あまり寂しくはないかもしれない①

『よかったら、これから初詣に行かない?』


 今日は大晦日。仕事も冬休みに入り、薫お姉さまと中々お会いする機会のない、とても寂しい時期。そんな大晦日の夜に金森くんから届いたのが、このLINEのメッセージだ。


 私は最初なぜ自分が誘われているのか、意味がさっぱりわからなかった。


 彼の家のベッドとは似ても似つかぬボロボロのパイプベッドの上で、兄貴の嫁の小春さんが作ってくれたクッションを抱きしめながら、なぜ金森くんが私を誘っているのか考える。だが答えが出るはずもなく、私は仕方なく彼に直接聞いてみることにした。のだが……。


『別にいいけど、なんで私?』

『いや、みんなで初詣に行きたいなーと思って』

『みんなって?』

『正嗣先輩と係長と、僕ら』


 金森くんの最後の返答を見た瞬間、私の全身の血が沸騰した。


『行く! 絶対に行く!!』

『りょうかーい。んじゃ、これから先輩たちも誘ってみるね』

『絶対に誘ってよ!? お姉さまを口説き落としてよ!?』

『了解。最善を尽くすよ』


 そんなやり取りの後、金森くんからは、サムズアップのスタンプが送信されてきた。


 私は私でいても立ってもいられなくなり、クッションを床に置き、その上にスマホを投げ捨て、そしてベッドにうつ伏せに飛び込んだ。


「やった……新年が明けるまでお姉さまとお会いできないと思ってたけど……やった!!」


 諦めていた、薫お姉さまとの初詣……!! それが今日、叶うかもしれない……!! ウッハァー!! どうしよう!! お姉さま、着物を着て来たりするのかな!? 正直旦那の格好はどうでもいいけれど、お姉さまがどんな衣装で私と初詣をしてくれるのか、それがとても気になるぅぅうううう!!!


 『お姉さまと一緒に初詣に行けるかもしれない』。その事実は、私から平常心を奪うには十分すぎるほどの衝撃だった。私の頭は異常なスピードで変な方向へと回転をはじめる。


 そして妙な方向へと暴走する頭は、冷静に考えられる普段なら絶対に行わないような無謀なことすら、いとも簡単に決断させてしまう。


 このとき、お姉さまと共に初詣に行けるかもしれないという事実を前に、私は有頂天になっていた。だからこそ、そこからさらなる高望みをしはじめた。『大好きなお姉さまに、キレイな自分を見てもらいたい』『そしてお姉さまに褒められたい』そう思ってしまった私は、次の瞬間ベッドから跳ね起き、自分の部屋から飛び出して、一階の居間で暇を持て余しているであろう両親の元へと駆け出していた。


 居間を仕切るドアの取手を握り、そして勢いよく開く。お母さんは……いた! 相変わらずハゲの侵攻著しい(進行ではない)親父と共にコタツに入り、のほほんとみかんを楽しんでいた!


「母さんっ!」

「お? どしたの真琴?」


 私がお母さんに頼みたいこと……それは、世の女の子ならきっと誰もが着ることを願う、あの服を着るのを手伝ってもらうことだ。


「母さん、着付け出来たよね!?」

「まぁ、うん」

「成人式の時の真っ赤な振り袖、あるよね!?」

「あるけど……」

「今晩初詣に行くから、それ着て行きたい!!!」

「は……?」


 常軌を逸した私のわがままを聞いたとき、お母さんは口に運ぼうとしていたみかんの一房をポトリと落としていた。


「なんだ真琴、彼氏と初詣デートか」

「うっせ親父。残り少ない毛根の四割を抜き散らして焼き塞ぐぞ」

「おほ〜怖い怖い」


 親父の失礼なツッコミには冷静なツッコミを返しつつ、私は居間にヅカヅカと入っていって、お母さんの両肩を掴んでグラグラと激しく揺さぶっていた。今の私をとめることなぞ、誰にも出来ない。そう。出来ないのだ。


 私は、座ったまま落ちたみかんを拾うお母さんの両肩をガシッとつかみ、そして前後左右に激しくガクガクと揺らした。


「お母さん!! 振り袖!!! 私、振り袖!!!」

「分かったから……わかったから、ちょっと落ち着いて……」

「振り袖着たいの!! お母さんわたしぃぃぃぃいいい!!!」

「いいからちょっと落ちついてぇぇぇえええええ!!!」


 私の振り袖は、お母さんの粋な計らいによって実に丁寧に収納されていた。私の知らないところで時々虫干しもしてくれていたようで、引き出しから取り出し、すぐに着ることも出来た。


 出した振り袖を、お母さんに着付けてもらう。真っ白な足袋を履き、襦袢を着て腰紐を巻いた後は、その上から伊達締めを巻いて……


「……ねぇ真琴?」

「うん?」


 お母さんが真っ赤な振り袖の着丈を探りながら、笑顔で静かに私に問いかけた。


「随分おめかしするんだねぇ」

「うん」

「誰かと一緒に行くの?」

「うん」


 お母さんは、慣れた手付きで私の胸元を整えていく。その顔はとても穏やかで、さっきまでのうろたえた感じはない。なんだかとても楽しげだ。私の目には、お母さんの頭の上には8分音符が映っている。


「大切な人?」

「うん」

「そっかー……」


 全体のシワとだぶつきを取ったお母さんは、2つ目の伊達締めを巻いてくれた。少しだけ勢いをつけてキュッと締めてくれると、その締め付けが心地良い。


 その後、お母さんは私の後ろに周り、私の左肩に帯を掛けた。帯を締めるシュルシュルという音が、静かな部屋の中で鳴り響いていく。後ろにいるから、お母さんがどんな風に帯を締めているのかは見えないけれど、その音はとても楽しげだ。


「ぷっ……」

「……?」


 ゴソゴソと後ろで帯を締めてくれているお母さんから、軽く吹き出した声が聞こえた。はて……何か面白いことでもあったか?


「どうしたの?」

「んーん……」

「?」

「昔はあんなにボーイッシュで通してたのに……やっぱり真琴も女の子なんだなぁと思って」

「なんで?」

「だって。好きな人に見て欲しくて、わざわざ振り袖着ていくんでしょ?」

「うん」

「『似合ってるよ』って言ってほしくて、『着せて!!!』てワガママ言い出したんでしょ?」

「うん……まぁ……」


 私の受け答えのどこかがおかしかったのか……お母さんの含み笑いは止まらない。でも、帯締めを締めるお母さんの顔は、とても穏やかで嬉しそうだ。


 そうして、お母さんの意味深な含み笑いをBGMに聞きながら数分後……。


「はい出来た!」


 お母さんのそんな言葉とともに、私の振袖姿は晴れて完成となった。


「お母さん、ありがと」

「いいえー。可愛い娘のためですから」


 ご満悦のお母さんに背中を押され、私は姿見の前に立つ。いつもの紺色のスーツ姿とは全然違って、とてもキレイに着飾った私が、そこに立っていた。


「相変わらずよくお似合いで」

「ありがと……」

「やっぱ真琴には赤が似合うね~。お母さんもいい仕事したわ」


 姿見に映る自分の姿を見ていると、段々と胸が高鳴ってくる。私のこの姿を見た時、薫お姉さまはどんな反応をしてくれるだろうか……そして……


――似合ってるね


「ん……」

「ん?」

「……なんでもない」


 ……なぜ私は、金森くんの声を思い出したんだろう?


 壁にかけられた年代物の時計を見た。時刻は11時前。そろそろ出発したいのだが……


 不意にガラガラと玄関が開く音がなり、『こんばんはー』という小春さんの優しい声が聞こえてきた。そういえば今日は、兄貴夫婦が顔を出してくる予定だったんだっけ。


「ぁあ小春さん! こんばんはー」

「ご無沙汰してますお母さん」

「あらキレイ~!」


 お母さんが玄関に顔を出し、その途端に感嘆していた。私は相変わらず姿見の前に立っているが、小春さんも和服を着てきたのだろうか。小春さん、ふんわりお嬢様でお上品だから、着物もすごく似合いそう……


 『今ちょうど真琴の着付けをしてて』『へぇ~』という2人の声に紛れ、とてとてと廊下を歩く足音が聞こえる。その足音はやがて、私達がいる和室の前で止まった。


 そうして和室に入ってきたのは、私の予想を裏切って洋服姿の小春さんだ。両手にかすみ草がグルーピングされた花束を抱えた小春さんは、私の振り袖を見た途端、ほっぺたを赤くして感嘆のため息を漏らした。


「こんば……うわぁ~……」

「あ、小春さん。こんばんは」

「真琴さん……すんごいキレイ……」

「あ、ありがとうございます……」


 ほぅ……と上気した感じで私を見つめる小春さん。そんなに見つめられると、なんだか少し照れくさい……。でも、ふんわりお嬢様な小春さんが褒めてくれたことで、私も振袖姿に自信が持てる。


 改めて壁掛け時計を見た。さっき見たときよりも、もう少しだけ長針が進んでいる。


「……じゃあ私、行ってきます」

「はいいってらっしゃい」

「……真琴さん、これから初詣ですか?」

「はい」


 和室のすみっこに準備しておいたバッグを手に取り、私は急いで和室を出た。途中、居間から『いってら~』というオヤジの声が聞こえる。適当に『あーい』とか『おーい』とか『うぇーい』といった類の返事をし、私は玄関までとてとてと急いだ。


 玄関には、すでに草履が準備されている。私はその草履を履き、玄関の扉に手をかけた。


「ちょっと待って!」


 今まさに玄関のドアを開けようとしたその時、とてとてと廊下をかける小春さんの呼び声が聞こえた。私が振り返ると、そこにはさっきのかすみ草の花束を抱えたままの小春さんが、ほっぺたを赤くして立っている。


「? 小春さん?」


 呆気にとられて小春さんを眺める私。小春さんはニコッと微笑んだ後、手に持っていた花束からかすみ草を一房手折ると、それを私の右耳にスッと刺してくれた。


「へ?」

「……うん。やっぱり」


 呆気にとられる私と、満足そうに頷く小春さん。かすみ草で私を飾ってくれた小春さんは、笑顔のままジッと私を見つめた。


「小春さん?」

「これで、私の妹は完璧です」

「……」

「姉からの餞別です」

「あ、ありがとう……」


 途端に顔が紅潮し、小春さんの顔を見てられなくなった。俯いてただただ照れるだけの私を、小春さんがどんな顔で見つめているのかは分からない。


 だけど、右耳に刺されたかすみ草からは、なんだかほんのりと暖かい感触を感じた。


 その後、小春さんから『ほら急がないと』と急かされ、私は慌てて出発した。集合場所の神社までは、結構な距離がある。私は時間に遅れないように……だけどお母さんがせっかくキレイに着付けてくれた振り袖の形を崩さないように気をつけて、寒空の下、神社までの道のりを歩いていった。


 ……でも、せっかく気合を入れて準備したこの初詣。私にとってはちょっと残念な結果に終わってしまうことを、この時の私はまだ知らなかった。

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