第7話 毎度の朝の閑談・呪詛と槍と戦力

 そろそろ一週間かと、玖珠くす純一郎じゅんいちろうは両手を組んで上へ上げ、背筋を伸ばすようにして肩の調子を確かめた。

 包帯で固定していたとはいえ、きちんと嵌ってはいるのだ。しかし脱臼癖をつけると、武術家としては話にならないので、いわば固着の時間を取っていたにすぎない――が。

 どうだろうか。

 念のためを考えれば、もう五日くらいは動かさないでおきたいが、実際に戦闘をしようと思えば、できるだろう。――いや、できるのではなく、

 表情にも出ないし、行動にも出ないが、躰を伸ばすだけで純一郎の躰はミシミシと古傷が開くかのよう、あちこちが痛む。

 当然だ。無茶をしたし、躰にとは、そう簡単に癒えるものではない。

 ハヤカワとの戦闘前を十割としたのならば、今はせいぜい六割。これは戦闘ができない数値ではないにせよ、次に同じことをすれば、死ぬ確率がかなり高いことを示している。

 そうだ。

 武術家である以上、戦闘ができない、なんてことは口が裂けても言わない。できない時は死ぬ時だと、そういう人種なのである。

 夜明けを眺めていた純一郎は、周囲が明るくなって、やや大きめの狼の魔物、シャドウウルフの群れ八匹が転がっているのを一瞥して、そのままフェスリェア王国の方へと歩き出した。

 一概に魔物と言っても、全てが悪ではない。

 しかし状況を考えるに、フェスリェア王国に害のある行動をとる魔物に関しては、捨て置けないわけで、こうして鍛錬ついでに討伐するくらいの配慮はする。

 後始末までは、知ったことじゃないが。


 銃声が聞こえた。


 妙に騒がしい声の中に、知っているものも混じっていたため、方向を変える。するとそこには、稍々咲ややさき雪花せつかと、なぎさ・フェリスナ――そしてもう一人、少女がいた。

「なんで当たらないんですか!?」

「当たったら痛いでしょーが!」

 確かに銃弾は当たったら痛いが、当たらない理由にはなっていない。ただ雪花の言いたいことはわかる――つまり、避けない馬鹿がどこにいる、という話だ。

「――あら、おはよう純一郎」

「おう、早いな」

「早いのはそっちよね? せつが、起きた時にはもういないって、ぼやいてたわよ」

「夜と朝の境界ってのが好きでな。逆もまた然りだが――あいつがお前のペアか?」

「ええ、そうよ。厳密には、そうだった」

「敗退か」

「そっちと同じ、逆側のシードで、うちの教官と当たったの」

「なるほどな。……手のかかる後輩ってところか」

「その通り。好き勝手やるし、それなりに戦闘もできるけれど、私がいてようやく、好き勝手させてもらえてる――そう自覚させたいの。でもやっぱり難しいわね」

「わかってて甘えてるんだろ」

「それが困るのよ」

 嬉しい反面、いつかはいなくなるのだからと、苦笑交じり。そこでようやく、雪花たちもこちらに気付いた。

「あ、玖珠。いたの」

「おう。普段より騒がしいから、いつ稍々咲は二人になったのかと、疑問を覚えてな」

「なんだとこの野郎」

 左のハイキックは、右肩を狙う。背丈の差もあって、額に足を振り上げるのは難しいだろうと思いながら、軽く左手で受け止めた。

 肩への負担は、問題ない。

「騒がしいだろお前は……」

「ぬう」

「挨拶なさい」

「はい。自分は中等部三年、ミリエッタであります」

「玖珠純一郎だ、楽にしてくれ」

 軽く握手をして挨拶とした。

「ちょっとミリ、今から軽く蹴るから、受け止めてみて。今みたいに」

「え、なんすか」

 背丈も似たようなものだが、ゆっくりと雪花はミリエッタの肩へ蹴りを向け、遅いと思えるスピードのそれを片手で受け止めたミリエッタは、その瞬間、足を受け止めた右から左への強い衝撃に、地面へ倒れて転がった。

「……やっぱこうなるっしょ」

「なんで自分で試すんですか!?」

 ごもっとも、理不尽である。

「へえ、二段階に衝撃が伝わる感じね? 軽く受け止めた次の瞬間、重い一撃が躰を突き抜ける。まるで軽い荷物を持ち上げたら、ものすごく重かったみたいに」

「最初から重たい荷物を、軽いと思って持つ馬鹿はいねえだろ」

 しかしと、腕を組んだ純一郎は、立ち上がるミリエッタを見て。

「元気なもんだ」

「この子、竜族との血混じりだから、怪我の回復が早いのよ」

「――ああ、それで呪われても気付かないのか」

「へ!?」

「だから、呪い」

 といっても、一口に呪いなんて言っても種類は多くあるし、魔術師はそれを、他者の内世界に干渉する、持続系の術式とも呼ぶ。

「特定状況下で、短期的だが命令に従順になるような呪いをかけられてる。あー、いわゆるあれだ、睡眠時に外部からの命令で、好き勝手動くタイプ。俺なら暗殺や、獅子身中の虫として潜り込ませる――って理由が一番に思いつくな」

「つまり寝てる間に、エロいことやり放題ってことじゃないすか!」

「そんな理由で……ああ、馬鹿ならやるかもしれないが、安心しろ。血混じり、竜族としての部分が障害になって、効果は発揮されてない。指令の受信部分に当たるのが呪いだが、箱みたいに囲いを作って、外からの命令が届いてねえんだよ」

「失敗してるのね」

「そう考えても構わない。解除してやろうか?」

「はい!」

「ちょっと待ちなさい。純一郎、そもそも呪いというのは、どういうものなの?」

「仕組みか?」

「ええ」

「まあ、少し特殊だな。条件さえ揃えば、死して呪いを残すなんてこともできる――が、詳しくは魔術の領分だ、俺はそこまで説明できねえ。ただその本質は、思念にある」

「想いが形作る、と?」

「形を作るとは限らないが、威力そのものは、強くなる。呪詛じゅそって言うんだが……こいつにはな、本来、代償が必要だ。呪う人間、呪われる人間、この間に取引があるからこそ、呪詛は成立する。相手の命を奪おうとしたら、まあ、命を賭ける必要があるわけだ――が」

 それはそれとして、だ。

「呪詛ってのは、それ自体が常に、かける側へのリスクがある。それが解呪だ」

「それの何がリスクなのよ」

「かけられた呪詛を解呪する場合、九割九分、ほぼすべてにおいて、を成立させるからだよ」

 逆に言えば。

 呪詛とは、返すしか方法がないわけだ。

「で、お前さんにかかってる呪いだが――どうした?」

「……こ、怖くなってきました」

「怖くない呪いなんてねえよ。四十四しじゅうしつじなんて、四つの十字路を使った呪いなんてのもあるが、夜間に一人で四十四時間、ぴったり合わせなくちゃいけねえし、見つかったら成立せず、呪いは自分に降りかかる。そのリスクに見合った呪いだ」

「ひいいい……」

「だが、お前に対してやられたのは未熟だし、遊び半分程度のものだよ。少なくとも俺から見れば、その程度だ。実害もないようだし、あとは呪いを返せばいいだけ。本人はすぐ熱にうなされて寝込むだろうが、お前はそいつの耳元で、自殺しろと、一言呟けば状況終了だ」

 なぎさが額に手を当てて、吐息を一つ。

「まあいいわ。解呪をお願いできる?」

「すぐ済む」

 言って、純一郎は手のひらを軽く合わせた。

「ミリエッタ」

「は、はい!?」

「目を瞑っておけ、呪いをかけた相手と一瞬だけ繋がるから、ツラくらい見えるだろ」

「あ、はい。諒解っす」

 二秒。

 在、闘、刀、烈の順番で四つの印を結べば、純一郎を中心に広がった水気と共に、あっさりと呪詛返しは成立する。

 そして。

「――ベルギルドあんにゃろう!」

 犯人がわかったらしい。

「ミリエッタ、理解できてるわね? 状況を好きな教官に報告して、判断を仰ぎなさい。きちんと自分の意思も伝えること」

「諒解っす! エロいことしてたら殺す!」

「呪いは不発してんだから、実行はされてねえよ……」

「じゃあ腹が立つんで殺します!」

「さようで……」

 それでは、と地面を叩くよう踵を揃えたミリエッタは一礼し、王国へと走り出した。

「騒がしいやつだ」

「昔っから、あの騒がしさには助けられたこともあるけれど、治らないわね」

「あれ、なぎは付き合い長いんだ?」

「うちの母親が経営してる孤児院で一緒だったのよ。昔は姉さん姉さんって、後ろをついて来てね。境遇も似てたから、面倒見てたの」

「――あ? お前は血が繋がってるだろ」

「……え?」

「侍女の教官がお前の母親だろ? 血は繋がってる」

「え? え?」

「誤魔化してたなら理由があるはずだ、訊ねる時は状況を考えてからにしとけよ」

「ちょ、……ちょっと待ってちょうだい。いえ、確かに母さんだし、私は間違いなく母親だと思ってるけど、えっと、血が繋がってる?」

「そう言った」

「ミリのこともそうだけど、なんでわかるの」

「気配っつーか、存在のカタチというか……人間をベースに、変化があるとやっぱ、そこらが違うからな」

「ふうん……」

「……いい、わかった、とりあえず飲み込んでおくわ」

「あ、そう」

「こいつ反応が淡泊なんだよねえ」

「そうか? ……まあ、そうかもな。どこまでが深入りなのか、まだよくわかってねえし」

「言い方!」

「うるせえな……あ、今日は大会あるんだっけ?」

「ないから! 説明もちゃんと聞け! トーナメント表も見ろ!」

「お前が聞いて見てるんだからいいだろ……じゃあ今日は休みか」

「休みの日は何をしているの?」

「お前と逢う以外か?」

「そうよ」

「……なにその受け答え。付き合ってんのかお前ら」

 雪花の呟きは無視された。

「飯食って、広間でストレッチしながら執事と家主と適当に話して、侍女さんの手伝いたまにやって、あと寝てるな」

「趣味とかないの? 訓練は?」

「今終えただろ。趣味なんか知らん」

「……もうちょっと人間らしくしなさい」

 さすがのなぎさも、額に手を当てていた。

「というか、執事さんとエイレアさんに対しては、なんか適当でしょ、あんた」

「ん? 適当っつーか、あの手の連中には、当たりがキツイくらいでいいんだよ。執事の野郎なんかは、笑ってやがるし」

「いいならいいけどさ。――よしっ、もうちょい躰動かしてくる! なぎをよろしく!」

「おう」

 大きく伸びを一つして、ひょいひょいと軽い足取りで林の方へと姿を消した雪花を見送り、純一郎は軽くなぎさの背を支えた。

「……わかる?」

「あいつも気付いてただろうが」

「そうね。ミリエッタの相手もしてくれたもの」

「吐息に熱が混じってりゃ、誰だって気付く。……ま、後輩の前では、ってのもわからなくもねえけどな」

 軽く目を瞑って、何度か呼吸を意識したなぎさは、意識と合致していない躰の機能を繋げる。簡単に言うと、ぼんやりとした意識を繋ぎとめる感覚だ。顔には出していないが、熱っぽいのである。

「ん……大丈夫よ」

「おう」

 支えていた手を離しても、躰がふらつくことはない。というか、ふらつく前に支えられたのだが。

「ちょっと無茶してね。母さん相手だから、遠慮せずに。訓練教官を相手に、試合なんてものは、そうそうできないから」

「で、その無茶ってのを見たあいつは、感化されていても立ってもいられず、朝から躰を動かしたかった――と、そういう流れか」

「そういうこと。放っておくと何をするかわからないし、動けないとは言えないし」

「そうか」

「……なに笑ってんのよ」

「いや、そういう見栄は嫌いじゃねえよ」

「あらそう」

「けど、そこにある岩にでも座ってろ。たぶん俺の客だ」

「ん?」

 振り向けば、王国から出て来る青年が見えて、特に見覚えはなかったので、吐息を落としたなぎさは、言われた通り、少し大きめの岩に飛び乗るよう腰を下ろした。

「立てなくなったら、補助してね」

「おう」

 だからずっと、立ったままでいたかったのだが、手を貸してくれるならいいかと、そう思えた。まだ逢って数日、そんな想いを抱くのは、おかしいのだが――そういう相手じゃないことは、わかっている。

 見栄はあっても。

 意地を張る相手ではないのだ。

「ああ、こちらにいましたか、玖珠さん」

「よう、槍使い。どうした、俺を探してたのか」

「ええ、是非とも、一手御指南いただこうかと」

 大会の時とは違い、鎧はない軽装で、槍だけ持っている。

「俺だって教えられるほどじゃねえよ」

「そうですか? いや、どうでしょう。俺としては、一本の槍をお互いに構えるなんて真似は初めてでしたが、あれは……」

「いや、そういうんじゃなく、お前は兵隊だろ? 俺みたいに個人で好き勝手できるわけじゃねえだろ」

「それはそうですが、覚えておいて損はないかと」

「……まあいいか」

 習得するかどうか決めるのは、純一郎じゃない。

「槍を振り回すな、そう言われたことは?」

「はあ、最初に言われました。槍は突くものだ、ただ突けと」

「基本は、そうだ。だが槍で斬ることもできる――いや、厳密には切るんだけどな」

「切断ですか」

「構え」

 言えば、槍使いは左脚を前に出した半身になり、右側に槍を構えた。左手を軽く添え、右手でしっかり握る。

「踏み込み、突き、戻さなくていい」

 右足からの移動、けれど左足を追い越さず、支点。そして左足が踏み込みとなり、突く。つまり腕を伸ばし、そこで止まった。

「俺の流派だと、簡単に〝突落つきおとし〟と呼んでる。肩の力を抜いてろ。いいか、これは主に手足を切り落とす場合に使うんだが――ここ」

 純一郎は槍を掴み、軽く引かせた。

「突きの半分の位置、だいたいでいい。ここで当てたらかず、落とせ」

「真下ですか」

「最初はな。だが手足を切るなら、斜めに落とすことも考えなくちゃいけないな」

「……下から肩を狙って突くのとはまた、違うんですね」

「あれは錯覚を利用した突きだろ、こいつは突きながら切る技だ。簡単に思えるかもしれないが、実際にはそこそこ難しい。最初から切りつけるんじゃなく、突いてから裂く感覚に近いな」

「なるほど」

「――で、実際に斬りつける技もある。短めに持って……いや」

 小さく苦笑が落ちて、純一郎は。

「槍を貸してくれ、見せてやる」

「是非。どうぞ」

「ん」

「純一郎、私にもちゃんと見せて」

「おう。じゃあ距離を取って、そこらへんでやるから見ておけ」

 槍を受け取り、十メートルほど距離を取って、槍を構えて。

「行くぞー」

 そのまま、あろうことか純一郎は、槍を投擲した。


雨天うてんりゅう槍術そうじゅつ木ノ行もくのぎょう第二幕、始ノ章しのしょう投破あなづくり〟》


 その投擲に、瞬発に加速を乗せて追いついた純一郎は十メートル、その位置にて槍を捕まえる。ただし、構えは普段よりも前、つまり槍を短く持ち、バツの字を描くよう斬った。


追ノ章ついのしょう穴蜘蛛あなぐも〟――》


 そして、斜めに描いた斬りはそのまま、引くことと連動し、続くのは突きだ。しかし銀光は二つ、左腕に突き刺して落としながら両足を切断するよう、L字に動かしたかと思えば、やはりその最後の動きが引くものとなっており、頭か首の付近に最後の突きが完成する。


《――終ノ章しゅうのしょう外葉そとはくずし〟》


 もちろん、そこに人間の相手がいたのならば、という仮定だ。


「と、まあこんな感じだな。ゆっくりやったから見えただろ」

「見えただけよ」

「ほれ、返すぞ」

「あ、ああ……」

「どうだ?」

「わかったのは――切る時に、引きながらだから、そのまま突きに繋がったこと。先ほど言っていた突落しも、銀光の動きでわかりました……が、それを扱うとなると握りと踏み込みの位置が問題になります」

「そうだな」

「そして、こんなことをやったら、上官に怒鳴られるだけじゃ済まないってことです……」

「一人で突っ走る兵隊なんか、いらねえからな。今の技なんかは、対人で使うとオーバーキルだ、気をつけろ。俺の場合でも、投擲は当たる前に止めるし、斜め切りの二連は相手に避けさせる」

「違うでしょ、純一郎。投擲なんか当たらない相手で、二連を回避するような相手に使う――そうよね?」

「……まあな。その二つから繋げてこそ、最後の突きが当たるってのが理想だし、現実だ。全て避けられても、最後の突きだけは当てる」

「どうあっても、槍の基本は突き、ですね」

「それがわかってりゃいい。最終的には、必ず貫く一突きが出せれば一人前だ」

「精進します。ありがとうございました」

「ん。大会が終わるまで滞在するのか?」

「ええ――視察という意味合いもありますから」

「そういえば、お前の国はこっちに攻め込まないのか?」

 気軽に問えば、彼は苦笑した。

「俺が決めるわけじゃないですが、そんなことを考える間抜けは、上にいないと思いたいですね。中立地帯ですし――どう足掻いても勝てませんよ」

「なるほどねえ」

 純一郎には納得できる理由はあるが、彼らも知っているとなると、過去にはそういった事例もあったはずで。

 関係ないと言ってしまえば、それまでだが。

 闘技大会が続けられる理由に関しては、よくよく理解できた。

 ――この国には。

 周辺国家が手出しできない、戦力が存在している。



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