勘違いされたのかもしれない②

「……あら! 金森さんじゃないですか!!」

「ん?」


 静かな店内に、一人の女声の甲高い声が鳴り響いた。私はもちろん、金森くんと喫茶店の奥さんの注意も引いたようで、みんながお店の入口の前を見た。


「金森さんもここのランチをよくお食べになるんですか?」


 入り口では、一人の女性がドアを開いたまま立っていた。歳はおそらく、私や金森くんよりも少しだけ上か、低く見積もっても私達と同年代。化粧バッチリで、薫お姉さまのようにバリバリのキャリアウーマンの様相が見て取れる、紺色のスーツ姿の女性だ。


 その女性が、ストレートの長い黒髪をなびかせ、ドアを閉じて私達のテーブルまでやってきた。履いてる靴がピンヒールのためか、店内にはコツコツと良い足音が鳴り響く。


 そしてそれ以上に……


「私もね! よくここでランチを食べるんです!」

「へぇ〜。奇遇ですね一色さん」


 とこんな具合で、その甲高い声は非常に耳に付きやすく、心地よい足音よりもうるさく店内に響き渡っていた。この声の出し方は、女性がお目当ての男性の前で出す声に近い気がする。……てことは、この人はひょっとして金森くんのことを……


「ところで金森さん、コチラの方は?」

「……ああ、彼女は小塚といいます。僕の同僚です」

「へぇ〜……」


 考え事をしていたら、唐突に話題を振られた。慌てて立ち上がり、目の前の女性に頭を下げた。


「すみませんあっけにとられちゃって。いつも金森がお世話になってます。同僚の小塚です」

「はい。いつも金森さんにはお世話になってます。私はサイトウ・テクニクスの一色玲香といいます」


 彼女……一色さんというその美人は、私に対してニコリと微笑む。……のだが。


「えっと……じゃ、名刺をお渡ししますね」

「あーいやいや、結構です。今日は偶然ですし、仕事でもないですから」

「はぁ……」


 慌てて名刺を準備しようとする私を、一色さんは右手を上げて制止した。その表情は笑顔なのだが、なんだか目だけは、こちらの胸をグサリと突き刺してきそうなほど、鋭い。


「……」

「……それじゃあ私は邪魔しちゃ悪いし、あちらのテーブルで食べますね」


 そうですか、私の名刺はいりませんか……と腰を下ろした私を無視し、二人の会話は続いていく。金森くんに向けられる一色玲香さんの眼差しは、私を見つめるときと違って、随分と柔らかく、キラキラと輝いて見える。きっとこの人、金森くんのこと狙ってるんだろうなぁ……私達より年上に見えるのに、随分と分かりやすい人だ。


 ここで、普通の社会人なら『とんでもないです! 一緒に食べましょうよ!!』と相席に誘うことだろう。相手が取引先の人ならなおさらだ。きっとこの一色玲香さんも、それを期待しているはずだ。『邪魔しちゃ悪い』と口では言うが、金森くんが自分を相席に誘うという自信があるから、きっと自分からは相席を申し出なかったのだろう。


 そして私は、気持ちが憂鬱になっていた。正直、この一色さんとご飯を食べるのは別にイイんだけれど、彼女はどう考えても、私のことを金森くんを付け狙う敵だと認識している。


 自分を敵だと認識している人と一緒にランチを食べる……うー……いやだなぁ……せっかく美味しいランチなのに、そんな状況で食べると、全然美味しくなくなってしまう……とはいえ、取引先の人と一緒に食べないというのは……うーん……。


 ……だが、私たちの残念なイケメン金森くんは、さすがあの渡部先輩を敬愛している変わり者なだけのことはある。彼は私達の予想を裏切った。


「分かりました! ではまた今度ご一緒させていただきますね!!」

「は……?」

「!?」


 彼は、実に爽やかな笑顔で一色さんと私の予想外の言葉を発すると、再びオムライスを口に運び、実に美味しそうにニコニコと微笑み始めた。


「んー……!」

「……ッ!」

「……あれ? 行かないんですか?」

「……ッ!」

「あっちに空席いっぱいありますけど……?」

「し、失礼しましたッ!!」

「?」


 金森くんに指摘された一色玲香さんは、顔を真っ赤に紅潮させた後、カツカツと足早に私達から遠く離れた席へと移動した。彼女の背中が刺々しい……あれは絶対に怒りに打ち震えているぞ……席についた途端、こっち見て……というより私を見てギッて睨んでるし……


 一方の金森くんは、そんな一色玲香さんの睨みなぞどこ吹く風で、実に美味しそうにオムライスを頬張っていた。いっぺんにたくさんスプーンですくって口に入れるものだから、また口の端っこにケチャップつけてる……この神経の図太さを私にも分けてほしいよ……


「ねぇ金森くん」

「んーおいし……ん?」

「いいの?」


 程よく焼けたバターロールをちぎりながら、金森くんに当然の疑問を振ってみた。でも彼はいまいちピンと来てないようで、私の質問を聞いても、端っこにケチャップをつけた口を歪ませ、不思議そうに私を見るばかりだ。そんなことでどうする金森くん。あなたはお姉さまお気に入りの期待のホープではないのか。


「何が?」

「あの人」

「ああ、一色さん?」

「取引先の人なんでしょ? 一緒に食べなくていいの?」

「いいよ。今は小塚さんとランチしてるんだし」


 私の頭の中が、はてなマークで埋め尽くされていく。一体何を言っているんだこの人は? 取引先と同僚とのランチなら、取引先を優先するのが社会人ではないのか? バターロールをちぎる私の手に、ほんの少し力が籠もる。


「いやいや、金森くん」

「ん?」

「取引先でしょ? こういう時に親交を深めるのが、キミの仕事じゃないの?」

「仲良くなる機会なら、他にいくらでもあるでしょ」

「そうは言ってもさぁ……」

「……?」


 私の言葉を聞いても、金森くんはただただ不思議そうに私を見るばかり。イタズラをやるだけやっておいて、『ぼく、なにかわるいことした?』と飼い主に無邪気な顔を見せる子犬のような純真な瞳だ。キミは一体いくつなんだ金森くん。私はキミの社会人としての適正に疑問を抱き始めたよ。


 ……とはいえ、正直な所私もホッとしている部分はある。今も私たち……いや私をジッと睨みつけているあの一色玲香さんとランチを食べるのは、私も御免こうむるところだ。その意味では、彼女の無言の圧力を笑顔で突っぱねた金森くんには、感謝しかない。


 腑に落ちないが、ここは感謝することにしよう。今、口の端っこにケチャップをつけていたことに気づき、恥ずかしそうに再びナプキンで拭き取っている、この無邪気な子犬のような金森くんに。


 ちぎったバターロールを口に放り込み、私はナイフとフォークで、正体不明の俵型のフライを切り開いた。


「……あ」


 途端にフライの中から流れ出る、熱々で真っ白なホワイトソース。このフライは、クリームコロッケだ。


「おっ。クリームコロッケだね」

「……」

「美味しそうだねぇ。食べたら感想聞かせてよ」


 子犬のように無邪気な眼の前の友人は、邪気のない笑顔でそう口にする。


 私はクリームコロッケを大体半分ぐらいに切り分け、その、大きい方を彼の残り少ないオムライスの上に、フォークでちょこんと乗せた。


「へ?」

「気になるんでしょ? 私に感想聞くより食べたほうがよく分かるよ」

「いいの?」

「いいよ。それにほら、金森くんクリームコロッケ好きでしょ?」

「好きだけど……」


 これは、私から彼へのささやかなお礼だ。あの、今も私を歯ぎしりしながらにらみつける女性、一色玲香さんを私から遠ざけてくれた彼への。


「じゃあ……いただきます」


 しばらく戸惑った後、金森くんは私が乗せたクリームコロッケを器用にスプーンですくい上げ、そしてそれを一口で口の中に入れた。


「あっつ!?」

「ぶふっ……」


 途端に悲鳴を上げる金森くん。コロッケの切り口からは湯気が立ち込めているから、そらぁそれだけの大きさのコロッケを一気に口の中に入れれば熱かろう。


「あづっ……はふっ……でも、おいひい……ッ」

「ならよかった」


 それでも、金森くんはその味が気に入ったようだった。口の中に必死に空気を取り込みながらだが、それでも彼は、そのコロッケを美味しいと言い、急いで飲み込んだりはしなかった。


 そして。


「んーッ! ……んー。美味しかった」

「熱そうだったけと、やけどしてない?」

「大丈夫。それよりも……」


 苦労しながらもコロッケを丁寧に味わった金森くんは、オムライスの残りを、私の方に向けた。大好物のクリームコロッケをくれたお返しに、オムライスを少しくれるというのか。


「お返し。よかったら少し食べてよ」

「いいの?」

「うん。いいから食べて」

「……んじゃ」


 彼の好意に甘えることにする。一色玲香さんの痛い視線に睨まれながら、私は金森くんのオムライスを少しだけフォークですくい、口に運んだ。


「んー……」

「……」

「……美味しい」

「だよねー」

「まぁ、私はここのオムライス何度か食べてるけど」

「確かに」


 彼がくれたオムライスは、いつものように卵がふわふわで、ケチャップの味が甘酸っぱい、とても美味しいオムライスだった。


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