思い出は頭の中
第6話 思い出は頭の中
たまらないほど寒いなか、クリスマス企画を知らせるチラシを配り続けていた。
サンタの格好をするにはあまりにも恰幅の足りない、また、顔の痩けかたからして親しみやすい青年とは違う。昨日鏡で顔を見たとき、目の下に浮き上がる隈と頬の荒れ加減に大きな衝撃を受けた。顔だちだけはマシと母に言われていたがそれさえ失いつつあるのかと。
「もしもし、あとどんくらい」
「すみません、まだあと200枚はあります」
「はぁ? もしかしてずっとおんなじとこにいるとかじゃないやろな」
「え、でも」
「朝と昼で人の向かう先はちゃうに決まってるやろ。だから、あぁ、もう。とりあえずさっさと残り配ったら戻ってきて」
満理花さんを怒らせたようだった。首根っこを引っ付かむように外に連れ出して面倒な作業をあてがったのだ。驚くなかれ、朝の6時に部屋にきてチラシ500枚ほどを手渡すのだ。
そしてタンスを漁りまともな服もないんかいと言って、自分の着ていたサンタコスチューム(ミニスカートではなくズボンだった)を寄越した。彼女は私のトレーナーとコールテンのズボンに着替えた。
僕が貧相な身体をしているとはいえ、長身の彼女はより格好のついた着こなしをするのだ。嘘だといってほしい。
「これ全部、梅田で配りきったらここに来て」
差し出されたのは定休日やら連絡先の書かれた名刺大のカードだ。裏面には赤い星マークのついた簡略な地図と梅田駅から徒歩10分いう情報があった。
そして現在午前11時である。
僕の仕事の出来はさておき、この怒りを労基署は受け止めてくれるのだろうか。雇用契約なし、支払い金額の提示もなし、拘束時間の明示もなし、あるとすれば、彼女が命の恩人であるということくらいであろうか。
「愛美ちゃんの知り合いでガールズバーに興味のある人っていますか?」
「斡旋ですか」
「いや、ええと、お客としてなんやけど」
「私、いちおう未成年」
嘘つけ、と思った。どこの未成年が巨大ダンゴムシ操るんだよ。中身は仙人の類いだとにらんでいた。そして、電話越しに愛美ちゃんのほくそ笑んだ顔が思い浮かんだ。
「仙人かどうかはさておき、お酒は飲みませんよ。ところでお電話させて頂いたのはですね、こんな寒い日に水狐さんにお客さんが来ているからなんですよ」
「お客、もしかして恵さんじゃあ」
「会いたいんですか?」
「まだ殺されたくない」
「そうでしょうね。お客さんは男性です。えっと、梶さんって方と島さんって方なんですけど」
さてどうしようか。電話の向こうにいる梶とは今日僕は温泉に行く約束だったのだ。そして、彼は満理花さんとかつて恋人だった。
「ちょっと電話かわってもらえるかな」
はい。としばらくしてかなり怒った声で恫喝された。
「なんで美愛ちゃんにかけさせてるんだ」
「なんか知らんけど、俺らより早く電話しだしたんや、どんな関係やねん。ロリコンかお前」
「ただの隣人だよ」
ただしこの子にも窮地を救われているが。
「どこおるんかしらんけど。迎えに行くから」
「満理花さんに連れられてサンタコスチュームでチラシ配りしてる」
電話越しに大きなため息が聞こえた。迎えに行くから待っとれとだけ言い残して電話は再び美愛ちゃんに返された。手がいい加減凍えてきた。
「……温泉行く?」
「馬鹿にしないでください」
「いや馬鹿にはして」
「いんやいんや随分馬鹿にして、いや嘗めくさってくれてるみたいじゃないかな」
えらく野太い声だなと思ったら目の前に満理花さんがいた。どうやら、命の恩人に殺されるかもしれない。
ほっぺたを引っ張られながら梅田の繁華街を引きずられていく。もしかしたら梶たちが来るかもしれないんですと言えば、ほっとけばいいとのことだった。
店のなかでは、満理花さんと同い年くらいの女性たちが掃除をしていた。そして、僕の役割も決められていた。僕は空調の掃除だった。以前より水が漏れるからそれも直せとのことだ。
「業者が必要なやつです、それ」
「ええからホコリとりだけでもして」
そして空調を工具なしで外せるところまで外した。すると粘液まみれの白い塊が落ちて床で破裂した。呆気にとられていると、それはムニョムニョと蠢いて、元の形にすぐ元通りになった。
皆が呆然とするなか、僕は場違いにも、えっとこれなんですか、と聞いた。誰も答えてくれなかった。
とりあえず空調の掃除は終わった。またチラシも、まだ日に余裕があるからと今日は帰っていいということになった。満理花さんは5千円とさっきの塊を押し付けてきた。
予定より三時間遅れて温泉に行くことになった。その前にサンタコスチュームだけ着替えさせてもらえないかと頼み部屋に戻った。
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