第6話 本選一戦目の戦闘録・対ゼヴェス王国近衛兵

 本選が始まって二日目、ようやく玖珠くす純一郎じゅんいちろう稍々咲ややさき雪花せつかの出番がやってきた。

「シード枠ってのも、考えものだな」

 運営側の視点に立てば、予選で実力が明確になった一組を、最初からやらせるのは難しいのもわかるが、ここのところ四日ほどだいぶ暇をしていた。

 第一試合から勝ち抜いた者は、既に発表されたトーナメント表にて、こちらへの対策もしているはずで、そういう点でもシードというのは悪くない。試合がない方が有利とも限らないわけだ。

 ちなみに、なぎさ・フェリスナはかなり勝ち進まないと戦うことにはならなそうである。お陰で、暇な時には顔を合わせて、鍛錬のやり方の違いやフェスリェア王国の常識などの話ができて、暇潰しには丁度良かったりもするのだが。

「悪手だな……」

 闘技場の内部には、大きめのリングが二つあり、その一つを前にした二人だが、純一郎は相手を見て腕を組む。今は袴装束であり、左側の腰に刀をいた姿だ。藍色をベースに、スカートのような裾には円形の白抜きがあり、そこには雨天を示す一つの紋様が黒で描かれている――慣れた服である。

「ん? なにが?」

「重戦士を当ててくるってのが、どうなのかって話だ」

「ああ、重装備のやつ。あたし得意」

「知ってる。大盾持ちに剣ってのが面白いが――もう片方は槍ね。どっかの国の衛兵か」

「こっち、どうすんの?」

「適当に。お前一人でも充分できるだろ」

「……なによう」

「俺からは特に注文がねえってことだ」


『それでは選手、リングへ!』


 いつものよう、バニーガールが……いや何故、とやはり思うが、ともかく進行をアナウンス。ちなみに、隣のリングでは別の試合が行われる。

 進行とは別に、審判もいる。リング上には出てこないらしいが――審判なのだ、それなりの実力者が配置されていた。


『準備はよろしいでしょうか! 本選第三回戦、D枠の戦闘を開始してください!』


 三歩ほど前に出て、純一郎は止まって。

 間合いを調整するよう、雪花が前へ出た。

 歓声が上がる、今度はそれを邪魔するような派手な動きはない。何か心境の変化でもあったのかと腕を組み、純一郎は隣のリングに目をやった。

「お……」

 軽装、しかも腰裏に小太刀。

 刀類が珍しいのは、街を散策中にわかっていたからこそ、目を引く。だが錬度は低そうだ。

 どちらが勝つか、と比較することはしない。どれほどの実力差があれど、勝敗、生死なんてのは紙一重であり、油断していなくたって、実力者を殺す一撃なんてのは、隙間を衝くようにして訪れる。

 観客の視線がこちらへ向いていることもわかったので、汲んでいた腕をほどいて前を向けば、槍使いが間合いに踏み込むところだった。

「おう、悪い」

 兜で顔を隠している重戦士とは違い、こちらは軽鎧に身を包み顔は露出しているが、年齢は二十五前後だろう。放たれた突きの一撃目に軽く手の甲を当てるようにして反らせば、連続した二撃目は自然と反れる。


 ――何故?


 それは、二連続の突きは、力で行うものではなく、速度を重視する。一撃を放った時点で力の流れは二撃目へと移行しているため、一撃目の向きを変えてやると、二撃目も連動するよう変化するのだ。

 しかし、それはきちんと二つの攻撃が連続している証左。

 速度としてみれば、ほぼ同時とすら思えるほどである。


 一歩、踏み込みを見せれば、相手は間合いを保つよう一歩退く。

 その姿に、思わず、笑ってしまって。


「引くのが遅い――そう言われて、嫌ってほど徹底したろ」


 つい、そんな言葉を放つ。

 槍使いにとって、己の槍を相手に掴まれる以上の、未熟の証明はないのだ。

 純一郎は左手を刀の柄尻に、ぽん、と置いて右足を前に出し、半身になる。相手の槍使いも軽く腰を落とした。


 槍の本質は、突きにある。

 戦い方としては、薙ぐことも可能だ。これは範囲制圧であり、当たれば脅威にもなるし、怪我を避ける場合は厄介――とも感じるが、こうした場面であっても使うことはない。

 斬るものではないのだ。

 槍とは突くものだから、斬ることには特化していない。

 対人戦闘において、薙ぎを見せた時、果たして次の行動は何になるだろうか。横に振った槍を、戻さなくてはいけない。戻すとは、横の動きだ。つまり、それは突きにならない。

 躰を回転させて、間合いを取り、構え直す――それを待ってやる理由なんて、ありはしないのだ。

 加えて、突きが点での攻撃に対し、薙ぎとは線になる。そもそも槍とは長く重いし、振り回すものではないのだ、つまるところ避けやすい。風を切る音を聞くだけでも回避できる。

 槍は長いのが利点だ。

 だがよくよく考えて、その特性を知れば、間合いの長さに対して、有効範囲が限りなく狭いことにも気付かされる。

 両手で持って、突き、引く。

 踏み込みの距離を度外視した場合、曲げた肘を伸ばし、戻す。たったこれだけの距離しか、突くことができないのである。

 槍の鍛錬方法は、簡単だ。

 突いて引く行動を六割、足さばきを三割、突くために必要な補助の技を一割、という配分で良い。

 ――であるのならば。

 掴まれなくとも、触れられたことは、相手にとって痛恨であり、半身になった純一郎が右手を軽く振れば、次は掴むぞという意図が伝わって。

 じわりと汗が滲む嫌な緊張と、膠着が発生したのならば。


 まるで、銅鑼どらを鳴らしたような音が大きく響いた。


 稍々咲ややさき雪花せつかは、対人戦闘経験が、実はあまりない。今までずっと鍛錬ばかりを師匠としていて、しかもまだ鍛錬途中。闘技大会でちょっと遊んで来い――そんな指示で、人里に降りたようなものだ。

 初見。

 大盾を装備し、身動きしにくそうな甲冑。視界を塞ぐフルフェイスの兜に、大きめの剣はしかし、前面に出した盾のせいで、縦にしか振れず、範囲そのものは狭いだろう。

 軽く跳躍を入れてから、左右へ移動して踏み込みの位置を探そうとするが、こちらが大きな半円を描くのに対し、相手は小さな半円で、躰の向きを変えるだけ。僅かに浮いた大盾の重量を計算できるほど熟知していないが、重たそうなのに動作そのものに、その重さが表れてはいなかった。


 重装備。

 守りを主体として、一撃を決めるやり方なのは、明白――ならば。


 こちらは攻めで、守りに応じれば良い。


「じゃ、根比べだ」


 盾を持っている側からの踏み込み。おおよそ盾は150センチ、大して雪花の身長は142センチと、本人にしてみれば比較して欲しくないところだが、相手は盾の上からこちらを見下ろすような視界。

 そこへ飛び込む。


 そして、拳が盾にぶつかって、銅鑼を叩いたような音色が大きく響いた。


 雪花はここ十年ほど、力の扱い方を徹底して覚えた。逆に言えば、まだそれしか覚えていない。

 衝撃用法と純一郎は言っていたが、遠当てなどは、あくまでも副次的なものであり、習得しているのは力の伝達、および増幅の方法だけである。

 踏み込みは足から行うが、実際にはまず速度が乗って、腰と膝の動きを使って、地面を足の裏が叩く。

 ――叩く、あるいは殴る、といった行為は、一方的な力を与えるだけではなく、必ずそこには〝返し〟が存在する。対象を殴った時、その力は拳から肘、肩へと戻ってくるのだ。

 本来、打撃そのものと比較したのならば、僅かにしか戻ってこないその力を、十割戻すのが雪花の踏み込みだ。

 踏み込みによって戻った力は、腰を基点に方向を変えて、それを肩、肘、拳と伝えて、それが攻撃になる。

 これが力の伝達であり、それらを膝や肘、肩などの関節で増幅させてやるからこそ、その躰つきからは見えない威力が発生するわけだ。


「……」


 相手は無言、だが僅かに腰を落として身構えた。

 雪花なら、盾を無視して本体へと直接衝撃を通すことができただろう。しかし、あえてそれをやらなかったのは、この大会が興業の側面を持っているから――と、なぎさから言われたからだ。


 ――けれど。

 一撃、試すようにして遊んだ理由が、純一郎が相手の出方を見守る理由が、わかった。


 僅かに湾曲した大盾は、長方形。正面を叩いたし、衝撃は通すのではなく拡散するように打撃としたが、しかし。

 きちんと、こちらの踏み込みに合わせて、衝撃をズラした。その上で、衝撃の大きさに半歩ほど驚くよう後退して、腰を落としたのだ。


 つまり。

 ――この重騎士は、


 右足で踏み込み、そのまま右の拳を突き出せば、また大きな音が発生し、相手は逃がしきれなかった衝撃を受け止め、躰ごとリングの床をこするようにして、後退する。そのぶんの距離を詰めるよう、今度は左足で踏み込み、左の拳を突き出す。

 あくまでも、踏み込みを何度も行いながら、攻撃を繰り返せば、歓声すら聞こえなくなるほどの音が連続して響きだした。


 男は、前線にてずっと、耐えてきた。

 盾持ちの役割は、戦線を突破することではなく、自分ひいては背後の仲間を守るために、ひたすら我慢をし続けることだ。

 基本は、正面から受ける。そうすると、躰が芯となって受け止めやすく、後方への影響は少ない――が、逆に言えば、躰そのものにダメージが来るので、当人にとっては影響が強い。

 だから、相手の攻撃の芯をズラす。

 槍であっても、剣であっても、拳であってもそれは同じことだ。

 反らすのは駄目だ。隊列に影響を与えるし、背後に攻められる可能性もある。だから、あくまでもズラす。体感的には、三割逃がして、七割受ける感覚だ。

 しかし――この少女のやり方は、まずい。

 受けた七割が強すぎて、思わず呼吸ができなくなるほどの衝撃がくるし、踏ん張っているのに足がずるずると後ろへ下がる。しかも、一撃目でこちらが受け流した癖を見抜いて、二撃目からは一割ほどしか衝撃を逃がせていない。

 しかも乱打。

 こちらが身構えたタイミングを狙ったよう、同じ攻撃がくる。

 盾持ちの基本は、耐えること。


 ――だが。

 意思があって、躰は大丈夫でも。

 盾が先に悲鳴を上げる。


 一撃ごとに、盾が歪んでいく。中心で受け止めれば、その部分が大きくへこむ。これは、衝撃を流せていない証左でもあった。

 受け流さず、ただ受ける。

 もちろんそれは、雪花が狙ってやっていることでもあるので、当然だ。


 そして、その時は訪れた。

 相手が衝撃を受けて、更に一歩退いたのならば、今までよりも大きく踏み込める。


 その場で素早い一回転をした雪花は、右足で踏み込み、右の拳を当てた。


 盾が威力に押され、弾かれる――否だ!

 勢いに負けたかのよう見せて、相手は攻撃を流す方に主点を置きつつ、正面から盾を側面へと移し、半身。

 一歩退いたぶん、相手もまた踏み込みをして、右手に持った剣を振り下ろしている。

 防御から攻撃への転換。

 なるほどと、思った。

 大盾を持ったまま攻撃するのでは、範囲がかなり狭いだろうと思っていたが――攻撃の際はこうして、盾を開くわけか。


 雪花は左手を軽く上げる。肘を曲げたL字のようなかたち、目測、手の甲が振り下ろされる剣の横、踏み込みは左脚。

 そして。

 上げた肘の下、脇の付近へと、軽い踏み込みの力を使って、右の手のひらが真横、振り下ろされた剣を叩いた。


 ――乾いた音は小さく、ただ、相手は手ごたえを失った。


 殺しをしない大会において、ぴたりと停止する折れた剣は闘技場のリングまで振り下ろされているが、躰に当たってから力を抜いても殺しにはならない、そういう判断であろう。

 そして乾いた音は、折れた切っ先がリングに落ちて響いた。


 無言。


 しかし、はたと現実に気付いた男は折れた剣を腰に戻すと、膝をついた。


「――私の負けだ」


 歓声が上がる――。

 その雰囲気に気付いた槍使いは、いつしか汗で肌に張り付いたインナーの気持ち悪さに気付き、一歩だけ距離を取ると、目を閉じて大きく深呼吸をした。

 純一郎は姿勢を変えず、その姿を見守る。

「失礼」

 短く言って、一歩前へ、同じ位置で男は槍を構えた。

「行きます」

「おう」


 来た。


 一突き、高速のそれは純一郎の顔を狙ってきた。

 点での攻撃は、胴体が一番当たりやすく、次に両足、頭、手となるだろう。だが速度を前にして、狙いなど二の次だ。

 上半身を倒すようにして、距離を稼ぐ。切っ先を目で追うよう、槍の速度に合わせながら――左足から、踏み込む。

 背後に移動してから、軽く円を描くような動きで、槍の左側へと踏み込めば、右半身から左半身へ変わり、その瞬間に気付いた男が槍を引く。

 それもまた、高速だが、身体操作の一種、瞬発を使うことでその短い距離で、槍の引く速度に合わせたのならば。


 その右手が、穂先の傍を握る。

 左足の踏み込みが完成したのならば――そのまま、左手が軽く添えられる。


「――っ」


 お互いに、一つの槍を構える姿勢。

 その瞬間は一秒にも満たなかったのに、相手は、自らの得物を手放して距離を取った。


 何故?

 その額から、滝のよう流れ落ちる汗で、理解してやるべきだ。

 彼は悟ったのである。

 純一郎に槍を取られただけで失態なのに、構えられて、その錬度の高さを痛感したのだ。いや――痛感できるだけ、彼の錬度もまた、高かった。


 左手を離し、右手で中央付近を掴み直した純一郎は、自然体に戻って石突きの方を相手に突き出した。

「ほれ。――まだやるか?」

 返答は。

「――いや、俺の負けだ」

「だろうな。よく使いこまれた槍だ、穂先は何度か変えてるみたいだが……」

「お前は、何者だ?」

「武術、そう呼ばれるものを全て、己のものにしようとしてる」

「……そうか」

 彼は笑わなかった。今の瞬間だけでも、それが冗談ではないと、嫌というほどわかったからだ。

 槍を受け取った彼は一礼して、重戦士の方へ、槍を空へ向けたまま、戦闘の意思なしと示しながら近づいていった。

 そこで。


『試合終了です!』


 へえ、と思って隣のリングを見れば、小太刀を扱っていた方が勝ち残っていた。どのような戦闘をしていたか知らないが、こちら――というか、雪花ほど派手ではなかったらしい。

 近づいてきた雪花に、楽しめたかと問えば。

 素直に、楽しかったと答えがある。

 ならば――観客も、それなりに楽しめたはずだ。



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