第8話 本選三戦目の戦闘録・対さやか・フェリスナ

 大会が進んでいくたびに、リングの数が減っていき、やがて闘技場内部には特別席が作られ、招待された客はリングの間近で――もちろん、危険も含みで、観戦することができる。

 ついには、リング一つ。

 純一郎たちにとっては、これが本戦の第三回戦であった。次が決勝という段階であるのならば、つまり、相手は。


『対するは、誰もが憧れる侍女服、しかしその中身は軍学校の訓練教官!』


 さやか・フェリスナであった。


 ペアになっている女性もまた、同じ侍女服を着ているが、背丈は少しだけ低いか。まだ幼さを残す顔は、二十代前半――さやかと違い、瞳を開いてこちらを見ている。

 リングは少しだけ広くなったが、以前とほぼ同じで、しかしゆっくりと歩きながら、彼らは一メートルの距離まで近づいて、足を止めた。

「よう」

「ええ」

 挨拶はそれだけ。

 ただ、肌の表面が焦げ付くのではと思うほど張り詰めた空気に、雪花せつかは表情を作らずに無言のままだ。

 何故って、わかるのだ。

 この二人は、張り詰めた空気を作りながらも、何より、楽しんでいるのがわかる。

 楽しもうとしているのだ、今ここから、先にある何かを。

 何か?

 ――戦闘に決まってるじゃないか。


 挨拶を終えて、お互いに背を向けて、また軽く距離を取る。


「……どうすんの」

「今まで通りでいいだろ」

「よくはないでしょうが……明らかに違うんだから」

「怖いのか?」

「――うるさい」


 しばらく、相変わらずのバニーガールが説明を続け、やがて。


『それでは、戦闘を開始してください!』


 大きな歓声が上がり、お互いにゆっくりと近づき始める――が、すぐに。

 さやかは。


制圧サプレスナウ

諒解アイコピ


 短いやり取り、すぐに片方の侍女が視界から消えたが、純一郎は何もしない。

 そして二秒後には、数本の糸で関節を封殺――いや、行動に制限をかけられた雪花が、リング上に倒され、左腕で首元から押さえつけられていた。


「このっ」

「見たくありませんか!」

 彼女の声は、強い。

「――あの方がたの戦闘を」

 そして、合わせた視線も強かった。


 制圧しているのにも関わらず、侍女は肩を上下させて呼吸が荒く、額からも汗が流れ落ちている状態であった。


 全力を出せ。


 そう言われることも、言うこともあるかもしれない。だが、果たして全力とは、何だろうか。

 少なくともこの侍女にとっては、目的を達成するために全てを注ぐことだ。戦闘後に歩けなくなるまでやるのでもなく、ただ、一つの命令に対し、それを可能にするため、全精力を注いで結果を示す――つまりそれこそが、現状だ。


 制圧しろ。

 その言葉を受け取ったからこそ、彼女は全力を出して雪花を制圧した。以降はない、たぶん戦闘が続行しようものなら、すぐに終わる。

 だってそれが、雪花との実力差を埋めるための全力であり、それを尽くしたからこそ、制圧できたのだから。

 ――それが、雪花にもわかったから。

 一度、躰を弛緩するよう力を抜いて。


「見たいね、ゆっくりと」

「――、ありがとうございます」


 糸が外された時点で、制圧されていた雪花が手を貸して、二人は立ち上がり、後ろ向きに進むよう、距離を取った。


 さやかと純一郎は。

 三メートルの距離にまで近づいて足を止め、雪花たちを見てもいなかった。


玖珠くす純一郎じゅんいちろう様、手合わせ願えますでしょうか」

か」

「はい」

「いいぜ」

「ありがとうございます」


 丁寧な一礼を終えたなぎさは、左足で蹴りを放った。それは顔を狙ったものであり、きちんと体重を乗せ、速度を乗せ――比較したのならば、雪花よりも速い。

 軽く前に出て、すねの付近を右手で受け止めた。


雨天うてんりゅう柔術じゅうじゅつ土ノ行どのぎょう第三幕、始ノ章しのしょう端割はじわり〟》


 受け止めたのと同時に、大きく左足を踏み込めば、さやかが踏み込みを行った右足の内側から外側へ、斜めに足が入った。


追ノ章ついのしょう隅割にのわり〟――》


 蹴りの足を戻しながら、躰を捻るような動きに合わせるよう、純一郎は両肩に手を当てると、回転の勢いを強めるよう、右を押し、左を引っ張るようにして軽く放り投げた。


《――終ノ章しゅうのしょう玩具ものこわし》


 空中で回転しながらも、勢いを殺して着地し、ステップを踏むようさやかは距離を取ると、大きく深呼吸をした。

 吐く息が、少しだけ震えている。


「慣れないことはするもんじゃねえだろ」


 純一郎は小さく苦笑しながらも、柔術は使うべきじゃないなと、そう思う。

 本来、この技はまず最初に蹴り足の膝を割り、次に軸足を力で打ち抜くことを踏み込みとしつつ、顔を持って首をねじ切るものだ。

 雨天の柔術は、こうしたものが多いのである。


「失礼しました」


 さやかはそれに気付いたからこそ、冷たい汗を隠しながら一礼し、手袋をした手を握らず、重心を落として構えを見せた。

 受け、だ。

 攻撃ではなく、受け流すことを彼女は身に着けている。


「――こんをくれ。俺が前に使ってたやつ」


 誰にともなく純一郎が呟けば、内側からの言葉はなく、どこからともなく出現したその棍を、右手で掴んだ。

 棒である。

 長さはおおよそ130センチ。これを長いと捉える人もいるかもしれないが、実際に持ってみると、その短さに驚くだろう。

 何故って、両手を広げたサイズが身長とほぼ同じになるのが人間で、それは130センチの人でも、両端を持てる、という長さなのだ。

 色は黒に限りなく近く、それは使い込まれた証左。槍のように構えても、殴った方が早いと思える距離まで近づかなければ、届かない。

 だが、――それで構わないのだ。


 慣れないことをした、それはわかっている。

 だがこの男は速い。

 視界から消えるような速度ではないため、わかりにくいが、今の攻防で一つの理解を得た。


 なのだ。


 これがほかの人物ならば蹴りをして止められても、踏み込みに対して足を戻すことができる。しかし、純一郎の場合、受け止められたと理解した瞬間にはもう踏み込まれていて、足を引こうと意識した途端、両肩を掴まれ、あとは軸足で飛ぶしか選択肢がなかった。


 素早い、というか。

 一手が速い。


 ――現実を見ろ。

 だってもう既に、棍を持った純一郎は間合いの内側に入っていて、応じようという意識がさやかの中に芽生えた瞬間、棍が腹部に当たった。


雨天うてん棍術こんじゅつ木ノ行もくのぎょう第八幕、始ノ章しのしょう鍵破かぎひらき〟》


 まっすぐ、突く。

 槍とは違い、まるで球体のような切っ先から発生した力は、躰を捻りながらのステップで受け流そうとするが、上手く行かず、重さとも呼ぶべき衝撃が腹部から走った。


 ――違う。

 何かが、違う。


 初手で全てを理解することは難しいだろうが、何かがこの攻撃は違うのだとわかる。衝撃用法がどうの、そういう理由ではない。

 いや待てと。

 どうして、こちらは躰を回転させながら移動しているのに、腹部をぴたりと狙った棍が、一度たりとも外れていない?

 点での回転と、円回転なのに、腹に触れてはいないものの、狙って離していない。


追ノ章ついのしょう窓破まどひらき〟――》


「――っ」


 二撃目は、点で放たれたのにも関わらず、衝撃が全身を回り、指先に痺れを発生させた。こういう衝撃は逃がすのが難しく、それでも二割も減らしたのが、さやかの技量。であればこそ、純一郎の口元に笑みが浮かんでいる。


 だが、二度目で理解した。


 本来、攻撃とは踏み込みの先にあるものだ。殴りかかる前には、必ずどちらかの足で、一歩前へ出て、それを踏み込みとする。


 しかし――。

 この棍術は。

 当ててから踏み込んでいる!


《――終ノ章しゅうのしょう門破とびらひらき〟》


 三歩、よろけるよう後退したさやかは、掌で胸付近を軽く叩くことで、衝撃に止まっていた呼吸を強引に戻すと、そのまま手袋で口の端から流れる血を拭った。

 直後、構えたまま動かない純一郎の足元、その踏み込みの足から放射線状にリングへ亀裂が走ったかと思えば。


 轟音。


 さやかが背を向けていた闘技場の壁が、大きな音を立てて崩れ去った。

 それはそうだ。


「やるじゃねえか、六割は外へ逃がしただろ」


 逃がしたから、それは空気を伝って観客席との仕切りになっている壁を壊したのだ。


 逆を言えば、四割は受けた。

 平静を装って、受けの構えを取るが、関節の踏ん張りがもう利かず、膝が震えているような状態を隠しながら、だ。


「でこぴんって、知ってる?」

 教えようという意識は、ほとんどなかっただろう。その声が僅かに震えていることを感じればわかるだろうが、隣の侍女も二人をじっと見ながら、躰の震えを隠しきれていない。

「親指と中指、片手でやる。これ、中指だけでやると、まったく威力が出ないんだよね」

「――溜めが、ないからです」

「そう。衝撃用法の基本、腰や肩の関節を使って力を増幅するって、でこぴんで言うところの親指の作用みたいなもので、基本的には溜めなの。力は本来、伝導させるほど弱くなるけど、関節で増幅できる――でも、それが放たれるのは手だ」

 そう、拳や手のひらを当てて、その先に相手がいる。

 だから。

「だから、拳の先、あの棒でもう一度、力を増幅できる。……ああ、そっか」

 理解を得た。

 理由に納得が落ちた。


「得物って、――」


 技量もさることながら、棍という得物の厄介さを、さやかは間近にした。

 間合いの近さは、それほど気にならない。ナイフ使いや、杖使いと戦闘経験もあるし、拳で殴る距離とそう変わらないからだ。

 しかし。

 目の前にきた棍を、無意識にさばいた瞬間に、恐ろしさを理解した。


 あるいは、それこそが純一郎の錬度の高さなのだろう。


 ほぼ、力を入れていないように思う。握りが軽く、ただ支点を作るだけ――力点は、さやかが手でさばいた動きだけでいい。

 くるりと、回転して逆側が横から来た。さばいた方向とは逆であるし、そもそも、短い棍は軽く、速度が乗る。

 回避なら、どうか?

 すると純一郎が踏み込み、回転したまま棒がくる。更にさばけば速度が乗るし、逆方向に、つまり停止させるよう力を入れれば。


 ――それを、と、表現する。


 先ほどの技でもわかる通り、当たったのならば踏み込みがあるのだ。


「――っ」


 二撃目を喰らって、距離を取る。追撃はなかった。


 受け流すことを主体とするさやかにとって、棍はあまりにも。


 相性が悪い。

「相性は良いな」


 だが、純一郎は手首と肘を使って棍を一回転させると、そう呟いた。


「棍は相手の力を最大限に利用する。だがお前は、力を流す。あとは錬度の差だ」

 呼吸が荒く、返事をするのも面倒で。

「さて、続けるか?」

 その問いかけに対し、首を横に振ろうとした、その時。

 ――闘技場のリングへ上がる、一人の乱入者が。


「――いいわね!」


 楽しそうに、声を上げた。



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