第2話 闘技大会、参加までの閑談・オトガイ商店
目覚めは、視界が歪むような頭痛と共に、躰を起こしながらの状況確認であった。
躰の軋み具合から半日と想定した
大きく、両手を上げて伸びをすれば、軋みと共に躰にある傷口が一気に開きだす。どうせ汚れた服だ、血に染まったところで問題はない。
たとえば。
筋肉痛の朝、躰の軋みに顔を歪めながら起きたとしても、実は動かし続ければ楽なことに気付くだろう。
あるいは、大腿骨の骨折を経験した時、特にスポーツ選手などは、鉄板で補強をする手術の直後、気を失うような激痛の中、それでも脚を動かす。
純一郎のこのストレッチも、同じことだ。寝ていれば治るかもしれないが、躰が固まってしまい、戻るのに時間がかかり過ぎる。であるのならば、こうして傷口を開くことになっても、できるだけ躰を動かした方が、次に繋がりやすい。
今回は気を失ってしまったが、本来なら二十時間は眠らずに躰の熱を馴染ませた方が良いことを、経験として知っている。
死にかけたことなんて、彼の人生において、慣れたものだ。
しばらく躰をほぐしていたら、がちゃりと扉が開いて入ってきた少女が、間違いなく驚き、ぎょっとした顔をした。
「家主か?」
「――違う。立場はあんたと似たようなもの。というか……なんで動ける?」
「なんでって、生きてるから?」
「嘘でしょ。内臓は無事だったけど、躰そのものにはダメージが……」
「あんたが俺を拾ったのか?」
「……そうよ。待ってなさい、家主を呼んでくるから」
「頼む」
無茶をした自覚はある。特に筋肉へのダメージは大きいし、回復には時間が必要だ。もっと言えば、左手と左肩が酷い。
脱臼は癖になる。できれば、しばらくは固定しておきたいが――さて。
部屋の広さから、単なる宿ではないと思っていたが、家主の綺麗な服装を見れば、それなりに金のある相手だとわかる。頭一つほど、先ほどの少女より背が高いのがわかれば、なるほどと、少女の背丈の低さが理解できた。
「エイレアよ」
「玖珠純一郎だ。要求は?」
「あらあら……この国で行われる闘技大会に出てちょうだい」
「いいぜ。――理由は?」
「観戦が趣味なの」
「ああそう」
「ただし、二人一組のレギュレーションだから、この子と一緒にね。開催中はこの部屋を一緒に使うこと。使用人には伝えておくから、動き回っても構わないわ。ただし、常識の範囲内で」
「いつからだ?」
「受付最終日は明日よ」
「わかった。保護してくれたことには感謝する」
「ええ、参加してくれることに私も感謝するわ。じゃあ、詳しい話が必要なら、また後で」
「おう」
ふうと、吐息を落とせば、少女が残っていることに気付いた。やはり背丈は低く、前髪は揃えられているが、耳にいくに従って長くなり、頭の後ろには三つ編みが一つ。
「
「ん、よろしく」
「よろしくするのは、腕前を見てからにしたかったけれど、ね」
「実戦で否応なく見れるだろ。――悪いが、一時間ほど風呂場を占領する」
「いいわよべつに。着替えくらい用意しておく? あんたの荷物袋も、そこにあるけど」
「いや、ストックを切らしてる。用意できるなら、適当に頼むよ。それと、刀にはできれば触れないでくれ」
「鞘越しに少し触れただけ。あたし、武器は嫌いだから」
「そうかい」
服を着たまま脱衣所を抜ければ、風呂場も広かった。部屋に備え付けとしては、浴槽もシャワーもあって、四人くらいは入れそうだ。
まず、湯船に水を溜める。冷たすぎると躰に負担があるので、少しぬるいくらい。常温くらいが目安だ。シャワーはぬるま湯くらいで流し、頭からかぶる。
「ふう……」
目を閉じれば、足元に紋様が浮かんだ。中心に大文字、円で閉じて文字円、更に二重円――足元の水と同化して、光の反射だけが見える透明な術式紋様だ。それによって、一気に室内の湿度が上がる。
それは、数秒で100パーセントを越えた。
湯船の枠に腰を下ろし、シャワーの向きを変えて、目を閉じたまま純一郎は水を感じる。それはやがて、自分の境界線すら曖昧となり、水との同化を始めた。
よく参加の誘致に対して即答するものだ、なんて思っていた直後、雪花は息苦しさを感じてすぐ、呼吸を止められたことに気付き、慌てて部屋の外に出た。
「――はっ、は」
まさか、普通に部屋にいて溺れるとは思わず、手すりに躰を預けるようにして呼吸を整える。
「なんなのもう……」
まだ夜が明けてない時間帯、人目のない状況での鍛錬をしようと、ミカガミ王国の外に出てすぐのところで、倒れている純一郎を見つけたのが、今朝のことだ。今はまだ昼前であり、はっきり言って動ける方がおかしい。
医者ではないので正確なことはわからないが、躰のあちこちで内出血が見られ、一歩動くだけでも激痛が走るはず。痛みで気絶して、痛みで強引に起こされる――そういう状況だろうと思っていた。
だが、運ぶ間に目覚めることもなく、ベッドに寝かせても抵抗はなし。痛みがないのでは、とすら思う。呆れた話だ。
ここはフェスリェア王国の一等地。使い切れないほど部屋数のある屋敷には、使用人も多く、けれど執事は一人であった。
「執事さん」
「おや、
「あ、受け取ります。ちょっと中に入れないので」
「どうかされましたか?」
「
「ああ、回復しているのでしょう。すべての水気が消えるので大丈夫ですよ」
「……どうしてわかるんですか?」
「いろいろな人を見てきましたから。昼食はどうしますか?」
「あ、一時間くらいで終わるとか言ってたので、その後に」
「わかりました、折を見て運びましょう」
「あと、男物の服ってあります?」
「稍々咲様に合うものは、ちょっと持ち合わせがありませんが……」
「そうじゃなく」
「では意中の男性へプレゼント? それならご自分で選ばれた方が」
「違います!」
「ははは、彼の着替えですね? 簡単なものを準備しておきますので、よろしければ稍々咲様と一緒に出掛けて、選んであげるとよろしいかと」
「もう……じゃ、お願いします」
「畏まりました」
丁寧な一礼が一つ。冗談を使うのも執事としての仕事らしいが、そこはよくわからない。ただ、屋敷の総責任者のような立場なので、いろいろと忙しいそうだ。
階下のエントランスを見れば、何度か侍女が通りかかる。何人の使用人がいるのかは知らないが――まあ、豪勢な屋敷なのは確かだろう。世話になっている身としては、少し申し訳なかったので、闘技大会が始まるのにはほっとしている。
一時間後。
部屋の前に置いておいた医療箱を片手に中に入れば、下着姿の純一郎がベッドに腰かけていた。
「――これ、替えの服と医療箱」
「すまん、助かる。少し手を貸してくれ」
ズボンをはいた純一郎は、医療箱から包帯を取り出して、ベッドに腰を下ろした。シングルが二つあり、片方は雪花が使っているのだが、この男は気付いていないだろう。
「左肩を固定したい――なんだ?」
「傷がほとんどない……」
「水と同化して回復を早めたからな。時間が取れて助かった……包帯で肘から上を。躰を回して固定してくれ」
「はいはい。でも刀を扱えるわけ?」
「最悪、肩なんか無視してやりゃいい」
「ふうん」
包帯を少し強めに巻いてやれば、その上からシャツを羽織った純一郎は、すぐに立ち上がった。
「受付に行くか?」
「その前に、食事よ」
「はいよ」
テーブルにある椅子を引っ張って腰を下ろしたので、雪花は腰に手を当てて吐息。すぐに大きめのカートで食事が運ばれてきたので中に入れ、テーブルに並べた。
「――ここは、フェスリェア王国か?」
「そう」
「闘技大会と聞いて、そうだとは思っていたけどな。最初から参加するつもりだった。二人一組ってのは初耳だったが」
「へえ?」
「今までずっと、山籠もりみたいな生活を続けてたから、表の舞台に上がるのは初めてだ。人付き合いも慣れてねえから、失礼があったら許してくれ」
「――奇遇ね。あたしも似たような感じ」
さすがにこれには、少し驚いた。
「エイレアさんに、闘技大会のレギュレーションを見て困ってたら拾われたの」
「目に留まったんなら、それなりに腕もあるってことだろ。飯も美味いし、感謝はあるが、あの女を楽しませるかどうかは別の話だ」
「いやあの人は、いつも勝手に楽しんでる感じ」
「なら気にしなくていいか」
「……、どうして倒れてたの?」
「手合わせを、しててな。ちょっと無茶をした結果だ」
「ちょっと?」
「おう。さすがに戦闘後にまで、意識を繋ぎとめておく余裕はなかったけどな」
「確かに、変な負傷よね? 肩はともかく、左腕は大きな手で握られたみたいに青あざになってるけど、それ以外はまるで、内部から破裂したみたいな感じだったし」
「実際にその通りだ。器に余る技だったんでな」
「――技、ね」
「なんだ?」
嫌そうな顔になっていただろうか、そう思って雪花は肉を口に放り込んで誤魔化し、けれど。
「あたし、技とか持ってないから。そういうの、誤魔化しに感じる」
「だろうな」
「――だろうな?」
「あんたが追及してるのは〝武〟だ。優劣はないし、そこに間違いもない。ただ俺が求めているのが〝武術〟だった、それだけの話だ」
「へえ? じゃあ、無手でも戦えるって?」
「できるが、証明は難しいな。まあそう焦るな、勝ち進めばいずれわかる」
そう言われてしまえば、突っかかるのも馬鹿らしくなって、吐息。
「いいけど。はっきり言って、あたしは半信半疑。そっちはあたしと組むことに文句はないの?」
「楽はできそうだなと、そう思ってる。どういうルールかは知らないが、そう負けることはねえだろ。俺としては上から三番目くらいで、手を引きたいところだが、まあそこらは任せた」
「三番目?」
「目立ちすぎると足枷ができそうでな」
「ふうん」
三位でも充分に目立つとは思うのだが。
食事を終えてから、屋敷の外へ。このフェスリェア王国を俯瞰すると、中央に闘技場があり、北側に王宮がある。王宮右側が彼らのいる一等地、左側には軍詰め所および軍学校などがあり、南に行くにつれて住宅街、そして最南端の出入り口付近には、店舗が多く並んでいる。
まずは闘技場受付にて、参加表明をして帳面に名前を書いておく。それから南側へと歩けば、人の数が一気に増えた。
なるほどねえ、なんて小さく呟いた純一郎は、これが一つの興業として成立し、交易を伴った商売の場となっていることを納得したからだ。人の行き来というのは、ただそれだけで金が動くものなのである。
ただし、闘技大会の規模、知名度に左右されてしまうが、その点に関してはこの人だかりを見れば充分だとわかるだろう。
「なんか買い物?」
「ああ、服をな。これでも動けるんだが……」
「呉服屋はこっちにないけど」
「だろうなあ」
大通りには武器屋が多いのだが、しかし、純一郎は商店の通りに入る前に角を曲がった。まだ住宅街だ。
「うん?」
「態度が悪いけど気にするなよ」
その住宅街の一角にある平屋には、小さな看板のような三角形の置物が玄関にあり、何かの紋様が掘られているようだが、純一郎は気にせず中へ。
空き家のようだ、なんてのが雪花の印象である。玄関から一部屋目は何もなく、かろうじてカウンターらしきものが置いてあるだけで、土間になっていて。
「え、なにここ」
「ちょっとした店だ」
ぱたりと玄関が閉じて、一テンポ置くようにして。
「あいよ――ん? ああ、純一郎か。
やってきたのは、小柄な
「ストリルスだ、ルスでいい。得物か?」
「まさか。お前らが一度でも、俺が扱っても壊れねえ得物を作れた試しがあるのかよ」
「厳しい物言いだな、おい。専門家に言っとくよ」
「袴装束をくれ、2セットくらいだ」
「おう、二日くれ。あと採寸な」
「頼む」
紐のメジャーを片手に、両腕を上げた状態で採寸。腕の長さなども全てメモされ、数分で終わった。
「あいよ。――で、お前あのハヤカワと手合わせだって?」
「そいつはもう終わったし、これからは闘技大会だ」
「大会に? お前が?」
訝しむような視線に、雪花は腕を組んだ。持ち上げられるほどのものは胸にないが、しかし、それはそれとして、どうして大会の出場に疑惑的なのかがわからない。
「こいつと一緒にな」
「なんだお守りかよ」
「そういうんじゃねえよ。ハヤカワと手合わせの後に拾われて、そのついでだ。元より、少し興味はあった」
「ま、上位連中はそれなりにな。うちの客はいねえけど――手合わせの結果は?」
「ハヤカワの腕一本。さすがにこっちは無手だけどな」
「腕一本! ――馬鹿だろお前。まあいい、二日後の昼過ぎに顔を見せろ」
「早ければ、初戦には間に合いそうにもないが、服を言い訳にはしねえよ。じゃ、頼む」
「おう。代金はその時だ、一人で来い」
「そうするよ」
じゃあなと、すぐに店を出た。いや店というよりも、やはりただの家だ。
「なんなの」
「馴染みの店だ。といっても、以前は違う場所の店舗だったけどな。こっちは便利に使わせてもらってはいるが、客を選ぶ手合いだよ」
「ああ、頑固系の……」
「俺の用事はこれで終わりだ。悪いが、余裕があるなら案内を頼む」
「それはいいんだけど、休まなくてもいいの?」
「まだ動いてた方がマシだ」
「あ、そう」
それはそれで、どうなのだろうか。
まったく――本当によくわからない男である。
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