雨天流と仲間の戦闘録
雨天紅雨
フェスリェア王国編
第1話 霧の中の戦闘録・対ハヤカワ戦
周囲の視界を閉ざし、次第に濃くなっていく霧は、外界と内界を遮断する。時刻は夜、月明かりを頼らず夜目を利かせ、おおよそ五メートルの距離で対峙した。
相手は人型だが、人間ではない。二メートルほどある背丈だとて、本来の姿よりも小さくしているし、腕だけ見てもわかる筋肉は、見掛け倒しではなく、力そのものの発露だ。
対するは、まだ若さを残した風貌の男。178の背丈があるため、見劣りはしないが、刀を左腰に佩いた姿は、比較してあまりにも細く、頼りなく見えた。
「――俺と、手合わせをしたいって?」
先ほど放たれた言葉を、改めて問いかければ、その人外は。
「そうだ。コロしアわず、テアわせネガいたい」
人型の顔でこちらをまっすぐ捉え、そう言った。
「お互いに殺さず、か。いいぜ」
相手が人外だろうと人間だろうと、礼儀を払う相手に対して、彼は断る理由を持っていない。
「始めよう」
「ハヤカワ・ゴロウ・ミヨシだ」
立ち合いの礼儀、お互いの名乗りすら行うならば、もはや断る理由なく、彼は腰に佩いた刀を鞘ごと抜き、放り投げた。
「
そして。
お互いに一歩退いて、一礼――それが。
開始の合図となる。
初手、合わせ。
純一郎は左、ハヤカワは右。踏み込みの幅は違えど、同一のタイミングでまっすぐ、その拳は放たれてぶつかった。
まずいな、というのが純一郎の第一感であった。
ぴたりと、お互いは停止し、ぶつかり合ったはずなのに拳は動かず、三秒の空白を置いてお互いの両足が地面を割る。先に腕を引いたのはハヤカワ、三歩ほどステップを踏むようにして離れた。
どれほどの歳月を費やしたのだろう。人間と違って寿命を知らない存在が、人間の武術に迫ろうと、本来なら持ち合わせない鍛錬という観念を得て、地道な一歩を続けながら習得を目指す。
純一郎にとっては、当たり前の思考でも、彼らにとっては違うはずで――それが、たった一手で理解できたのならば。
偽物だろうが、真に迫ったのならばそれは武術だから。
『――構わん、やれ』
己の中にいるもう一人、その女性が短く言葉を放つ。その珍しいものこそ、この状況の面倒さを語っている。
しょうがないかと、純一郎は吐息を落とし、やれやれと表現したくなるような態度を、しかし、嬉しくてたまらず、楽しみたいと願う、そんな口元の笑みが誤魔化しきれていない。
「――
まっすぐ踏み込まれた、力強い地に足ついた攻撃を、ぎりぎりの見切りで回避しながら、歌うよう、詠うよう、自然とそれが口からもれて、相手の耳にも届く。
「
蹴り、それが踏み込みに変わって拳。高速で行われる衝撃波つきの攻撃を、途中から回避が間に合わず捌きに入る。
ハヤカワは気付いた。
戦闘の外、意識の端、今まさにぽつぽつと雨が落ちてきたことに。
「焦がれ求め欲するは、恵み受け歓びに震える我が身なれば――」
故に。
「――
どれほど凡庸であっても、一撃が致命傷になるこの状況。
雨に歓喜を、天に感謝を、躰に恵みを、――誰よりも先に、先へ!
さあ、始めよう。
《雨天流
相手の攻撃をすり抜けるよう間合いの中、ハヤカワには〝滑る〟ように当たらなかったと感じただろうが、踏み込みそれ自体も滑って大地を噛む。触れたのは肘、僅かに押し出すような力から、鋭い穂先のような
だが、最初から当たるとは思っておらず、次の行動への繋ぎすら、滑るよう行われた。
《――
伸びきった腕を戻す反動を使い、外側に回り込みながらも、右の肘を側面へ向ける、槍の柄尻を使った穿ちと同じ一撃を、今度は間違いなく腹部に叩き込んだ。
そして。
《抜刀術、第三幕
腹部への打撃、肘から伝わってくる衝撃の返しを使ってやや距離を取った反動を使い、首を刎ねる動きの、左右同時の蹴りによる〝斬戟〟――腹部の衝撃を強引に振り払うようにしたハヤカワは、上半身を勢いよく後ろに倒し、それを回避。後方へ回転しながら間合いを取る行動へと繋げた。
追撃は、しない。
雨天流の技の八割以上は、三種によって完成しているからだ。
――ハヤカワの姿が消えた。
左右、顔も眼も動かさずに音と気配を頼る。踏み込みによって三ヶ所、大地がえぐれて弾けるのは視界の隅に映った。
人外にはこの、力がある。人間が躰を鍛え、そこに技を乗せてようやくたどり着ける腕力や脚力を、最初から持っているからこそ、成長を阻害する要因にもなる。
脅威だ。
鍛錬を知り、己を磨く人外がその力を扱うならば、単純な暴力ではない。
純一郎はしかし、その姿を捉えた。
地面と水平に飛ぶような踏み込み、上空で躰を横回転させるよう威力を作りながらの振り下ろし。
巨体であることもさることながら、左右に踏み込みをわけた時点で意識を向けていれば、到底間に合わない。更に顔を上げていたのならば、その瞬間に叩き込まれるはずの攻撃を、右へフェイントのよう躰を揺らし、背後に一歩、そして更に跳躍を一つ。
躰を反転させながらの後ろ回し蹴り。
《抜刀術・水ノ行第四幕、始ノ章〝
足が大地に触れる、僅かでいい、それだけで力の方向は変えられる――着地は左右の順序、一秒という時間の隙間で純一郎は水平の斬戟に追いつき、後方宙返り。
《追ノ章〝
地表から這うようにした斬戟は、対象を前にして挙動を上へと変える。
――そう、同じく。
純一郎は水平に飛んで空中にて、躰を横回転させるよう勢いを乗せた〝居合い〟を右腕にて完成させた。
《――終ノ章〝
「ぬっ、――」
三つの斬戟が重なり合った――が。
「がぁ!」
咆哮を短く、その屈強な肉体で踏みとどまり、両腕を交差させるよう受け止め、純一郎を弾き飛ばした。
「はは……」
そんな状況じゃないのに、純一郎は空中にて笑ってしまう。
そう、まだ地に足がついておらず、弾かれ、姿勢制御が精一杯。相手は既に迎撃態勢、つまり一手遅れ――ならば。
するりと、雨の間を伸びるように、人より少しばかり大きな手が、純一郎の左腕を、肘の先をしっかりと握った。
足ではなく、腕。
動きを制限する、しかも持続性の高いその選択は合理的だろう。だが、現実としては、純一郎にとって取り返しのつかない一手の空白を、掴むことで消費し対等となった。
果たして、それは良かったのか、悪かったのか。
叩きつけだろうが、振り下ろしだろうが、そこは意識しない。ただ、相手の左手が拳を握ったのだけは意識の隅に置く。
躰、そして掴まれた腕を強引にねじる。痛みは高揚だけで抑え込んだ。
腕の内側から直線距離ではなく、逆の手で殴られることを考慮して、外側から内側へ左足を、狙うは顎。
《
肩がみしみしと音を立てる。意識して肩を外してもいいが、それで得られるのは一時の猶予でしかない――。
腕の表面をうねるように放たれた一撃を額で受けられたが、それが最善であることは知っているし、その対応も考慮していた。
であるのならば。
そこから先にある〝戦術〟も考察、いや、選択済みだ。
蹴りの勢いを使って躰を戻す途中、ハヤカワの肘、その真上から膝を叩き込んだ。
《
それは手から放たれた槍のごとく。
「ぐ、が――」
肘を砕こうとした、その意志も威力もあったのに手を解かないのはさすが人外。その上で逆の拳が放たれるのも、さすがハヤカワ。それは称賛に値する。
さすがに威力がつきすぎて、肩が外れた――が、構わない。
同じ位置、肘、そこに純一郎は右の拳を合わせた。
《
「がぁ!」
確実に破壊した手ごたえと共に、純一郎は放り投げられる。勢いがつきすぎて、まず左足で地面を叩いて制動、脱臼した肩を強引にはめ込み、両手を使って跳ね、正面にハヤカワを捕らえ、更に追撃をしようと力の転換を行い、踏み込もうとした直後。
「――っ」
全身から汗が噴き出すような感覚と共に、毛細血管があちこちで破裂したのを感じた。
ハヤカワが肘を破壊された力の余波で、立ち位置を変えていたのも、結果的には助かったのだろう。姿勢を崩していたからこそ、純一郎への追撃がなかったのだから。
ハヤカワが、視線を落とした。フェイントではない、その視線の先にあるのは、自分の壊れた肘だ。
髪も眉もないその顔が、ああそうだな、間違いなく、驚きを見せていて。
「お――」
彼は。
「オレのマけだ、オわりにする」
現実を見て、姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「――、ああ」
だから純一郎も、きちんと頭を下げる。
「ありがとうございました。……ハヤカワ! 俺が生きてたら、また今度な!」
「――ああ! タノむ!」
ゆっくりと、背を向けたハヤカワの姿がすぐ消える。警戒は必要ない、相手はこの結果を飲み込んだのだ。人外だの人間だの魔物だの、そんな分類は関係ない。
彼にはこの結果で、得たものがあったから、終わりを受け入れた。続けようという純一郎の意思を感じた上で、これまでだと。
だが――本当に、そのまま純一郎は続けられたのだろうか。
空を見上げて雨を感じるその顔には、疲れこそ見えないものの血の気がなく、瞳だけが生気を強く映し出しており、血に染まった服の色は雨でも流れ落ちない。掴まれた左腕は服の下で真っ青になっているだろう。
身に余る技だった。
まだ、その領域に至れるほどの年齢ではない。
今、戦闘が終わったかどうかが問題ではないのだ。武術家とは、次の戦闘があったのならば、生きている限り立っていなくてはならない。倒れた時は死ぬ時だ、そんな心構えを嫌というほど教わった。
『未熟な身で
笑っている様子もなく、酒を飲む感じでもなく、思い切り鼻でフンと笑った声。それだけで落ち込むには充分だ。
そもそも、雨天流において無手の技は、ほとんど存在しない。何故ならば、無手である雨天は、自身が得物となるからだ。
故に、無手であらゆる得物を具現し、再現する。
木神ノ行とは、本来最後に放つべき木ノ行終ノ章を、違う得物同士で繋げた技だ。段階を踏んで最後に至るのではなく、至った最後を続ければ、肉体への負荷は、まあ見ての通り、かなりのものだ。
一歩、それだけでつま先から脳天まで、苦痛が波のように広がった。それでも二歩、三歩と放り投げた己の刀まで歩き、左の腰に佩いた。
未熟だ。
けれど、この痛みのぶんだけ、ハヤカワの強さも認めなくては失礼だ。
だらんと落ちた左腕に、いつしか力が入らなくなっている。肩は嵌っているはずだが、雨に混じって指先からぽたぽたと落ちる血の色が、――綺麗で。
意識が。
『しょうのないヤツだ……』
今日はよくしゃべるじゃねえか、なんて。
そんなことを思って、純一郎は己の意識を手放した。
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