あまり寂しくはないかもしれない②

 待ち合わせ兼目的地になっている神社の鳥居の前で、私は待ち人を待つ。……のだが、家を出たときとはうって変わって、今の私の気持ちは沈み込んでいる。


「……」


 私は一体何のために、大騒ぎして振り袖を着たのか……小春さんが耳に挿してくれたかすみ草も無駄になった……冷たい外気に冷やされた両手を息で温め、私は空を見上げた。


「小塚さん!」


 必死にかじかむ手を温めていたら、遠くから金森くんの声が聞こえてきた。振り返り、金森くんの方を向く。無駄だと分かっているのに、『ひょっとして……』と淡い期待を胸に秘め、祈る気持ちで振り返るのだが……


「おまたせ。振り袖、よく似合ってるね」

「うん。ありがと」

「……やっぱり、係長に?」

「うん」

「……ごめんね」

「んーん。金森くんは悪くないよ」


 やはり、世の中そううまくいくはずがない。えらくスッキリした服装にやや赤みがかったチェスターコートを合わせた、随分とカッコいい金森くん以外に、私が知る人物は、そこにはなかった。


 お姉さまと渡部先輩は、私達との初詣を辞退した。聞けば、金森くんがLINEで連絡を取ったところ、『大晦日は夫婦でゆっくりしたい』と簡潔に断られたそうだ。


 それでも金森くんはくじけず、必死に薫お姉さまと渡部先輩を口説き落とそうとしたそうだが……やはり最初の希望は変わらず、最終的に金森くんが折れたらしい。私への連絡が遅れたのは、二人を説得しようと奮闘していたからだそうだ。


 私は、この神社に向かっている途中でその話を聞いた。聞いた時は、『せっかく振袖着たし、二人で初詣しようよ』と金森くんに言ったのだが……


 実際に神社に到着して金森くんを待っているうちに、虚しさが私の胸に襲いかかった。私は一体何のために、家族を巻き込んでまで気合を入れて振り袖を着てきたのか……。


「……ごめん」


 そんな私の様子を気にしてか、金森くんも浮かない顔で改めて私にペコリと頭を下げた。その姿は、私の胸に罪悪感として、ほんの少しチクリと刺さる。


 そうだよね。金森くんは悪くない。むしろ、必死に薫お姉さまと渡部先輩を口説き落とそうと頑張ってくれたじゃないか。本人だって渡部先輩と会いたかっただろうに……会えなくて残念だろうに、私にも気を使って……


「まーいいじゃん!」


 私は努めて、大きい声を出した。これ以上、湿った気持ちを抱えるのはやめよう。お姉さまと渡部先輩を口説き落とせなかったのは仕方ない。それなら、あとは二人で初詣を楽しもう。


 ふてくされるのはもうやめよう。そして、この社内きってのイケメンでありながら奇特で残念な男、金森くんとの初詣という貴重な機会を楽しもう。彼のためにも、私自身のためにも。


「仕方ない。振られた者同士、初詣を楽しもう!」


 金森くんが、申し訳なさそうな顔を上げた。今日は気温が低く、風が冷たい。そのためか、彼のほっぺたはほんのり赤く染まっている。


「ほら行こう金森くん! もうすぐ除夜の鐘だって鳴るし、もうみんな並んでるから」

「……わかった」


 私は腰に手を当て、右手で参道を指し示した。所々に立てられた篝火に照らされた参道には、すでに人だかりが出来始めている。私は胸を張り、堂々と参道に歩を進めた。


 私の背後の金森くんも、タタタと私に駆け寄って、サッと私の左隣に並んだ。改めて思う。やっぱり金森くん、背が高い。彼が隣に立つだけで、私が彼の影に入ってしまう。


「小塚さん」

「ん?」

「ありがと」

「んーん。私こそありがと。がんばってくれて」

「んーん」


 この神社はこの街ではかなり大きな神社になる。そのため大晦日には、この街の人たちが初詣に訪れ、たくさんの人で結構な賑わいを見せる。


 神社や自治体もそれがよく分かっているためか、大晦日には神社の境内の一角で焚き火をし、参拝客がそこで火にあたって温まれるよう取り計らってくれている。それは今日も例外ではなく、参拝客や関係者の人たちなどが、大きな焚き火で暖を取っている様子が私から見て、金森くんのさらに奥の方で見て取れた。


 こっそりと、金森くんの横顔を見る。大きな焚き火に照らされる彼の横顔は、本当にキレイだ。


 金森くんと二人、並んで新年が明けるのを待つ。真冬の深夜となれば、気温も低い。私はかじかんだ手に息を吹きかけ、少しでも暖を取ろうと頑張っていた。


「小塚さん」

「ん?」

「大丈夫?」


 そんな私の様子に気付いたらしい金森くんが声をかけてくる。本当は大丈夫だと言いたいが……流石にこの寒さは堪える。身体は言うほど寒くないのだが、寒さでかじかむ手がキツい。さらに必死で手を温めてるのを見られているのに『大丈夫』というのは、なんだか少々わざとらしい気もする。


「大丈夫だけど……手がちょっと冷たいっ!」


 だから私はニッと笑い、金森くんの顔を見上げて素直に手が冷たいと言ってみた。これだけあっけらかんと言ってしまえば、嫌味もないし、さして心配もかけないはずだ。金森くんも私がこの態度では、特に何も出来ないだろう。


 だが金森くんは、そんな私の顔を、ちょっと眉間にシワを寄せた、なんだか深刻そうな、難しい顔でジッと見つめた。


「ん?」

「……」


 なんだろう……この間が妙に怖い……


 そんな金森くんのちょっと緊張した雰囲気に私が飲まれた、その時だ。金森くんは、ポケットに突っ込んでいた右手で私の左手首をガシッと掴んだ。ずっとポケットの中に入れていたためか、彼の右手は驚くほど温かい。


「ちょ……」

「……」

「なにすんの……」


 私の抗議も気にせず、金森くんは私の左手を、そのまま自分の右ポケットへと突っ込んだ。


「ふぁ……」

「あったかいでしょ」

「……うん」


 途端に私の左手が、まるでお風呂のお湯の中に突っ込んだかのように温まる。いつの間にかニヘラと笑っていた金森くんのポケットの中に入っていたのは、小さなカイロ。手で掴んでみると、私がよく知ってるホッカイロよりも暖かくて、そして金属のように硬いものをもこもこした生地で包んでいるような、そんな変わったものだ。


「なにこれ」

「ハンディウォーマー。ライターオイルで温めて使うカイロ」

「? 金森くんって、タバコ吸うの?」

「吸わないよ。でもこれ温かいから」

「ふーん……」


 かじかんだ手に、ハンディウォーマーの熱がとても熱く、心地よい。ついでにポケットの中に手を入れてるから、手全体がすごく温かい。


 これはキモチイイ。金森くん、ずっとポケットに手を入れていたけど、私が手の冷たさに耐えてるその横で、こんなキモチイイ思いをしていたとは思わなかった……。


 ……しかし、この状況はどうすればいいというのか。確かに金森くんのポケットの中はとてもあたたかい。左手どころか、右手もこの中に突っ込んで、ずっと暖を取っていたくなる心地よさだ。それは認める。


「……」

「……」


 しかしこの状況はマズい。なぜ私は、ここで金森くんのポケットに手を突っ込むという暴挙をしでかしているのか。これは恥ずかしい。男の人のポケットに手を突っ込むなど……まるで彼氏といちゃついているようではないか。


 私の顔に血が上がってくるのを感じる。焚き火の明かりに照らされて赤面しているのがバレないよう、金森くんから顔をそむけたが……左手だけは、その心地よさもあってポケットから出す気になれない……


――小塚さん


 黙れ夢の中の素っ裸の金森くんっ! あなたは私の夢の産物でしょうが!!


「小塚さん?」


 ッ!! ……あ、今度はホントの金森くんか……緊張で声が上ずらないよう、私は努めて冷静に返事をするのだが……


「な、なに!?」


 一度変な方向にブーストがかかった頭は、すぐには元に戻らない。私の声はちょっと上ずり、どう聞いても緊張している声になってしまった……


 そんな私の声には金森くんが気付かないように、さっきの険しい顔からいつものニヘラとした笑顔を浮かべ、そして……


「そのカイロ、ポケットから出して使っていいから」


 と、言われてみれば確かに当たり前でその通りなことを私に言ってくれた。


「た、確かに! このまま手を突っ込んでると、歩き辛いしね!!」

「う、うん?」

「ありがと! 金森くんッ!!」

「ん、んん? ……ど、どういたしまして……?」


 なんか『いちゃついてる』とか色々ぶっ飛んだことを考えていた自分が恥ずかしい……不思議そうに私を見つめる金森くんは置いておいて……


「別に、小塚さんがいいなら、このままでもいいけど……」

「私が良くないッ!!」

「?」


 改めて世迷い言を口にする金森くんにツッコみ、そしてポケットの中のカイロを掴んで取り出した。


「……でも、ホントにいいの?」

「いいよ。持ってきたはいいんだけど、僕は言うほど寒くはないし」

「そっか」


 改めて確認した私は、そのカイロを両手で包み込み、その熱さで両手を温めた。


「あったかいねー……」

「でしょ。だからこういう時にいいんだよね」

「確かに」


 実を言うと、ポケットからカイロを取手左手を出すとき……心の何処かで、もう少し手を突っ込んでいたいと思った。それはポケットの中がとても心地よかったからだ、と自分に言い訳しておいた。


 そうして待つこと十数分。街の何処かで鳴らされた除夜の鐘が夜空に鳴り響き、新しい一年が幕を開けた。


「……あ」

「明けたね」


 もちろんその鐘の音は、私達の耳にも届いた。遠くで鳴らされた除夜の鐘は、不思議と実際の音の大きさよりも大きく聞こえ、私の胸に、ゴーン……ゴーン……と、小さく、そして心地よい振動となって伝わった。


「……小塚さん。あけましておめでとう」

「うん。あけましておめでとう」

「今年もよろしく」

「私こそ、今年もお世話になります」


 自然と互いに見つめ合い、互いに丁寧に頭を下げる。金森くんが貸してくれたカイロは、未だとてもあたたかくて、私の両手がかじかむことはない。


 しばらくそうして頭を下げた後、私達は同じタイミングで顔を上げ、互いに顔を見合った。金森くんの顔は、少し赤く見えた。


「……ぷっ」

「くすっ……なんか、改めて言うと照れるね」

「だから小塚さん、顔真っ赤なの?」

「バッ……か、金森くんだって顔真っ赤だよ!?」

「寒いからね……」

「ズルい! その返しはズルいよ金森くん!!」

「なんで?」

「……熱いから! 金森くんが貸してくれたカイロが熱いから、顔赤いのッ!!!」

「?」


 そう。金森くんが貸してくれたカイロが熱いから、顔まで赤くなっているんだよ金森くん。そういうことにしておいてください。


 だから、そんなキョトンとした顔で、真っ赤になった私の顔を覗き込まないで下さい。

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