第15話 馴染んだ水場での鍛錬・衝撃用法

 岩宿という表現をするよう、深くはないが洞窟のような岩の中に、木造の家具が置いてある。湿度を保ちやすいため、上質な布団とは言わないにせよ、あしなどを編み込んだベッドが作られていた。

 その岩山を越えて、少しだけ歩くと水場がある。


 ――綺麗な場所だ。


 そう言ってしまえば簡単で、まさにその通りなのだが、深さは三メートルもないほどで、二十メートルほどの直径を持つ円形の水たまり。さて、水はどこからくるのかと言うと、水場を囲うようにして切り立った岩肌の表面を、流れ落ちている。

 滝ではない。湧き水だ。

 勢いよく音を立てるのではなく、岩肌から跳ねることなく、表面を伝ってくる。ただし、全体から集まってくるため、それなりの量だ。

 水の出口は、緩やかに。ここよりも小さな溜まりが三つほどあり、そこから流れは強くなっていた。


 雪花は水の中に入らず、傍でしゃがみ込むと、片手を水に浸けている。


 衝撃用法とは、何も、力の増幅だけではない。それはよくよく理解できたが、間近でそれを見たからといって、すぐにできるほど、稍々咲ややさき雪花せつかは天才ではない。

 拳を水面に叩きつけた時、大きく水柱みずばしらが上がる光景は、知っている人も多いだろう。実際に雪花もできるが、あれを武の観点から説明したのならば、水を押しのけたと表現する。

 拳から放たれる威力が、水を押しのけ、勢いに乗って柱のように飛び上がるわけだ。これは単純な暴力だ。水柱を立てたいなら、手榴弾でも投げ込めばいい。


 手のひらを使って、水面に触れる。


 この時、水面が小さく波打つ。少し勢いをつけて叩けば、水滴が飛ぶのを見ることもできるだろう。この波打ったものが、衝撃そのものだ。

 表面を伝わる。

 無駄のない力とは、どれほど強くしても、弾けたり水柱を立てたりすることなく、この波紋が大きく発生することが理想とされている。何故かというと、無駄なく水の中に力が加わり、それによって波紋が作られるからだ。

 しかしそれは、衝撃用法を学ぶに当たっては、基本とされるものでしかない。

 実際に攻撃で使った場合、この基本では、相手は動かずにその場で崩れ落ちる。衝撃が躰に回り、全身に痛みを覚えた上で、関節の機能が上手く動かなくなるからだ。

 それを空気のような軽いものに当てれば、障害物に当たるまでは直線で進む。それがいわゆる、遠当てとなり、闘技大会でも使っていたが――しかし。


 理屈を考えれば。

 そういった副産物ではない。


 水場に少しだけ道を作るよう、突き出した細長い岩に左足を曲げて、膝を乗せる。そこを支点にして右足を水の中に入れ、左手で岩に触れて躰を支えれば、右の拳がそのまま直線で水面に叩きつけることができる。

 いつもの、鍛錬。

 だが、雪花は瞳を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。


 もしも、この水場が手のひらほどの球体だったら、どうだろうか。

 そう言っていたのは純一郎だ。

 衝撃を通す、いや、とおすのであれば、球体の向こう側まで届けなくてはならない。しかし、連なった金属のボールに力を加えるのと同じく、中央は微動だにせず、一番奥だけ弾かれるよう動くのならば――徹すとは、手前は無傷でなくてはならない。

 木の裏に隠れた相手を、木ごと粉砕するのではなく。

 隠れた相手に届かせるのが、トオシだろう。


 目を開く。

 呼吸を止める。

 肘を肩より上に、力は肩、肘、手首を通って、掌を水面に当てた。


「――っ」


 波紋は立たない。一見したら、何も起きていないように見える――が、しかし、いきなり生じた腕への負荷に、耐え切れず肘から曲がって、姿勢を崩してしまった。

 直後。

 まるで地震が発生したかのよう、水面が不規則に揺れる。雪花としては、この水場が鼓動を一つしたような感覚だ。

 いや、感覚と言えば。


 耐え切れなかった、という感じだ。


「ふう……」

「そいつが〝ツツミ〟の入り口だ」


 驚きはない。

 というか、先ほど反対側からふらりと姿を見せたのに気付いていたし、周囲を見ながら嬉しそうに、ゆっくりと迂回しながら近づいてきていたので、驚く方がおかしいだろう。

 ただ、声をかけられるとは思わなかった。


「確かツツミって、衝撃を一点に凝縮するとか言ってなかった?」

「よく覚えてるな」

「攻城なんかで使うとか言ってたのを覚えてたから」

「おう。理屈、いるか?」

「教えて」

「文字通り、包むんだよ。ここに、掌サイズの球体が……ん? 似たような話したっけか」

「うんしたね」

「わかりやすいからいいか。でだ、その球体を小さくしたいと考えて、全方位から力をかけたら、どうなる?」

 どうなる? ――そんなものは明白だ。

「小さくはならない。かけた力のぶんだけ、あとで逆に弾ける」

「そう、それがツツミの基本だ。今のお前は、衝撃を全体に広げたから、簡単に言うとこの水場を持ち上げようとして、失敗した」

 重すぎる鉄球を両手で持ち上げて、すぐ落としてしまったかのよう。

「僅かな落差だから、この程度の振動で済んだわけだ」

「――だから、エイレアさんの刃物は、砕け散ったのね?」

「そうだ」

「じゃあ、もっと直線で衝撃を向こう側に届けないと」

「違うな。その考えじゃ一年かかる。――そのまま、底を殴れ。距離なんて関係ねえよ、それがならな」

「……そう」


 そこで会話は途切れ、雪花せつかはまた瞳を閉じた。


 簡単に言ってくれる。

 距離は関係がないらしいが、改めて水面に触れれば、もちろんだが厚みがあって、底までは遠く感じる。

 向こう側を殴るのは、難しい。


 改めて目を開けてもう一度水面を叩けば、穴が空くようにして水が割れた。これでは殴るのと同じだ、水面を押しのけている。

 純一郎は傍を離れて配慮し、雪花も探そうとはしない。

 ただ――考えすぎなんだろうかと、呼吸を意識して肩の力を抜く。


「――あ」


 力が抜けて、気付けた。

 同じだ。

 純一郎が棍を持って戦闘をした際に、拳の先にあるものだと認識した自分を、思い出したのだ。

 つまり――この場合、この溜まった水そのものが、手の先にある得物だ。


 距離は関係ない。確かにそうだ。

 だってもう、手にしている。

 衝撃を伝える〝先〟は水ではなく、底だ。

 おかしなことは、何もない。


 関節で力を増幅する、基本の延長。肩、肘、手首、そして水で力は強くなり、目標物に到着する――。


「――かたっ!」


 慌てて手引いて、拳を見るが、怪我はなかった。それもそうだ、岩を殴ったようなものである。

 だが、確かに。

 空気を伝えて遠くに当てるのとは、やり方が大違いだし、仕組みも違う。

 結果、水面は波立たず、奥で発生した振動も、小さく拡散するだけで、無駄な衝撃は発生していない。

 いないが――どう衝撃が伝わったのかまでは、把握できなかった。


 繰り返す。

 感覚を忘れないうちに、同じ行動を繰り返す。

 今ここで成功して、覚えたとしても、実戦で使えるかどうかは全く別の話で、技術の習得には時間を要する。

 であればこそ、人は基礎を繰り返すのだ。

 それこそ躰が覚えるまで、


 一時間ほどで、声がかかった。


「そんくらいにしとけ」

「ん――そうね」

 一番疲労が溜まるのは、肩だ。次に肘になるため、躰が重くなるような疲労を感じた時点で、翌日は肩が間違いなく動かせなくなる。

 特に、同じ動きをする鍛錬は、まだ早いと思うくらいが良い。

「掴めたか?」

「なんとなくは」

「だったらそれは、今まで基礎を徹底していた証左だ」

「あたしを殴り続けた師匠センセイに感謝しとけって?」

「それは知らん」

 ひょいと、純一郎は水面を歩き始めた。

「閉鎖的に見えるが空は高いし、良い場所だな……」

「いや平然と歩かないで。師匠といい、なんなのあんたらは」

「おかしなことはねえだろ。今、お前が底を殴ってたのと同じだ。水面を揺らさず衝撃を底までとおしたんだから、同じよう底を歩いているようなもんだぞ」

「ああ、なるほど」

 一歩目で水場に落ちた。

「落ちたんだけど!?」

「不思議だなあ……?」

 そのまま立ち止まるのだから、やはりおかしい。

玖珠くすなら、水全部を弾き飛ばすくらいできそう」

「お前その、乱暴な思考はどうにかしろよ……そりゃできるが、威力なんて追及するのは後回しだ。繊細な制御ができなきゃ、威力は出ない」

「でも結果的には威力でしょ?」

「そうでもねえよ。相手が妖魔なら技術、人間相手ならもっと簡単だ。実際に、エルシアの技術には、ある種の妄執もうしゅうを感じる」

「へえ……? そうなの?」

「ガキながらに思考を尽くし、独学でその一点のみを突き詰めた技術だからな。まあ、俺に言わせれば暗殺技術ってのは、わかりやすい」

「殺す技術だから?」

「馬鹿」

 純一郎は笑う。

「一番最初に対策を練る技術だからだ」

 自分が、殺されないために。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る