旅の準備編

第11話 迷った戦地での閑談・魔剣と少しの昔話

 地図、と呼ばれるものは、実に不思議なものだと、稍々咲ややさき雪花せつかは腕を組んでいた。

「ここ、フェスリェア」

「そうね」

 どこか疲れたよう、なぎさ・フェリスナは頷きを一つ。

「目的地は、ここらへんのはず」

「はず、ね」

「この街からこっちの町、んでここを経由して、こんな感じ? で、移動してきた――はず」

「……はず」

「だから最短ルートはここ!」

「そうね?」

「うん」

「……で?」

「えーっと……」

「現在地は?」

 欠伸を一つ、玖珠くす純一郎じゅんいちろうは曇った空を見上げた。

「まあ、森の中だな」

「せつに案内を任せた私が馬鹿だったわ……」

「ぐぬう……」

 そう、地図は場所を示してくれるのに、案内はしてくれないのである。

「ごめんなさい」

「よろしい。で、現在地はここらへんね」

 広げた地図の一点を示せば、雪花が思っていた場所とはかなりズレていて――そして。

「ゼヴェス、ミシマの間で行われている戦争の、まあ、戦場ね」

「せんじょう」

「ド真ん中」

「うへえ……」

「旅人です迷いました――で、済みはしないでしょうね。何よりそんな証明ができない」

「証明ができれば問題ねえのか」

「納得してもらえればね」

 なるほどねえと呟く純一郎は、やはり空を見たままで。

「この感じだと雨は降らないわよ」

「知ってる。だから空を睨んでる。主に雲を」

「こいつは……」

「で? フェスリェアで軍訓練校にいたお前は、この状況でどう判断をする?」

「もう現時点で、見つからずに撤退は不可能」

 へえと、視線を向けるが、目は合わない。つまり純一郎が知っていることは、まだ知らないらしい。

「なんで?」

「もしかしたら可能かもしれない――と、そういう考えは、戦場でしてはいけないのよ。その先には最悪しかない。極力、最善を尽くして撤退できたとして、発見されていたら、二つの軍に追われて、二度と足を踏み入れなくなるわよ」

「あー、逃げたぶん罪が重くなるあれかー。師匠が食い逃げして、あたしが料金を支払えなかった時のあれなー……」

「馬鹿は放っておいて」

「馬鹿じゃないよ!?」

「純一郎、何かないの」

「馬鹿より役に立つってか? そうだな……じゃ、ゼヴェス王国軍の駐屯地ってやつを探して、向かうか」

「……どうしてゼヴェスを選ぶの?」

「目的地がそっちだし、俺と遊んだ槍使いが、ゼヴェスだったから」

「あ、そういえばそっか。あの重騎士もそうだった」

「そういうことだ。――そっちのが面倒は少ないだろうぜ。たとえ、あいつらが現場にいなくてもな」

「根拠は?」

「裏か表かを決めるなら、その程度の理由で充分だ」

「……」

 はあ、とため息が落ちて、地図を畳む。

「オーケイ、速度を落としてゼヴェス王国を目指しましょう。特にせつ、暴れないように」

「しないよ?」

「暴れないように」

「……はあい」

 そうして、昼下がりの時間帯、彼らは森の中を歩き始めた。

「こういう時の対処、学んでるのか?」

「ある程度は。といっても、従軍経験はないから、座学ね。サバイバル訓練なんかはやってるけど――まあ、鬼教官が文字通りの鬼になって、ひたすら逃げまわったことはあるけれど、あまり思い出したくないわ」

「ま、お前の場合は闘技大会よりも、こういう場所で生き残る方が向いてるだろ」

「そう?」

「なんでもできる――目的を持てば、

って、そう徹底されてるから。しかも個人訓練。母さんから」

「目がかまぼこみたいになってるねー」

「何が嫌って、今は感謝したくなるってところよね」

「そこがわからん。あたし今でも殴りたくて仕方ないし……あんにゃろうめ」

「純一郎はどうなの?」

「なにが」

「育てて貰った人とか」

「んー……育てて、ねえ。いろんなやつの影響を受けてはいるが、感謝ってほどでもねえし、返せるものがないのも自覚はしているが……どうだろうな。俺の場合、ともかく鍛錬は楽しかったから、厳しさも自分で求めてたし、特にこれといってないな」

「それはそれで、どうなん?」

「あくまでも鍛錬の話だ。酒がなくなって機嫌悪くなって、口が寂しいのを誤魔化すために俺を重体にしたこととか、そういう理不尽なことはよく覚えてるぞ。まあ、そのぶんは返して貰ってるから、チャラだけどな」

「……そう」

「あー、玖珠のそういう話、ちょいちょい聞いてたけど、よくわかんないんだよね。どうよなぎ、理解できる?」

「いえ、あまりわからないわね」

「それほど特殊なことはないと思うんだがな……」

 右手で頭を掻く純一郎の左手は、刀の柄尻に当てられている。抜かない、というポーズのようなものだ。

「そういえば、常に刀を扱うわけではないのよね? 母さんとの戦闘では棒を使ってたし」

こんな。そもそも大会は殺しちゃいけねえから、刃物ってのは相性が良くねえんだよ、俺の場合。打撃戦をするのに、無手だと柔術が絡むから殺し技になっちまう――そこで、棍という選択をした、それだけだ」

「ああうん、それはそうだけれど、どうして刀をいているのか、そこが疑問だったの」

「そっちか。……技量の話じゃなく、刀が好きだってのが理由の一つ。こいつは居合い刀って呼ばれる類で、いわゆる抜き打ちに特化してるわけだ。それも一つ。後は、……俺が初めて、手にしたものだってのが、まあ、愛着だろうな」

「それ、聞いてもいいのかしら」

「面白い話じゃねえけどな」


 けれどそれは、何も悲しい話ではなくて。

 ただの発端だ。


「まだその頃の俺は名を持っていなかったし、そもそも、どこで何をしていて、俺がどうなっていたのか――それすら、覚えていない。ただ俺はその時、降り注ぐ雨のおりにて空を見上げ、天からの恵みを全身に受けながらも、どうしてそれは俺の躰に染み渡らないんだと、そんな感じでな。そこに、この刀を持ったやつがきて、俺は手にした。その時にようやく、俺は人間になった」

「人間になった?」

「なんつーか、空白が埋まったというか、自覚を持ったっつーか……曖昧な感覚だ。人間を人間と定義するのは、外見とか他者の認識とか、いろいろありそうだが、何よりも自覚だろ。まあそれも、俺の中身を削りに削って、が、それだったってだけだ。それ以来、こいつを手放したことはねえよ」

「やっぱり、わからない話ね。覚えておくわ」

「そうしとけ」

「いやでもその刀、凄いよ。あたし壊せない武器見たの、初めてだったもの」

「ああ、この刀は昔、自らの魂を組み込んで魔術師が創ったものらしくてな。聞いた話じゃ、それはある種の正解だが、魂ってのは必ず〝劣化〟を含んでるから、今はもう残滓しかない。それでも魂が宿ってはいたんだ、大事にはしてる」

「それ、魔剣とは違うのかしら」

「んー、魔術品とはまた別だし、魔剣ってのも一言で括っちまうと、俺としては複雑なんだが……」

「武器のことはよくわからん……」

「せつはその苦手意識をどうにかなさい。でもそうね、わかりやすく例を出してくれる?」

 会話をしながらも、なぎさの視線はかなり広範囲へ投げられている。かなりの距離を見ているはずだ。

「その村には、大型の魔物を一振りで倒したとされる刀が存在する。毎日のようその刀を拝みにくる人はいるし、その刀が村を守ってくれると信じて疑わない。信仰の対象となったそれは、長い年月をかけて、人の礼拝を受け取る――それを、神器じんきと呼ぶ。その刀は扱う人を選び、しかし、選ばれた者が扱えば、魔物なぞ敵ではない。さて、これを魔剣と呼べるか?」

「……難しいわね」

「なんていうか、それだと神聖なものに感じる。でも魂はないよね?」

「いや、そもそも扱う人を選ぶ時点で、それは魂が宿っているのと大きな違いはない。思念とは、そういうものなんだよ。特に信仰によって創られたものは、な」

 だからこそ、逆転する場合もある。

 恨み、妬み、敵意、殺意、そうしたものの対象となれば、いわゆる魔剣の誕生だ。

 ――それ以外もある。

 たとえばそれは、妖魔が憑依するための形代かたしろだったりするが、可能性を考慮して、純一郎は口にしなかった。

「ま、どうであれ、そんなのは稀だよ。ただ稍々咲ややさきが壊せないってのは、だいたいはそういう理由がある」

「あんがと、覚えとく」


 ここまでは五日ほどでだいぶ移動してきたが、散歩くらいには遅い。これは、相手に発見された際に、疑いをもたれないためだ。

 だから、純一郎は空を見る。

 木木きぎの合間から、雨でも降ってこないか、と。


 ――おおよそ二十分で、駐屯地らしき場所に到着した。


 止まれ、という声と共に、短い笛が三度。あちこちのログハウスに似た部屋から、槍や盾を所持した兵隊が素早く姿を見せる。


 一歩、なぎさが前へ出る。

 この中で唯一、身分の証明ができるのが、なぎさだからだ。


「敵対する意思はない。しかし、そちらが敵対した場合、こちらは遠慮なく武力を行使する。こちらは旅人だ、私は見ての通り、フェスリェア軍学校を卒業している。身分は、そちらへ打診すれば明確になるだろう」

 一息。

「こちらの戦場を汚すつもりはない。ただ、迷って入っただけだ」

「――それを信じろと?」

「これ以上の証明は難しい」

 相手の男は、腰の剣にかけた手を離し、吐息を一つ。

「悪いが、こちらにも軍規がある。身分が証明されるまで、一時的に拘束させてもらいたい」

「……そうなるわよねえ」

 ちらりと、隣に視線を投げれば、雪花はそっぽを向いていた。

「はあ、しょうがないか」

「いや」

 純一郎が、躰を回転させて背後を見た。


「――そろそろ出てこいよ。いい頃合いだろ」


 そうして、彼は姿を見せる。

 にこやかな笑顔に、やや小柄と思える体躯。印象的なのは、躰を覆うような外套コートか。

「チッ」

 舌打ちをしたのは、対応をしていた男だった。

「術師殿……勝手に動かれては困ります」

 棘のある口調には、イラつきを隠していないように捉えられる。

「すみません伍長ごちょう、偵察の仕事を引き受けていた流れなので、ご容赦を」

 そして、当人はさして気にしていないようだった。

「ところで旅人の方、目的地はどちらでしょうか」

「ゼヴェス王国を過ぎた先よ」

「ならば丁度良い。伍長、現場を知らない僕が、いろいろと邪魔をしては申し訳ないと思っていたんですよ。この方たちの身柄は僕が引き受け、ゼヴェス王国まで連れて行きます。責任は持ちますので――よろしいでしょうか」

「……、術師殿にそう言われては、伍長の自分は頷くしかありませんな」

 笑って、肩を竦めた男は、指示を出して兵隊を戻した。

「では術師殿、よろしくお願いします」

「ええ。では、行きましょう。ここからだと三日ほどかかりますが――僕が案内しますよ」

「……そう。じゃあ、よろしく」

 どうやら、ほかの二人も文句はないようで。

 彼らは四人となり、駐屯地を離れ、移動を開始した。



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