第14話 雪花の師匠の住処での閑談・暗黒大陸と未踏破エリア

 山のふもとで夜を過ごすことになった。

 ここに来るまで何度も野宿はしているので、慣れたものだ。夜間の警戒だけは、ほんど純一郎がやっているが、それもまた、役割分担か。

 朝になってから登山を開始し、頂上一歩手前のあたりにある岩場にて、先行していた雪花せつかが足を止めた。

「ここらへん、修行場で住んでる岩宿も近いから。――おおい、師匠センセイ! 帰ってきたぞこんにゃろ!」

 周囲には背の高い木もあって、声がそれほど響くこともない。岩場も高く、登るにはコツも必要で、落ちたら死ぬだろうと思えるくらいだ。

 吐息を一つ。

 純一郎じゅんいちろうは左手を鞘に触れると、三歩ほど後ろに下がった。


「呼ばなくていい、もういる。全員警戒しろ。遊びの要求だ」


 ほぼ同時に、なぎさとエルシアは腰を落としてナイフを引き抜いた。

 なぎさは太ももにある、大振りのナイフ。一般的なサバイバルナイフよりも大きめで、薄いが反りがあり、斬ることに適したものだ。

 対して、エルシアのものは刺突を前提にした、やや細く短いナイフ。人を殺すにはそれで充分だと言わんばかりの得物だ。

 そして、雪花は、果てしなく嫌そうな顔をした。

玖珠くす! アドバイス!」

「目で追うな、耳を澄ますな、戦闘思考に切り替えて、だが警戒はするな、俺の言葉をよく聞け」

 更に一歩、純一郎は後退する。

「息を止めるな、呼吸を深くしろ。目を閉じるな、広範囲を確保。周囲の空気に馴染め――気配を捉えろ」


 一番早く、動きを見せたのはエルシアだった。


 左にいるなぎさから離れるよう右に跳躍したかと思うと、上半身を前に倒しながら、真横の空気を蹴って勢いよく躰を起こし、突きの動作を二度。

 そこには、誰もいない。

「動じるな、乱れるな、呼吸を意識しろ。空気の揺らぎじゃない、音でもない。ここは戦場だ。ここは戦域だ。今は戦闘中だ」

「くっ……」

 誰もいないのに、エルシアの動きは変わらない。外套コートの裾を揺らしながら、攻撃と回避をし続ける。

「意識しろ。呼吸、初動、攻撃、回避、それらすべてのタイミング――自分ができる最高の手段、組み合わせ、つまりは戦術」

 そして。


「それら――、意識を掴め」


 言った直後、なぎさと雪花も飛び跳ねるよう距離を取った。


 喉元に添えられたナイフは、間違いなく頸動脈を狙いにしているのがわかって。

 首に触れた刀は、間違いなく頭を切り離していたのを、彼女は理解した。


「――はっ」

 純一郎の眼前に出現した彼女は、歯を見せて笑いながら、短く吐き捨てて。

「お前、人間じゃねえな」

「いいや」

 苦笑に似た表情で、純一郎はそれを否定する。

「俺はまだ、人間のままだ」


 そうして、お互いに得物を引く。エルシアも、なぎさも、そして雪花も、額の汗を拭いながらも、大きく吐息を落として呼吸を落ち着けた。


「すまない、先に聞いておくよ。今のは何だ、純一郎」

「鍛錬の一種でもあるし、一定レベルを超えると、戦闘は。お前らには、この姉ちゃんが攻撃してくる姿が見えただろ? それが攻撃の意図だ。一つ見逃せばそれは死んだのと同じで、実際に死ぬ。それに不動のまま応じれば、見えない戦闘が続く。そして動いた理由が防御や回避なら、それもまた死に直結するわけだ。戦闘が一撃で決まるってのは、なんだよ」

「はっ、よく言うぜ、この野郎。一度もあたしの攻撃に応じず、実際にこうして出てきたものだけに対処しやがった。どんな化け物だおい、なあ雪花」

「……しらない」

「なにふくれてんだ、こいつは。あたしはクルスだ」

 お互いに名前の交換と、ざっとこれまでのあらすじを話しながら、新鮮な肉を焼いてくれたのでそれを食べつつ。

「なるほどね。どうであれ玖珠、お前はあたしの名を呼ぶな」

「――え? 師匠、なんでそれ、わかるの」

「そりゃお前よか? だいぶ人生ってやつを長く楽しく過ごしてるし? どっかの間抜けみてえに、目の前しか見えていないような? そういうのと一緒にしてもらっちゃあ困るねえ」

「こいつ! この師匠センセイ腹立つ! あーこのいつものやつがすげー腹立つ!」

「私に言わないでちょうだい」

 クルスは弟子から視線を反らし、顎のラインで揃えた髪を軽く触れると、視線を純一郎に向けて、それを言う。


「お前、未踏破エリアで過ごしてただろ」

「おう」


 あっさりと、純一郎も肯定した。


「――本気かい?」

「ここで嘘を吐いてどうする。お前らだって――稍々咲ややさきは除いて、薄薄うすうすは感じてただろうが」

「あたしは除いて!? ひどい!」

「気付いてたのか」

「……、……どうぞ、話を進めてクダサイ」

「で、何で気付いた? 総合情報か?」

「それもあるにはあるが――その服、あっちじゃ多いだろ」

「へえ……服装で気付くとは、な」

「あたしんところに来る、お前みたいなヤツはだいたいそうだ。連中は、人間じゃない方だったけどな。で、そっちのはゼヴェスの上層部を賑わした、無痛殺人者サイレントキラーだろ」

「はは……今はもう、落ち着いてるよ」

「ってことは、心臓を一突きか。斬るなら首だが、突くなら心臓だ。それが一番、痛みが少ない」

「首を斬るだけの技量はなかったんだろうよ。突きなら、

「俺は三人に見えたけどな」

「ふん。で、そっちのがフェスリェアか……そっちには顔を見せちゃいねえが、錬度は変わってねえな、おい。あの野郎知ってるか? ええと、あいつは……」

 一つの名前を口にすれば。

「ああうん、国王ね」

「国王! あはははは、あの小心者が国王ねえ。大会の熱気が落ち着いたら、一度顔を見せておくか」


 大きく、深呼吸が一つ。

 エルシアは会話の切れ目に口を挟む。


「純一郎、君は暗黒大陸で過ごしていたのか?」

「俺はこっちの常識をあまり知らないし、人付き合いもよくわかってねえよ。さっき肯定した通り、それは事実だ」

「どういう場所なんだい?」

「人間が住める場所じゃないのは確かだ」

「あんた住んでたんでしょーが」

「やり方を知ってればな。少なくとも時間の流れが違う」

「――

 エルシアの断言に、純一郎は笑って。

「俺は三十年以上、生きてる。――だとして?」

 見れば、クルスもにやにやと笑っていた。

「お前も行ったのか」

「前に、二ヶ月くらいな。死に体で戻ってきた。あたしだって、自分がどこまで強くなったのかを確かめてやるって、そんなことを考える若い頃もあったからな」

「魔物が相手なら、生き残れるだろ」

「それが序の口だと気付いたのは、死に体になってからだ。今でこそ笑い話だが、当時はガタガタ震えて夜を明かしたもんだ」

「へー、師匠が。へー……あだっ、殴ることないじゃん!」

「――そうか。時間が不動のものなら、変わるのは体感時間か」

 さすがにエルシアの思考は早い。

「時間は不動であると証明できるのかしら」

「できるよ。何しろそれは、法則だからだ。魔術師は、あくまでも法則に従って術を扱い、式を組むけれど、法則そのものは改変できない。それが上位構造だからだ。時計は時間を刻むけど、時間そのものは時計の中にはないからね。だから、必ず時間は進む――けれど、体感時間は別だ」

「それって、楽しい時間はすぐ終わるとか、そういうの?」

「いや、違うよ雪花。文字通り、躰が感じる時間の方だ。躰の成長が遅いって、そう言われたことは?」

「あたしのおっぱいか!?」

「うん、言われたことがあるのはわかったし、僕はそのくらいのサイズが好みだから、これ以上成長しないよう呪いをかけておくけれど、それはともかく」

「ともかくじゃないでしょ!? まだ成長するから!」

「うるさいわよ、せつ」

「なぎは普通ちょい大きめだから良いだろうけどね!?」

「つまり、老化の速度が遅くなるんだろうね。三十年を過ごしても、肉体的には十五年――まあ、これはたとえだけど」

「お陰で、長い幼少期は基礎鍛錬を死ぬほどできた」

「鍛えるのは別、か。なるほどね……黒色の霧みたいに覆われてるのは、ある種の結界みたいなものかな」

「結界というか、ありゃ瘴気しょうきそのものだ。何しろ妖魔がいる」

「――妹狐も、いるのね?」

「おう……ん、なぎさが気にするのか、それを」

「ああいう話に弱いのよ」

「へー、なぎ、へー……あだっ! なぎも殴らないでよ!」

「次はクルスさんに任せるわ」

「あいよ」

「任されるな……!」

「――こいつはいいとして」

 毎度のことだと言わんばかりの態度だ。

は、変わらずか?」

「二ヶ月だったか? お前が行ける範囲なんて、そう広くはねえだろ。妖魔との遭遇も数回ってところか。魔物の数は多かっただろ」

「まあね」

「怖がって逃げちまうんだよ、魔物は。だから外周には結構な数がいる」

「純一郎、どのくらいの数がいるのかは、わかるかい」

「さあ? 数えるのが馬鹿らしいってことしか知らないな。妖魔は大きく分けて三つの勢力が存在してる。それぞれ、トップに立ってるやつの名前を借りて、狐、蛇、猫の三種。まあやや特殊ではあるが、無所属ってのもいるにはいる」

「派閥じゃん」

「その通り、あの大陸を見れば三つ巴になって争いを繰り返してる」

「妖魔同士で? 勢力争いとは無縁に思っていたけれど」

「いや、無縁だぞ」

「じゃあ一体何故? ちなみに狐というのは、あの、妹狐のことなんだろう?」

「ああ、そうだ。ちなみに争ってるのは、単純に退屈だから。大きな盤面で駒を動かすようなものだな。逆に言えば、争っても良いって許可であって、争わない妖魔だって大勢いる」

「そ、そうか……いや、ごめん、僕の想定から思い切り外れたよ」

「実際に目で見なきゃ、虚言きょげんにしかならねえよ。ちなみに、狐は数が多い。猫は数よりも質で、妙なやつが多いな」

 あのハヤカワも、猫に属している妖魔だ。

「あまり戦闘を好まない連中や、何かに特化した妖魔らしくないのは、蛇に多い。あの女――さやかも、蛇に属してる」

「……ああ、そうね、私の母親ね」

「――ちょっと待ってくれ。人間と妖魔の間に、子が産まれるのか? ああいや、なぎさを否定するわけじゃないんだけど」

「配慮ありがとう」

「難しいけどな。そもそも妖魔にとっての性行為は、精気を食べることが目的になる。人間の認識で誕生する妖魔は、人間そのものを食べることで力を増やすってのが通説だからな。だがまあ、その上で子作りをしたい気持ちが勝てば、あとは可能性の問題だ。数は少ないぜ」

「産まれてからの問題もあるんだろう?」

 よく気付く。

 いや、エルシアはこういうことに対して、興味を持っているのか。

「そもそも、妖魔の本質はネガティブな感情で、これを俺たちは陰気いんきと呼ぶ。そして人間が持つ一般的な感情を、陽気ようき。人間はこのバランスを保つが、妖魔はそもそも陰気で構成されている」

「となると、子供は陰気を持ちやすくなる?」

「簡単に言えばそうだし、バランスが取れないと妖魔になる。その場合はもう子供というより、現象だ。ただし、最初から陰陽いんよう交じり、陰気に偏っても生きてはいける。どう生きるかは知らねえけどな」

「じゃあ私は、陽気とバランスが保てている?」

「んや、お前もどっちかっつーと、陰気に寄ってる。それが〝普通〟になってるから、余程のことがない限り、悪影響にはならねえよ。普通の人間だって、よっぽど陰気に落ちることなんてねえだろ」

「落ちると、どうなる?」

「妖魔になる――簡単に言えばな。男でも女でも、恨みやら何やらを抱いて、人じゃなくなったって話はあるだろ? 単なる怪談じゃないってことだ」

「……その陰気が強くなったものが、瘴気しょうきか」

「そんなところだ。まあ総じて、実力がなきゃ生き残れない場所ってところだ」

「象徴なってる妖魔も、やっぱ意識しあってんの?」

「いやまったく。暇な時はだいたい集まって酒飲んでるし、そのへんで転がって寝るし、たまに酔って喧嘩に発展するくらいだけど、だいたい無事だ。だいぶ仲良いぞ」

「えー、なにそれー」

「そう簡単にたどり着ける場所じゃねえけどな。俺も、俺一人の力じゃたぶん、到着前に倒れる」

「……」

「エルシア、確かめるなら行くしかないぜ?」

 笑いながら、クルスは言う。

「あたしだって、現場で見てなきゃ、こいつの言葉だって冗談だと笑って捨てただろうさ」

「おう、しばらくしたら一度帰るから、連れてってもいいぜ。半年くらいなら、そう影響も出ないだろ。ただし、命の保証はできん」

「じゃ、雪花は連れてけ」

「ちょっと師匠! あたしは怖いからやめるって言おうとしてたのに!」

「ああ? 闘技大会でこいつに任せっきりだった馬鹿が何言ってんだ?」

「ぐぬ……ぬぬぬ!」

「だから俺を蹴るな」

 座ったまま、やはり軽く片手で受け止めた。

「条件は一つだ。各自、挨拶だけはしとけ。現地入りして無理そうなら、帰りの手配もしてやるさ。集合はここ……そうだな、一ヶ月くらいは待つ。俺には酒を土産にしてくれりゃ、案内してやるよ」

「あたしの拒否権がない」

「それは知らん」

「っていうか、玖珠くすって酒飲んでるイメージないんだけど?」

「酒が好きなヤツが、いるんだよ」

 こうして、期限は区切られた。

 どうするかはともかく、ここで一度、エルシアとなぎさは国へ戻ることになる。おそらくまた合流するだろうことは、誰の目にも明らかだろう。

 純一郎は。

 しばらく、ここに滞在することになった。

「お前の腕も見てやるよ」

「言うねえ……ま、あんまり雪花を落ち込ませるのは? 気が引けるけど? それでもってんなら、真面目に相手をするしかねえなあ」

「うるさい! もう充分に落ち込んでるから!」

 それはそれで、良いのか悪いのか。

 一人いるだけで賑やかなのは、きっと、クルスにとって悪いことではないはずだ。



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