私のせいかもしれない③
iPhoneの時計アプリのような、オシャレな壁掛け時計を見る。時刻は午後5時。
「ん……」
あれから金森くんは、時々目を覚ましては再び眠りにつくサイクルを繰り返している。目をさますたびに体温計を口に突っ込んで体温を測っているのだが……39度から、一向に下がる気配がない。
金森くんの様子も少しずつおかしくなってきた。お昼すぎまでは目を覚ますたびに一言二言ぐらい軽口を叩いていたが、夕方になるにつれ、その余裕もなくなってきたようだ。眠っている最中も、少しだがうなされ始めている。
私は許可をもらって金森くんのパソコンの使い方を覚えながら、彼の様子をずっと伺っているのだが……もうけっこうな時間、彼の体温が下がらないことに、危機感を抱き始めていた。
時刻が5時過ぎになったところで、私は台所へと移動し、晩ごはんの鍋焼きうどんの準備に取り掛かる。といっても、おだしの準備をし、うどんを茹でる準備をして、具材の下準備をしていくだけなのだが……
そして眠っている金森くんから離れている今のうちに、薫お姉さまと渡部先輩に連絡を取る。今の金森くんの状況を伝えることはもちろん、金森くんの体温のことを相談するために。
鍋の火加減を見ながら、私はスマホで薫お姉さまに連絡を取った。しばらくコール音が鳴った後、薫お姉さまは通話に出てくれた。
『小塚ちゃん?』
「お疲れ様ですお姉さま」
『金森くんの様子はどうですか?』
「はい。とりあえず元気は元気なんですが……」
私は金森くんの熱が一向に下がる気配がないことを薫お姉さまに伝えた。その傍ら、おだしの味付けを見る。確か『相手が病人なら、思ったより薄めでいい』と友人は言っていたが……これぐらいでいいだろうか……
私の話を聞いた薫お姉さまは『ふむ』としばらく考えた後、通話を渡部先輩に変わってくれた。なるほど。どちらかというと、こういうことは薫お姉さまよりも渡部先輩の方が詳しいか。
『おう小娘。金森くん、熱が下がらんそうだが』
「そうなんです。もう結構長い時間寝てるんですけど……」
『それでいい。つーか、もっと体温を上げさせろ』
「? なんで?」
『大方、日中に解熱剤でも飲んだんだろ。それに夜はこれからだ。まだ熱が上がりきってないはずだ』
「あ、なるほど……」
『だから今は金森くんの熱を下げようとするな。身体を冷やすのは汗でビショビショになってからでいい』
「はい」
『晩飯は何にするつもりだ?』
「鍋焼きうどんにしようかと」
『上出来だ小娘。なんなら、少しでいいから出汁にしょうがも入れろ。体があたたまる』
「チューブのやつでいいです?」
『かまわん。食わせたら間髪入れずにそのまま布団の中に押し込んで寝かせろ。うなされてても気にするな。汗をかきはじめるまでは絶対に布団から出すな』
「分かりました」
『分からんことがあればいつでも連絡しろ。夜中でも気にせずかけてきていいからな』
「……先輩」
『なんだ小娘』
「なんか……はじめて先輩のことを先輩らしく感じます」
『うっせ。張り倒すぞ小娘』
「遠慮しときます」
先輩との通話を切ったあと、私は急いで冷蔵庫を開けた。中には、私が買ってきた食材とポカリ、そして元々入っていた食材の数々が並んでる。一応卵や調味料なんかはストックされているようだが、食材そのものはあまり多くない。金森くんは自分ではあまり料理はしない人のようだ。いつも男のくせに女子力おばけの渡部先輩をそばで見ているから、そんな些細なことが意外に見えてしまう……。
その調味料や薬味のストックの中に、しょうがのチューブを見つけた。手にとって中身を見ると、まだ充分残っている。これなら行ける。
温めているおだしの中にチューブから一捻りのしょうがを絞り出し、それを入れた。スプーンで少しかき混ぜたあと、味を見る。……うん。これぐらいほんのりならあまり気にならなさそう。しょうがの香りも立ってきた。
もう一つのコンロの口で、雪平鍋を火にかける。水が沸騰するまでの間に油揚げ2枚を2等分に切り分け、沸騰した鍋の中に入れて油抜き。こうすればしっかり油抜きが出来ると友人は言っていた。自分流のアレンジはせず、今は素直に友人のレシピに従う。あとはほうれん草とネギを切っておいて、下準備は完了だ。
「んん……」
居間の方から、金森くんの声が聞こえてきた。やっぱり、私がここに来たときよりも、だいぶ声に元気がなくなってる。私は台所から居間に向かい、金森くんが横になっているベッドのそばで腰を下ろした。
「……ま……小塚……さん」
「調子どお?」
「寒い……」
金森くんの額に触れる。熱い……でも汗は全然かいてない。ということは、まだ上がるということか。
「食欲ある? 鍋焼きうどん作ったよ?」
「……作ってくれたの?」
「うん」
「朝から何も食べてないから……少し、おなかすいた」
「じゃあ食べる?」
「うん」
「分かった。すぐ出来るから」
「ありがと……小塚さ……」
彼の言葉をすべて聞く前に、私は立ち上がって台所に向かった。
「待っててね」
「う……」
その時、つい彼の頭をくしゃくしゃと撫でてしまったのは、私自身、気を抜いていたからだと思いたい……
台所で見つけた一人用の土鍋をコンロにかけ、おだしを張った。冷凍庫から出した冷凍うどんをそのまま鍋に入れ、切った具材をそのまま並べて、火にかける。ぐつぐつと沸騰し始め、うどんがほぐれてきたら卵を割り入れて……
「出来るよー! ベッドから起きてー」
居間に向かってそう叫びながら、おぼんとれんげを準備する。お盆の上に鍋敷きを敷き火からおろした土鍋を置いて、お箸とれんげも置いて……完成っ。
鍋が乗ったおぼんを持って居間に行くと、金森くんはソファに座っていた。ちゃんちゃんこを着込む彼の背中は、いつもと比べて猫背になっていて、なんだかとても弱々しい。
「はい。どうぞ」
「ありがと……」
おぼんをそのままテーブルの上に置き、蓋を開いた。途端に周囲に広がる、おだしとしょうがのよい香り。金森くんは鍋焼きうどんの香りを目を閉じて吸い込んだあと、鍋の中を覗いてニヘラと微笑んだ。
「いい香りだ……美味しそう」
「美味しいと思うよ。料理上手な私の友達のレシピで、渡部先輩のアレンジも入ってるから」
「んーん。そうじゃなくて……」
「うん?」
「……なんでもない。いただきます」
「はいどうぞ」
金森くんがれんげでおだしをすくい、それをすすった。『熱いから気をつけて』と言おうとしたけれど、少し遅かったみたいだ。
「あづッ!?」
金森くんはおだしをすすった直後すぐ、悲鳴を上げて口を押さえていた。この人、ホントに猫舌なんじゃないかなぁ……本人はそうは思ってないみたいだけど。
ひとしきりおだしの熱さに悶絶したあと、金森くんは箸を取って少しずつ、私の鍋焼きうどんをすすっていった。テレビもついてなければ何の音楽もかかってない、静かな部屋の中で、彼が静かにうどんをすすっていく音だけが鳴り響いている。
「……美味しい?」
「うん。美味しい」
「よかった。おだしは渡部先輩の入れ知恵で生姜を入れたよ」
「通りでしょうがのいい香りがするんだね。油揚げも美味しい」
「おだしを含んだ油揚げって美味しいんだって。友達が言ってた」
「そっか。でも……」
「うん?」
「なんでもない」
静かにゆっくりと、金森くんはうどんを平らげていく。けっこう美味しく感じてくれているようで、彼の食べるスピードが次第に上がってきた。
彼が真面目な顔でうどんを平らげていく、その横顔をこっそり眺める。出張の時に見せていた顔と似ているけれど、ちょっと違う。
「ずずっ……」
「……」
金森くんが夢中で私が作ったものを食べてくれている……その横顔を見る私の顔が、自然とほころんでくる。彼が美味しそうに食べるその姿を、こんなに近くで眺めてられることが、ほんのりとうれしい。
しばらくして金森くんは、私の鍋焼きうどんの最後の一滴まで、キレイに平らげてくれた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「ありがと……ホントに美味しかった」
「よかったよ」
食べ終わり、私に向かってニヘラと微笑む彼のほっぺたは、風邪だというのに、ほんのりと赤くなっていた。
「さ、食べたらまた寝て」
「もう大丈夫だけど……?」
「ダメ。渡部先輩も『食べ終わったらすぐに布団に押し込め』って言ってたし」
「でも書類作らないと……」
この期に及んでまだ私に向かってワガママを言うかこのアホ金森は……私は彼の右手首をガシッと掴み、引っ張って無理やりに立たせた。
「ほぇ!?」
やっぱり金森くん、まだ全然本調子じゃない。手首だって熱いし、私に力で全然抵抗出来てない。そのまま顔をガシッと掴むと、再びベッドに押し倒した。
「いいから寝ろッ! 書類なら私が作るから!!」
「でもそれWord入ってないよ?」
「大丈夫! 常日頃渡部先輩に社内報作らされてる私を舐めるなッ!!」
困った顔でうだうだと文句を言い続けるアホ金森の顔に、私は掛け布団をばさっとかけた。アホ金森はまるでお母さんから怒られた5歳の男の子のように、掛け布団からひょこっと顔を出し、上目遣いで私の様子を伺い始める。
私は気にせず、土鍋が乗ったお盆をキッチンへと持っていき、ざばざばと後片付けに勤しんだ。私は晩ごはんはまだいい。金森くんが寝付くまでは、彼のことを監視しないと。じゃないとあのままじゃ、また彼は起き出して書類作りをやりかねない。彼にはゆっくり体を休めてもらって、早く体調を戻してもらわないと。そのためにも、私が彼に変わって書類を作らなければ。
大丈夫。さっきまでいろいろと金森くんのノートパソコンを触らせてもらって、使い方はなんとなく分かってきた。文書作成ソフトもWordとはだいぶ感触は違うけれど、さっきよりは使えるはずだ。
洗い物を終わらせて私が居間に戻ってくると、金森くんはベッドの上で動かず、ジッと眠っていた。
顔を覗き込んでみる。穏やかな顔で眠ってる。やっぱりだいぶ無理してるみたい。彼の頬に触れたい衝動を抑え、私は彼のノートパソコンを開いて、作りかけの書類ファイルを開いた。
金森くんが作っていた書類ファイルは、この前の東京出張に関係することのようだ。ファイルと同じフォルダに入っていた私のメモデータも一緒に開き、私は書類の書式を整えていった。
「……」
金森くんを起こさないように、音を立てず静かに仕上げていく。作りかけといっても、書類のアウトラインはほとんど出来上がっていた。あとは書式設定をほどこし、書類の体裁を整えるだけのようだった。
金森くんが使う文書作成ソフトは、私が普段会社で使ってるWordとは全然違う見た目だったけど……そこはグータラ渡部先輩に鍛えられた私。しばらく使っているうちに操作方法にも慣れ、意外とさくさく進んでいく。
――Wordの使い方を覚えるんじゃなくて、文書作成の順序を覚えろ
そうすれば、他の文書作成ソフトを使うときも混乱は少ない
まったく……グータラなくせに、今日はとても頼りになる。渡部先輩には、明日お礼を言わなければ……
「……あ、そろそろ」
もちろん金森くんの様子を見ることも忘れない。ある程度の時間ごとに金森くんの様子を見てみるけれど……彼の顔が少し赤くなってきた。髪を撫で、頬に触れると、ほんのりと湿り始めてる。やっと熱が上がりきったのかとホッと胸をなでおろした。
「う……ん……」
金森くんが寝返りを打った。なんだか色っぽく聞こえる声を上げ、私からぷいっとそっぽを向いている。ひょっとして起きたのかとちょっとびっくりしたけれど、どうやらそうではないみたい。
「……すー……」
それが証拠に、私から顔を背けたあと、こんなふうに穏やかな寝息を立てたから。
私の視界に、金森くんの首筋が映っている。
「……」
金森くんの首筋は、汗で少し湿っている。汗ばんだ肌が、なんだかとてもキレイだ。
私の手が、フラフラと彼の首筋に触れた。指先で優しく撫でたあと、手のひらをペタリと彼の首筋に押し付ける。彼の体温は、まだまだ熱い。
――いくよ
いつの日か見た夢の、彼の肌の感触を思い出した。でも今、目の前にいる金森くんの汗ばんだ肌の感触は、夢の中で触れた彼の肌よりも、とても鮮明で……
「んん……つめ……た……?」
「!?」
しまった。私の手は少し冷たかったか……金森くんがうっすら目を開き、私の方を向いた。『んん……』と声を上げ、彼は汗ばんだ身体をこちらへと向けると、私の顔を見てニヘラと微笑んでいる。
でも、私は手を離す気にはなれなかった。……いや、離したくなかった。
「えっと……ど、どう?」
「手、冷たい」
「ご、ごめん……」
「んーん。熱を見てくれてるんでしょ?」
「そ、そう!」
助かった……キレイな首筋だから、ついふらふらと触ってしまったとは……この、子犬のような真っ直ぐな瞳の金森くんには、言えん……。
「喉乾いてない? 大丈夫?」
「うん大丈夫」
「ポカリ買ってきてあるから、喉乾いたら言ってね」
「ありがと」
ジッと金森くんに見られて照れくさくなった私は、金森くんの首筋から手を離し、彼に背中を向けた。いい加減書類作成も進めないと。彼に『任せろ』と言った手前、もし仕上げられなかったら彼に悪い。
一方、私の背後の金森くんは、ごそごそと動いて私の背中をジッと見ているようだった。彼の方は見てないが、彼は私の背中をジッと見つめているのは、なんとなく伝わる。
「……ねぇ、小塚さん?」
「うん?」
時々『ふぅ』とダルそうなため息をこぼしながら、金森くんが静かに口を開いた。
「なんで、こんなに世話してくれるの?」
「……ほら、出張の時に私にマフラー貸してくれたでしょ?」
「うん」
「金森くん、あれで体調崩したのかなって思って」
私は素直に思ったことを言ったつもりだった。キーボードを叩く手を止め、でも彼には背中を向けたまま、彼の顔を見ないで素直に答えたつもりだった。
もし金森くんの体調不良があの出張の時のマフラーなのだとしたら……私は彼に悪いことをしてしまった。その責任は取らなければ。
でも。
「……そっか」
しばらくの間のあとの金森くんの返事は、いつもより元気のない、なんだかしょぼくれた声のようにも聞こえた。
一瞬、『ごめんね』と言いそうになり、すぐに口をつぐんだ。なぜ今、私は彼に対し『申し訳ない』と思ったのだろう。これはマフラーについてではないのは分かる。だけど、しょぼくれた彼の返事に対し『申し訳ない』と思ったのは、なぜだろう……。
気持ちを切り替えて、中断していた書類作成を再開する。書類自体はあと少しで完成する。特別サービスで目についた誤字脱字も修正しておく。日本語入力のオン・オフの切り替えに最初は戸惑ったけれど、慣れてしまえば普段使っているパソコンよりも意外と分かりやすい。今度渡部先輩に申請して、私もこのパソコンを使わせてもらおうか。そんなことを、ほんのりと思い始めていた。
そうして書類作成も終わり、私も晩ごはんを食べ終わってしばらく経った頃。時刻はもう遅く、夜もだいぶ更けてきた。
「……よし。だいぶ汗をかいてきた」
金森くんが盛大に汗をかきはじめた。顔色も青白かったお昼ごろに比べ、真っ赤でとても暑そうだ。
渡部先輩に言われた通り、そろそろ彼の身体を冷やすことにする。冷蔵庫から友人おすすめのふにゃふにゃした氷枕を取ってきて、それをタオルでくるんで彼の首元に滑り込ませた。その途端、苦しそうな彼の表情が和らいだから、氷枕が心地良いみたいだ。
「ん……んん……」
「……がんばれ」
金森くんの前髪を後ろに流し、むき出しになった彼のおでこに冷えピタを張った。寝ているはずの金森くんは、とたんに気持ちよさそうに表情を緩める。やはりこのタイミングで冷えピタを貼るのは間違ってなかったみたい。
彼の穏やかな寝顔を眺めて、私もやっとホッと一息つけた。何のことはない。私はずっと気が張っていたみたいだ。
渡部先輩も『いつでも連絡よこせ』と言っていたけど、もう大丈夫。渡部先輩に連絡を取る必要もないだろう。あとはこのまま熱が下がるのを待つばかりだ。このまま熱が下がれば、明日は無理でも明後日ぐらいには出社できるだろう。一安心だ。マフラーを借りてしまった借りも返せたみたい。よかった。
彼の頭を撫でた。盛大に汗をかき始めた金森くんの髪は汗でしっとり湿っているけれど、そんな髪がなんだか手に心地よく、いつまでも触れていたい。
「……ん」
「気持ちよさそうに寝ちゃって……」
髪が乱れない程度に、くしゃりと乱す。彼の髪は見た目通り、とても素直で柔らかい。私の手櫛が素直に通る。
――……そっか
不意に、彼のしょぼくれた相槌を思い出した。あの時、彼がどんな気持ちでその一言を発したのかは、私にはわからない。
――ごめんね
だけど彼のその一言に、私が申し訳無さを感じた理由は分かった。彼の髪を撫で、寝顔を見つめているこの間に、私は自分の気持ちに気付いた。
だけどね。金森くん。
「すー……」
「タハハ……困った……」
「……」
彼の髪を優しくくしゃくしゃと乱しながら、私は思う。
「これは〜……勘違いだなぁ〜……」
そう。この気持ちは、きっと勘違いです。
クリスマスのあの日の夢から始まった、私の勘違いです。
そういうことに、しておいて下さい。
お願いだから。
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