言うほどでもなかったかもしれない③
「結論から言うと、何もなかったしお咎めも無しだから安心しろ」
椅子に座る私と金森くんを見下ろす渡部先輩は、一口ペットボトルのお茶に口をつけたあと、いつものぬぼーとした表情よりも幾分生気が感じる表情でそう答えた。
「へ……何もお咎め無しですか?」
「おう」
「でも……」
「心配する気持ちは分かるがな。ホントに何もないから大丈夫だ」
「ホントに……ですか?」
「疑り深いな小娘……」
渡部先輩の言葉を、つい疑ってかかる私。だってそうだろう。薫お姉さまと渡部先輩を取引先に謝罪にいかせるような事態を作ってしまったのだ。これを気にするなという方がおかしい。
金森くんだって同じ気持ちのはずだ。彼も同じく表情が優れない。渡部先輩の言葉を信用したいのだろうが、根拠がないから信じられない、という感じだろうか。彼は手に持つコーヒーの缶をせわしなくニギニギしている。
「でも、正嗣先輩……?」
「おん?」
「あれだけの事があっても、お咎め無しなんですか?」
「ああ」
「サイトウ・テクニクスさんとの契約も危ういんですよね?」
「いや? 今後もいい取引が続くと思うぞ?」
『え!?』と思わず声を上げる私と金森くん。昨日の段階では一方的に『契約解除』と言われ、薫お姉さまと渡部先輩の二人が謝罪に向かうほどの危機的状況だったのに!?
「ちょ!? 渡部先輩!?」
「なんだよ……」
「特に何もなかったんですか!? ホントに何もないんですか!?」
「だからさっきからそう言ってるだろうが……」
自分でも失礼だとは思うのだが、つい先輩に詰め寄って、改めてしつこく聴き直してしまう。金森くんも金森くんで、立ち上がって渡部先輩の両肩をガシリとつかみ、その全身を前後左右に盛大にシェイクし始めた。
「ホントなんですか正嗣さん!? 僕らはお咎め無しなんですか!?」
「ゆ、揺らすな……っ」
「どうやって先方を説得したんですか!? お二人はどんなマジックを使ったのですか!?」
「お茶……こぼれるこぼれる……」
震度6以上の勢いでシェイクされた渡部先輩は、金森くんから手を離されてもしばらくふらふらとよろめいていた。平衡感覚が使い物にならなくなってしまったようで、私たちの目の前のテーブルに手を付き、ハーハーと息切れを起こしている……
しかし、信じられない……あの状況から一切のお咎めもなく、しかも今まで通りにサイトウ・テクニクスさんとのお付き合いも続けていけるとは……渡部先輩と薫お姉さま……いやおそらくお姉さまだな……は一体どんなマジックを使ったというのか。金森くんではないが、それは私も気になるところだ。
「……要はな、全部一色とかいう女の暴走だったんだよ」
机に手を付き頭を押さえる渡部先輩が、三半規管がエラーを起こしている今の状況に耐えながら、私達の疑問に答える。テーブルの上に置かれた私のオレンジジュースのペットボトルには、結露したしずくがうっすら全身に付き始めていた。
事の真相はこうだ。
一方的な契約の打ち切りは、サイトウ・テクニクスの担当者一色玲香さんの独断と暴走によって行われ、彼女以外の人間は誰もそのことを把握してなかったのだそうだ。
先方で事態が発覚したのは今日。薫お姉さまが『これからそちらに伺う』と連絡をし、二人が先方に到着した時だ。先方ではちょうどその頃、一色玲香さんは別件で外出中。そのため別の人が薫お姉さまの対応にあたったそうだが……
お姉さまこと『設楽薫』といえば、以前にサイトウ・テクニクスの担当をしていたこともあり、先方でも割と名が通っている。そんな人が突然、旦那を連れて来訪すると話があったもので、電話を受けた人は薫お姉さまと面識がある、一色さんの上司に相談。その上司がお姉さま方の応対をし、そこで事態が発覚した。
結果として、一色さんの独断によって行われた契約破棄は白紙撤回。一色さんは担当から外され、新しい担当者と共に今後もよいお付き合いを続けていきましょう、ということで、先方との話は終わったそうだ。
「ちなみに先方の新しい担当者の方とは会ったんですか?」
「会ったぞ。『ハシダテ』とかいうヤツだ」
「ああ、橋立くん……」
「なんだ面識あるのか金森くん」
「訪問したときによく世間話をするんです。いつも一色さんに頭を悩ませてましたね彼」
「なら大丈夫だな。つーかその一色とかいう女、そんな問題児だったのか……」
「彼、年上にウケるタイプですから。ロックオンされてるって何度か相談もされました」
「あー……たしかにそんな感じの子だな……」
金森くんと先輩の間で、何か共通認識があるらしい。その『橋立』という新しい担当者が気になる。年上女性に好まれる男性……そんな男性と金森くんが今後よく会うことになる……あまり余計なことは考えないようにしようか……。
「あの……先輩」
「なんだ小娘」
幾分三半規管が落ち着いたらしい渡部先輩はテーブルから手を離し、今はペットボトルのお茶をぐびっと飲んでいる。
「えっと……ありがとうございました」
「礼を言うなら薫に言え。今回お前らのために頑張ったのはあいつだ。俺は横でぼーとしてただけだからな」
「ぼーって、いつも通りじゃないですか」
「張り倒すぞ小娘」
渡部先輩は残り少ないお茶を飲み干しながらそう言うが……薫お姉さまにお礼は言いにくい。なんせ、お姉さまは昨日からついさっきまで、ずっと不機嫌オーラを振りまいているから。不機嫌なだけならまだいいが、迷惑をかけた私達に対し、失望しているのかもしれない。普段はそんなこと心配したことないのに、今はお姉さまの姿を見ると、どうしてもそんなことばかり考えてしまう。
そんなことを渡部先輩にぼそっとこぼしてしまうと、渡部先輩は困ったように頭をぽりぽりとかき、金森くんの様子も伺った。金森くんは金森くんで、手の中のコーヒーの缶をじっと見つめてしょぼくれている。昨日のことに後悔はないし一色さんに悪いことをしたとはまったく思ってないが、薫お姉さまたちに対しては、私達は後ろめたさが大爆発だ。
「……おまえら」
「はい?」
「薫には言うなよ? 口止めされてるんだから」
「はぁ……」
私達の様子を見かねたのか……額に冷や汗をかき、渡部先輩がぽつりぽつりと口した事実……それは、昨日と今日の薫お姉さまの様子だった。
私のオレンジジュースについた結露は、だいぶ少なくなっていた。
……
…………
………………
それは、昨日私達が第三会議室で事情聴取されたあとのことだった。
私達が会議室を出ていった後、薫お姉さまと渡部先輩は、私達の話をどう扱い、先方とどうすべきかを話し合っていたそうだ。
薫お姉さまは、私達から話を聞いていたときと同じ椅子に座り、同じく壁にもたれる渡部先輩の方を見ずに話しかけてきたのだとか。
『……先輩』
『んー?』
『どう思いますか?』
その時の薫お姉さまは、長い付き合いになる渡部先輩から見て、怒りを押し殺しているように見えていたらしい。
『……俺にはあいつらが嘘をついているとは思えん。あいつらはアホだが、理由もなしに人につっかかっていくタイプではないぞ』
『私もそう思います』
『それに、相手が取引先の担当者だと分かってて粗相を働くような、度し難いアホでもない。てことは、そうせざるを得ない何かがあったんだろ』
『でしょうね』
『とりあえず先方には明日の昼に行くとしてだ。……どうする』
薫お姉さまは、ここで一度自分のスマホからサイトウ・テクニクスに電話をかけ、一色さんと話をしたそうだ。薫お姉さまは一色さんに『理由を教えてくれ』と食い下がったそうだが、結局激昂した一色さんに話は通じず、一方的に通話を切られたのだとか。
通話を切り、懐にスマホをしまった薫お姉さまの目は、今まで見たこと無いぐらいの無表情に見えたそうだ。その目は、自分が取った話のメモをジッと見ていたらしい。
『……先輩』
『おう』
『私は先輩のように、落ち込んでる人を優しく励ますなんてことは出来ません』
『誰がいつ落ち込んでる奴を励ましたって?』
『だから私は、私が出来るやり方で、可愛い部下を守ろうと思います』
『俺の突っ込みは無視か』
『そのことで、愛する旦那に迷惑をかけるかもしれません』
『妻の仕事とその結果に口を出す気はない。思った通り、好きにやれぃ』
『ありがとうございます』
そうして今日。先方を訪問した渡部先輩と薫お姉さまは、自分の応対をした人物から一色さんが不在だと聞かされた後、応接室へと通された。
渡部先輩は、そこで薫お姉さまが何をするつもりだったのか、はじめて理解したそうだ。
『設楽さんご無沙汰してます』
『お久しぶりですね岸田さん。今は渡部ですが、変わらず設楽で結構です』
『そうでしたね。……で、本日はどのようなご用件で……』
『まず、そちらの一色さんに大至急確認を取っていただきたく』
『何についてですか?』
『私の可愛い部下二人に、あなたは一体何をしたのか……と聞いて下さい』
『は?』
その時の薫お姉さまは、隣で見ている無関係な自分からしても震えが来るぐらい恐ろしかったと、渡部先輩は身震いをしながら教えてくれた。そんなお姉さまと話をする先方の岸田さんとか言う人、さぞ怖かっただろうなぁ……
薫お姉さまは顔色一つ変えず、だけど冷静というよりも冷酷な口調と声色で、岸田さんを追い詰めていったそうだ。
『昨日、御社の一色さんから、弊社との契約を一方的に破棄する旨が通達されました』
『へ? いや、私は何も……』
『あなたが初耳かどうかはどうでもよろしい。ここで問題になるのはその理由ですが、一色さんはそれを私達に話してくれません。それどころか『頭のおかしな担当者とその連れに聞け』と、私の部下に対する侮蔑とも取れる言葉を吐いています』
『ち、ちょっとまって……』
『そこで担当の金森と、そこに居合わせた小塚に確認を取ったところ、むしろ二人に対して失礼を働いたのは御社の一色さんであり、金森と小塚の素行に関しては何ら落ち度はないと私は判断しました』
『これは何かの誤解が……』
『そうである以上、理不尽な目に遭わされたのは御社ではなく、弊社の金森と小塚であると判断せざるを得ません。金森は私の部下であり、小塚も同様に私の部下の立場です。であれば、部下である彼らを守りケアするのが、上司である私の仕事です』
『い、いや、しかし』
『弊社との契約を打ち切るというなら結構。私の部下を理不尽な目に遭わせ過剰な負担を強いる取引先など、弊社には不要です。むしろこちらから契約を打ち切らせていただきます』
そこまで言い切ったお姉さまは、いつもの通りの無愛想な顔で一言『では一色さんへの確認をよろしくおねがいします』と言い放ち、岸田さんからの返事を待ち続けたそうだ。
事の重大さに気付いた先方の岸田さんは、一色さんの部下(それが橋立さんだったそうだ)を呼び、その彼に大至急一色さんと連絡を取るように指示していたという。やがて連絡が取れ、一色さんは私と金森くんへの粗相を認めたそうだが、肝心な部分は話したがらず……そして……
『……設楽さん、申し訳ない。部下の一色をコントロール出来なかった私の失態だ』
『……』
『なんとか契約破棄はなかったことにしていただけないだろうか。担当は先程顔を見せた橋立にやらせる。彼ならそちらの金森くんとも仲がいいのは知っているし、誠実な男だから問題を起こすこともない』
『……私は、私の部下たちに余計な負担がかからなければ、何も言うことはありません』
『よかった……設楽さん、ありがとう』
『こちらこそ、あなたのお心遣いに感謝します』
………………
…………
……
渡部先輩の話が終わる頃、私はオレンジジュースを飲み干し、金森くんのコーヒーもだいぶぬるくなっていた。渡部先輩は自分の日本茶のペットボトルをゴミ箱へと投げ捨てる。うまい具合にゴミ箱に吸い込まれた渡部先輩のペットボトルは、ガラガラと音を立てた。
「とまぁこんなわけで、今回お前らを一番心配して守ろうとしてたのはアイツだ」
「……」
「だから、礼ならあいつに言え。俺はホントに何もしとらん」
会議室内に響く、渡部先輩の優しい声。その声はいつも私を『小娘』と揶揄し、薫お姉さまと私を必要以上に遠ざける時の刺々しい感じはない。
正直なところ、私はもう薫お姉さまに愛想を尽かされたと思っていた。昨日のお昼から今日に至るまで、私に向けられていたお姉さまの視線は、とても冷酷で、いつもの温かい感じはなかった。だから私は、もう薫お姉さまとは仲良く出来ない……そう思っていた。
でも、実際は違ってたみたいだ。
「でも渡部先輩」
「お?」
「昨日からずっと薫お姉さま、不機嫌でものすごく怒ってるように見えてましたけど……」
「あー……確かに怒ってたな。でもそれって、その一色とかいう女に対してだ。あいつに対してはかなりカリカリしてたけど、むしろお前たちのことはずっと心配してたぞ?」
「そうなんですか?」
「それに、なんか寂しがってたな」
驚愕の事実……あれだけ不機嫌オーラを振りまいていた薫お姉さまが、まさか私たちのことを心配するだけでなく、寂しがっていたとは……
なんでも今日、サイトウ・テクニクスへと向かう最中、二人でてくてくと歩いている時、薫お姉さまは、寂しそうにポソリと一言つぶやいたそうだ。
――昨日今日と金森くんと小塚ちゃんに絡まれないから、調子が狂います
思えば、昨日のあの事情聴取から、私も金森くんも、ろくに薫お姉さまに話しかけなかった。いつもなら朝から私達はご夫妻に突撃し、金森くんは渡部先輩の周りをちょこまかと駆けずり回って、私は強引に薫お姉さまと手をつなぐ……そんな毎日を送っているのに。仕事中だって私は渡部先輩とケンカしながら仕事を進めるし、金森くんだってお姉さまと密に連携を取りながら仕事に励んでいるのに。
それなのに今日は、ご夫妻に突撃どころか世間話もろくにしなかった。どうしても、薫お姉さまのあの冷たい眼差しに見つめられると、いつものノリで突撃し、手をつなぐなんてことが出来なかった。
それが、薫お姉さまにしてみれば寂しかったということか……。
「なんだか、二重の意味で悪いことしちゃったなぁ……」
私の口から、ぽつりとそんな言葉が出た。これは今日一日を振り返った、素直な言葉。お姉さまの気持ちを汲み取ることが出来ず、いつものように振る舞うことが、私には出来なかった……。
「んなことないぞ。あいつが終始仏頂面をぶら下げてるのも悪いしな」
「そんなこと思ってないくせに……」
「本当だ。あいつ、無意識のうちに相手にプレッシャーかける天才だからな。寂しいんなら寂しそうにすればいいんだ。もうちょっと穏やかにしてれば、お前らだって薫に話しかけやすかっただろう」
「でも渡部先輩はそんなお姉さまが好きなんですよね?」
「まぁなぁ……」
「先輩はどえむですか」
「首をねじ切るぞ小娘」
そんな軽口を渡部先輩と叩く余裕も出てきた。色々と驚く話もあったが、今なら、私は薫お姉さまに話しかけ、キチンと今日のことのお礼を言うことができそうだ。
そう。薫お姉さまに言うべきは、謝罪ではなくお礼。『ご迷惑をおかけしてすみませんでした』ではなく、『私たちを助けてくれてありがとうございました』。この言葉を薫お姉さまには伝えるべきだ……いや、伝えたいと思った。
「……正嗣さん」
すでに空になったコーヒーの缶を持ち、金森くんが立ち上がる。その目はいつになく真剣で、いつか見た、『会社の代表・金森千尋』の雰囲気を漂わせていた。
「うっせ。さん付けはするな」
対する渡部先輩は、そろそろ真面目モードの限界が近づきつつあるらしい。顔から少しずつ生気が抜け始め、目が死に始めている。これはひょっとすると、先輩を『正嗣さん』と呼び放った金森くんのせいなのかもしれないな……と私は思った。
「係長に、お礼を言ってきます」
「おう。そうしてやれ」
「私も行ってきていいですか?」
「おう行け行け。どうせ今日はヒマだしな」
「ありがとうございます!」
私と金森くんは、互いに顔を見合わせる。彼の目が私にこう言っていた。『今すぐ行こう』。無論、私に断る理由はない。渡部先輩の許可も貰ったことだし、言われるまでもなく、私も早く行きたい。私と金森くんは一緒にドアを振り返り、会議室から薫お姉さまの待つ事務所へと向かうことにした。
「……あ、ちょっと待て」
私がドアノブに手をかけ、勢いよくひねってドアを開けた時だ。背後から渡部先輩が私達を呼び止めた。振り返ると渡部先輩は、妙にニヤニヤといやらしくてセクハラとしか思えない笑みを浮かべてる。
「……なんすか先輩? セクハラですよその笑顔」
「小塚さんヒドい……」
「黙れセクハラ冤罪製造機。それよりもだ」
「はい?」
「お前らに、有益な小ネタを教えてやる。イヤーホールをディグって聞けよ?」
「はぁ……?」
渡部先輩から余計な入れ知恵を授かった私達は、そのまま会議室から事務所へと移動して、薫お姉さまが仕事する設楽チームのシマへと向かい、薫お姉さまの前に立った。
「……?」
「あの……係長」
「はい」
「お姉さま、あの……ちょっとお時間、よろしいでしょうか……?」
薫お姉さまはパソコンで何かを入力しており、傍から見るととても忙しくてそれどころではないという感じだったが、それでも私たちのため、手を止めてくれた。
しかし、この無愛想で冷たい眼差しは恐ろしい……渡部先輩から『あいつは寂しがってる』という話は聞いているが……このプレッシャーと氷のような眼差し……そして氷点下の声……
「……なんでしょうか」
「あの……お姉さま……」
「はい」
「えっとですね係長……」
「何か」
「「……」」
「……?」
恐ろしい……私達に対して不機嫌オーラを振りまいているようにしか見えない。おそらく本人からしてみれば、いつもどおりに私たちを見つめているだけに過ぎないのだろうが……私からしてみれば、どう見てもあの眼差しは肉食獣の威嚇だし、戦闘態勢に入ってる印にしか見えないッ!?
金森くんも私と同じ心持ちのようだ。『お礼を言いに行きます』とは言ったものの、本人のこの恐るべきプレッシャーを前にすると、どれだけやる気が満ち溢れていたとしても、みるみるその気持ちが小さくしぼんでくる様子が見て取れる。
ちらっと顔を伺うと、顔つきは『会社の代表・金森千尋』だが、幻の犬耳は下に元気なくぺろっと下がってるし、ケツの部分に見える幻のしっぽは下に垂れ下がって、金森くんが萎縮していることを如実に表している。冷や汗だってかいてるし。
「んー……?」
「「……ッ」」
「お二人とも、話がないのなら私は仕事をしたいのですが……」
「「!?」」
……ええいッ! 今ここでお礼を言わなければ、この件でお礼を言うタイミングを完全に逸してしまうッ!! 負けるな小塚真琴ッ! 私は薫お姉さまにお礼を言うんだ! 言え! 真琴!!
「金森くん……ッ!」
「ああ……ッ!」
「……?」
「「ありがとうございましたぁあッ!!!」」
「!?」
私と金森くんは声を揃え、同じタイミングで勢いよく頭を下げた。これが……これが薫お姉さまへの私たちの感謝の気持ちだ!! 伝わって下さい! 私たちのこの感謝の気持ち!!!
しかしである。
「……」
「「……」」
「……話は終わりですか?」
「「!?」」
私達のお礼を受けての薫お姉さまの返答がこれである。私達のお礼は通じなかったのか……薫お姉さまは私達と戯れることが出来ず、寂しがっていたのではないのか!?
……いや待て。私はさっき渡部先輩から、超重要な情報を入手したじゃないか。心が折れるのはまだ早い。顔を上げろ私! そして、薫お姉さまの顔を見るんだ!!
「「ッ!!」」
「……?」
私と金森くんは、同時に顔を上げ、そして薫お姉さまの顔を凝視した。
「……」
「「……」」
「……」
「「……」」
「……ぷくっ」
「「!?」」
見間違いではない……薫お姉さまのその麗しき鼻の穴が、私の目の前で、ぷくっと一瞬膨らんだ。本当だったんだ……渡部先輩からの情報は、間違ってなかったんだ……聞いた時は『嘘だろ!?』『まさかあのお姉さまが!?』と思ったが……
「ぷくっ」
「「!?」」
「ぷくぷくっ」
「「!?!?」」
今、こうしてその光景を目の当たりにすると、本当のことだったのだと思わざるを得ない……その光景は美しき薫お姉さまにあるまじき滑稽さだが、これは事実だ。事実なのだ……
私は、薫お姉さまのその世にも奇妙な光景を目の当たりにし絶句しながら、先程渡部先輩によって入れ知恵された、戦慄の事実を思い出していた。
「……なんですか」
「い、いや……なんでもないですお姉さま……」
「そうですか……ずーん……」
「いや係長、あの……」
「はい? ぷくぷくっ」
「「!?」」
――あいつな、本当にうれしいことや楽しいことがあるとな。
鼻がぷくってふくらむんだよ。
お礼言った後、あいつの顔見てみろ。
鼻の穴がめっちゃぷくぷく膨らんでるから。
そう考えたら、あの仏頂面に睨まれても笑えるだろ?
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