第9話 本戦外れの戦闘録・対妖魔エイレア

 どこか、ドレスを彷彿とさせる白を基調とした衣服は、長いスカートで、直線ではなく迂回するようにして、堂堂どうどうと、屋敷で世話になっている相手でもあるエイレアは、笑みを浮かべながら対峙した。

「趣味は観戦じゃなかったのか」

「戦闘はどちらも好きよ」

 平然と声をかけた純一郎はしかし、少しだけ詰まらなそうな顔をしていた。

『あ、ちょっ――』

 実況席から飛び出したバニーガールは、マイクを慌てて切るとリングに上がって。

「ちょっと! こういう横やりは困――」

「うるさいわよ」

 腕の一振り、軽くそれをやっただけで。

「ぎゃんっ」

 バニーガールは吹き飛ばされる。そのまま壁に激突するかと思いきや。

「ミミさん!」

 飛び降りたなぎさが、彼女を受け止め――きれず、壁にぶつかる。威力は弱まっているようだ、怪我はないだろう。

「さあ――遊んでくれるわよね?」

「どうだかな」

 一歩を踏み出そうとした雪花せつかは、ぞくりと背筋に悪寒を感じて、動きを止めた。


 空気が変わる。


 まるで重力が二倍になったかのような威圧感、それが物理的な衝撃となって空気に混ざっている――感覚的なものではない、現実だ。

 発生源は、わかりきっている。


「やれやれ……」

「――手が必要ですか」

 隣にきているさやかは、まだ先ほどの戦闘の影響があってか、疲労が見て取れた。それもそうだろう。

「おい、少し時間を寄越せ」

「あまり待てないわよ?」

 純一郎がひょいと上空にこんを投げれば、それは途中で消えた。そして、すぐに印を組む。

 刀、在、前、外縛、内縛の五つを連続させれば、純一郎を中心に水気すいきが周囲へと展開し――それは。


 霧を作る。

 まるでハヤカワと戦闘をした時のよう、場を隔離するのだ。


 次第に濃くなっていく霧は、普通のものではなく、リングの周囲だけが明瞭だ。そして、リング上にいる者、バニーガールと傍にいるなぎさ――ああ、それと。

 が、観客席に数人、こちらをきちんと捉えていて、動じない。


「回復したろ」

「――ええ、驚きました」

「手は必要ない。ないが……お前は〝蛇〟に属するものか?」

 問えば、さやかは息を飲み、しかし。

「……はい」

「蛇さんにはどうにも、頭が上がらなくてな……どうしたって、甘くなっちまう。そっち、裏の二人だけ守っててくれ。さすがに妖魔の瘴気しょうきを前に、平然としてられるほどじゃねえだろ。――うさぎ! なぎさを守れよ!」

「わかってるわよう!」

 霧の結界に閉ざされれば、バニーガールは何故か、白色の巨大な兎へと変化しており、両手――いや、前脚を使ってなぎさを抱えている。


「もういいぜ」

「あらそう、じゃあ――遊びましょう! 簡単に死なないでちょうだい!」


 霧に囲まれた闘技場は、更に威圧的な空気を増大させる。さやかはバックステップを踏むように、背後の二人の傍へ。

 純一郎は。

 ――ひどく、詰まらなそうな顔だった。


「二人とも、私の傍を離れないように」

 一声をかけるが、おそらく移動はできないだろう。疲労ではなく、得体の知れない恐怖で膝が笑っているだろうから。

「なにあれ……」

「人外ですよ」

 さやかだって、似たようなものだ。しかもエイレアは、自分よりも存在が強い。


 妖魔ようまと呼ばれる存在は、魔物の延長線上にいるが、そのスケールは同一で扱うことを許さない。

 今のエイレアも、人型をしているが、それは一部だ。本体そのものは、別の領域にある。

 つまり、この人型を殺したところで、本体は無事なのだから、すぐに補充できるわけだ。しかも、本体が人型とも限らない。


 たとえば、金属とか。


「そーれっ!」


 空中に出現した、重量は軽く30キロはあるだろう刃物が、純一郎に放たれる。剣ではなく、ナイフの先端を両方につけたような刃物であり、厚さはほとんどなく、切れ味のみを追求しているとわかる――が。

 それは見た目だけ。

 妖魔が具現させた刃物なのだ、強度は彼女の存在そのもの。

 この闘技場くらい、城下町ごと切断できると、さやかは腰を落として衝撃を逃がす準備をしたのだが。


 ため息。

 ぎりぎりまで引き付けて、右斜めへ一歩。

 左手の指で、まるで便所に入る前のよう、軽いノック。


 それだけで、金属は窓ガラスを割ったかのよう、細かくなって壊れた。


「ぬおっ、なんじゃそりゃあ!」

 思わず雪花せつかは叫んでいた。

 それもそうだろう。

「踏み込みもなしかい!」

 叫んだお陰で、重さが取れた。思わず一歩、踏み込もうとするのをさやかが制する。


「ふふふ、そうでなくては――」

「悪いが」

 お互いの距離は十メートル、たったそれだけ。

 今度は二つの刃物を出現させたエイレアを相手に、純一郎は。

「お前みたいなのは詰まらんから、終わらせるぜ」

「……言うわね」

 さすがにその言葉には思うところがあったのか、一歩だけ前へ出たエイレアは、純一郎を睨みつける。

「ハヤカワの片腕しか壊せなかった男が」

 まあなと、純一郎はそれを認めるが――しかし。


 その言葉を聞いたさやかは、思わず。

「事実ですか――あの、あのハヤカワの片腕を、壊したというのは」

「おう」

 肯定が返ってきて、さやかは肩の力を抜いた。

 思わず、小さな笑いさえ口から漏れてしまう。

「え、どしたの侍女さん」

「いえ、知り合いの名前を聞いたものですから」

 同じ妖魔でも、ハヤカワの躰は――ともかく、硬い。何しろ大地そのものが彼の本体であり、人型を作るにも、本体の七割ほどをこちらに具現している。硬くて当然だ。


 その腕を、壊した。

 それが殺し合いではなく、であることを、さやかは気付いた。

 妖魔同士の手合わせでも、そんな状況は限られる。

 あるいは。

 純一郎が見せた、棍での三度の突き。あれをで、上手く関節などの一点に与えたのならば、可能だ。


 ――そして今、ここで行われているのは、殺し合い。

 ならば。


雨天うてん抜刀ばっとうじゅつ金ノ行きんのぎょう第二幕、始ノ章〝上弦かみづる〟》


 踏み込み、下から上への居合いは銀光すら残さず、ただ右腕を肩から斬り落とす。


追ノ章ついのしょう下弦しもづる〟――》


 くるりと回転して側面、次の居合いは振り下ろしに近く、膝から下を斬り払い。


《――終ノ章しゅうのしょう月光つきのあかり〟》


 またくるりと回転したのは背後、水平に首を真横に斬る居合いが完成した。


 残念ながら、そこに、わかりやすいものなど、なかった。


 かちんと、納刀のうとうの音を響かせた純一郎は、硬直したまま動かないエイレアの隣を通って、歩きながら戻ってくる。

「な、なに……?」

「さて」

 冷や汗を隠そうという意識すら浮かばない。さやかにわかったのは、移動途中の純一郎が回転した二度だけであり、攻撃したのだろうと、そんな想像。

 銀光も残さない、速度を追及した居合いは、目で追えないのならば、それはないのと同じだ。よくよく見えていれば、純一郎の肘から先がブレたのを捉えられたはず。

 まだまだ、自分の居合いが甘いことは、純一郎が誰よりも理解している。

 肘ではなく手首だけ、その先にあるほぼ不動の居合いまでは、遠い道のりだ。


「あ……」


 声を漏らす。

 喉を震わせる。

 ただそれだけの行為で、エイレアの足と首が、ずるりと落ちた。


 普通ならば。

 物理的な攻撃など、妖魔にとってはかゆみすらない。さやかだとて、体力的な疲労はほとんどなく、衝撃の残滓に躰が動かなくなっていた部分も大きく――制限はしているが、人よりも優れている部分は多くある。

 だが、浮かんでいた巨大な刃物が二つ消えたところを見て。

 さやかは問う。

「本体を、斬ったのですか」

「ん? 当然だろ。妖魔が人間側こっちに一部しか出てこないなら、人間側こっちから妖魔側そっちへ行けばいいだけ。俺の

「――」

 今度こそ、さやかは言葉を失った。

 簡単に言うし、その通りだとも思うが、そんな人間がいるだなんて初めてだ。


「さてと、肩慣らしは済んだし、そろそろ真面目に殺すか」

「ひっ……」


 振り向けば、どうにか人体を維持したエイレアが、躰を震わせるよう、なんとか立ち上がるところだった。

「三流だな、エイレア。どうせ〝狐〟の端っこか、所属もできねえはぐれ者か。本気で俺と殺し合いをして楽しみてえなら――」

 一歩、ただその一歩が威圧を跳ね返すよう、リングを壊した。

 しかし。

 続く言葉はなく、やはり純一郎はため息を落とした。


「――え! な、なによ! なんなの!?」


 空間を割るよう、巨大な手が出現した。それは鈎爪と呼ばれる武器を巨大化したような、あるいはそう、悪魔や鬼の手と呼ぶべき、破壊を具現したモノ――は、しかし。

 戸惑いに声を上げるエイレアを包み込み、そのまま空間ごと、ごっそりと削るようにして消えた。


 終了、である。


「――純一郎様」

「ん?」

「こうなることを、わかっていましたね?」

「どうだかな。これ以上の続きを求められれば、俺がやってたのも事実だ。執事の野郎が手を出すかどうかは、半信半疑だった」

「――え?」

「失言だな、忘れろ――おい! 結界を解くから元に戻っとけよ!」

 観客席に向かって一声。ほぼ瓦礫となったリングから降りれば、既にバニーガール衣装に戻っていた兎と、なぎさもこちらへ来た。

「ちょっとはら――あんた!」

「言い留まったのを褒めて欲しいなら、最初から言うな。で、なんだ兎」

「兎って言うな馬鹿! これどーすんの! やっぱ派手にやるじゃないの!」

「うるせえなあ、派手になるのは相手次第って言っただろうが。後始末は頼んだ――ああ、あんたに頼んだ方がいいか?」

「こちらは構いませんが」

 純一郎は、座り込んでいたもう一人の侍女に手を貸して立ち上がらせると、肩を竦めた。

「お互いに決着はつかず、乱入者あってノーゲーム――稍々咲ややさきはともかく、俺としてはそんなところでいい」

「む……あたしだって文句言わないしー」

「あ、そう」

「この野郎……!」

「だから気軽に蹴るな。じゃ、俺は帰る。これ以上いてもしょうがねえだろ」

「わかりました。ミミ、誤魔化しは任せます」

「丸投げかい!」

「それとなぎさ」

「あ、うん、いろいろ理解が追い付いてないけど、なに?」

「一緒に行って休みなさい」

「……わかった」

「では純一郎様、よろしくお願いします。明日には出迎えの者を向かわせますので」

「はいよ。リングの請求はエイレアに向けといてくれ」

 あたかも、何事もなかったかのよう。

 霧の消えた闘技場に、どよめきのような声が聞こえたが、背を向ける。

「純一郎、あんたは平気なの?」

「なにが? この程度、戦闘前の準備運動だろ。――相手が弱すぎる」

 純一郎は、そうやって、はっきりと言う。

 今まで予選を含め、闘技大会で戦ってきた相手には、一言もそんな評価を言わなかったのに。

 殺し合いをする妖魔相手には、そんな配慮など、必要ないとばかりの態度は、少しだけ冷たいよう感じられた。



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