第13話 ローラはひとりきり
迷子案内のところまで連れていくと、館内には親を呼ぶ放送が響き渡る。
「ついでに僕もいいですか。お連れ様がお待ちですって放送してほしいんです」
さきに姿を現したのは彼の父親だった。細身で首にまでかかる髪はなんと似合うことか。ビジュアル系のバンドマンみたいだ。ワインレッドのマフラーストールにチェスターコートを着ていなければ、「美女です」と言い張れるのではなかろうか。
「すみません、この子がご迷惑をかけたみたいで」
「いえ、お気になさらず」
じゃあ、っと少年は右手を高く掲げてどこかへ行った。その後をお父さんはついていく。
「また迷子になるんじゃないかな」
ぼそっと一言もらすと、放送した女性は笑った。その入れ違いに美愛ちゃんがきたので、僕も楽ができた。
相変わらず僕は無職である。年が明けて実家に帰る金もなく妹からの帰ってこいという連絡も無視して眠っている。ときおり頭のなかでリンリンちゃんが牛乳をせがむ。猫用ミルクを飲まなくてもよくなりたっぷり脂肪の入った牛乳を飲みたがる。無視してアルコールを飲んで眠れば、カーテンが破かれていたり、テーブルの上が散乱していたりする。頭の中は猫の男が暴れている。そして猫も頭が酒で麻痺している。
今朝目覚めたら枕のそばの文庫本に引っ掻き傷があった。馬鹿な猫だ。僕は爪を切る頻度を多くしていた。
「この前のチョコが美味しかったから、また食べてほしい」
「高いから、自分で稼いで食べてほしいな」
リンリンちゃんは僕の脳に爪で抉るような刺激を与えた。彼女が僕の身体に住み着いてから、このような攻防が行われていた。彼女は一方的に僕の痛覚を刺激する。彼女は僕の脳に宿っているのだろう。引っ掻く、噛む、叩くといったような痛みを生じさせる。例えば、彼女が街中で腕を引っ掻くとする。染みるような痛みが走るが、傍目には一人で苦悶の声をあげる男である。また今朝のように部屋中をかき乱すこともする。
そうかと思えば何かをねだるときには人差し指を舐めるようなこともする。首あたりにふわふわの身体をこすりつけるような仕草を思わせる刺激も与える。いずれにせよくすぐったいが心地いい。
このような彼女が攻めたり彼女が守ったりすることで僕の身体は平穏を保てるのだ。僕からできることといえば、度数の強い酒を飲んで彼女を瞬間だけ麻痺させることだ。
夕方、百貨店といえど比較的手頃な価格の食材が揃っているものだと感心した。チョコを食べさせろ牛乳を飲ませろと鼻の下を尻尾で叩くようなことをするから諦めてここに足を伸ばした。ひとつ食べるとたちまち寝入ってしまったようだ。リキュールボンボンを選んで正解であった。
「奇遇ですね」
背後から男の声がした。
「あぁ、ええっと、たしか迷子の」
「はい、息子も一緒ですよ」
男が指差した方には、少年が長い列の中にいた。バラ売りの寿司を選んでいた。父親は手招いて、背中をトンと叩いてちゃんとお礼を言いなさいと叱咤する。少年は素直にありがとうと言った。
すっと立ち上がった父親がよろしければ食事をしませんかと誘う。見知らぬ人と食事をする、という発想に驚きを隠せなかった。戸惑いつつも、まともな夕食にありつけるならばと、一も二もなく了承した。
「お父さんこそ、その、奥さんへの許可とかはいらないのですか」
「私が男に見えますか?」
なんとも美しい笑顔であるが、もしかしたら僕は人を怒らせたのかもしれない。
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