第17話 親子との閑談・陰陽混じりと夫婦の在り方
地図を読むことができれば、最短距離の踏破はそれほど難しくはない。
街と街を繋いでいる馬車、あるいは貨物用高速馬車、それらを利用する経路と、利用しない経路、それらを組み合わせれば地図上でルートが確定するし、それに従えば現実は嘘を吐かない。
――つまり、なぎさ・フェリスナが戻るのに、四日で済んだ。
四日である。
急ぎ足だったのは否定しないが、五倍以上の短縮だ。
お陰で懐かしいとも感じないのだが。
一応、訓練校は卒業したかたちになっているので、孤児院に顔を見せれば、新居をメインで使っているとのこと。思い当たるのはエイレアの屋敷だったので、そちらに向かえば、以前と同じよう執事が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、さやか様」
「ええ、どうも執事さん。今は母さんが?」
「はい、旦那様もおいでですよ」
中に入れば、侍女服の母親が既にエントランスにいた。
「あら、なぎさ。早かったですね」
「相談がしたくて。父さんもいるの?」
「今はお風呂です」
「じゃあ出てくるまで雑談で。あ、その前に執事さん」
「はい、なんでしょう?」
「純一郎に聞いたんですが、執事さんでもミミさんには勝てませんか」
「――?」
「あれ? 母さん、聞いてない?」
「……ああ、では、エイレアさんを逃がしたあの手は、あなたのものですか。となると、あの時の〝失言〟ですね」
失言。
ならばその言葉に続くのは――〝忘れろ〟だろう。
「
「――ええ、おそらくは。失言があったことは覚えていますが、それが何だったのかを、私は覚えていません」
「そんなに自然な行為なのね。私の場合、試しにって感じで真正面からやられたけれど」
「どうぞ、紅茶です」
「ありがとう執事さん」
「さすがの私でも、古代種に喧嘩を売るほど愚かではありませんよ」
「そうですか。私としてはあまり、ミミさんがそういう人だとは思っていなかったので」
「ははは、そんなものですよ。では失礼」
一礼を残して執事は去る。仕事に戻ったのだ。
「私の部屋ある?」
「用意はしていますが、まだ準備はしていません。泊まるなら私の部屋で」
「じゃあそうするわ」
「本題は何ですか、なぎさ。確か、
「ああうん、それは達成できた。その繋がりだけど、稍々咲って人は知ってる?」
「迷子の稍々咲さんなら知っています。半年ほど前に、ミシマ方面へ行くと、逆側から出て行きました」
「なんで止めないの……?」
「自信があると言っていたからです」
迷子の言いそうなことベストワンだ。
「母親だって」
「おや、そうでしたか。あの子も大変ですね……」
まったくだと、紅茶を一口飲んで。
「未踏破エリアに行くことになった」
「おや……ではまず、理由です」
「純一郎の故郷って話だし、調査目的もあるけど、私個人としては母さんの故郷でもあるから、一度確認をしておきたい」
「本音は?」
「純一郎が何でああなってるのか、知りたいの」
「結構。三名で向かうのですか」
「ゼヴェスで知り合った男が一人。せつの師匠は、サイレントキラーとか言ってた」
「ああ、例の。技量としては、なぎさの少し上ですね。おそらく魔術師だろうと当たりはつけていましたが……では、
「そうなる」
「……、懸念はあります」
「たとえば?」
「どの程度、自分のことを把握していますか」
「
「なぎさが〝暴走〟と認識しているものは、
「ああ……」
いわゆる、なぎさにとっては奥の手であり、今までに三度ほど経験はしている。
その状況の意識は鋭利化され、余計なものが零れ落ち、とにかく相手を倒す、ないし殺すことの最短を計算し続けるため、元に戻った際にはかなり落ち込むうえに、疲労で動けなくなる。
「よほどのことがない限り、元に戻れるのは、あなたが人間だからです――が、それはこちら側での話です」
「あっちじゃ、陰気が強いから?」
「妖魔の棲家ですから」
一階の空き部屋は、いわゆる来客用の応接間のようになっており、移動した二人はテーブルを挟んでソファに腰かけた。
「母さんは奥地にいたの?」
「そこが奥かどうかはわかりませんが、海はそれなりに遠かったのを覚えています。こちら側と違って、住居と呼ばれるものも少なく、村の数も極端に少ない」
「こっちの常識は持ち込むつもりもないけど……」
「きちんと段階を踏むことを意識すれば、ある程度は順応できますよ。――遅い」
風呂上り。軽装とはいえ、きちんとシャツを着た男は、何かを言おうとした口を閉じてから、しかし。
「お前ね、娘がいるって聞いてすぐ向かって来た俺にね、おかえりの一言くらい言わせろよ」
「ただいま」
「おう。で、どうした。自慢じゃないが金はないぞ」
「本当に自慢ではありませんね」
「いいんだけど、父さん仕事は?」
「国王なんて、椅子に座ってるのが仕事だぞ? 闘技大会が終われば、あとは議会の連中に任せておきゃいい」
「ふうん……ああ、うん、未踏破エリアの調査に向かうから」
「へえ」
「割とあっさりね?」
「親としては、止めるべきなんだろうが、
「あなたに止める権利は最初からありません」
「お前な? そうだけどな?」
この両親は、上手くバランスが取れているようだ。たぶん父親が弱い。
「まだ玉座に腰を下ろす前に、俺も二ヶ月くらい、未踏破エリアに行ったんだよ」
二ヶ月。
「――クルスさんと?」
「ああ、じゃあやっぱり
無言で父親が殴られた。
「……さやかと逢ったのが、その時な」
言い直すところが弱さだろう。
「三人の中じゃ、俺が一番強かったんだが、まあ負けたな。魔物も多いし、妖魔って存在も初見だ」
「でも外周付近でしょう? 母さんはどうして?」
「逆に、私はこちら側に興味がありましたので」
「すぐじゃないにせよ、一度はさやかに勝ってるからな俺」
「ベッドの上じゃなくて?」
「そちらは私の全勝です」
「お前らね……まあいい。寒い場所も暑い場所もあるから、ある程度は対策をしておけ。生きて帰れば、それでいい」
「選別に余った45ACPとか」
「ねえよ。……ん? いや、国庫に余ってた気がするな。ちょっと見てくる」
「お願いね。338ラプアも」
「夜には戻りなさい」
「おう」
部屋を出て行く姿を見送って、なぎさは少し笑う。
「どうしました」
「――本当に負けてるのは、母さんの方ね?」
「ええ。負けたのも事実です。あの男は、私に人間を教えてくれた唯一の相手ですから」
「そっか。――で、純一郎を信頼するとして、どの程度の生存率になる?」
「一ヶ月、そこを過ぎれば半年。ただし、何を目的とするかが影響します」
「私は、純一郎の正体が知りたい。とてもじゃないけど、こっち側じゃあれに匹敵する人物は、いないと思う」
「でしょうね。もちろん、ただそれだけではありませんが……いえ、私から言うことではないでしょう。どれほど長い滞在になろうとも、一年後か半年後の、闘技大会に参加するくらいの気持ちは、忘れないように」
「わかった、覚えておく。……ところで、妖魔の本体に関して聞きたいんだけど」
「本体ですか」
「意識はこっちにあるんでしょう?」
「人型と呼ばれるように、意識それ自体はこちらです。木を削って人型の彫刻を作ったとしましょう。しかし、それは木の一部です。木くずも補充に使えますね」
「ああ、なるほど。彫刻が壊れたら、木をまた削って作ればいい。変な言い方だけれど、補充袋を持っている感じか……繋がりはあるのね?」
「ありますが、繋がりを認識するのはかなり難しいでしょう。魔術的な見地では、遠回りが必要です」
「純一郎は?」
「もっとも合理的であり、人間が可能とする技術ではありますが、――危険です」
「習得が……ってことよね?」
「すぐわかりますよ。人の身で妖魔の領域に踏み込むなど、正気の沙汰ではありません」
そこまで言うものなのか。
「私がこちら側では一部であるように、玖珠もまた、同様であると覚えておきなさい」
「ん……心配かけるわね」
「構いませんよ、娘なのですから」
「ありがと」
「少し、魔術よりの訓練をなさい。ただし魔物相手なら、そう難しく考える必要はありませんから」
「はーい。三日くらいこっち滞在して、また行くから。……あれ?」
「どうしました」
「父さんはともかく、母さんも仕事は?」
「臨時教官ですから」
「は? いつから?」
「最初からです」
「え? でも、いつもいたでしょ」
「なぎさがいる時はいましたね」
「……いいけど。ミリエッタあたりは、ちゃんと見てあげてよ」
「安心なさい。孤児院出身ということで、別枠訓練を取ってあります」
そういえばそうだった。
いわゆる追加訓練であり、いつもの内容よりグレードアップ。だいたい翌日に引きずるのに、翌日も訓練はあるという、最初の頃は地獄ってこんな場所か、と思うくらいであった。
慣れればどうということはない。
……ないことは、ないかもしれない。
思い出すと吐きそうになるので、なぎさは風呂へ向かった。まだ他人の家みたいな感じもするが、住み慣れる頃まで、ここを使うのかどうかは、定かではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます