第13話 エルシアの住居での閑談・狐と迷子の遺伝
戦時中なのだから重苦しい空気もあるのかと思いきや、玄関口である正面から入ってすぐは、商人や旅人の姿が多く、かなり賑わっていた。しかし、目を細めたなぎさが奥を見れば、賑やかさとは少し違うのだが、活気はある。
工房や、工場だ。
建物の造りでそれはわかる――その奥、更に奥、高い城壁に守られた王城があった。
「エルシアの住居は城壁内部?」
「ああうん、立場としては本来、城壁内部に住まなくちゃいけないけど、いろんな理由から一般住居だね」
「なんだ、腰が引けてんのか」
「椅子に座って尻を磨く連中は特にね。そうでなくても、成り上がりで軍の上層部に入った僕は、あまり好まれてないから」
「権力が通じねえからだろ」
「軍学校もあるんでしょう?」
「あるし、僕も卒業しているよ。けれどそれだけじゃ、兵隊にしかなれないからね」
それ以外が、たぶん嫌われる理由なのだろう。
案内されたのは、住宅街の隅にある二階建ての、こう言っては何だが、普通の家であった。
「狭いけど、どうぞ」
中に入れば確かに、玄関もせいぜい二人が並べるくらいで――正面の廊下には。
「うっわ、なにこれ」
「なにって、なにが?」
壁という壁に本棚があり、所せましと本が並んでいて、圧迫感があった。
「ん、ああ、本か。悪いね、古い文献ってやつはどうも、似たようなのが数あってね。新訳ってのも集めてたら、いつの間にかこんな感じだ。さすがに来客用にもしてるダイニングは、それなりに広いから大丈夫さ」
案内された先は確かに、テーブルと椅子が設置されているため、あまり物が置いてはなかった。
「残念ながら、この部屋くらいしか空いてないからね。泊まっても構わないけれど、何なら宿を手配しようか?」
「俺は金を持ってない」
「風雨が凌げれば大丈夫」
「こいつらは……ああ、私も問題はないから、貸してもらうわ」
「はは、諒解だ。興味があるなら本も読んで構わないよ」
「そうするわ」
「あたしは眠くなるからいいや」
「俺はそもそも、本が読めん」
「知ってる。闘技大会の受付もあたし任せだったし」
「特殊なものなら読めるんだけどなあ……」
椅子に座ろうとした純一郎は、ふいに顔を上げて、壁のやや高い位置に飾られた絵を見た。
絵画、と呼ぶべきなのだろうか。
「――これは?」
「うん? ああ、それなりに古いものだよ。ゼヴェス王国の発祥に関わったとされる女性だ」
「女性なのはわかるけどこれ、なんか尻尾と耳がついてるように見えるんだけど? 抽象画? とかそういうの?」
「人間じゃないとも言われているね。狐が人の形に化けたとも」
大きめの女性には、白色を主体として耳と数本の尾が描かれており、その向かいには人間のような女性が一人いて、それぞれお互いの顔を見ているような絵だ。
しばらく絵を眺めていれば、エルシアがお茶を持って戻ってきた。なぎさも
「その絵が気になるかい、純一郎」
「ん、ああ、肖像権の問題と、果たして本人がこいつを知っているのかどうか……」
「え、なに、
「あっち側のことだからな」
小さく苦笑して、純一郎も腰を下ろした。実はこの椅子というやつも、あまり慣れていない。
「ゼヴェスでは、当たり前なのか?」
「国王直下はもちろん、上へ行けば行くほどに歴史的なものとして、ある程度は」
「なるほどね。一見、これは狐と人間に見えるかもしれないが――この二人は、姉妹だ」
「両方とも狐ってことかしら」
「まあな。エルシア、九尾の狐に関してはどうだ」
「聞いてはいるよ。もう魔物とは呼べない、自然災害みたいな存在だと。……彼女が?」
「昔話だ。それこそ、大陸が今の形になる、もっと前のこと。むかしむかし、あるところに――と、そういう話でな」
お茶を一口、これがまた渋い。純一郎は好みなので構わないが、女性二人は顔も渋くなっている。
「性格の違う姉妹でな。姉の方は弱気で、臆病。妹の方は大雑把で、強気。ただし、圧倒的に力は、姉の方が強かった。何しろ狐にとって力の象徴である尾が、九つあったからな。ただ、それを差し引き、仲の良い――あるいは、バランスの良い姉妹だ」
よほど昔の話でも。
ハジマリのことは、彼女もきちんと覚えていた。
「だが、弱気ってのも考えものでな。ある時、妹が帰れば、姉は一本の尾を失くしていた。まあ食われたんだ、力ごとな。これはまずいと、妹は相談した上で、二つの尾を食わせろと、進言した。二本食えば、一本食った相手になど、負けはしないから――と」
「……妹は、それを承諾したんだね」
「まあな。だが、最大の誤算は、姉の力が強すぎたことにあった。最終的には八本、つまり残った自分の一本以外、全て食われる結果になったが、そこには姉しか存在していなかった。食われたのは、――ほかの連中だったと、そういうことだ」
そして、独りになってしまった姉狐は。
自分の尾を食べて、終わろうとした。
「かくして、九尾の狐と
「彼女――いや、彼女たちは?」
「共生ってわけじゃないにせよ、あちこちで悪さをしたと、そう聞いてる。妹狐は二つも食ったから、覚醒が遅くてな。気付いた頃には、もういろんな逸話が生まれていたそうだ。……それなりに大変だったらしい。主導権を握ることはできても、殺すことはできないし、姉の気配は感じるが殻にこもってて、出てこない」
「――あ」
「どしたの、なぎ」
「いえ……妖魔の話でしょう? つまり、そこに専門家が絡むのね?」
ご名答、である。
「妹狐が、その機会を上手く利用して、ほかの六尾を武術家に討伐させたんだ。そして、引きこもった姉を引っ張り出して、二人は再会する。それから更に時間を経て、姉狐は人型の小さい妖魔として、世界を巡る旅に出た」
そして。
「その旅のオワリが、この絵画だ」
言えば、全員が絵画を見る。
「八本の尾を持って――あるいは、自分の代わりに強い力を引き受けた妹を見て、姉は最後の頼みをした。自分を食え、と」
「それは逆だ、意味が変わってくる」
「まあな。かつては、力ある尾を食って、それに取り込まれたが――今度は逆、力ある者が尾を食うことになる。つまりは、殺せと望んだ」
言われて見れば、絵画から感情が読み取れるような気がした。
小柄な方は、満足を。
大きな狐は、
「結果は、どうだったの?」
「さあな、そこは知らない。知らないが、尾の数はきちんと九つ、揃ってた」
言えば、しばらく無言の時間があった。エルシアだけが腕を組み、天井を見上げるようにして考えていたが、残りの二人は俯き加減だ。
そして。
「純一郎、一つ聞いてもいいかな」
「なんだ」
「きっと妹狐に、純一郎は逢ったことがあるんだろう。そこを追及するのは別の機会にするとして、一つだけ教えて欲しい。その妹狐は、今も楽しそうにしているのか?」
「ああ、酒を飲みながらよく暴れてる。退屈なんてあいつにはねえよ」
「だったら彼女は、姉を食べなかったよ」
「何故だ?」
「そういう存在がいないと、満足に暴れられないからだよ。僕は孤児院の先生を亡くした時に、気付いたからね……」
「お目付け役ってやつね」
「そう、それ。ただまあ、本人が話さないなら、これ以上は不要だね。いや、ともあれ話してくれてありがとう。他言はできそうにないけれどね」
「おう。俺はよくわからなかったが、こういう話を集めてんのか?」
「そうだね、いわゆる昔の話ってやつを収集してるんだ。僕は魔術師で、魔術とは世界を知ることで、世界とは未来だけじゃなく過去の積み重ねで作られるものだから」
「……そういえば、闘技大会には、魔術師がほとんどいなかったな?」
「ええ、禁止されてるから」
「そうなんだ?」
「ゆきは知っときなさいよ。以前までは大丈夫だったんだけど、あまりにも魔術師ばかりになっちゃったから、規定を設けたのね。あくまでも補助的なものなら構わない、と」
「規約の意味がねえだろ、それは」
純一郎が言えば、なぎさは少し不機嫌そうに頬杖をついて。
「母さんも同じこと言ってた」
「だったら続きも同じだな。つまり、術式なんてものは補助でしかない」
「ふーん。そうなの、エルシア」
「はは、まあね。魔術にまったく理解のない雪花には呆れるけど、それはそれで正解かもしれないなと思えば、微笑ましく見守っておくよ」
「馬鹿にされてるのか、褒められてるのかよくわからんぞ……?」
「馬鹿じゃあないと褒めたんだよ」
「あっそう」
実際に、雪花の考えは間違いではないのだ。
魔術とは、現実に実現可能な現象を引き起こすための手段であり、その仕組みに対してアプローチする必要は、ない。ただその現象を前にして、己の身で対処するのが現実であり――雪花は、そういう現実をきちんと見ているからだ。
なんであれ、どうであれ。
身体強化をしようが、ありえない行動を取ろうが、目の前の相手に応じるのが、雪花である。
「けれど、なんていうか、純一郎はあっさり見抜くね。二人もそうだった?」
「ええ」
「うん、この野郎はすぐ見抜いた」
「見抜けない相手もいただろ」
「いたっけ?」
「執事がそうだ――ん? そういや、お前らには話してなかったか? エイレアを掴んで古巣に戻した、でけえ手があったろ」
「悪魔の手みたいなやつね」
「それ、執事の本体だ。あのレベルになると、今の俺でもぎりぎり届くかどうかって感じだな。封じ込めなら、なんとかなりそうだが」
「僕は現場を見ていないけれど、どういう感じだったのか教えて欲しいね。ああ純一郎じゃなく、二人に」
「賢明だな」
純一郎の感覚で話しても、きっと怖さは通じないだろうから。
「なんだろ……怖いって気持ちもあったけど、うーん、なぎはどう?」
「怖かったわよ。でもそうね、怖かったけれど……どう言えばいいのかしら。拒絶? 否定? 理屈や感情よりもむしろ、本能的に、あれは駄目だと、そんな確信を抱くような……」
「そこに諦めは?」
「諦めはなかったよ。でも――ああ、そう、絶望的だとは思った。恐怖ってさ、抵抗しようって思うじゃない。抗おうとしても、躰が動かないの」
「……なるほどね」
「納得すんなよエルシア、守って貰っておいてそれだぜ」
「へえ……?」
「こう言えば伝わるか? 存在密度、その強さに比例して
「――」
息を飲み、しかし、エルシアは天井を見上げながらお茶を手に取って、一口。それから。
――苦笑した。
「わかったよ、純一郎。確かにそれが瘴気ならば、経験しなくちゃ伝えようがない」
「なんでそれでわかんの?」
「ゼヴェス王国は、海を挟んではいるけれど、暗黒大陸を背負っているからね。いわゆる怪異譚みたいなものは、それなりにあるんだよ。中でも人が死ぬような怪異には、瘴気ってやつがつきものだ」
暗黒大陸、あるいは未踏破エリア。
世界には大陸が点在しているが、その大陸にだけは誰も近づかず、それでいて調査が進んでいない。外観から、黒色の霧に覆われているように見えるため、暗黒大陸と呼び、踏破していないからこそ未踏破エリアとも呼ぶ。
そこは、多くの魔物が存在する大陸と言われており――あるいは、魔物の発生源とすら、言われていた。
「そもそも、ゼヴェスとミシマが戦争をしているのも、魔物があちらから流入した時のために――っていう大義名分でしょう?」
「常に戦時中なら、戦力が落ちることはない……ま、僕に言わせれば机上の空論だよ。それ以外にある
「あら、ありがとう。まだ訓練校を出ただけよ。というか、さっきの話だけれど、そもそも孤児って軍属にならないの?」
「選択は自由だよ。フェスリェアじゃ違うのかい?」
「うちの母親が孤児院を経営していて、私もそこで過ごしたけれど、とりあえず根性を叩き直すために軍訓練校に行けって指針だったから」
「それは君の母親がスパルタなのでは……?」
なぎさはそこで腕を組み、これ以上ないほど嫌そうな顔をして。
「それは正解ね」
肯定を示した。
「この流れなら聞けそうだけど、雪花ちゃんの両親は?」
「一応、いるよ。いるけど……まあいっか。母親がねー、これ以上ないほどの方向音痴でさ。地図は読めない、方角を間違える、立ち止まらない、いやともかく迷いまくりで。だから幼い頃から旅人の技術だけは仕込んだらしくてさ、生きてはいるだろうけど、どこにいるかは知らないし、出逢った回数も少ない」
「ちなみに、それ、どのくらい迷子なのよ」
「あたしに逢うために三年くらいかかる」
「三年って、あんた……」
「で、父さんはそれを探しに行くかかりで。あたしは
「それはきっと、雪花ちゃんがすぐ迷ってどこにも行けないだろうって思ってたからだね」
「うるさい。あとちゃん付けすんな」
「お陰で僕は出逢えたと、前向きに捉えてるけれどね。さて――僕個人としても、ゼヴェス王国に長居するのはお勧めしない。報告をして、監視付き行動として僕が付き添うかたちにしておくよ」
「んー、よろしくー。あとは案内できるから」
「案内、できる? いい、せつ。よく聞いて。案内っていうのは、どこにいるのかわからないこと、じゃないのよ?」
「あーもう! 大丈夫だってば!」
「大丈夫ってのは、確約の文言じゃねえよ」
「あーもううるさい! うるさい!」
仲が良いのか、悪いのか。
ここまで同行したエルシアの感想は、楽しそう、である。
久しく忘れていた他人との触れ合いを求めたくなるくらいに。
「純一郎」
「どうした?」
「ついでに、同じ孤児院出身で、同期の槍使いと少し話をしてくるよ。何か伝えておくことはあるかい?」
「投擲に合わせるなら、踏み込みを半歩だけ短くしろと言っておいてくれ」
「諒解だ。じゃ、ゆっくりしてて。自室には術式で鍵がかけてあるから、解除しないようにね、なぎさ」
「しないわよ。本を借りるわ」
「あたしは寝る!」
「余裕があるなら酒を頼む」
「わかったよ。味よりも度数が高めっていうのが、ここらの酒だけどね」
実質、滞在日数は一日。
翌日の昼食を終えてから、彼らはまた移動を開始する。
次の目的地は、山の中である。
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