この人とは楽しいかもしれない③
恵比寿で今日最後の会社訪問を終え、私は金森くんとともに恵比寿ガーデンプレイスタワーから、すでに日が落ちて久しい寒空の下へと踏み出した。
「「さむっ」」
途端に私達は冷たい風にさらされる。二人一緒に肩をすくませ、一緒に『寒い』と意思表示をした。
「金森くん」
「ん?」
「寒いならマフラー返そうか?」
「んーん。今のは脊髄反射みたいなものだから。それは小塚さんがつけてていいよ」
そう言うと金森くんはニコリと微笑み、私より先に歩いていく。私は私で、肩にかけた金森くんの赤と紺のストライプのマフラーを首に巻き、ニューヨーク巻きにする。金森くんが寒いなら返したほうが……とも思ったが、本人が大丈夫だというのなら、喜んでその好意に甘えさせてもらうことにした。だって寒いし。
金森くんのマフラーは柔らかくふわふわで、なによりも暖かい。『どうしても寒かったら上着を買おう』と思っていたのに、このマフラーがあっただけで上着など買わなくて済んだ。
まったく、金森くん様様だ。帰ったら何かお礼をしなければ……そう思いながら、急いで金森くんの後を追いかける。
スマホで時計を見ると、もう夕方の5時。季節は冬だから、すでに空は真っ暗だ。にもかかわらず、この場所は周囲がライトアップされていて、周囲はけっこう明るい。その明るさの中、私は金森くんに追いつき、彼の右隣に並ぶ。
「ん……」
「ん?」
「……んーん」
金森くんが私の顔を見た。彼の顔は、いつの間にか我が社の代表『金森千尋』から、私の同僚で友達の『金森くん』に戻っていた。目が優しく、ニヘラと浮かべる笑顔からは、力が抜けている。
二人で並んで、恵比寿ガーデンプレイスの敷地を歩く。金森くんの歩くスピードが少し遅くなった。彼はいつもそうだ。本当ならもっと早くスタスタと歩けるはずなのに、私が隣りにいる時は、スピードを私に合わせてくれる。
そうして二人で白い息を吐きながらしばらく歩き、ビルの影から出た時だ。
「わ……」
「……」
金森くんが立ち止まり、私は感嘆の声を漏らした。
恵比寿ガーデンプレイスには、周囲を建物に囲まれた中庭のような場所がある。両サイドを並木に挟まれた『坂道プロムナード』という小洒落た名前の道の先には、センター広場と呼ばれる小さな広場。ちょっとしたイベントなんかも出来そうな、けっこうな広さがある中庭だ。
そんな中庭のすべてが、柔らかい金色に輝いていた。
「きれい……」
「うん……きれいだ……」
輝く並木道の中に、二人でついフラフラと迷い込む。シャンパンゴールドと鮮やかな緑に輝く並木道の向こう側には、同じく薄く柔らかい金色に輝く大きなシャンデリアが見えた。光はとても柔らかく優しいのに、その光はとても強い。日は落ちているはずなのに、私と金森くんの周囲は、まるでお昼のように明るく輝いている。
呆然と立ち尽くす私達の周囲を、沢山の人たちが行き交っている。でも私の目には、金色の光に照らされたその人たちの姿すら、美しく見えた。今私の隣をすれ違ったスーツ姿の女の人も、金森くんの後ろを歩いていくビジネスマンぽい男の人も、広場で寒そうに肩を寄せ合う恋人たちも、『寒いよ!!』とお母さんとはしゃぐ小さな男の子も……みんなが、この景色の一部のように、美しく見えた。
こっそりと金森くんの横顔を見た。金森くんはほっぺたを少し赤くして、私達のはるか前、センター広場の大きなシャンデリアをただジッと見つめていた。私も改めて、大きなシャンデリアを見つめる。
「キレイだね、金森くん」
「うん。ホントにキレイだ……」
この時、私と金森くんが心の中で思っていたこと。それは……
「お姉さまと一緒に見たかった」
「正嗣さんと一緒に見たかった」
二人してまったく同じことを考えていたことが妙におかしく、二人一緒にプッと吹き出した。さすが、あの夫妻を愛し、そしてあの夫妻がライバルである私達だ。こんな素敵なところに来て、考えることが同じことだとは……。
「金森くんひどい……ぶふっ……」
「小塚さんだって……でゅふっ……」
「私は仕方ないじゃん。お姉さまを愛してるんだし」
「それなら僕も仕方ないね。正嗣先輩を愛してるんだし」
二人してクスクスと笑い、必死に自分を弁護する。金森くんはいつの間にか、ここを行き交う人々と同じ様に、金色の光で照らされキレイに輝いていた。
「……でもさ。小塚さんが一緒で今日は良かった」
「そお?」
「うん。実はさ。今日はちょっと不安だったんだよね」
「そうなの?」
「今日が初めての自力での折衝だったから」
「そうなの!?」
「そうだよ?」
そういって、金森くんは光の中で恥ずかしそうに微笑む。私はこの言葉には驚いた。
彼は会社訪問を繰り返していく中で、そんな素振りはまったく見せなかった。ともすれば怖く感じるほどの、ビジネスマン『金森千尋』の横顔を私に見せ続けていた。
それなのに、本人は不安だったという。あれだけ余裕そうに振る舞っていたというのに……
でも、ほっぺたをほんのり赤く染め、恥ずかしそうに鼻の頭をポリポリとかく金森くんは、嘘をついているようには見えない。
ということは、そんな不安をずっと抱えていたのに、彼は私のこともずっと気遣ってくれていたのか……朝のラッシュの時も、寒くて震えていた時も……
「おっ……」
金森くんが自分の腕時計を見た。左手の手首の内側を見る彼の仕草は、輝く光に包まれているせいか、いつもより色っぽく見える。
「6時前だ。そろそろ行こっか」
そんな色っぽい仕草のまま、金森くんは自分の時計を私にも向けてくれた。距離が少し離れているから文字盤が見辛い。彼のそばに近づき、彼の腕時計を覗き込む。
「う……」
「ん?」
「な、なんでもない……」
金森くんが腕時計をこちらに向けるだけで、あまり私に近づけてくれなかったものだから、その腕時計を覗き込む私は、なんだか朝の通勤ラッシュのときのように、彼の胸の中に飛び込んだような、そんな感じになってしまった……これ、本人は意識してないんだよねぇ? 照れてる私の顔を不思議そうに覗き込んでくるし……。
気を取り直して、改めて時計を覗き込む。光が反射して今一よくわからないが、6時近い時刻なのは確かなようだ。
「そろそろ帰ろう。今日は疲れた」
「そだね。帰ろう」
キレイだった恵比寿ガーデンプレイスに別れを告げ、私達は恵比寿駅へと向かう。
「……」
「……」
互いに無言で、並んで動く歩道の上に立っている。当然のように、私は金森くんの右側だ。動く歩道は屋内にある。だから冷たい風が吹かず、さっきのキレイだった中庭よりも、心持ち寒くない。
金森くんのマフラーに顔を埋める。なぜだろう。さして寒くないのに、彼のマフラーを手放したくないのは。
なぜ私は、さして寒くないのに、『寒くないからこれ返す』と金森くんに言うことができないのだろう。頬に触れるマフラーのふわふわした感触が心地よいからだろうか。
駅が近づくにつれ、人の往来が増えてきた。今は午後6時過ぎ。ちょうど朝のように通勤ラッシュにぶち当たるのだろうか……ひょっとしたら、駅はたくさんの人でごった返しているのだろうか……
フと金森くんの右手を見た。彼は今、自分のバッグを左手で持っているから、右手は空いている。言うほど寒くないせいか、ポケットに突っ込んでもいない。
私はフラフラと、金森くんの右手に自分の左手を伸ばした。
「……ん?」
「……」
金森くんが不思議そうに私を見た。私は金森くんを見上げられない。見上げたら……顔を上げてしまったら、きっと真っ赤っ赤になってしまっている私の顔が見られてしまうから。
「どうしたの?」
私をジッと見たまま、金森くんが口を開く。私は、金森くんの右手の小指を、ほんの少しだけつまんでいた。
「えっと……」
「うん?」
「駅さ。朝みたいに、通勤ラッシュだよね」
「だと思う」
「朝みたいに、また人に流されたくないから……」
我ながら、とても苦しい言い訳だとは思うが……でも半分は本当のことだ。私は朝、山手線の車内で人の流れに抗えず、金森くんに助けられてしまった前科がある。あの失敗はもう繰り返したくない。
ただ、それを言い訳にするには、彼の小指をちょこっとだけつまむだなんてのは、ちょっと説得力が足りないだけで……。
駅の喧騒が次第に私達に近づいてきた。駅はやっぱりたくさんの人でごった返している。改札口からはたくさんの人達がとどまることなく流れ出ていて、あの中を歩かなければならないのかと、見ているだけで憂鬱になる。そんな凄まじい込み方だ。
「へくしっ」
金森くんは一度だけ小さなくしゃみをした。その後……
「……わかった」
私の左手をパシリと取り、そしてギュッと強く握ってくれた。
「ちゃんと握っててね?」
「大丈夫。離さないから」
私は顔を上げ、金森くんの顔を見た。この残念なはずのイケメンの金森くんは、いつもの力の抜けた笑顔をニヘラと浮かべる。その微笑みは気が抜けた印象なのに、不思議と心強い。
それはきっと、私の手を握る彼の手がとても力強くて、そしてとても温かかったからだと思う。
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