第12話 滝の傍での閑談・言霊に言の葉

 彼は、エルシア・シルヴィエーラと名乗った。

「一応、ゼヴェス王国直属の魔術師だよ。シルヴィエーラは孤児院の名前だから、僕のことはエルシアでいい」

「へえ、なるほどな。随分と嫌われてたじゃねえか」

「ははは、僕はどこでも厄介者でね。けれど、僕を囲わなきゃいけない理由もあるし、僕がこの立場にいる理由もあるわけだ。君ならわかるんじゃないか?」

「俺が?」

「これでも隠形おんぎょうには、それなりに自信があったんだけどね」

「途中からお前も気付いてただろ」

「会話を誘導して、あまり核心というか、部外者にはあまり話したくない情報を出さないよう配慮してただろう? それに気付いた時に、ようやくね。そっちは、最初の接触段階から気付いていて、状況をそのままに、僕に教えていたんだろう?」

「ゼヴェスの名前を出した時には、こっちから探りを入れる感じもあったから、気付かれることは前提にしてたさ」

「仮に僕が反応していたら?」

「選択肢は二つだ、やっぱりミシマにしようと言えばいい」

「……なるほどね」

 そんな感じで。

 純一郎は、まるで警戒していなかった。むしろ先導するエルシアの隣を歩いている。頭一つとは言わないが、純一郎の方が背丈は高い。

「えー、なんか仲良くなってない?」

「あ? いや、それはまだ。今まさにそいつをやってる最中だろ」

「ははは、確かにその通りだ」

「だって警戒してないし」

「こいつら行動を起こすよりも、俺の方が速い」

「フェスリェアの闘技大会優勝者を相手に、馬鹿な真似はしないよ。そういう仕事じゃなく、僕は君たちを案内して、自由に動けるよう手配するだけだ。むしろ僕は一人だから、本当は警戒すべきなんだろうけどね」

「してるじゃねえか」

「それを見抜かれた時点でお手上げだよ。君が特殊だと信じたいくらいにはね」

「まあ、人からは少し外れている自覚はある。それぞれ方向性は違うが、お前も含めてあっちの二人も、そこそこだろ」

「僕はともかく、確かになぎささんも、雪花ちゃんも、敵に回したくはないよ」

「ちょっと待って」

「そうよ。〝さ〟が連続するじゃない、呼び捨ててちょうだい」

「わかったよ。あまり慣れていないから、ちょっと気恥ずかしいけれどね」

「――なんで、あたしだけちゃん付け?」

「え? 見ての通り、一番年下で小さいからだけど?」

「うるさいこの野郎、喧嘩売ってんのか! なぎと同い年だから!」

「十七か、十八ってことだね。どうだろう純一郎、こうやって女性の年齢を聞きだす僕のやり方は」

「知らね。俺は年齢とか気にしたことねえから」

「ぐぬぬ……!」

「おや、怒らせたかな?」

「いいのよ。迷った原因なんだから、少しくらい困らせないと」

「そういえば、そんな話だったね。まあ実際、目的地と迷った原因を知っていたから、こうして警戒もあまりしてないんだよ。フェスリェアの軍学校の制服のまま、妙な仕事をしないっていう信頼もあるけど」

「そう受け取って貰えれば幸いね。こっちも、三人で行動してまだ数日だから」

「雪花ちゃんの――失礼、雪花の師というのが、その山にいる……ということで、間違いはないんだね?」

「……うん、合ってる。よく食料調達とかで、あたしが町に買い物とか出てたし、そこを間違えてはいないよ」

「一応、ゼヴェスの土地ではあるけれど、基本的には立ち入りを禁じてる場所だから、あまり表立って言わないで欲しいね。とはいえ、国王に話が通ってるとは思うけど」

「へえ――ん? 滝があるのか?」

「あるよ。通り道だ、寄ろうか?」

「こっち、朝から歩き通しだから、そろそろ腰を落ち着けたい――って理由でどうだお前ら」

「はーあーい」

「雨がないから、次は水なのね……」

「いいだろ。滝なんて修行場だぜ、最高だろ」

「文句を言ってるわけじゃないのよ?」

「知ってる」


 その滝は、七メートルほどの落差があり、滝つぼは湖とは言わずとも、それなりに広く、そして深く、大きな溜まりになっていた。


「へえ……」

 火を熾す場所を決めてから、すぐに純一郎は水場に近づいて、笑みを浮かべ、周囲をぐるりと見渡した。

「良いな、ここは。山の中ってのも」

「山といっても、それほど大きくはないからね。整備はされてないけれど、行軍はよくする道が用意されてる」

「守護者もいないみたいだな」

「――うん?」

「悪い、こっちにはいなかったか。じゃあ、飯の前に軽く運動してくる」

 そう言って、純一郎は刀を片手に、ひょいと滝つぼに足から身を落とした。

「あー、やると思ったー」

「ああうん……」

 何をするのかと見ていれば、純一郎の姿が水の中で捉えられなくなったかと思いきや、唐突に水が真っ二つに割れ、底に着地した純一郎がこちらに気付いて、手を振った。

 ひらひらと、なぎさは手を振り返せば、水が元に戻って飛沫しぶきを上げる。

「……落ち着いてるね、二人とも」

「玖珠に、いちいち疑問を持ってたら疲れるから」

「まあ純一郎はよくわからないもの」

 深さはだいたい六メートルかと、火の傍で保存してあった肉を軽くあぶりながら、なぎさは腰を落ち着ける。

 こと距離に関しては、目測でぴたりと当てるのが、なぎさの強みだ。

「やれやれ、これは参ったな……」

「ん? そ? 玖珠だし、あんなもんでしょ」

「いや、斬戟にも種類がきちんとあるんだよ。水を割った一撃、水を割らない一撃、この二つはあまりにも違っててね。そして、違うというならそれは技術で、つまり技だ」

「へえ? ただ斬ることが、技なんだ?」

「僕が見た限りはね」

「確かに、声を出すまで斬った首が落ちない、なんて斬り方は、力や速度だけじゃ説明がつかないわ」

「……なるほど、そんなことが。どうやら勘違いしていたようだ」

「なにが」

「彼の扱う刀は、六割以上が技だってことだよ。それこそ、力でも速度でもなくてね」

 言っていれば、五分ほどしか経過していないのに、純一郎が飛び出してきて、嬉しそうな笑みを浮かべながら、水面を歩いて戻ってきた。

「純度が高くて、良い水だ。どうせなら明日までここにいようぜ」

「まあ、ここまで比較的、強行軍だったからいいけれどね」

「急いでないからいいけどさ、とりあえずご飯」

「おう――ん、どうした?」

「刀っていうものに、興味がね。純一郎、どうやって水を斬ってるんだ?」

「どうもこうもないんだが……」

 純一郎は、保存食の肉を火にかけず、そのまま口に放り入れて。

「水を〝斬る〟ってのは、そもそも、普通に言ってるが難しいんだよ。俺も当時は、水を斬ってみろと言われて、試行錯誤の連続だった。たとえば、手首までを突っ込んで、右に移動したとしよう。こいつは?」

「水をかき分ける、だね」

「じゃあ、棒を突っ込んで線を引いたら?」

「水を押しのける、だ」

「で、普通に刀を引き抜いて斬ろうとした場合、そいつは単に、水に叩きつける――そう言うわけだ」

「あー、斬るって現象にならないんだ。まあ水って、抵抗があるしね」

「けど稍々咲ややさき、ここに水のボールがあったとして、そいつを殴れるか?」

「うん」

「規模は違うが、同じことをこの水たまりにやりゃいいんだよ。空気とは衝撃の伝わり方が違うだけ」

「おー……なんとなくわかった。あとでやってみる」

「純一郎、一ついいかな」

「うん?」

「古い文献で読んだことを思い出した。刀を扱う人で、楠木くすのきと呼ばれる存在があったそうなんだけれど、知っている?」

「楠木の先に後はなく、楠木の後に先はなし――か?」

「……驚いたな。確かにそう書かれていたよ」

せんせんを取る抜刀、居合いの楠木ってな。速度に特化した武術家だよ」

「たとえば」

 座ったままそう言ったエルシアの喉元には既に、刀の切っ先がある。

 視線は純一郎に向けていたのに、気付かなかった。

「今、立つ前に初動で肩を動かしただろ」

 言いながら、納刀を済ます。

「立ち上がる際には、足に力を入れながらも、軽く上半身を前に倒しながら起き上がる。つまりは、初動。あるいは攻め気、それを見せた時点でこうなる。先の先とは、そういうものだ。俺は武術家として、仮に対峙したのなら、この速度に負けることは許されちゃいねえが――」

「私なら死ぬほど罠を張っておくわ」

 それがいいだろうなと、視線を向けただけで答えたなぎさに対し、笑っておき、もう一つ肉を放り込んだ。


 ふいに、思い出したよう雪花が口を開いたのは、食事を終えた頃合いだった。


「そういや、気になってたんだけど、玖珠くすってあんま名前呼ばないよね? それ意識してんの?」

「ん、ああ、意識して避けてる。それなりに危ないからな」

「なにが」

「んー……ま、じゃあ食事後の一休みってことで、少し遊ぶか。実際に経験してからの方がわかりやすいし――それなりに楽しめる」

「それが理由なのね?」

「まあな。慣れておいて損はねえよ、お前もどうだ」

「僕? ……そうだね、じゃあ参加しよう」

「じゃあ立ってくれ」

 そうして、笑いながら。


「――エルシア」


 ただ、それだけで。


「なぎさ、稍々咲ややさき、動くな」


 彼らは、ぴたりと動きを止めた――いや、


「意識が空回りしたかのよう、頭と躰が繋がらない。どうしようもなく眠くなった徹夜明けの朝のよう、目が開かなくなって、抗う意思はやはり届かず、暗い視界にようやくまぶたが落ちたことに気付いた」

 彼らは抗えず、純一郎の言葉の通り、目を瞑ってしまった。

 抗おうという意識はあるのだ。けれど、純一郎はそれを許していない。

「まるで彫刻かと思えば、いつの間にか止まっていた呼吸に気付いて、口を開けて呼吸をすることができた。深呼吸を繰り返せば、少しだけ落ち着きを取り戻せる」

 この時点でも脅威だ。何しろ身動きができない――が。


「――背筋に悪寒が走った」


 純一郎は恐怖をあおる。


「足元に気配がある」


 ただ一言で、三人の額に汗が浮かんだ。もちろん、純一郎が見ている状況で、魔物が傍にいるわけではない。

「ずるりと、大きな気配がう。身動きができないまま意識を向ければ、まるでその気配に気付いたかのよう、それは足元から肌に触れる。蛇か? ――否だ、無数についた足の感覚が肌を伝わる」

 彼らは、それをきちんと感じていて。


「――ムカデだ」


 きっと言葉がきちんと話せれば、悲鳴が上がっていたに違いない――いや、怒っていたか。


「大きさをきちんと感じたのは、顔の横にきてからだ。生生なまなましい気配から、自分の顔より大きいのではと、そう思う。そこでようやく、気持ち悪さが抜けると同時に、ムカデが毒を持っていることに気付いた」


 そろそろかと、苦笑して。


「――致死」

 純一郎は、そこで。

「その二文字が頭に浮かんだ瞬間、――

 状況を終わらせた。


 目を開くのと同時に三人は背後に飛びのき、雪花は構えて、エルシアはナイフを抜き、なぎさは銃を手にした。


「……座ったらどうだ?」

 そう言っても落ち着かなかったので、少し時間を置いた。顔を洗ったり、エルシアは気にせず湖に飛び込んで冷たさを感じたりと、ともかく先ほどの感覚を振り払うためにどうにかして。

 数分後、それでも落ち着かない様子で腰を下ろした。

「――洗脳、催眠誘導、というよりはむしろ、暗示に近いのかな」

「結果だけ見ればな。名前の掌握をしちまえば、どうとでもなるんだが――名は体を表すと言うだろ? 本人がそれを自分の名だと認識していれば、……まあ、簡単じゃねえが、できる」

「そこで暗示をかけた、という感じかな」

「言霊、言の葉、ただ相手に意思を伝えるものでも、やり方次第で武器になる。専門的にはシュをかける、そう呼ぶ」

「――それは、呪いね?」

「お前らが知っている呪いとは違うが、制限をかけるという意味合いでは同じだ。陰陽師おんみょうじって専門家が扱う術で、いわゆる調伏ちょうふくを狙いとした……面倒だな、この手の話は長くなる」

「いいわよ、話して。まだ落ち着かないから」

「ああそう」

 だったら、どこから話すべきかと、少しだけ迷って。

「エルシア、お前妖魔って知ってるか」

「――、いや、名前を呼ばれるとさっきのことが頭をよぎって、身構えるんだけど、知らないよ」

「身構えるって行為そのものが、付け入る隙になるんだけどな。じゃあ、人型の魔物は?」

「知能を有した高位存在なら知ってる」

「そいつを妖魔と呼ぶんだよ。人型に見えるが本質は違う――少し前に、魔剣の話をしたのを覚えているか?」

「あーうん、魂の話ね」

「僕も聞いていたよ。人の信仰によって創られたものだと、そう記憶してる」

「実はそれと似たようなものでな。たとえば、視界が閉ざされるほどの霧の中、女性が現れ手を引かれれば命を落とす、そんな噂話があったとしよう。そうだな……お前ならこれをどう捉える?」

「僕? そうだな……現実的な考えをしたら、それはきっと発生場所が原因で、忠告を促す話だと思うね。霧っていうのは、標高の高い場所に出現しやすいし、山となれば足場も狭い。その上、霧で視界が閉ざされれば、足を滑らして落ちることもある。鉄則は、霧が収まるまで動くな――かな」

「そうだ、それが現実だ。目の前に女性が現れたとしても、それを現実のものだとは思わないだろう。夢か、幻か、そう考えるのが普通だ――が、もしも、自分がそこに巻き込まれたら? そして女の人がいたら?」

「……まあ、その噂話を信じていなくとも、驚いて、とにかく手引きには応じないだろうね」

「そしてお前は、霧が晴れて生還したのなら、その現実を口にするわけだ。あの山で霧に遭えば、女の人がやっぱりいて、こういう受け答えをしたら、どうにかなった――と」

「自然な流れだね」

「すると、それを馬鹿にする者もいれば、信じる者もいる。しかし共通するのは、認識そのものが霧の中の女性へ向けられることだ。――信仰と同じ状況がそこに作られる」

「僕しか見ていなかったのに、大勢がそれを認識する、か」

「その規模が大きくなると、曖昧だったものに輪郭が作られ、やがて命を持つ――それが妖魔の発生だ。事実、霧の中で産まれた妖魔は多い」

「……その場合、妖魔の実体、本体の部分は何になるの?」

「だいたいは霧そのものだな。しかし、霧の一部と呼ぶべきだろう。視界を閉ざす霧は、自然現象だが、そうやって数体の妖魔を産んでしまったのならば、それはもう、妖魔を産む霧としての認識を持ち、やがて実体化する。キリタニと聞けば、嫌な顔をする連中も多いぜ」

 多いが、それは妖魔の間の話であって、こちら側の話ではない。

「なるほどね。こうして聞けば、名称そのものが存在を固定化するんだから、シュだっけ? その意味合いもわかってくる。躰の自由だとか、そういう問題ではなく、僕たちのを、名前を媒介にして掌握してしまうんだね?」

「陰陽師はこれを利用して、調伏……しずめることを術とする。そうやって人の認識が偏って作り出されたものを、平坦なものへと変えるわけだ。そのための言霊であり、祝詞でもある。妖魔への特効薬だと思えばいいさ」

「玖珠は使えるの?」

「ある程度はな。けど……実際に見せるのは、やめておく。じゃ影響力が強すぎるからな」

「そうしてちょうだい。でも、一つだけ確認しておくわ」

「なんだ」

「もしも、あのままムカデに噛まれていたら、私たちは死んでいたわね?」

「俺が誘導したのは確かだが、ムカデそのものを作っていたのはお前らだ。毒を持ったでかいムカデに噛まれて、ともすれば首が落ちるんじゃないかと想像したのなら、それはお前らにとって

「……そうね」

「どう対策すればいいのさー、次はもう嫌なんだけど……」

「鈍感力が一番早いな。動くなと言われたら、動いてねえよ、と返せるくらいの」

「なにそれー」

「受け流せってことだ。しかし」

 それにしてもと、純一郎はエルシアを見て。

「簡単にシュにかかるくらい、こっちのこと信用してるんだな、お前は」

「あー……はは、雪花ちゃんが可愛くて、ついね」

「な、なにおー!?」

 それがどういう誤魔化しか、それとも本心かはしらないが、特に悪い気はしなかった。

 三日後。

 彼らは、ゼヴェス王国に到着する。



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