いぞ」

「このやろー……」

 ミミは純一郎の尻を叩いた。

「じゃ、いくつか情報持っていって、報告ね」

「おう、挨拶ついでにやっておく」

「あのう……あたしたちの意見は?」

「立ち上がってから言えよ、寒いだろうに」

「実はすげー寒いけど、動けない」

 戦闘疲れもあるし、ウサギが頭に乗っているのもあるが、それ以上に怖くて動けないのだ。感情というより、本能的に。

 つまり――は、こちら側の空気に慣れて、動けるようにならなくては、話にならない。

 それはもう、よくよくわかった。

 スノウラビを相手に立ち回りなんてものが、遊びですらないのも、自覚した。

 つまり。

「文句も浮かばないし、そもそも逆らえないよ。任せる」

「純一郎もやることがあるようだし、構わないわ」

「いや、俺はこれから戦闘して検問抜けつつ、知り合いのところへ行くだけだ」

 それはもう、引くほど嬉しそうな笑みだった。


 これにて、一度彼らは別れることになる。

 全員が集まるのは一ヶ月後――さて。

 その期間で一体、何を成してどうするのか、それはまだわからない。



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